瀧口修造の講演「美というもの(録音)」を聴く会
1月18日の池田龍雄先生のギャラリートークに引き続き、1月25日に<講演「美というもの(録音)」を聴く会>を開催しました。
「瀧口修造展-Ⅰ」の企画監修者である土渕信彦さんにご提供いただいた、瀧口修造が1962年10月8日に母校である県立富山高等学校で行った講演の録音を聴くイベントでした。
イベント開始前に土渕信彦さんによる録音の概要説明。
来場者の中には前回のギャラリートークの講師をつとめた池田龍雄先生も。
土渕さんが用意してくださった、講演内容を補足するスライドショーも録音と同時に再生。
50分程の講演のために用意されたスライドは80枚以上。内容は講演に関わるものから瀧口修造の歩み、その背景や作品、周囲の人々との写真等々、次々に表示される視覚情報のお陰で録音内容も分かりやすく聴くことができました。
講演の録音については題名こそ「美というもの」と銘打たれていますが、その内容は多岐に渡り、家族のこと、学んだこと、出会った人々のことなどを当時58歳だった瀧口修造の穏やかな声が語りました。
ギャラリートーク後に恒例の集合写真を池田先生を中心に。
今回も前回に劣らない来場者数(満席)で、遠く京都や名古屋から来られた方も。飲み物片手の歓談も盛況でした。
画廊近くの中華料理屋での二次会での一枚。今回のイベントに関係あることないこと、様々なお話が飛び交う、和やかながらも楽しいひと時でした。
次回の「瀧口修造展-Ⅱ」は、3月12日(水)~3月29日(土)の会期で開催します。
どうぞお楽しみに。
(しんざわゆう)
●マン・レイ・イストさんの感想
京都発7時53分の「のぞみ212号」で東京へ(10時13分着)。(略)
神田に移動し、久しぶりに手打蕎麦切・松翁に参戦(1時過ぎでしたが、多くの先客が並んでいました)。ゆっくり秋田の〆張鶴を冷やでやりながら、海老くんが揚がってくるのを待ちました。美味しゅうございます。本当は蕎麦味噌などでも、一杯と続けたいのですが、本を見なくちゃいけないので我慢です。ここのお蕎麦は本当に美味しい、タレは濃い口です。京都にこんな店ないかしら----
(略)
やっぱり酔っぱらってしまったのか、いくつかの店のご主人と話していたら、今日の目的である青山のギャラリーときの忘れものへ行くのが遅くなってしまいました(1時間間違えたのです)。会場には椅子が並べられスタンバイの状態でした。瀧口修造さんの講演テープを聞かせていただいたのは、森岡書店に次いで二回目だったが、氏のはにかんだシャイな雰囲気が伝わって良い時間だった。お会いした事のない人の輪郭を作っていくのには、何度も声を聞くことが必要だろうね、今回は土渕信彦氏が、スライドを沢山用意して、瀧口さんの言葉の背景を丹念にフローされて好感がもてた。論文で読むのとは臨場感が異なる(当然か)。森岡書店の時には美術史や美学をやりたいと瀧口が先生に言った時「お金がないなら止めたほうがいいな」と言われたなんて下世話な話題に反応してしまったが、「「美術はこうでなければならない」と、あらたに勉強しすぎたために、何十年やってもいい絵が描けないという人を、たくさん見ております。」という経験の中で、美というものは「何か自分で発見するものです」と伝える言葉に、なるほどそうだよねと合点がいった。
今回のときの忘れものでの瀧口修造展は、長く保管されていた優品が開陳されているので血が騒ぐこと夥しい(瀧口コレクターの心情です)、2014年度中に三回の展示が予定されているが、いや----、最初からすごいです。画廊に掲げられた作品の多くに赤い売約済みのシールが貼られていて、どなたが求められたのか、どうしてその作品なのですかと、お聞きしたい衝動にかられ、困ったマン・レイ・コレクターは、同展を記念して上梓されたカタログのタイトル・ページに、参加されたみなさんにサインをお願いした。
画廊でちょっとワインを頂いた後、池田龍雄画伯、土渕信彦氏を囲んでの二次会(金華大飯店)に移動。建築家で演奏家の多才ぶりや、編集者兼出版人(わたしと同郷でした)による誌名の由来、もちろん、男と女の道行きなどがからみ、池田画伯も饒舌でブルトンの研究者の方からは、モンバルナス墓地のマン・レイのお墓で拙著『マン・レイになってしまった人』を観たとお聞きするなど、楽しい話題のてんこ盛りとなりました。
カタログで同展の監修をされた土渕信彦氏は、「瀧口の造形作品からは、美術批評の仕事から解放され、若き日に熱中していたシュルレアリスムを再び生き、楽しそうに制作に没頭する姿が窺える。自らの時間と熱意、さらには永年にわたる評論活動の精髄までも注ぎ込まれた、後半生の中心的仕事と考えられよう。」(66頁)と、敬愛を込めて書いている。「楽しそうに制作に没頭する姿」を求め「楽しそうに購入品を選ぶ」土渕氏の情熱に幸あれと思う。コレクションは氏の人生をかけた仕事と考えられよう。八海山が美味しゅうございました。
(マン・レイになってしまった人のブログより)
●カタログのご案内
『瀧口修造展 I』図録
2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,100円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)。
ときの忘れものでは3月と12月にも瀧口修造展を開催します。このブログでは関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
1月18日の池田龍雄先生のギャラリートークに引き続き、1月25日に<講演「美というもの(録音)」を聴く会>を開催しました。
「瀧口修造展-Ⅰ」の企画監修者である土渕信彦さんにご提供いただいた、瀧口修造が1962年10月8日に母校である県立富山高等学校で行った講演の録音を聴くイベントでした。

