通りすぎるもの……

滝口修造


 私はけさ眼をさますと、ふと「通りすぎるもの」という言葉が頭のなかを去来しているのに気がついたのである。まだ半ば夢うつつのなかに浮かんだ単一の言葉なのだが、それが覚めてからなぜか第一に思いだした瑛九のイメージと結びついてしまったのである。
私にはこういうことがよく起るので、私自身はべつに奇怪なこととはもはや思っていない。言葉だけがなんの前ぶれもなく単独で、ひとつの物か姿であるかのように、半意識のなかに突然浮かぶというのは、言葉に憑かれている私のような人間によくあることか、とも考えられる。それともそれはただ長い夢の経験の残留物なのかも知れないのだが。とにかく眼覚めたばかりの、まだ波立たない意識のなかに、ふと浮かぶ一つ二つの言葉とイメージがそこで勝手に結びついて、もはや離れようとはせず、私のなかで瑛九のイメージが徐々に拡ろがっていくのであった。これは瑛九という人のイメージを言葉で定義しようというこころみでないことは確かで、ただどういう理由でか、漂流物のような言葉が私の意識のなかで瑛九と結びつき、そこから瑛九の姿が歩きだしはじめたのである。それがけさの寝床のなかの三〇分ほどの出来事であった。
 しかしながらそれをここで具体的に書き表わすことは、とてもむつかしいような気がする。なにしろその時の瑛九は生きているとき以上に摑えにくい。服装もさだかではない。眼は生き生きして輝いているかと思うと、半眼のようでどこを見ているかわからない。そして瞬間のあいだに、幾度も私を訪れるかと思うと、もはや立ち去っている。しかし、そういう行為の連続のなかで、私はかれにたいして何か身構えのような姿勢をとりはじめる。つまり瑛九は私にたいして一種の謎を差し出しているような結果に気附きはじめたからであろう。ーー瑛九よ、あなたはまだ私たちに何かを問いつづけているのか?
 結局、私はそんな気持で目覚めの奇妙な空間と時間の呪縛から離れたのであるが。

 一般に私たちはすでに「通りすぎたもの」に対して、「通りすぎるもの」という概念の像をもつことは容易である。瑛九はまさに私たちの前から通りすぎてしまった人である。しかし私の瑛九の像は、たえず私のほの暗い「穴倉」の戸を叩いては辞していくかれなのである。そしてそれは生きているあいだも、いまも変りはない。私はいま瑛九の人や仕事に私の狭い枠をはめたくないような気がしている。むしろ今にして思えば、このことが夢のなかであんな言葉をつくりだしてしまったのかも知れない。瑛九はあえていえば完成型の画家ではなかったように思う。かれは私たちに重苦しい荷物としての作品を残さなかったのではないかと思う。それは「通りすぎるもの」が残す翅の幾片、血のかげりのようなものの証拠、ほとんど指紋に近いもの、そういったものではなかったのか。すくなくとも瑛九には、抽象化されてしまわないようなもの、されることを好まないようなものがあるのだ。そして芸術家として陥りがちな、この時代と生活の罠を微笑しながら通りすぎていったのではないか。

 瑛九よ、許してくれたまえ。私はいまあなたの人や作品について書く何のゆとりもなく、ただけさの寝覚めのときの、ほんの鳥影のようなあなたの訪れによって、これを書いただけなのだ。

『眠りの理由』創刊号(瑛九の会 1966年4月20日発行)
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1965年10月、瀧口修造、久保貞次郎、杉田正臣、杉田都、オノサト・トシノブ、山田光春、宇佐美兼吉、木水郁男らの発起により「瑛九の会」が発足した。
機関誌『眠りの理由』は創刊号(1966年4月)から第14号(1979年6月)までが刊行され、上掲の瀧口論文は創刊号の巻頭に掲載された。
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瑛九の会『眠りの理由 創刊号
瀧口論文の他に、山田光春「瑛九伝」第一回、杉田都「雪とEi Q」、杉田正臣「思い出すことなど」が掲載された。
1966年4月20日発行

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巻頭の「通りすぎるもの・・・」

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創刊号奥付

眠りの理由カタログ表紙
瑛九の会編『眠りの理由 No.14
1979年6月8日発行

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瀧口修造が瑛九について書いた7つのテキストを、ご遺族のご許可をいただいて、このブログで順次再録しています。「土渕信彦のエッセイ~瀧口修造の箱舟」とあわせ、お読みください。

●「瑛九へ」『ノートから、1951』/』『コレクション 瀧口修造 4』所収

●「瑛九のエッチング」『美術手帖』No.74 1953年10月号 美術出版社

●「瑛九のフォート・デッサン」『瑛九 フォート・デッサン展』図録 1955年1月 日本橋・高島屋 

●「ひとつの軌跡 瑛九をいたむ」『美術手帖』1960年5月号

●「通りすぎるもの……」1966年4月 瑛九の会機関誌『眠りの理由』創刊号

●「『瑛九』を待ちながら」山田光春著『瑛九』内容見本 1976年6月 青龍洞

●「瑛九の訪れ」『現代美術の父 瑛九展』図録 1979年6月 小田急グランドギャラリー(瑛九展開催委員会主催)
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本展の出品作品から油彩(点描)と、吹き付け作品をご紹介します。
瑛九「白い朝」瑛九
《白い朝(仮)》
1957年  油彩
45.0×52.7cm
サインあり
※レゾネNo.520
※『瑛九作品集』(日本経済新聞社、1997年)121頁所収

瑛九「吹き付け」表
瑛九《作品》
吹き付け
イメージサイズ:表 35.5×31.2cm/裏 31.5×28.5cm
シートサイズ :39.7×31.2cm
スタンプサインあり
*裏面にも作品あり

瑛九 吹き付け(裏)
同裏面

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◆ときの忘れものは2013年10月26日[土]―11月2日[土]「第24回瑛九展 瑛九と瀧口修造」を開催しています(※会期中無休)。
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瑛九のよき理解者であった瀧口修造との関係にスポットをあてます。瑛九の油彩、水彩、フォトデッサン、版画とともに、瀧口修造のデカルコマニーや瀧口の詩による版画集『スフィンクス』を展示します。