ときの忘れものでは開廊以来、瑛九、難波田龍起、オノサト・トシノブ、駒井哲郎、恩地孝四郎、松本竣介、野田英夫など、日本の前衛美術史を牽引してきた作家の作品を紹介してきました。
1970年代に美術界に入った私たちは幸いにも難波田龍起、オノサト・トシノブ、駒井哲郎の三先生には直接お目にかかり、ご指導をいただくことができました。
いま展示している瀧口修造も含め、これらの作家たちの埋もれた作品を掘り出し、コレクターの方々にお納めすることが私たちの大切な仕事だと思っています。
先日入手したオノサト・トシノブの最初期の抽象画「一つの朱の丸」をご紹介します。

オノサト・トシノブ
「一つの朱の丸」
1939-40年
油彩・板
27.0×21.3cm
裏面に年記(39年頃)、署名あり
出品歴
*1989年練馬区立美術館「オノサト・トシノブ展」出品No.1
*1992年長野県信濃美術館「オノサト・トシノブ展」出品No.5
*1992年板橋区立美術館他巡回「日本の抽象絵画展」出品No.189
*2000年群馬県立近代美術館「オノサト・トシノブ展」出品No.8
オノサト先生の27~28歳のときの制作で、没後の出品歴を見ればお分かりのとおり、公立美術館での回顧展(練馬、長野、群馬)のすべてに出品されており、オノサト先生の生涯と画業をたどる上で欠かすことのできない作品です。
オノサト先生は「戦争をはさんで具体から抽象へという歩みを二度くり返し」ました。
最初は具象から出発し、1937~40年に抽象絵画を描き、その後再び具象に戻り、出征、シベリア抑留をはさんで、戦後は先ず具象から再スタートを切り、1950年代に抽象に転じてからは、生涯「丸」を描き続けました。
最初期の抽象(1937~1940年)について、中原佑介編の年譜には以下のように記述されています。
-------------------
一九三七年(昭和一二年)
オノサトが具象的要素をまったくもたない抽象絵画を初めて描いたのはこの年においてだった。現存しているのは二点、うち一点は「切断された円」という大きな円が中心的なモチーフとなっているものであり、もう一点は「四角の集まり」という正方形と短形を組み合わせた画面の作品である。円と正方形という後年のモチーフが初めてはっきりと姿をあらわしていることで注目される二作品である。
一九四〇年(昭和一五年)
一月、朝鮮に旅立つ。当時、満州鉄道に勤務して安東に住んでいた弟捷三を訪ねるというのが理由だった。(中略)オノサトは山口の家に十日ほど滞在することになる。(中略)この山口長男宅滞在中の作品を含めて、この年のオノサトの作品は、ある意味ではきわめてドラマチックといっていいところがある。オノサトが山口宅で描いたと特定している作品が六点ある。「一つの朱の丸」、「オレンジの球円」、「黄色の丸」、「六個の黒い四角」、「点描と渦巻」、「二つの朱の丸」。そのタイトルからも判るように五点は円がモチーフとなったものであり、一点は短形の配列による作品である。
(1988年オノサト・トシノブ画文集『抽象への道』所収の年譜より)
-------------------
中原佑介が特定している最初期の丸の作品の一つが今回ご紹介している作品です。
戦前に描かれた丸の抽象作品で現存するものは東京国立近代美術館所蔵の「黒白の丸」「朱と黄の丸」など10点あるかないか。
しかも後年を思わせる輝くような赤が美しいこの作品は、オノサト先生の画業の原点ともなった、きわめて重要かつ稀少な作品だと亭主は自画自賛しています。
亭主は、40年近く前、銀座の四方宜画廊さんでオノサト先生の「朱と黄の丸」(1940年)を一瞬の躊躇で買い逃したことがありました。

