ときの忘れものは一月に続き、「瀧口修造展 II」を3月12日から開催します。
それに先立つアートフェア東京でも瀧口作品を出品いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

瀧口修造展 II
会期=2014年3月12日[水]―3月29日[土]
※会期中無休
●ギャラリートークのご案内
3月15日(土)18時より、大谷省吾さん(東京国立近代美術館主任研究員)によるギャラリートークを開催します。
※要予約(会費1,000円)メールにてお申し込みください。
瀧口修造については、研究者にしてコレクターの土渕信彦さんに長期にわたるエッセイ「瀧口修造の箱舟」をこのブログで連載していただきました。
明日5日にはその連載も遂に最終回(第19回)を迎えますが、今後も土渕さんの協力を得ながら瀧口作品の顕彰に努めていきたいと思っています。
詩人、美術評論家、シュルレアリスム運動の紹介者として著名な瀧口修造は、戦前・戦後を通じ多くの若手芸術家の精神的支柱として、日本の前衛芸術をリードしてきました。
ところが、1958年のヴェネチア・ビエンナーレでコミッショナーを務め、その後欧州各地を訪問してアンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャンらと面会してきた頃からその活動に変化が現れ、帰国してからは自らもドローイング、水彩、バーント・ドローイング(焼け焦がした水彩)、ロトデッサン(モーターによる回転線描)、デカルコマニー(転写法)など、さまざまな手法による造形制作を開始しました。遺された素晴らしい作品は、小品が多いとはいえ、どれも驚くような美しさを持っており、まさに一人の造形作家として評価されるべき質・量を備えています。
今年1月からときの忘れものが連続して開催する瀧口修造展は、「造形作家」瀧口自身の制作に焦点を当て、その多彩な手法の概要を紹介しようとするものです。
こうした展覧会は、(近年、継続的に開催されている土渕信彦氏のコレクション展「瀧口修造の光跡I・II・III」を別とすれば)2001年7月~2002年1月に開催された富山県立近代美術館・渋谷区立松濤美術館の「瀧口修造の造形的実験」展以来、12年振りであり、もちろんときの忘れものにとっても初めての試みです。
1月に続き3月、そして12月と今年は3回に分けて瀧口修造作品をご覧いただきます。
1月に開催した「瀧口修造展 I」では水彩、ロトデッサンを展示しましたが、今回の「瀧口修造展 II」では約30点のデカルコマニーをご覧いただきます。
■瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI(1903-1979)詩人、美術評論家として知られる。シュルレアリスムの理念を体現し、戦前・戦後を通じ日本における前衛芸術運動の理論的・精神的支柱として、多くの芸術家の活動を鼓舞し続けた。内外の造形作家と詩画集を共作したほか、自らも多数の造形作品を残している。
1903年、富山県に生まれる。幼少期から文学・美術に親しみ、特にウィリアム・ブレイクに傾倒していた。慶應義塾大学英文科在学中に、指導教授だった西脇順三郎を通じてシュルレアリスムを知り、『シュルレアリスム宣言』、『磁場』などを読んで深く影響され、一連の実験的な詩的テクストを発表するとともに、ブルトン『超現実主義と絵画』を全訳した。31年に卒業後、映画製作所PCL(写真化学研究所。東宝の前身)にスクリプターとして勤務する傍ら、美術評論活動を開始した。海外のシュルレアリストたちと文通を続け、ブルトン『通底器』、『狂気の愛』、「文化擁護作家会議における講演」やエルンスト、ダリの著作などを翻訳・紹介、37年には山中散生とともに「海外超現実主義作品展」を開催した(記念出版『アルバム・シュルレアリスト』も編集)。「超現実造型論」「前衛芸術の諸問題」などの美術評論だけでなく「写真と超現実主義」「物体と写真」などの写真評論も執筆し、画壇に属さない前衛美術家・写真家たち の研究・発表グループを理論的に指導した。
戦後は読売新聞などに多くの美術評論を発表し、時代を代表する美術評論家として活動した。タケミヤ画廊の企画を委嘱され、208回に及ぶ展覧会を開催して、多数の若手美術家に発表の機会を設ける一方、51年に結成された「実験工房」の活動にも顧問格として関与するなど、清廉な人柄も相俟って影響力は絶大 であった。
