NYではグッゲンハイムの「具体展」が大盛況、東京では有楽町で「ART FAIR TOKYO 2013」、六本木で「G-tokyo 2013」が始まり桜とともにアート満開というところですが、ときの忘れものも明日(日曜)、明後日(月曜)ともに「GUTAI 具体 Gコレクションより」を開催中につき開廊しています。
どうぞアートフェアのついでに、青山にもお立ち寄りください。
出品作品を順次ご紹介していますが、本日は別格の吉原治良と並んで早くから市場の評価も獲得した白髪一雄の作品です。
白髪一雄
「作品」
1981年
キャンバス、合板、油彩
23.0x16.0cm
サインあり
本展の企画監修にあたられた石山修武先生には白髪作品についての強烈な思い出があるようです。
例によって『世田谷村日記』から勝手に引用させていただきます。
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「具体」と言えば強烈な思い出がある。具体派らしい思い出でもある。
宮崎のチョーコーソーでかなり大がかりな展覧会をやるので見に来てくれと言われて出掛けた。宮崎市に超高層ビルなんかあったっけ?といぶかしんでいた。着いて案内されたのは潮光荘という名の日本風旅館だった。旅館が古くなって取り壊すので記念に展覧会をやろうとなったらしい。
潮光荘を超高層と間違えるわたくしも阿呆だが、それを詳しく説明しない人々もやはり少しおかしい。
「具体」の連中の展示が、和風旅館の各室に満載されていた。タタミの部屋にフスマ、障子の世界であるが、具体派の作品群が妙にしっくりと落ち着いていたのが強く印象に残った。
潮光荘を超高層と間違える自分自身のトンチンカンさも情けなかったが、その情無さの無念さをグッと内に隠して、旅館の部屋巡りの展示を必要以上にジックリと見たのであった。
そんな驚きにも似た間違いは具体派の人々の作品の根底にあるような気がしないでも無い。美術作品を見る側のお仕着せのモダーンな西欧からの直輸入の観念である。恐らくその変な体験が後に宮崎の現代っ子ミュージアムの設計となって現れた。
現代っ子ミュージアムの一室には白髪一雄の大きな作品が一点収蔵されていた。
部屋はタタミ敷きで、壁は馬フン紙の切り貼りであった。わたくしはその部屋で何日か寝泊りした事がある。
今想えば白髪一雄の大作と何日も同室に眠ったのであった。
まことにぜい沢極る体験であった。
和室にフトンをしいて、床の間に白髪一雄であった。
実に毎夜グッスリと良く眠れた。具体の絵は実にグッスリ眠れるのを知った。
半分こじつけもあろうがそれは具体の良い作品群に表現されている健全な精神がそうさせたのだと思う。
瑞々しい、溢れるばかりの作品の生命力が、和風の部屋の特に素材と良く合うのだ。木や草や土と実に良く合う。それは具体の作品に表れているアニミズムの深奥だったのではあるまいか。
石山修武『世田谷村日記』より
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白髪一雄
「作品」
1981年
キャンバス布、油彩インク
41.0x41.0cm
Ed.2
筆サインあり、印あり
白髪一雄
「Passionate Winner」
1988年
シルクスクリーン
68.5x89.0cm
Ed.300
鉛筆サインあり
白髪一雄
「斉」
シルクスクリーン
113.2x64.0cm
Ed.60
鉛筆サインあり
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■白髪一雄 Kazuo SHIRAGA(1924-2008)
尼崎市に生まれる。1948年京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)日本画科卒業。のちに洋画に転向し、大阪市立美術研究所で油彩を学ぶ。1952年0会結成に参加。ゲンビを通じて吉原治良と出会い、1955年具体美術協会会員となる。以降、具体主要メンバーの一人として活動し、1972年の解散まで参加。1999年文部大臣から地域文化功労者表彰。1971年比叡山延暦寺で得度。
■Kazuo SHIRAGA(1924-2008)
Born in Amagasaki. Graduated from the Department of Japanese painting, Kyoto Municipal School of Painting (presently, Kyoto City University of Arts) in 1948. Later changed to Western painting and studied at Osaka Municipal Institute of Art. Helped form the Zero-kai in 1952. Meeting Jiro YOSHIHARA through the Contemporary Art Panel, became a member of Gutai in 1955. From then on acted as one of the main members until Gutai’s dissolution in 1972. Recognized for Regional Cultural Merits by the Minister of Education in 1999. Entered the Buddhist priesthood at Enryakuji temple at Mt. Hiei in 1971.
◆ときの忘れものは2013年3月15日[金]―3月30日[土]「具体 Gコレクションより」展を開催しています(※会期中無休)。

