鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第2回

ポートレートで“絵”を描く


 写真家にはそれぞれ得意分野があるけれど、百瀬の場合、それはなんといっても人物写真、ポートレートだ。その原点は、大学卒業直後の1971年、当時のヒッピー文化の風に乗って、ヨーロッパからトルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタンからインドまで、約1年間、車で旅行したときにある。時間だけはあり余るほどあるなかで、「いざというときは売れる」ぐらいの気持ちで持っていったカメラを、ときおり思い出したように手にしてはシャッターを切っていた。撮ったのはもちろん文化の違いだが、名所旧跡にレンズを向けても絵葉書のようで、人にばかり目がいく。気がつくと、その旅行中に撮ったのは、ほとんどが人の写真になっていた。「人のほうが面白い。風景のなかにも人がいないとつまんないね」 帰国後、そのときの写真が出版社に売れたことから、写真家になってしまった百瀬だが、その意味では、写真家としての原点もこの旅行にあることになる。
spain-1百瀬恒彦
「黒い服の老女―スペイン」
1971年撮影
サイン入り

spain-2百瀬恒彦
「familia―スペイン」
1971年撮影
サイン入り

portgal-3百瀬恒彦
「窓―ポルトガル」
1971年撮影
サイン入り

spain-4百瀬恒彦
「siesta―スペイン」
1971年撮影
サイン入り

turky-1百瀬恒彦
「スカーフの女―トルコ」
1971年撮影
サイン入り

turky-2百瀬恒彦
「談合―トルコ」
1971年撮影
サイン入り

turky-3百瀬恒彦
「杖―トルコ」
1971年撮影
サイン入り

turky-4百瀬恒彦
「兄弟―トルコ」
1971年撮影
サイン入り

 そうしてフリーランスで仕事をはじめてまだ駆け出しの25歳ぐらいの頃、人の写真をただ面白いから撮るだけではいけないことに気づかされる。恩師の妻だった関係で学生時代から親しくしていた絵本作家の佐野洋子さんのポートレートを、仕事で撮ったときのことだ。当時の洋子さんは35歳ぐらいで、その顔にはそれなりの人生を歩んできた皺も多少あったのだが、写真とは“真実”を写すものと信じていた百瀬は、皺も含めてぴたりとピントを合わせて撮った。ところが、出来上がった写真を見た洋子さんからクレームがつく。「紗(しゃ)ぐらいかけないさいよ。女はいくつになってもきれいに撮ってもらいたいものなのよ」 親しいゆえのきつい言葉。結局、その写真は撮り直しになり、今度は紗で皺を消した写真を撮ってようやく気に入ってもらった。そういえば紗(ソフト効果)は、現在はデジタルで処理ができるが、フィルムカメラの当時はレンズにストッキングをつけていたそうだ。「それまでは皺は皺でいいと思っていたんだけどね、それからは写真は“嘘”をついてもいいから、とくに女の人はきれいに撮らなければと思うようになった。それをずっといまも心がけている」 ちなみに男性の場合は逆に、皺そのものが人生の年輪として美しい魅力になることもある。
 もちろん、きれいなだけではいい人物写真とはいえない。撮られる人のその人らしさをカメラにおさめなければいけないのだが、百瀬いわく「現場には魔物がひそんでいる」 撮る側と撮られる側がはじめて会ったときのお互いの視線の行方、目の力、そのときの気分、光、背景……などなどの状況をその場で瞬時に判断して「僕としては、僕のなかに“絵”があって、それを写真で描きたいと思って撮っている。その“絵”はあくまでも僕の主観的なものなんだけどね」
(とっとりきぬこ)

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●百瀬恒彦さん写真展のお知らせ
百瀬恒彦『肖像写真』展
“PORTRAIT”PHOTO EXTIBITION by TSUNEHIKO MOMOSE

2013年6月6日(木)~6月11日(火)会期中無休
11:00-19:00(最終日のみ17時終了)
会場:プロモ・アルテ ギャラリー 2F
主催・企画:百瀬恒彦、プロモ・アルテ・ギャラリー、アラカワアートオフィス
www.promo-arte.com

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■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ-たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。

◆鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。