来場者の中には前回のギャラリートークの講師をつとめた池田龍雄先生も。

50分程の講演のために用意されたスライドは80枚以上。内容は講演に関わるものから瀧口修造の歩み、その背景や作品、周囲の人々との写真等々、次々に表示される視覚情報のお陰で録音内容も分かりやすく聴くことができました。
講演の録音については題名こそ「美というもの」と銘打たれていますが、その内容は多岐に渡り、家族のこと、学んだこと、出会った人々のことなどを当時58歳だった瀧口修造の穏やかな声が語りました。



次回の「瀧口修造展-Ⅱ」は、3月12日(水)~3月29日(土)の会期で開催します。
どうぞお楽しみに。
(しんざわゆう)
●マン・レイ・イストさんの感想
京都発7時53分の「のぞみ212号」で東京へ(10時13分着)。(略)
神田に移動し、久しぶりに手打蕎麦切・松翁に参戦(1時過ぎでしたが、多くの先客が並んでいました)。ゆっくり秋田の〆張鶴を冷やでやりながら、海老くんが揚がってくるのを待ちました。美味しゅうございます。本当は蕎麦味噌などでも、一杯と続けたいのですが、本を見なくちゃいけないので我慢です。ここのお蕎麦は本当に美味しい、タレは濃い口です。京都にこんな店ないかしら----
(略)
やっぱり酔っぱらってしまったのか、いくつかの店のご主人と話していたら、今日の目的である青山のギャラリーときの忘れものへ行くのが遅くなってしまいました(1時間間違えたのです)。会場には椅子が並べられスタンバイの状態でした。瀧口修造さんの講演テープを聞かせていただいたのは、森岡書店に次いで二回目だったが、氏のはにかんだシャイな雰囲気が伝わって良い時間だった。お会いした事のない人の輪郭を作っていくのには、何度も声を聞くことが必要だろうね、今回は土渕信彦氏が、スライドを沢山用意して、瀧口さんの言葉の背景を丹念にフローされて好感がもてた。論文で読むのとは臨場感が異なる(当然か)。森岡書店の時には美術史や美学をやりたいと瀧口が先生に言った時「お金がないなら止めたほうがいいな」と言われたなんて下世話な話題に反応してしまったが、「「美術はこうでなければならない」と、あらたに勉強しすぎたために、何十年やってもいい絵が描けないという人を、たくさん見ております。」という経験の中で、美というものは「何か自分で発見するものです」と伝える言葉に、なるほどそうだよねと合点がいった。
今回のときの忘れものでの瀧口修造展は、長く保管されていた優品が開陳されているので血が騒ぐこと夥しい(瀧口コレクターの心情です)、2014年度中に三回の展示が予定されているが、いや----、最初からすごいです。画廊に掲げられた作品の多くに赤い売約済みのシールが貼られていて、どなたが求められたのか、どうしてその作品なのですかと、お聞きしたい衝動にかられ、困ったマン・レイ・コレクターは、同展を記念して上梓されたカタログのタイトル・ページに、参加されたみなさんにサインをお願いした。
画廊でちょっとワインを頂いた後、池田龍雄画伯、土渕信彦氏を囲んでの二次会(金華大飯店)に移動。建築家で演奏家の多才ぶりや、編集者兼出版人(わたしと同郷でした)による誌名の由来、もちろん、男と女の道行きなどがからみ、池田画伯も饒舌でブルトンの研究者の方からは、モンバルナス墓地のマン・レイのお墓で拙著『マン・レイになってしまった人』を観たとお聞きするなど、楽しい話題のてんこ盛りとなりました。
カタログで同展の監修をされた土渕信彦氏は、「瀧口の造形作品からは、美術批評の仕事から解放され、若き日に熱中していたシュルレアリスムを再び生き、楽しそうに制作に没頭する姿が窺える。自らの時間と熱意、さらには永年にわたる評論活動の精髄までも注ぎ込まれた、後半生の中心的仕事と考えられよう。」(66頁)と、敬愛を込めて書いている。「楽しそうに制作に没頭する姿」を求め「楽しそうに購入品を選ぶ」土渕氏の情熱に幸あれと思う。コレクションは氏の人生をかけた仕事と考えられよう。八海山が美味しゅうございました。
(マン・レイになってしまった人のブログより)
●カタログのご案内

2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,100円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)。
ときの忘れものでは3月と12月にも瀧口修造展を開催します。このブログでは関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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