小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第30回アンリ・カルティエ=ブレッソン
(図1)
アンリ・カルティエ=ブレッソン
「競技の後」
"After a competition"
1972年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:17.0x25.4cm
シートサイズ:19.8x28.2cm
スタンプサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
ヨットから外された帆を風にかざす男性たち。画面右側で帆の下の端を持つ後ろ姿の男性、中央に肩車をされて帆の脇をつかむ男性、左奥で帆の先端を持つ男性が捉えられています。背景には、五輪の旗がはためき、競技に参加したヨットが並び、4人のシルエットと帆の模様、地面に落ちる影が組み合わさって、視覚的なリズムが作り出されています。アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908-2004)は、1972年夏季のミュンヘン・オリンピックでドイツ北部の都市キールで実施されたセーリング競技を撮影しました。ブレッソンが撮影した一連の写真の裏面には、彼自身の名前と連絡先を記したスタンプと、彼設立・運営に携わった写真エージェンシー、マグナム・フォトのパリ事務所スタンプが押されています。(一連の写真は、こちらで見られます)。オリンピックの報道に際して、雑誌や新聞での掲載が意図されていたのでしょう。
オリンピック公式サイトのページには、1896年にアテネで開催された最初の近代オリンピックから昨年のロンドン・オリンピックにいたるまでの記録写真や映像の一部が公開されており、ミュンヘン・オリンピックについても、その一端を窺い知ることができます。19世紀末から21世紀初頭まで、いくつかの年代を跨ぎながらそれぞれのオリンピックの記録写真を眺めてみると、写真技術の進歩(カメラの進化やカラー写真の登場、望遠レンズの導入など)が、各大会の記録・報道写真に如実に反映されていることがわかります。オリンピックという国際的な一大イベントにおいて、スター選手の偉業やその表情を間近に、鮮明な写真や映像に捉えて報道することこそが、競技場に詰めかける多くの写真家たちの目的であり、撮影のためにその時々の最新の撮影技術が導入されてきたのです。
アンリ・カルティエ=ブレッソンがキールで撮影した写真には、競技をする選手の姿を捉えたものよりも、セーリング競技の準備や後片付け、競技を見に来た観客の様子(図3)など、競技の周辺の状況をとらえたものが多いのが特徴的です。また、(図1)や(図4)にも見て取られるように、画面の前景、中景、後景にいたるまでのつながりに注意を払って構図を作り出し、空間を捉えていることもブレッソン独特の捉え方が如実に表れていると言えるでしょう。なぜなら、スポーツの報道写真は望遠レンズを用いて撮影されることが多く、(図2)のように競技の主役になる選手に焦点が合わせられ、その周辺の情景は、主役の背景としてぼやかされることのほうが殆どだからです。
(図2)
走高跳で金メダルを獲得した西ドイツのウルリケ・マイフェルト選手
(当時16歳)
(図3)
アンリ・カルティエ=ブレッソン
「オリンピック村の中」
"Inside olympic village"
1972年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:25.2x17.0cm
シートサイズ:28.3x19.8cm
スタンプサインあり
(図4)
アンリ・カルティエ=ブレッソン
「タイトル不明」
1972年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:25.0x17.0cm
シートサイズ:27.8x20.0cm
スタンプサインあり
アンリ・カルティエ=ブレッソンといえば、1952年に刊行された写真集『決定的瞬間』があまりにも有名です(「決定的瞬間」とはもともと最初に刊行されたフランス語版の写真集『すり抜けるイメージ』の序文のタイトルで、後の英語版の写真集の題名となりました)。ブレッソンの言う「決定的瞬間」とは、一般的に考えられるような「決定的瞬間」、たとえばスポーツ競技においては、新記録が打ち出され、偉業を成し遂げられた瞬間のことを指すのではありません。「私にとって写真とは、一秒の何分の一かの時間で、出来事の意味を認識し、それと同時にその出来事を表現するのに最も適した構図を見つけることである」と、ブレッソンは述べています。写真集刊行から20年を経て撮影されたミュンヘン・オリンピックの写真においても、彼の言葉に表されるような撮影の姿勢は変わらず貫かれていたのです。
(こばやしみか)
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
大竹昭子さんのエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」は毎月5日の更新です。
植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、毎月数回、更新は随時行います。
同じく植田実さんの新連載「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は毎月15日の更新です。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
小林美香さんのエッセイ「写真のバックストーリー」は毎月10日と25日の更新です。
荒井由泰さんのエッセイ「マイコレクション物語」は毎月11日に更新します。
井桁裕子さんのエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
バックナンバーはコチラです。
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◆ときの忘れものは、2013年2月8日[金]―2月16日[土]「銀塩写真の魅力 IV展」を開催しています。
銀塩写真のモノクロームプリントの持つ豊かな表現力と創造性をご覧いただくシリーズも4回目を迎えました。
本展では、植田正治、細江英公、五味彬、大竹昭子、佐藤理、北井一夫、村越としや、エドワード・スタイケン、ロベール・ドアノー、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・メープルソープ、ウィン・バロック、ジョック・スタージスらのモノクローム作品約20点をご覧いただきます。

