深野一朗のエッセイ
[ドイツに200人]
現在実家JIKKAでは飯山由貴さんの個展を開催中で、昨夜は武蔵大学教員の香川檀(かがわまゆみ)先生をお招きして、
「忘却に抗うアート ドイツの記憶アートから考える」
というテーマでトークがありました。
飯山さんはネット・オークションで落札したスクラップ・ブックを手掛かりにリサーチを行い、それをインスタレーションなどで表現する作家さんです。
リサーチ・タイプの作家さんと言われて、素人の僕でもすぐに思い浮かぶのは英国のサイモン・スターリング、我が国では眞島竜男さんや田村友一郎さんもそうでしょうか。
リサーチの対象となるのは、歴史に埋もれた事実や表では語られることのない裏の歴史などが多いのですが、歴史学者はリサーチの結果、新たな歴史を提示するのが仕事であるのに対して、アーティストはそこで掘り起こされた「固有」の事柄から、いかに現代にも通用する「普遍」のテーマを表現するのかが問われます。
今回飯山さんがリサーチの対象としたのも、我々日本人が知らなくてはならない、そして忘れてはならない歴史の断片ですが、この「忘れてはならない」アートの先進国(?)がドイツであるということで、香川先生とのトークはそれがテーマになりました。
ドイツが忘れてはならない歴史というのは、言うまでもなく第二次世界大戦におけるナチスによるホロコーストです。本来ならば、加害者としてもまた早く忘れたい忌まわしい記憶を、敢えて忘れないために「痕跡」として残す。ドイツにおける痕跡としてのアートを香川先生は、スライドを使って見せてくださいました。
ユダヤ人のボルタンスキー
ベルリン生まれのヨッヘン・ゲルツ
72年にドクメンタ(カッセル)、78年にはミュンスターの彫刻展に参加しているレベッカ・ホルン。2009年には都現美で個展も開催されています。
女性作家のジークリット・ジグルドソン。
これらの作家たちについて香川先生はご著書も出されています。
想起のかたち―記憶アートの歴史意識
作者: 香川 檀
出版社/メーカー: 水声社
発売日: 2012/11
メディア: 単行本
香川先生によると、ドイツにおけるこれらの「記憶アート」は80年代中盤から急増したといいます。
80年代中盤というのは、「68年世代」、すなわち68年に世界で同時多発的に生じた異議申立に学生として参加していた連中が、教員や指導者になった時代です。
ドイツ人にとって、かつての忌まわしい過去から脱却し、新しい世界を作る手段として現代美術が有効に機能したと香川先生は仰います。実際、ドイツで現代美術の展覧会に行くと、お年寄りの多いことに驚かされるそうです。
ミュンスターの彫刻展が始まった背景にもそれは深く関わり、とりわけ戦中に生を受けた68年世代にとって新しい一歩を踏み出すための足掛かりとして盛んに制作されたのが「記憶アート」だったとのこと。
このお話しを伺って僕は、ドイツ人の現代美術コレクターのことを考えました。
昨年の暮れから今年の2月にかけてNYのMoMAでは“Tokyo 1955-1970”と題して日本の前衛美術を紹介する展覧会が開催されました。同じく2月からはNYのグッゲンハイムで“Gutai: Splendid Playground” と題して「具体派」の展覧会が開催されました。その後春にはLAのギャラリー、ブラム&ポーで日系アメリカ人の吉竹美香さんによってキューレーションされた「もの派」の企画展「太陽へのレクイエム:もの派の美術」が開催。7月からは東京の新美で『「具体」-ニッポンの前衛 18年の軌跡』が行われました。さらに今年のヴェネツィア・ビエンナーレ会期中にはスーパー・コレクターのピノーが自身の美術館プンタ・デラ・ドガーナで『プリマ・マテリア』と題して、もの派とアルテ・ポーヴェラを同時に見せるという展覧会を開いています。
これだけ見ていると、まるで世界的に「もの派」や「具体」が再評価され、ちょっとしたブームになっているかのようです。
それとドイツ人コレクターに何の関係があるのか。
最近こんな本を買いました。
現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り
作者: 笹沼 俊樹
出版社/メーカー: 三元社
発売日: 2013/07
メディア: 単行本
この本の中で著者の笹沼氏は自身の古い日記から抜粋しているのですが、1990年6月12日の日記に、
「白髪はドイツで、非常に重要な作家になっている」
と記しています。さらに笹沼氏は91年6月16日のバーゼル(・バーゼル)で、ベルリンから参加していたノートルファー画廊のオーナーから、
「白髪のコレクターはドイツに200人ぐらいいる」
と聞かされています。そこで笹沼氏は価格面から検証します。
90年1月に東京画廊で開催された白髪の個展での価格は以下の通り。制作年はいずれも88~89年です。
181×227センチ:330万円