企画・監修=石山修武
出品:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫、
田中敦子、金山明、山崎つる子、森内敬子
『具体 Gコレクションより』展図録
2013年 16ページ 25.6x18.1cm
執筆:石山修武 図版15点
略歴:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫
価格:800円(税込)
※送料別途250円
※お申し込みはコチラから。
どうぞアートフェアのついでに、青山にもお立ち寄りください。
出品作品を順次ご紹介していますが、本日は別格の吉原治良と並んで早くから市場の評価も獲得した白髪一雄の作品です。

「作品」
1981年
キャンバス、合板、油彩
23.0x16.0cm
サインあり
本展の企画監修にあたられた石山修武先生には白髪作品についての強烈な思い出があるようです。
例によって『世田谷村日記』から勝手に引用させていただきます。
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「具体」と言えば強烈な思い出がある。具体派らしい思い出でもある。
宮崎のチョーコーソーでかなり大がかりな展覧会をやるので見に来てくれと言われて出掛けた。宮崎市に超高層ビルなんかあったっけ?といぶかしんでいた。着いて案内されたのは潮光荘という名の日本風旅館だった。旅館が古くなって取り壊すので記念に展覧会をやろうとなったらしい。
潮光荘を超高層と間違えるわたくしも阿呆だが、それを詳しく説明しない人々もやはり少しおかしい。
「具体」の連中の展示が、和風旅館の各室に満載されていた。タタミの部屋にフスマ、障子の世界であるが、具体派の作品群が妙にしっくりと落ち着いていたのが強く印象に残った。
潮光荘を超高層と間違える自分自身のトンチンカンさも情けなかったが、その情無さの無念さをグッと内に隠して、旅館の部屋巡りの展示を必要以上にジックリと見たのであった。
そんな驚きにも似た間違いは具体派の人々の作品の根底にあるような気がしないでも無い。美術作品を見る側のお仕着せのモダーンな西欧からの直輸入の観念である。恐らくその変な体験が後に宮崎の現代っ子ミュージアムの設計となって現れた。
現代っ子ミュージアムの一室には白髪一雄の大きな作品が一点収蔵されていた。
部屋はタタミ敷きで、壁は馬フン紙の切り貼りであった。わたくしはその部屋で何日か寝泊りした事がある。
今想えば白髪一雄の大作と何日も同室に眠ったのであった。
まことにぜい沢極る体験であった。
和室にフトンをしいて、床の間に白髪一雄であった。
実に毎夜グッスリと良く眠れた。具体の絵は実にグッスリ眠れるのを知った。
半分こじつけもあろうがそれは具体の良い作品群に表現されている健全な精神がそうさせたのだと思う。
瑞々しい、溢れるばかりの作品の生命力が、和風の部屋の特に素材と良く合うのだ。木や草や土と実に良く合う。それは具体の作品に表れているアニミズムの深奥だったのではあるまいか。
石山修武『世田谷村日記』より
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「作品」
1981年
キャンバス布、油彩インク
41.0x41.0cm
Ed.2
筆サインあり、印あり

「Passionate Winner」
1988年
シルクスクリーン
68.5x89.0cm
Ed.300
鉛筆サインあり

「斉」
シルクスクリーン
113.2x64.0cm
Ed.60
鉛筆サインあり
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■白髪一雄 Kazuo SHIRAGA(1924-2008)
尼崎市に生まれる。1948年京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)日本画科卒業。のちに洋画に転向し、大阪市立美術研究所で油彩を学ぶ。1952年0会結成に参加。ゲンビを通じて吉原治良と出会い、1955年具体美術協会会員となる。以降、具体主要メンバーの一人として活動し、1972年の解散まで参加。1999年文部大臣から地域文化功労者表彰。1971年比叡山延暦寺で得度。
■Kazuo SHIRAGA(1924-2008)
Born in Amagasaki. Graduated from the Department of Japanese painting, Kyoto Municipal School of Painting (presently, Kyoto City University of Arts) in 1948. Later changed to Western painting and studied at Osaka Municipal Institute of Art. Helped form the Zero-kai in 1952. Meeting Jiro YOSHIHARA through the Contemporary Art Panel, became a member of Gutai in 1955. From then on acted as one of the main members until Gutai’s dissolution in 1972. Recognized for Regional Cultural Merits by the Minister of Education in 1999. Entered the Buddhist priesthood at Enryakuji temple at Mt. Hiei in 1971.
◆ときの忘れものは2013年3月15日[金]―3月30日[土]「具体 Gコレクションより」展を開催しています(※会期中無休)。

企画・監修=石山修武
出品:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫、
田中敦子、金山明、山崎つる子、森内敬子

2013年 16ページ 25.6x18.1cm
執筆:石山修武 図版15点
略歴:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫
価格:800円(税込)
※送料別途250円
※お申し込みはコチラから。
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