アンリ・カルティエ=ブレッソン
「競技の後」
"After a competition"
1972年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:17.0x25.4cm
シートサイズ:19.8x28.2cm
スタンプサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
ヨットから外された帆を風にかざす男性たち。画面右側で帆の下の端を持つ後ろ姿の男性、中央に肩車をされて帆の脇をつかむ男性、左奥で帆の先端を持つ男性が捉えられています。背景には、五輪の旗がはためき、競技に参加したヨットが並び、4人のシルエットと帆の模様、地面に落ちる影が組み合わさって、視覚的なリズムが作り出されています。アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908-2004)は、1972年夏季のミュンヘン・オリンピックでドイツ北部の都市キールで実施されたセーリング競技を撮影しました。ブレッソンが撮影した一連の写真の裏面には、彼自身の名前と連絡先を記したスタンプと、彼設立・運営に携わった写真エージェンシー、マグナム・フォトのパリ事務所スタンプが押されています。(一連の写真は、こちらで見られます)。オリンピックの報道に際して、雑誌や新聞での掲載が意図されていたのでしょう。
オリンピック公式サイトのページには、1896年にアテネで開催された最初の近代オリンピックから昨年のロンドン・オリンピックにいたるまでの記録写真や映像の一部が公開されており、ミュンヘン・オリンピックについても、その一端を窺い知ることができます。19世紀末から21世紀初頭まで、いくつかの年代を跨ぎながらそれぞれのオリンピックの記録写真を眺めてみると、写真技術の進歩(カメラの進化やカラー写真の登場、望遠レンズの導入など)が、各大会の記録・報道写真に如実に反映されていることがわかります。オリンピックという国際的な一大イベントにおいて、スター選手の偉業やその表情を間近に、鮮明な写真や映像に捉えて報道することこそが、競技場に詰めかける多くの写真家たちの目的であり、撮影のためにその時々の最新の撮影技術が導入されてきたのです。
アンリ・カルティエ=ブレッソンがキールで撮影した写真には、競技をする選手の姿を捉えたものよりも、セーリング競技の準備や後片付け、競技を見に来た観客の様子(図3)など、競技の周辺の状況をとらえたものが多いのが特徴的です。また、(図1)や(図4)にも見て取られるように、画面の前景、中景、後景にいたるまでのつながりに注意を払って構図を作り出し、空間を捉えていることもブレッソン独特の捉え方が如実に表れていると言えるでしょう。なぜなら、スポーツの報道写真は望遠レンズを用いて撮影されることが多く、(図2)のように競技の主役になる選手に焦点が合わせられ、その周辺の情景は、主役の背景としてぼやかされることのほうが殆どだからです。

走高跳で金メダルを獲得した西ドイツのウルリケ・マイフェルト選手
(当時16歳)

アンリ・カルティエ=ブレッソン
「オリンピック村の中」
"Inside olympic village"
1972年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:25.2x17.0cm
シートサイズ:28.3x19.8cm
スタンプサインあり

アンリ・カルティエ=ブレッソン
「タイトル不明」
1972年(Vintage)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:25.0x17.0cm
シートサイズ:27.8x20.0cm
スタンプサインあり
アンリ・カルティエ=ブレッソンといえば、1952年に刊行された写真集『決定的瞬間』があまりにも有名です(「決定的瞬間」とはもともと最初に刊行されたフランス語版の写真集『すり抜けるイメージ』の序文のタイトルで、後の英語版の写真集の題名となりました)。ブレッソンの言う「決定的瞬間」とは、一般的に考えられるような「決定的瞬間」、たとえばスポーツ競技においては、新記録が打ち出され、偉業を成し遂げられた瞬間のことを指すのではありません。「私にとって写真とは、一秒の何分の一かの時間で、出来事の意味を認識し、それと同時にその出来事を表現するのに最も適した構図を見つけることである」と、ブレッソンは述べています。写真集刊行から20年を経て撮影されたミュンヘン・オリンピックの写真においても、彼の言葉に表されるような撮影の姿勢は変わらず貫かれていたのです。
(こばやしみか)
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
大竹昭子さんのエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」は毎月5日の更新です。
植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、毎月数回、更新は随時行います。
同じく植田実さんの新連載「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は毎月15日の更新です。
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小林美香さんのエッセイ「写真のバックストーリー」は毎月10日と25日の更新です。
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井桁裕子さんのエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
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◆ときの忘れものは、2013年2月8日[金]―2月16日[土]「銀塩写真の魅力 IV展」を開催しています。

銀塩写真のモノクロームプリントの持つ豊かな表現力と創造性をご覧いただくシリーズも4回目を迎えました。
本展では、植田正治、細江英公、五味彬、大竹昭子、佐藤理、北井一夫、村越としや、エドワード・スタイケン、ロベール・ドアノー、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・メープルソープ、ウィン・バロック、ジョック・スタージスらのモノクローム作品約20点をご覧いただきます。
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