昨日早朝、兵庫県淡路島での震度6弱の地震。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
先日、旧友の坂井直樹さん夫婦にあるパーティで久しぶりに会いました。
5年間務めた慶応義塾大学の教授を退任されたので「ご苦労様」と言ったら、成蹊大学でも教えるらしく、「まだ数年は学生を相手にするよ」とのこと。
亭主もかなわぬ毎日更新のブログ「デザインの深読み」はフェイスブックでも人気らしい。
1970年代後半、渋谷駅南口から246を登ったあたり桜丘町に亭主の事務所がありました。隣接する南平台、鉢山町、猿楽町には当時新しい表現ー建築だったり、デザインだったり、出版だったりーに夢を託した亭主と同世代の仲間たちが多く集まりました。
半径数百メートルの範囲に今では各界のリーダーとなった連中が事務所を構え、あたかも梁山泊のごとき活況を呈していました。
中でも坂井さんの事務所「ウォータースタジオ」はかつての栄華を偲ばせる洋館のある広大な屋敷の一角にあり、亭主のところの直ぐ目の前でした。
坂井さんは1987年に日産の「Be-1」のコンセプト企画でヒットを飛ばし、「コンセプター」という全く新しい職業を確立したことで知られますが、その後のバブル時代も乗り切り、今でも若い奥さんと元気に活躍している。
経済オンチの亭主にはさっぱりわかりませんが、坂井さんによるとアベノミクスでしばらくはあちこちで小さなバブルがおきるらしい。
亭主は前回バブルのときは業界を去っていたのでまったく知らないのですが、美術業界も狂瀾怒涛の時代だったとか。
バブルが崩壊してしばらくたった頃、道でばったり昔お世話になった画廊のご主人Hさんに会いました。
懐かしがるHさん曰く
「ワタヌキさんのおかげできれいに引退できました。」
亭主「えっ、どういうことですか」
Hさん「あの後、直ぐにバブルになったでしょう。交換会に行くたびにどんどん値が上がる。これはおかしい、こんなことが続くはずがないと私は思い、それからは一切作品は買わず、ひたすら売るだけに徹しました。駒井さんや瑛九など、今思えばワタヌキさんにはいい作品を安くわけてもらいました。それらを数年で売りつくしました。●億円になりました。それで家内と二人でやっていた画廊をめでたく閉じることができました。ワタヌキさんのおかげです。」
路頭に迷っている(に違いない)亭主への同情と励ましのお世辞が入っていたにしても、見事な出処進退でした。
「不況のときに買い、好況のときに売る」がHさんの話から学んだ教訓です。
最近の草間彌生作品がいい例ですが、作品の市場価格が上がりだすとどういうことが起こるか。
先ず、今まで草間さんを扱ったことのない画商さんたちが「儲かる」と踏んで一斉に作品を求めて交換会や版元に殺到します。
同じ商品を多数が求めるのであっという間に価格は上昇する。しかし買った画商さんが必ずしも客を持っているわけではない。売れなければ資金繰りに窮するので直ぐに他の交換会やデパートに自分の利をのせて出品する。売れれば入金されるのでまた「買い」に出る。
以前より値があがる、それにまた利をのせて売る、という循環がうまくまわっているうちはいいのですが、ある日それがストップした途端、悲劇が起こる。
そういうことが起こらないことを祈るばかりです。
草間彌生「BUTTERFLY 蝶」
1985年
Screenprint
45.5×53.0cm
Ed.100 signed
※レゾネNo.81(阿部出版 2005年)
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先日、旧友の坂井直樹さん夫婦にあるパーティで久しぶりに会いました。
5年間務めた慶応義塾大学の教授を退任されたので「ご苦労様」と言ったら、成蹊大学でも教えるらしく、「まだ数年は学生を相手にするよ」とのこと。
亭主もかなわぬ毎日更新のブログ「デザインの深読み」はフェイスブックでも人気らしい。
1970年代後半、渋谷駅南口から246を登ったあたり桜丘町に亭主の事務所がありました。隣接する南平台、鉢山町、猿楽町には当時新しい表現ー建築だったり、デザインだったり、出版だったりーに夢を託した亭主と同世代の仲間たちが多く集まりました。
半径数百メートルの範囲に今では各界のリーダーとなった連中が事務所を構え、あたかも梁山泊のごとき活況を呈していました。
中でも坂井さんの事務所「ウォータースタジオ」はかつての栄華を偲ばせる洋館のある広大な屋敷の一角にあり、亭主のところの直ぐ目の前でした。
坂井さんは1987年に日産の「Be-1」のコンセプト企画でヒットを飛ばし、「コンセプター」という全く新しい職業を確立したことで知られますが、その後のバブル時代も乗り切り、今でも若い奥さんと元気に活躍している。
経済オンチの亭主にはさっぱりわかりませんが、坂井さんによるとアベノミクスでしばらくはあちこちで小さなバブルがおきるらしい。
亭主は前回バブルのときは業界を去っていたのでまったく知らないのですが、美術業界も狂瀾怒涛の時代だったとか。
バブルが崩壊してしばらくたった頃、道でばったり昔お世話になった画廊のご主人Hさんに会いました。
懐かしがるHさん曰く
「ワタヌキさんのおかげできれいに引退できました。」
亭主「えっ、どういうことですか」
Hさん「あの後、直ぐにバブルになったでしょう。交換会に行くたびにどんどん値が上がる。これはおかしい、こんなことが続くはずがないと私は思い、それからは一切作品は買わず、ひたすら売るだけに徹しました。駒井さんや瑛九など、今思えばワタヌキさんにはいい作品を安くわけてもらいました。それらを数年で売りつくしました。●億円になりました。それで家内と二人でやっていた画廊をめでたく閉じることができました。ワタヌキさんのおかげです。」
路頭に迷っている(に違いない)亭主への同情と励ましのお世辞が入っていたにしても、見事な出処進退でした。
「不況のときに買い、好況のときに売る」がHさんの話から学んだ教訓です。
最近の草間彌生作品がいい例ですが、作品の市場価格が上がりだすとどういうことが起こるか。
先ず、今まで草間さんを扱ったことのない画商さんたちが「儲かる」と踏んで一斉に作品を求めて交換会や版元に殺到します。
同じ商品を多数が求めるのであっという間に価格は上昇する。しかし買った画商さんが必ずしも客を持っているわけではない。売れなければ資金繰りに窮するので直ぐに他の交換会やデパートに自分の利をのせて出品する。売れれば入金されるのでまた「買い」に出る。
以前より値があがる、それにまた利をのせて売る、という循環がうまくまわっているうちはいいのですが、ある日それがストップした途端、悲劇が起こる。
そういうことが起こらないことを祈るばかりです。

1985年
Screenprint
45.5×53.0cm
Ed.100 signed
※レゾネNo.81(阿部出版 2005年)
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