58年、ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーとして訪欧、イタリアの彫刻部門の代表だったフォンターナを高く評価して絵画部門で票を投じた後、欧州各地を訪問し、ブルトン、デュシャン、ダリ、ミショーらと面会した(ブルトンとの会談を自ら「生涯の収穫」と回想している)。帰国後、時評的な美術評論の発表が減少する一方、展覧会序文などの私的な執筆が増加した。公的な役職を辞任する反面、赤瀬川原平の「千円札事件」(65~70年)では特別弁護人を積極的に引き受けている。ミロ、サム・フランシスなど、多くの造形作家と詩画集を共作したほか、自らもドローイング、水彩、デカルコマニー、バーント・ドローイング(焼け焦がした水彩)、ロトデッサン(モーターによる回転線描)などの、独特な手法の造形作品を制作し、個展も数回開催している。67年には戦 間期の詩的テクストを集成した『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』を刊行した。夢の記録の形をとった散文作品や、諺のような短いフレーズの作品も残している。79年に心筋梗塞のため没した。(執筆:土渕信彦)
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●本日のウォーホル語録
「自分自身の経験から、自分は田舎の空間より都会の空間のが好きだということを知っている。田舎にいるというアイディアは好きなのだが、田舎に着いてみると、こんな風に思ってしまうんだ。つまり、歩くのは好きなんだけど、できない。泳ぐのは好きなんだけど、できない。太陽の下でくつろぐのは、好きなんだけど、できない。花の香りをかぐのは好きなんだけど、できない。テニスをするのは好きなんだけど、できない。水上スキーは好きなんだけど、できない。……このリストはえんえんと続けられるが、そういうことが、「できない」のは、単純に、自分はそういうタイプではないからだ。そういうのをするガラではないので、できないのだ。そういうことを言うタイプではなくともそういうことを言えるが、そういうことをするガラではないのに、そういうことはできない。それはいい考えとは言えない。
―アンディ・ウォーホル」
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録
1988年
30.0x30.0cm
56ページ
図版:114点収録
価格:3,150円(税込)※送料別途250円
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それに先立つアートフェア東京でも瀧口作品を出品いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

瀧口修造展 II
会期=2014年3月12日[水]―3月29日[土]
※会期中無休
●ギャラリートークのご案内
3月15日(土)18時より、大谷省吾さん(東京国立近代美術館主任研究員)によるギャラリートークを開催します。
※要予約(会費1,000円)メールにてお申し込みください。
瀧口修造については、研究者にしてコレクターの土渕信彦さんに長期にわたるエッセイ「瀧口修造の箱舟」をこのブログで連載していただきました。
明日5日にはその連載も遂に最終回(第19回)を迎えますが、今後も土渕さんの協力を得ながら瀧口作品の顕彰に努めていきたいと思っています。
詩人、美術評論家、シュルレアリスム運動の紹介者として著名な瀧口修造は、戦前・戦後を通じ多くの若手芸術家の精神的支柱として、日本の前衛芸術をリードしてきました。
ところが、1958年のヴェネチア・ビエンナーレでコミッショナーを務め、その後欧州各地を訪問してアンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャンらと面会してきた頃からその活動に変化が現れ、帰国してからは自らもドローイング、水彩、バーント・ドローイング(焼け焦がした水彩)、ロトデッサン(モーターによる回転線描)、デカルコマニー(転写法)など、さまざまな手法による造形制作を開始しました。遺された素晴らしい作品は、小品が多いとはいえ、どれも驚くような美しさを持っており、まさに一人の造形作家として評価されるべき質・量を備えています。
今年1月からときの忘れものが連続して開催する瀧口修造展は、「造形作家」瀧口自身の制作に焦点を当て、その多彩な手法の概要を紹介しようとするものです。
こうした展覧会は、(近年、継続的に開催されている土渕信彦氏のコレクション展「瀧口修造の光跡I・II・III」を別とすれば)2001年7月~2002年1月に開催された富山県立近代美術館・渋谷区立松濤美術館の「瀧口修造の造形的実験」展以来、12年振りであり、もちろんときの忘れものにとっても初めての試みです。
1月に続き3月、そして12月と今年は3回に分けて瀧口修造作品をご覧いただきます。