194×260センチ:400万円
一方90年6月にパリのスタドラー画廊にあった61年の白髪は、
162×130センチ:約770万円
そして91年のバーゼルで前述のノートルファー画廊が付けていた白髪の価格は、
195×130センチ:約2,320万円(61年制作)
81×116センチ:約1,485万円(62年制作)
制作年の違いという事実を差し引いても、当時の日本では想像すらできないこの驚嘆すべき価格の背景に「ドイツのマーケットでの需要の裏打ちがある」と笹沼氏は書いています。
1986年の暮れからパリのポンピドゥーでは「前衛芸術の日本 1910-1970」展が開催されていますから、北米はともかく、欧州で日本の前衛が当時すでに評価されていたのはなんとなく分かるのですが、ここで驚いたのはドイツのアート・コレクターの層の厚さです。
先述した90年の東京画廊での白髪は大作8点が全て完売しました。90年。そうバブルです。
泡がはじけた我が国で再び白髪が売れるようになったのは2006年。この年の12月に笹沼氏は銀座の複数の画廊で、
「白髪一雄の作品が、急に、売れ始めた」
と聞かされました。この時ですら買い手は、欧州のコレクター、遅れてアメリカのコレクターだったそうです。
恐らく欧州の市場で白髪の作品が払拭し、ようやく「本国」の我が国にコレクターが目を付けたのでしょう。銀座の画廊が英語によるHPを完備していたら、それよりもっと早く売れていたに違いありません。
インゼル・ホンブロイヒ美術館のカール・ハインリヒ・ミュラーぐらいしか知らなかった僕にとって、このドイツのコレクター層の厚さは驚きでした。
ドイツ人にとって現代美術は、戦後の新しい価値観の創造に有効な役割を果たしている。
現代美術にお詳しい方には周知の事実かもしれませんが、「美術オンチ」の僕には、笹沼氏の著書で知ったドイツ人コレクターの層の厚さと、昨日の香川先生のお話しが、ピタリと符合して、トークを聴きながら一人勝手に合点していたというわけです。
それにしても、まだまだ知らないことは沢山ありますね。
だからこそ楽しいのは言うまでもありません。
(ふかのいちろう)
※深野一朗さんのブログ「ジャージの王様」2013年9月8日付記事より転載
*画廊亭主敬白
久々の深野さんの登場です。
それにしてもコレクター歴のそんなに古くない深野さんの猛勉強ぶりには驚かされます。
笹沼さんの著書「現代美術コレクションの楽しみ」は、珍しいヨコ組み、ちょっと読みずらいと思ったのですがあまりの面白さに一気に読了。
「自分の好みの作品をコレクションしているのだから、それでいいんですよ。価値が出なくても・・・・」感情にまかせて一途に動くコレクターからよく聞く言葉だ。やがて、(後略)
「美術書」を丁寧に読み、「美術館」に足しげく通い、優れた「画商」との出会いを積極的につくる。日々研鑽、過去に学ぶ姿勢は闘うコレクター笹沼さんの面目躍如。
ぜひ一読をお薦めします。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子さんのエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」は毎月5日の更新です。
・君島彩子さんのエッセイ「墨と仏像と私」は毎月8日の更新です。
・植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実さんのエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は最終回を迎えました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。
・井桁裕子さんのエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
バックナンバーはコチラです。
・小林美香さんのエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は毎月28日の更新です。
・飯沢耕太郎さんのエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司さんのエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗さんのエッセイは随時更新します。
・荒井由泰さんのエッセイ「マイコレクション物語」は終了しました。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
今までのバックナンバーはコチラをクリックしてください。
●カタログのご案内
『具体 Gコレクションより』展図録
2013年 16ページ 25.6x18.1cm
執筆:石山修武 図版15点
略歴:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫
