生きているTATEMONO 松本竣介を読む 11

『人間風景』から
植田実


 松本竣介の文章を、おそらくは可能な限り網羅した『人間風景』(新装・増補版 中央公論美術出版 1990)を、この連載を始めたときに読み通したが、こんど改めて読み返した。このようにまとめられた資料は読者にとって実にありがたいが、編集はたいへんだっただろう。その作業の中心にいたにちがいない朝日晃さんの「あとがき」にそれがよく表れている。しかも初版刊行後10年近くに出された増補版は、前には行方不明だった文章をさらに追加して、そうした資料追跡と発見の息づかいがこの本に生きた形を与えている。

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 『線』第1号(1931)も新発見のひとつである。竣介の論文「絵画の階級性、非階級性について」が同誌に寄稿されているが、古代エジプト、ギリシャからキリスト教文化に至る絵画から始めて、ビザンチン、ロマネスク、ゴシックを辿り、14世紀イタリア、15世紀のフランドルを経てルネッサンスの主要画家に触れながら時代を下り、竣介と同時代のセザンヌからピカソ、さらにはカンジンスキーやルッソオまで自分なりの価値観で西欧絵画史を縦覧しているのだが、19歳から20歳になったばかりのときにこれほどの基本作業を自分に課しているのに驚かされる。ここに生涯を通じてあくまで画家としての自覚を強く持していた松本竣介がいる。
 例えばこの論文を念頭に置きながらそれに続く文章に当たっていけば、彼のひたむきな勉強ぶりやずばぬけた感性が否応なく迫ってくる。だがそれ以上に彼の時代がよく見えてくる。とくに日本にとってのヨーロッパの新しい絵画や文学との第1次遭遇ともいえるなかでの対象の正確な把握は、きわめてシンプルなのに現在よりずっと明快に受けとれる。むしろ高名な「生きてゐる画家」から構築されてきた、戦争に抵抗する画家像のほうが私にはまだ分かりにくい。自分のことを考えても、あれほど決定的に自分を変えてしまった時代をどう表現するかを、今でも探っているからかも知れない。本連載でもそこに触れるのをまだ回避している。
 この『人間風景』から、竣介自身の絵画に干渉してくるような文章を抜き書きしてみることにした。高校生の頃は好きな詩や小説の一節、アフォリズムなどをノートにせっせと書き移したりしていたが、そんな手書き作業はその時以来である。ここには時代や状況に対する竣介のいわば大きな構図という以上に、最小限の線描によって画家としての方向を確立していく思考が見られる。そのいくつかを任意に選んだというより、そういう方向が見られる文章はこれが全て、ぐらいの気持ちで抜き書きした。
 それは1934年から36年にかけて集中し、発表誌も『生命の藝術』を主としている。時代とメディアが変われば、語り口も変わり、自由なくつろいだ気分も漂って、別の世界が現れてくる。彼が同人誌あるいは『雜記帳』のような多面的な「随筆(エッセエ)雜誌」まで個人的に出すことになぜあれほどこだわったのか、彼の文章を追うあいだに少しずつ分かるような気がしてきた。

 以下は年代順に並べたそのアンソロジーです。ブログでこんなことやる意味があるのかとも思われそうですがお許し下さい。

 恐ろしい程古典を消化しつくしてゐる是等の作品*を前にして、自分の仕事の過程の散漫さと、有力な古典に接する機会のない事を嘆じないではゐられなかつた。
 ――
 現在フランスの前衛的絵画と一口に言つたならば、きつと文明的機智と華麗を想像するだらう。だが私は東洋の優れた墨絵を見てゐる様な気持であつた事を言はなければならない。
 ――
 それ等の絵は一つ一つ各自の頂点に達してゐるエツサンスなのだ。私の知りたいのはそれ等の完成の点に達するまでの道程であつた。それは自分で発見しなければならない。
 ――
 ピカソは常にどんどん発見(ピカソは絵を追窮するとはいはない)の道をたどつてゐる。
 ――
 ピカソの描く人間は皆作りものだ。(中略)しかもそれに血が通つて生きてゐるから不思議である。
 (『岩手日報』1934年3月16日)
 *同年2月の福島コレクションの東京での展観作品を指す。ピカソ、マチス、
  ルオー、ドラン、ブラック、ユトリロ、モジリアニ、スーチンなど37点。

 大人は(中略)、二度と子供になる事は出来ない。併し子供の素朴性は彼を喜ばせないであらうか、また彼はより高き段階に於て、再び子供の純真性を再生産するべく努力してはならないであらうか。子供の性質のうちには如何なる時代に於ても、その自然的純真性を持つたその時代自身の性質が宿つてはゐないだらうか。
 ――
 古代の芸術は、知的に複雑な迷ひを持たない素直な生命の生活から生まれた作品であつた。現代の所謂知的な仕事に携はつてゐる人間は凡ゆる迷ひの坩堝(るつぼ)の中に投げこまれてゐるのである。大人が素朴になつていけないわけはない。文化は複雑な精神的に昏迷せる生活を人間に強制する事が任務であるわけではない筈だ。
 ――
 セザンヌは始めて造形芸術の純粋を形成した人であつた。レオン・ヴエルトはセザンヌ評の中で、普通の画家ならば数里の画面でも書き尽くせないものを、セザンヌは方寸の画布に表現してゐる、と言つてゐるが。この中にセザンヌの秘密があり、その偉大さがあるのだと思ふ。
 ――
 だがセザンヌの仕事はついに完成しなかつた。それは視覚に映じたものを素材にして仕事をする事しか出来なかつたからであると思ふ。このやうな意味で一歩進んだのが現代のピカソである。ピカソはセザンヌを研究する事によつて純粋な造型芸術の完成に成功した。(中略)視覚的現象に囚はれる事なしに絵画を創作する事に成功した。セザンヌを正しく理解したならばピカソを理解する事はまた容易な事である。
 (『生命の藝術』第2巻第1・4号 1934年1・4月)

