3月30日のわたくしの「これからのこと」大隈講堂は小雨まじりの天候であったが盛況であった。千百人の大隈講堂に二千人程が来場して下さり、地下小講堂、別室大教室に分散して座っていただいた。不自由をさせて申し訳ない。
早朝、磯崎新さんより発熱のため会はカンベンせよとのFAXが入ったが、一昨日中に幾つかのアクシデントを想定してプログラム変更もすでに考えていたので混乱は無かった。又、第三部の平岡敬元広島市長、保坂展人世田谷区長、松崎町の森秀己、藤井晴正、鈴木敏文、気仙沼の臼井賢志さん、唐桑の佐藤和則さん、向風学校の安西直紀の話が、それぞれに大変良くって、参加者にも喜んでいただけたのではないか。安西直紀君は都知事立候補宣言までやらかしてしまうし。難波和彦さんのまとめも、要をついていた。それにつけても平岡敬氏の風格が格別であった。
第二部のJ・グライター、李祖原、栄久庵憲司、そして敬愛する老アヴァンギャルド・山口勝弘、ジャズ喫茶ベイシー店主菅原正二のスピーチも際立っていた。山口勝弘の話はまさにアヴァンギャルドの華であった。第一部の安藤忠雄の講演共々、全て勝手ながら最良の出来具合であった。わたくしへの充分過ぎる「これからのこと」の花向けであった。超満員の参会者の皆さんへのお礼共々、明日からの糧としたい。
会終了後、リーガロイヤルホテルに移り、石山研OB・OGの皆に「ありがとう」のあいさつと短い別れの言葉を贈る。明日からはわたくし「先生と呼ばれる程のバカ」ではなくなり、本来の一介の浪人となるので。
(石山修武「世田谷村日記」より)
--------------------------------

石山修武
《荒地巡礼する眼玉之命》
2004年 銅版+手彩色
22.0×28.0cm
Ed.5(手彩色のみ)
他にモノクロ版Ed.15あり
signed
3月30日(日)に早稲田大学大隈講堂にて開催された石山修武教授退任記念シンポジウム「これからのこと」に参加しました。
当日は風が強く荒天でしたが、立見客も多くいるほどたくさんの石山修武先生のご友人や関係者など約2千人の人が集まり、別室でビデオ中継も行なわれるほどでした。

会場となった早稲田大学大隈講堂は佐藤功一、佐藤武夫、内藤多仲らの設計により1927年竣工。重要文化財にも指定されています。

建築にあたって時の総長・高田早苗からの要望は<ゴシック様式で演劇にも使える講堂>ということだったとか。
まさに演劇的空間。
開会まで一時間近くあるのにもうこの盛況。
淡路島から上京したカワラマン山田脩二さんと社長。

