<余談ですが、父はときの忘れ物さんのご案内も現代版画センターのも全部きれいに閉じて保存してありました。
綿貫さんの仕事がとても好きだったのだと思います。>


上掲のメールは、親子二代でご贔屓にしていただいているKさんから先日いただいたものです。
亭主が全国を行商していた時代、暖かく迎えてくれ、亡くなるまで私たちを応援してくださいました。
行商時代、常に持ち歩いていたのがオノサト・トシノブの版画でした。理由は簡単、発足したばかりの現代版画センターにはまだエディションの蓄積がなく、小コレクターの会の皆さんから引き継いだ大量のオノサト作品しか売るものがなかった。

先日のブログで、オノサト・トシノブが20代の若いころ山口長男の家に滞在して絵を描いていたことを年譜から引用しました。
それから約30年後の1960年代、二人はともに日本の抽象絵画のトップランナーとして注目を集める存在となりました。
とはいえ、生前のお二人がそれにふさわしい評価を市場で獲得していたかというと、残念ながらとても安かった。
山口長男の評価が高騰したのは没後しばらくたってからであり、オノサト・トシノブにいたってはいまだに一部作品(1950~60年代)を除いて低迷している。
お二人のファンとしては悔しくて仕方ない。

以前このブログで深野一朗さんも紹介されていましたが、昨年出版された美術書でダントツに面白かったのが、笹沼俊樹さんの『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』でした(三元社)。
-----------------舞台は、現代美術全盛のニューヨーク。駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは……。“作品を売らない”伝説の一流画商ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには……。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者が、コレクションの醍醐味をお届けします。-----------( 三元社HPより引用)
■笹沼俊樹 (ささぬま としき)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術のコレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。著書に『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)ほか。

ご自身がつけていた克明な日記をもとに、いつ、どこで、誰に会い、何を、いくらで、どのように交渉して、遂に手に入れたか(逃したか)。
「美術書」を丁寧に読み、「美術館」に足しげく通い、優れた「画商」との出会いを積極的につくる。
凡百のコレクター本、画商の根拠なき自慢話の本などに比べ、凄みのある快著です。コレクターならぜひ座右におきたい本ですね。ジョエル・シャピロなどコレクションの一部は竹橋の東京国立近代美術館に寄託されています。
その笹沼さんが高く評価する日本人作家は山口長男、オノサト・トシノブ(ただしべた丸の時代に限る)、そして高松次郎。
20140329_600
2014年3月29日
瀧口修造展にいらした笹沼俊樹さん(中央)、
土渕信彦さん(右)。

66_600オノサト・トシノブ
"'66"
1966年
紙に水彩
イメージサイズ:20.0×20.0cm
シートサイズ:24.0×24.0cm
裏面にサインあり

オノサトリトオノサト・トシノブ
"66-A"
1966年
リトグラフ Ed.120
イメージサイズ:12.2×18.0cm
シートサイズ :24.8×31.8cm
サインあり
*レゾネNo.17

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本日のウォーホル語録

<「退屈なものが好きだ」って言う言葉は、よくぼくの言葉として、引合いに出されてきた。まあ、確かにそう言ったし、そういうつもりで言った。けれどもその退屈なものが退屈にならない、という意味じゃない。もちろん、ぼくが退屈だと思っているものと、他の人がそう思っているものとでは必ず同じってことはないだろうけどね。テレビのアクションものを観るのは、本質的には、同じ筋書きと、同じショットと、同じカットのくりかえしだから、ぼくにはがまんできないもの。明らかに、細かいところが違っている限り、たいていの人は基本的には同じものを観るのを好む。でもぼくは全く逆なんだ。もし、テレビの前にすわって、昨夜観たのと同じものを観るくらいなら、それは全く、寸分の違いもなく同じであって欲しい。どうしてかって言うと、全く同じものを観れば観るほど、意味あいが薄れてきて、ますます空虚で、いい気分になるからだ。
―アンディ・ウォーホル>


ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。