デフオルマシヨン(変形)の画にとつて常に重大であるといふ事をこれ程画面に決定させた画家*は少い。
 ――
 ピカソの絵には最も理窟がないと僕は思ふ。ピカソは腹の坐つた出来てゐる人間だ。そして豊かな抱合力の大きい画才をもつてゐる。そこから生じる統一された大きなものが吾々を包んで行く。
 (『生命の藝術』第2巻第3号 1934年3月)
 *上と同じ福島コレクション東京展の感想。ここでの画家はモジリアニ。

 現在デツサンといふと、美術家の間では鉛筆か木炭によつて対象物を描きわける事を指して云ふのであるけれど、デツサンを素描と訳したのはいゝとして、素描をすがきと思つたり、簡単なスケツチ風のものをデツサンといふのは本当ではない。(中略)元来素描とは仏語のDessein(デツサン)であり英語のDesign(デザイン)の事であつて、計画であり、決意決心を意味してゐるのである。
 (『生命の藝術』第2巻第6号 1934年6月)

 近頃写実主義(リアリズム)的作品が盛り返して来る傾向を感じる。しかしそれが真のリアルを内に持つてゐるのではなく、過去の自然主義的作品のやうに形だけの自然であるなる(ママ)ばむしろない方がましだらう。(中略)心からの現実主義はリアリズムではない。むしろ反リアリズムであらう。(中略)現実といふ言葉は現象と言つた方がいゝ。
 (『生命の藝術』第2巻第8号 1934年8月)

 僕達は常に現象に先行してゐるものでなければならない。
 ――
 僕の生活では芸術の創作といふことが最も大きな関心なのだ。だからこの無の意味が創作行為との間に間隙なく結びつかなければならないのだつた。始めは理論的にこの無の意味を釈いてみやうとした。だがそれでは自分の影を追ふやうな結果になつて了ふのだつた。このやうな過程を経て、本来の芸術的直感で「無」の意味に対した時、非常に楽に分り出して来た。
 (『生命の藝術』第3巻第3号 1935年3月)

 美術家は、人間性による人間性の洗濯屋である。人間性を神秘なものにして了つてはいけない。自分達の身辺にいつまでもころがつてゐる。これをしつかりと摑む事により芸術家としての基礎が出来るのだ。芸術家としてこの根本問題を把握しない限り、いかに様式を追はうとも、芸術理論が完成されてゐやうとも作家としての資格はないのだ。
 (『線』第2号 1936年9月)

 私は近頃、無性格的といふことをしきりに考へてゐる。(中略)
 真、自然、写実を基として語ることが芸術作品に於ては常に正しいことであると思ふが、無性格性を敢へて強張することに現代的な意義を私は考へてゐる。
 ――
 兎に角強い個性の裏には同じやうに強い無性格性を是非持ちたい。私達今日の若い作家は、個性的天才を自負する先に、隣人と同じ人間であるといふ自覚を練つて行かなければなるまいと思ふ。
 (『新岩手日報』1942年10月17日)

 藝術は真実、宇宙の中心意志を表現しようとする、といふよりも、求心的意志をもつた無目的的な行為であると言つた方がいいと思ふのです。だから作家として内的意志を失つた藝術家は実に不安な巡礼者に過ぎません。
 ――
 セザンヌのやうな人は、自然そのものとして林檎をあつかつてゐる、視覚的なものも軽んじてゐるわけではありませんが、それよりも一層奥の自然を貫いてゐる何物かを摑まうとする態度の方が激しいんです。現象としての林檎ではなく林檎を通してもつと永遠的なもの、無限的なものを表現しようとしてゐるのだと思ひます。それが単的に現はれてゐるのが、セザンヌの常套的構図法であるところのピラミツト型です。このやうな構図は静止と、安定と量感の表現に最も適してゐます。地上的なもの写実的なもの、永遠的なものを思はせます。
 (日記 1944年1月)

 美とは、美をまとつた醜であり、醜をまとつた美である。「美しくない」といふことは醜のことを言ふのではない。「美しくない」のは美や醜から離れたもの、不徹底が何よりも美しくないのだ。
 ――
 額に汗してバベルの塔を築かうとするやうな過去を持つてゐない日本人には、リアリズムといふことにもアルカイツクな過程がない。気質として理解されるリアリズムか、或は伝統的な形式化されたリアリズムしかないといふことが、技術的に致命的だ。
 ――
 「純粋」とは過去への郷愁であり、未来への仰望なのだ。
 どこにもありふれてゐて、満ちてゐながら容易に摑へることのできないもの。
 それを抽出し、日常生活の上に定置させようとする努力。
 (『岩手美術』第1号 1946年8月)

(2013.4.8 うえだまこと

077) 松本竣介
《作品》(裏面にペン画あり)
1943年頃
紙にインク、鉛筆
イメージサイズ:25.7x20.3cm
シートサイズ:27.0x22.2cm

07_裏7) 松本竣介
《作品》裏面
紙にペン

松本1919) 松本竣介
《人物》
※「松本竣介素描」(1977年 株式会社綜合工房)121ページ所収
1947年
紙にインク、筆、ペン
イメージサイズ:34.5x25.6cm
シートサイズ:39.0x27.6cm

2525) 松本竣介
《肖像 II》
紙にインク
イメージサイズ:16.8x14.3cm
シートサイズ:20.0x15.8cm

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◆植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、毎月数回、更新は随時行います。
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