オノサト・トシノブ
「朱と黄の丸」
昭和14-15年
油彩・板
32.0×41.0cm
4回自由美術展(東京、日本美術協会 1940)
*東京国立近代美術館所蔵(平成17年度 藤岡時彦氏寄贈―妻英子を偲んで 寄贈)
戦後の朝鮮戦争特需で財をなし、斎藤与里や川瀬巴水のコレクションで有名な岡戸大岳さんは南画廊などのいいお客様だったのですが、後に自ら四方宜画廊(徳富蘇峰が命名した岡戸邸の茶室・四方宜庵に因む)をつくりました。
亭主は鎌倉の岡戸さんの大豪邸に呼ばれて幾度か作品をわけていただきました。
あるとき「オノサトさんの珍しい作品が入ったので見にいらっしゃい」と岡戸さんから電話をもらい四方宜画廊にかけつけました。言われた金額は30万円に満たなかったと思いますが、当時の亭主には大金で、事務所に戻り相談してから返事すると伝え、画廊を出ました。
その直後にオノサト・コレクターとして有名だった藤岡時彦さんが奥様と二人で銀座のレストランに向かう途中、たまたま四方宜画廊の前を通りがかり、ウインドーに飾ってあった「朱と黄の丸」を買ってしまいました。
一時間後、「買いたい」と画廊主の岡戸さんに電話したときはあとのまつりで、悔いを残すことになりました。
藤岡さんは最初期の重要作品を間髪をいれずゲットしたことがご自慢で、藤岡コレクションの中でも最も古い時代の作品として大事にされていました。
いま「朱と黄の丸」は東京国立近代美術館に収蔵されています。
そのときの悔いがずっとあったのですが、長生きはするもんですね。あれから40年、まさか同時期の重要作品が入ってくるとは夢にも思いませんでした。泉下の藤岡さんにちょっと自慢したい気分です。
初めての丸の作品が描かれてから約40年後のオノサト作品もご紹介しましょう。
オノサト・トシノブ
「黄の流れと六角」
1977年
カンバスに油彩
24.0×33.2cm
サインあり
オノサト・トシノブ
「黄と朱の巴」
1977年
カンバスに油彩
60.7×41.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
■ときの忘れものは2014年3月12日[水]―3月29日[土]「瀧口修造展 II」開催しています(※会期中無休)。

今回は「瀧口修造展 Ⅰ」では展示しなかったデカルコマニー30点をご覧いただきます。
●出品作品を順次ご紹介します。
瀧口修造
《Ⅱ-3》
デカルコマニー、水彩、紙
Image size: 14.2x5.1cm
Sheet size: 14.2x5.1cm
瀧口修造
《Ⅱ-4》
デカルコマニー、紙
※Ⅱ-5と対
Image size: 13.6x9.7cm
Sheet size: 13.6x9.7cm
このブログでは関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
●カタログのご案内
『瀧口修造展 I』図録
2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,100円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)
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●本日のウォーホル語録
「誰かがぼくに恋していると思うと、とてもナーヴァスになってしまう。ぼくを愛したくば、ぼくのオフィスを愛してください。―アンディ・ウォーホル
―アンディ・ウォーホル」
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
1970年代に美術界に入った私たちは幸いにも難波田龍起、オノサト・トシノブ、駒井哲郎の三先生には直接お目にかかり、ご指導をいただくことができました。
いま展示している瀧口修造も含め、これらの作家たちの埋もれた作品を掘り出し、コレクターの方々にお納めすることが私たちの大切な仕事だと思っています。
先日入手したオノサト・トシノブの最初期の抽象画「一つの朱の丸」をご紹介します。

オノサト・トシノブ
「一つの朱の丸」
1939-40年
油彩・板
27.0×21.3cm
裏面に年記(39年頃)、署名あり
出品歴
*1989年練馬区立美術館「オノサト・トシノブ展」出品No.1
*1992年長野県信濃美術館「オノサト・トシノブ展」出品No.5
*1992年板橋区立美術館他巡回「日本の抽象絵画展」出品No.189
*2000年群馬県立近代美術館「オノサト・トシノブ展」出品No.8
オノサト先生の27~28歳のときの制作で、没後の出品歴を見ればお分かりのとおり、公立美術館での回顧展(練馬、長野、群馬)のすべてに出品されており、オノサト先生の生涯と画業をたどる上で欠かすことのできない作品です。
オノサト先生は「戦争をはさんで具体から抽象へという歩みを二度くり返し」ました。
最初は具象から出発し、1937~40年に抽象絵画を描き、その後再び具象に戻り、出征、シベリア抑留をはさんで、戦後は先ず具象から再スタートを切り、1950年代に抽象に転じてからは、生涯「丸」を描き続けました。
最初期の抽象(1937~1940年)について、中原佑介編の年譜には以下のように記述されています。
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一九三七年(昭和一二年)
オノサトが具象的要素をまったくもたない抽象絵画を初めて描いたのはこの年においてだった。現存しているのは二点、うち一点は「切断された円」という大きな円が中心的なモチーフとなっているものであり、もう一点は「四角の集まり」という正方形と短形を組み合わせた画面の作品である。円と正方形という後年のモチーフが初めてはっきりと姿をあらわしていることで注目される二作品である。
一九四〇年(昭和一五年)
一月、朝鮮に旅立つ。当時、満州鉄道に勤務して安東に住んでいた弟捷三を訪ねるというのが理由だった。(中略)オノサトは山口の家に十日ほど滞在することになる。(中略)この山口長男宅滞在中の作品を含めて、この年のオノサトの作品は、ある意味ではきわめてドラマチックといっていいところがある。オノサトが山口宅で描いたと特定している作品が六点ある。「一つの朱の丸」、「オレンジの球円」、「黄色の丸」、「六個の黒い四角」、「点描と渦巻」、「二つの朱の丸」。そのタイトルからも判るように五点は円がモチーフとなったものであり、一点は短形の配列による作品である。
(1988年オノサト・トシノブ画文集『抽象への道』所収の年譜より)
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中原佑介が特定している最初期の丸の作品の一つが今回ご紹介している作品です。
戦前に描かれた丸の抽象作品で現存するものは東京国立近代美術館所蔵の「黒白の丸」「朱と黄の丸」など10点あるかないか。
しかも後年を思わせる輝くような赤が美しいこの作品は、オノサト先生の画業の原点ともなった、きわめて重要かつ稀少な作品だと亭主は自画自賛しています。
亭主は、40年近く前、銀座の四方宜画廊さんでオノサト先生の「朱と黄の丸」(1940年)を一瞬の躊躇で買い逃したことがありました。