1月に開催した「瀧口修造展 I」では水彩、ロトデッサンを展示しましたが、今回の「瀧口修造展 II」では約30点のデカルコマニーをご覧いただきます。
■瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI(1903-1979)詩人、美術評論家として知られる。シュルレアリスムの理念を体現し、戦前・戦後を通じ日本における前衛芸術運動の理論的・精神的支柱として、多くの芸術家の活動を鼓舞し続けた。内外の造形作家と詩画集を共作したほか、自らも多数の造形作品を残している。
1903年、富山県に生まれる。幼少期から文学・美術に親しみ、特にウィリアム・ブレイクに傾倒していた。慶應義塾大学英文科在学中に、指導教授だった西脇順三郎を通じてシュルレアリスムを知り、『シュルレアリスム宣言』、『磁場』などを読んで深く影響され、一連の実験的な詩的テクストを発表するとともに、ブルトン『超現実主義と絵画』を全訳した。31年に卒業後、映画製作所PCL(写真化学研究所。東宝の前身)にスクリプターとして勤務する傍ら、美術評論活動を開始した。海外のシュルレアリストたちと文通を続け、ブルトン『通底器』、『狂気の愛』、「文化擁護作家会議における講演」やエルンスト、ダリの著作などを翻訳・紹介、37年には山中散生とともに「海外超現実主義作品展」を開催した(記念出版『アルバム・シュルレアリスト』も編集)。「超現実造型論」「前衛芸術の諸問題」などの美術評論だけでなく「写真と超現実主義」「物体と写真」などの写真評論も執筆し、画壇に属さない前衛美術家・写真家たち の研究・発表グループを理論的に指導した。
戦後は読売新聞などに多くの美術評論を発表し、時代を代表する美術評論家として活動した。タケミヤ画廊の企画を委嘱され、208回に及ぶ展覧会を開催して、多数の若手美術家に発表の機会を設ける一方、51年に結成された「実験工房」の活動にも顧問格として関与するなど、清廉な人柄も相俟って影響力は絶大 であった。
58年、ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーとして訪欧、イタリアの彫刻部門の代表だったフォンターナを高く評価して絵画部門で票を投じた後、欧州各地を訪問し、ブルトン、デュシャン、ダリ、ミショーらと面会した(ブルトンとの会談を自ら「生涯の収穫」と回想している)。帰国後、時評的な美術評論の発表が減少する一方、展覧会序文などの私的な執筆が増加した。公的な役職を辞任する反面、赤瀬川原平の「千円札事件」(65~70年)では特別弁護人を積極的に引き受けている。ミロ、サム・フランシスなど、多くの造形作家と詩画集を共作したほか、自らもドローイング、水彩、デカルコマニー、バーント・ドローイング(焼け焦がした水彩)、ロトデッサン(モーターによる回転線描)などの、独特な手法の造形作品を制作し、個展も数回開催している。67年には戦 間期の詩的テクストを集成した『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』を刊行した。夢の記録の形をとった散文作品や、諺のような短いフレーズの作品も残している。79年に心筋梗塞のため没した。(執筆:土渕信彦)
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●本日のウォーホル語録
「自分自身の経験から、自分は田舎の空間より都会の空間のが好きだということを知っている。田舎にいるというアイディアは好きなのだが、田舎に着いてみると、こんな風に思ってしまうんだ。つまり、歩くのは好きなんだけど、できない。泳ぐのは好きなんだけど、できない。太陽の下でくつろぐのは、好きなんだけど、できない。花の香りをかぐのは好きなんだけど、できない。テニスをするのは好きなんだけど、できない。水上スキーは好きなんだけど、できない。……このリストはえんえんと続けられるが、そういうことが、「できない」のは、単純に、自分はそういうタイプではないからだ。そういうのをするガラではないので、できないのだ。そういうことを言うタイプではなくともそういうことを言えるが、そういうことをするガラではないのに、そういうことはできない。それはいい考えとは言えない。
―アンディ・ウォーホル」
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。

1988年
30.0x30.0cm
56ページ
図版:114点収録
価格:3,150円(税込)※送料別途250円
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