大谷石の地下空間 宇都宮プロジェクト
東京新聞4月3日の朝刊に「地下の大谷石資料館 再び光」という記事が掲載されていました。
かつて建築資材に使う大谷石の産地として栄えた宇都宮市大谷町には、大小100を超える地下採石場跡があります。
よく知られている「大谷資料館」は1979年(昭和54年)に開館し、初めて一般に地下採掘場を公開し、数多くのイベントや展覧会を開催してきました。

同館のHPより

「地下の大谷石資料館 再び光」
「大谷資料館」が二日、東日本大震災後の長期休館を終えて約二年ぶりに再オープンした。巨大な大谷石地下採掘場跡を見学できる施設として知られ、貴重な観光資源の復活に地元の期待は大きい。
資料館は、狭い石階段を下った地下約三十メートルに、野球場がすっぽり入る約二万平方メートルの空間が広がる。壁一面に、石材を掘り出した跡が、美しい模様をかたどっている。
大正から昭和時代にかけて大谷石が採掘された場所で、太平洋戦争中は中島飛行機(現富士重工業)宇都宮製作所の地下軍需工場として使われた。一九七九年、石材産業の関係者が大谷石の歴史を知ってもらおうと資料館を開館。震災前は年間約十万人が訪れる観光スポットで、コンサートなどのイベントも催されてきた。
震災後、余震の心配と、当時のオーナーの体調不良が重なり、二〇一一年三月から休館。今年二月、地元建設会社の大久保恵一社長(63)が「地域の伝統と誇りが詰まった場所。何としても復活を」と資料館を取得し、地元住民と再開に向けて準備を進めてきた。
「この二年間は町がひっそりしていたが、また盛り上がってきた」と大久保社長。安全性については「地震による破損などは全くなかった。頑丈です」と話している。
開館時間は午前九時~午後四時。問い合わせは同資料館=電028(652)1232=へ。
(東京新聞より転載)
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いろいろ事情があったようですが、何はともあれ再開は喜ばしい。
日本にもこんな異空間があったのかと訪れた人は誰でも驚くに違いない。
かつてこの地下空間を美術館にしようと安藤忠雄先生がプロジェクトを提案したのですが、実現はしませんでした。
紙の上にだけ残るプランです。

安藤忠雄
「宇都宮プロジェクト I」
1998年
シルクスクリーン

安藤忠雄
「宇都宮プロジェクト II」
1998年
シルクスクリーン
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因みに、亭主の生涯最大の展覧会だった1983年夏の巨大地下空間のアンディ・ウォーホル展の会場はここではありません。
前述した如く、大谷には江戸時代から石屋さんたちが掘り続けた大小100を超える地下空間があり、大谷資料館より大きな穴があります。
栃木県の名家、渡辺家の屏風岩石材部の採掘場跡がそれで、亭主の記憶に間違いがなければ地下100メートル、総延長2kmに及ぶ巨大な地下空間です。
このときのことはまたいずれ書きましょう。
東京新聞4月3日の朝刊に「地下の大谷石資料館 再び光」という記事が掲載されていました。
かつて建築資材に使う大谷石の産地として栄えた宇都宮市大谷町には、大小100を超える地下採石場跡があります。
よく知られている「大谷資料館」は1979年(昭和54年)に開館し、初めて一般に地下採掘場を公開し、数多くのイベントや展覧会を開催してきました。

同館のHPより

「地下の大谷石資料館 再び光」
「大谷資料館」が二日、東日本大震災後の長期休館を終えて約二年ぶりに再オープンした。巨大な大谷石地下採掘場跡を見学できる施設として知られ、貴重な観光資源の復活に地元の期待は大きい。
資料館は、狭い石階段を下った地下約三十メートルに、野球場がすっぽり入る約二万平方メートルの空間が広がる。壁一面に、石材を掘り出した跡が、美しい模様をかたどっている。
大正から昭和時代にかけて大谷石が採掘された場所で、太平洋戦争中は中島飛行機(現富士重工業)宇都宮製作所の地下軍需工場として使われた。一九七九年、石材産業の関係者が大谷石の歴史を知ってもらおうと資料館を開館。震災前は年間約十万人が訪れる観光スポットで、コンサートなどのイベントも催されてきた。
震災後、余震の心配と、当時のオーナーの体調不良が重なり、二〇一一年三月から休館。今年二月、地元建設会社の大久保恵一社長(63)が「地域の伝統と誇りが詰まった場所。何としても復活を」と資料館を取得し、地元住民と再開に向けて準備を進めてきた。
「この二年間は町がひっそりしていたが、また盛り上がってきた」と大久保社長。安全性については「地震による破損などは全くなかった。頑丈です」と話している。
開館時間は午前九時~午後四時。問い合わせは同資料館=電028(652)1232=へ。
(東京新聞より転載)
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いろいろ事情があったようですが、何はともあれ再開は喜ばしい。
日本にもこんな異空間があったのかと訪れた人は誰でも驚くに違いない。
かつてこの地下空間を美術館にしようと安藤忠雄先生がプロジェクトを提案したのですが、実現はしませんでした。
紙の上にだけ残るプランです。

安藤忠雄
「宇都宮プロジェクト I」
1998年
シルクスクリーン

安藤忠雄
「宇都宮プロジェクト II」
1998年
シルクスクリーン
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因みに、亭主の生涯最大の展覧会だった1983年夏の巨大地下空間のアンディ・ウォーホル展の会場はここではありません。
前述した如く、大谷には江戸時代から石屋さんたちが掘り続けた大小100を超える地下空間があり、大谷資料館より大きな穴があります。
栃木県の名家、渡辺家の屏風岩石材部の採掘場跡がそれで、亭主の記憶に間違いがなければ地下100メートル、総延長2kmに及ぶ巨大な地下空間です。
このときのことはまたいずれ書きましょう。
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