価格:800円(税込)
※送料別途250円
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[ドイツに200人]
現在実家JIKKAでは飯山由貴さんの個展を開催中で、昨夜は武蔵大学教員の香川檀(かがわまゆみ)先生をお招きして、
「忘却に抗うアート ドイツの記憶アートから考える」
というテーマでトークがありました。
飯山さんはネット・オークションで落札したスクラップ・ブックを手掛かりにリサーチを行い、それをインスタレーションなどで表現する作家さんです。
リサーチ・タイプの作家さんと言われて、素人の僕でもすぐに思い浮かぶのは英国のサイモン・スターリング、我が国では眞島竜男さんや田村友一郎さんもそうでしょうか。
リサーチの対象となるのは、歴史に埋もれた事実や表では語られることのない裏の歴史などが多いのですが、歴史学者はリサーチの結果、新たな歴史を提示するのが仕事であるのに対して、アーティストはそこで掘り起こされた「固有」の事柄から、いかに現代にも通用する「普遍」のテーマを表現するのかが問われます。
今回飯山さんがリサーチの対象としたのも、我々日本人が知らなくてはならない、そして忘れてはならない歴史の断片ですが、この「忘れてはならない」アートの先進国(?)がドイツであるということで、香川先生とのトークはそれがテーマになりました。
ドイツが忘れてはならない歴史というのは、言うまでもなく第二次世界大戦におけるナチスによるホロコーストです。本来ならば、加害者としてもまた早く忘れたい忌まわしい記憶を、敢えて忘れないために「痕跡」として残す。ドイツにおける痕跡としてのアートを香川先生は、スライドを使って見せてくださいました。




これらの作家たちについて香川先生はご著書も出されています。

作者: 香川 檀
出版社/メーカー: 水声社
発売日: 2012/11
メディア: 単行本
香川先生によると、ドイツにおけるこれらの「記憶アート」は80年代中盤から急増したといいます。
80年代中盤というのは、「68年世代」、すなわち68年に世界で同時多発的に生じた異議申立に学生として参加していた連中が、教員や指導者になった時代です。
ドイツ人にとって、かつての忌まわしい過去から脱却し、新しい世界を作る手段として現代美術が有効に機能したと香川先生は仰います。実際、ドイツで現代美術の展覧会に行くと、お年寄りの多いことに驚かされるそうです。
ミュンスターの彫刻展が始まった背景にもそれは深く関わり、とりわけ戦中に生を受けた68年世代にとって新しい一歩を踏み出すための足掛かりとして盛んに制作されたのが「記憶アート」だったとのこと。
このお話しを伺って僕は、ドイツ人の現代美術コレクターのことを考えました。
昨年の暮れから今年の2月にかけてNYのMoMAでは“Tokyo 1955-1970”と題して日本の前衛美術を紹介する展覧会が開催されました。同じく2月からはNYのグッゲンハイムで“Gutai: Splendid Playground” と題して「具体派」の展覧会が開催されました。その後春にはLAのギャラリー、ブラム&ポーで日系アメリカ人の吉竹美香さんによってキューレーションされた「もの派」の企画展「太陽へのレクイエム:もの派の美術」が開催。7月からは東京の新美で『「具体」-ニッポンの前衛 18年の軌跡』が行われました。さらに今年のヴェネツィア・ビエンナーレ会期中にはスーパー・コレクターのピノーが自身の美術館プンタ・デラ・ドガーナで『プリマ・マテリア』と題して、もの派とアルテ・ポーヴェラを同時に見せるという展覧会を開いています。
これだけ見ていると、まるで世界的に「もの派」や「具体」が再評価され、ちょっとしたブームになっているかのようです。
それとドイツ人コレクターに何の関係があるのか。
最近こんな本を買いました。

作者: 笹沼 俊樹
出版社/メーカー: 三元社
発売日: 2013/07
メディア: 単行本
この本の中で著者の笹沼氏は自身の古い日記から抜粋しているのですが、1990年6月12日の日記に、
「白髪はドイツで、非常に重要な作家になっている」
と記しています。さらに笹沼氏は91年6月16日のバーゼル(・バーゼル)で、ベルリンから参加していたノートルファー画廊のオーナーから、
「白髪のコレクターはドイツに200人ぐらいいる」
と聞かされています。そこで笹沼氏は価格面から検証します。
90年1月に東京画廊で開催された白髪の個展での価格は以下の通り。制作年はいずれも88~89年です。
181×227センチ:330万円
194×260センチ:400万円
一方90年6月にパリのスタドラー画廊にあった61年の白髪は、
162×130センチ:約770万円
そして91年のバーゼルで前述のノートルファー画廊が付けていた白髪の価格は、