会場ではたくさんの知り合いに会いました。まるで同窓会。
フリーライターの長井美暁さん(元『室内』編集部)と社長と尾立。
植田実先生(植田先生の母校でもあります)
最後の花束贈呈、長年の苦労を支えた奥様も登壇されました。
石山修武先生はじめ、安藤忠雄先生、山口勝弘先生、李祖原さん、J.グライダーさん、その他多くの石山先生の仕事関係者が、自分たちの仕事、また石山先生との仕事についてお話をされました。
「ヴィジョン」や「アイデンティティ」という言葉が何度も出てきて、若い方々へのメッセージがたくさん込められているような気がしました。
「これからのこと」というシンポジウムのタイトル通り、石山先生はまだまだ実現したい仕事がたくさんあるようで、そのパワーには驚かされます。
石山修武先生の「これから」のご活躍を楽しみにしています。
(おだち れいこ)
◆ときの忘れものは2014年4月2日[水]―4月11日[土]「百瀬恒彦写真展―無色有情」を開催しています(*会期中無休)。
百瀬恒彦が1990年にモロッコを旅し、城壁の街フェズで撮ったモノクロ写真約20点を展示します。あわせてポートフォリオ『無色有情』(10点組、限定部数12部)を刊行します。
その写真世界については鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」をお読みください。
●出品作品を順次ご紹介します。
ポートフォリオ『無色有情』より4
1990年(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
25.4×20.3cm
サインあり
ポートフォリオ『無色有情』より5
1990年(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
20.3×25.4cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
------------------------------------------
●本日のウォーホル語録
<もし、あなたがロックフェラーだったら、ニューヨークは本当にあなたの街だ。想像できるかい?
―アンディ・ウォーホル>
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
早朝、磯崎新さんより発熱のため会はカンベンせよとのFAXが入ったが、一昨日中に幾つかのアクシデントを想定してプログラム変更もすでに考えていたので混乱は無かった。又、第三部の平岡敬元広島市長、保坂展人世田谷区長、松崎町の森秀己、藤井晴正、鈴木敏文、気仙沼の臼井賢志さん、唐桑の佐藤和則さん、向風学校の安西直紀の話が、それぞれに大変良くって、参加者にも喜んでいただけたのではないか。安西直紀君は都知事立候補宣言までやらかしてしまうし。難波和彦さんのまとめも、要をついていた。それにつけても平岡敬氏の風格が格別であった。
第二部のJ・グライター、李祖原、栄久庵憲司、そして敬愛する老アヴァンギャルド・山口勝弘、ジャズ喫茶ベイシー店主菅原正二のスピーチも際立っていた。山口勝弘の話はまさにアヴァンギャルドの華であった。第一部の安藤忠雄の講演共々、全て勝手ながら最良の出来具合であった。わたくしへの充分過ぎる「これからのこと」の花向けであった。超満員の参会者の皆さんへのお礼共々、明日からの糧としたい。
会終了後、リーガロイヤルホテルに移り、石山研OB・OGの皆に「ありがとう」のあいさつと短い別れの言葉を贈る。明日からはわたくし「先生と呼ばれる程のバカ」ではなくなり、本来の一介の浪人となるので。
(石山修武「世田谷村日記」より)
--------------------------------

石山修武
《荒地巡礼する眼玉之命》
2004年 銅版+手彩色
22.0×28.0cm
Ed.5(手彩色のみ)
他にモノクロ版Ed.15あり
signed
3月30日(日)に早稲田大学大隈講堂にて開催された石山修武教授退任記念シンポジウム「これからのこと」に参加しました。
当日は風が強く荒天でしたが、立見客も多くいるほどたくさんの石山修武先生のご友人や関係者など約2千人の人が集まり、別室でビデオ中継も行なわれるほどでした。

会場となった早稲田大学大隈講堂は佐藤功一、佐藤武夫、内藤多仲らの設計により1927年竣工。重要文化財にも指定されています。

建築にあたって時の総長・高田早苗からの要望は<ゴシック様式で演劇にも使える講堂>ということだったとか。
まさに演劇的空間。



会場ではたくさんの知り合いに会いました。まるで同窓会。
フリーライターの長井美暁さん(元『室内』編集部)と社長と尾立。


石山修武先生はじめ、安藤忠雄先生、山口勝弘先生、李祖原さん、J.グライダーさん、その他多くの石山先生の仕事関係者が、自分たちの仕事、また石山先生との仕事についてお話をされました。
「ヴィジョン」や「アイデンティティ」という言葉が何度も出てきて、若い方々へのメッセージがたくさん込められているような気がしました。
「これからのこと」というシンポジウムのタイトル通り、石山先生はまだまだ実現したい仕事がたくさんあるようで、そのパワーには驚かされます。
石山修武先生の「これから」のご活躍を楽しみにしています。
(おだち れいこ)
◆ときの忘れものは2014年4月2日[水]―4月11日[土]「百瀬恒彦写真展―無色有情」を開催しています(*会期中無休)。

その写真世界については鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」をお読みください。
●出品作品を順次ご紹介します。

1990年(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
25.4×20.3cm
サインあり

1990年(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント、バライタ紙
20.3×25.4cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
------------------------------------------
●本日のウォーホル語録
<もし、あなたがロックフェラーだったら、ニューヨークは本当にあなたの街だ。想像できるかい?
―アンディ・ウォーホル>
ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。
コメント