オノサト・トシノブ
「朱と黄の丸」
昭和14-15年
油彩・板
32.0×41.0cm
4回自由美術展(東京、日本美術協会 1940)
*東京国立近代美術館所蔵(平成17年度 藤岡時彦氏寄贈―妻英子を偲んで 寄贈)
戦後の朝鮮戦争特需で財をなし、斎藤与里や川瀬巴水のコレクションで有名な岡戸大岳さんは南画廊などのいいお客様だったのですが、後に自ら四方宜画廊(徳富蘇峰が命名した岡戸邸の茶室・四方宜庵に因む)をつくりました。
亭主は鎌倉の岡戸さんの大豪邸に呼ばれて幾度か作品をわけていただきました。
あるとき「オノサトさんの珍しい作品が入ったので見にいらっしゃい」と岡戸さんから電話をもらい四方宜画廊にかけつけました。言われた金額は30万円に満たなかったと思いますが、当時の亭主には大金で、事務所に戻り相談してから返事すると伝え、画廊を出ました。
その直後にオノサト・コレクターとして有名だった藤岡時彦さんが奥様と二人で銀座のレストランに向かう途中、たまたま四方宜画廊の前を通りがかり、ウインドーに飾ってあった「朱と黄の丸」を買ってしまいました。
一時間後、「買いたい」と画廊主の岡戸さんに電話したときはあとのまつりで、悔いを残すことになりました。
藤岡さんは最初期の重要作品を間髪をいれずゲットしたことがご自慢で、藤岡コレクションの中でも最も古い時代の作品として大事にされていました。
いま「朱と黄の丸」は東京国立近代美術館に収蔵されています。
そのときの悔いがずっとあったのですが、長生きはするもんですね。あれから40年、まさか同時期の重要作品が入ってくるとは夢にも思いませんでした。泉下の藤岡さんにちょっと自慢したい気分です。
初めての丸の作品が描かれてから約40年後のオノサト作品もご紹介しましょう。

「黄の流れと六角」
1977年
カンバスに油彩
24.0×33.2cm
サインあり

「黄と朱の巴」
1977年
カンバスに油彩
60.7×41.0cm
サインあり
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■ときの忘れものは2014年3月12日[水]―3月29日[土]「瀧口修造展 II」開催しています(※会期中無休)。

今回は「瀧口修造展 Ⅰ」では展示しなかったデカルコマニー30点をご覧いただきます。
●出品作品を順次ご紹介します。

《Ⅱ-3》
デカルコマニー、水彩、紙
Image size: 14.2x5.1cm
Sheet size: 14.2x5.1cm

《Ⅱ-4》
デカルコマニー、紙
※Ⅱ-5と対
Image size: 13.6x9.7cm
Sheet size: 13.6x9.7cm
このブログでは関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
●カタログのご案内

2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,100円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)
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●本日のウォーホル語録
「誰かがぼくに恋していると思うと、とてもナーヴァスになってしまう。ぼくを愛したくば、ぼくのオフィスを愛してください。―アンディ・ウォーホル
―アンディ・ウォーホル」
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
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