195×130センチ:約2,320万円(61年制作)
81×116センチ:約1,485万円(62年制作)
制作年の違いという事実を差し引いても、当時の日本では想像すらできないこの驚嘆すべき価格の背景に「ドイツのマーケットでの需要の裏打ちがある」と笹沼氏は書いています。
1986年の暮れからパリのポンピドゥーでは「前衛芸術の日本 1910-1970」展が開催されていますから、北米はともかく、欧州で日本の前衛が当時すでに評価されていたのはなんとなく分かるのですが、ここで驚いたのはドイツのアート・コレクターの層の厚さです。
先述した90年の東京画廊での白髪は大作8点が全て完売しました。90年。そうバブルです。
泡がはじけた我が国で再び白髪が売れるようになったのは2006年。この年の12月に笹沼氏は銀座の複数の画廊で、
「白髪一雄の作品が、急に、売れ始めた」
と聞かされました。この時ですら買い手は、欧州のコレクター、遅れてアメリカのコレクターだったそうです。
恐らく欧州の市場で白髪の作品が払拭し、ようやく「本国」の我が国にコレクターが目を付けたのでしょう。銀座の画廊が英語によるHPを完備していたら、それよりもっと早く売れていたに違いありません。
インゼル・ホンブロイヒ美術館のカール・ハインリヒ・ミュラーぐらいしか知らなかった僕にとって、このドイツのコレクター層の厚さは驚きでした。
ドイツ人にとって現代美術は、戦後の新しい価値観の創造に有効な役割を果たしている。
現代美術にお詳しい方には周知の事実かもしれませんが、「美術オンチ」の僕には、笹沼氏の著書で知ったドイツ人コレクターの層の厚さと、昨日の香川先生のお話しが、ピタリと符合して、トークを聴きながら一人勝手に合点していたというわけです。
それにしても、まだまだ知らないことは沢山ありますね。
だからこそ楽しいのは言うまでもありません。
(ふかのいちろう)
※深野一朗さんのブログ「ジャージの王様」2013年9月8日付記事より転載
*画廊亭主敬白
久々の深野さんの登場です。
それにしてもコレクター歴のそんなに古くない深野さんの猛勉強ぶりには驚かされます。
笹沼さんの著書「現代美術コレクションの楽しみ」は、珍しいヨコ組み、ちょっと読みずらいと思ったのですがあまりの面白さに一気に読了。
「自分の好みの作品をコレクションしているのだから、それでいいんですよ。価値が出なくても・・・・」感情にまかせて一途に動くコレクターからよく聞く言葉だ。やがて、(後略)
「美術書」を丁寧に読み、「美術館」に足しげく通い、優れた「画商」との出会いを積極的につくる。日々研鑽、過去に学ぶ姿勢は闘うコレクター笹沼さんの面目躍如。
ぜひ一読をお薦めします。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子さんのエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・土渕信彦さんのエッセイ「瀧口修造の箱舟」は毎月5日の更新です。
・君島彩子さんのエッセイ「墨と仏像と私」は毎月8日の更新です。
・植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実さんのエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は最終回を迎えました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・鳥取絹子さんのエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は毎月16日の更新です。
・井桁裕子さんのエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
バックナンバーはコチラです。
・小林美香さんのエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は毎月28日の更新です。
・飯沢耕太郎さんのエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司さんのエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗さんのエッセイは随時更新します。
・荒井由泰さんのエッセイ「マイコレクション物語」は終了しました。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
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2013年 16ページ 25.6x18.1cm
執筆:石山修武 図版15点
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