今日は寺山修司さんの命日です。
亭主は森美術館の「アンディ・ウォーホル展:永遠の15分」や、ときの忘れものでの「わが友ウォーホル~X氏コレクションより」のせいで、長年封印してきた30年前の出来事を否応なく思い出す毎日です。
1983年の『アンディ・ウォーホル展 1983~1984 カタログ』の編集後記の末尾を以下の文章で締めくくっている。
<ただ一つ無念なことは、ウォーホルの先駆的理解者であり、このカタログに病躯をおして執筆して下さった寺山修司氏が、五月四日、四七歳の若さで亡くなられたことである。氏の深いご冥福をお祈りする。
一九八三年五月十日(綿貫不二夫 記)>
亭主が依頼したウォーホルについての原稿(いまも亭主の手元にある)はきれいな女文字で清書されていました。
九條今日子さんが画廊にいらしたときにもっと寺山さんのことを聞いておけばよかったと悔やまれます。
昨日画廊に出ると、寺山修司の義弟偏陸さんから九條さんの訃報のファックスが届いていましたた。
<九條今日子 事 寺山映子 儀 4月30日永眠致しました(享年78)
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます>
驚きました。
つい数日前、萩原朔美先生がいらして、「小田急線」という作品の下段に写っているのが九條さんだと教えてもらったばかりでした。
萩原朔美
Sakumi HAGIWARA
《小田急線》
シルクスクリーン
Image size: 23.0x16.0cm
Sheet size: 49.5x32.5cm
Ed.20 サインあり
上掲作品の下段右側は萩原朔美先生、<着物を着てボクの横に立ってくれたのは九條今日子さん>。
さらに萩原先生からご恵贈いただいた著書『劇的な人生こそ真実 私が逢った昭和の異才たち』、表紙に使われた3枚の写真のうち、左上の女性が若き日の九條さんでした。

九條さんは1956年九條映子の名で松竹歌劇団(SKD)の舞台でデビュー。篠田正浩監督「乾いた湖」などの映画に出演した。結婚した寺山が主宰する演劇実験室「天井桟敷」で制作を担当。後に離婚したが、寺山作品の著作権継承者を務め、1997年に開館した青森県の三沢市寺山修司記念館の設立・運営にも協力した。著書に「回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで」など。
お通夜は今日4日午後5時から、葬儀は明日5日午前10時から東京都新宿区南元町の千日谷会堂で執り行われます。
寺山さんの命日に九條さんを送ることになるなんて・・・・・・
謹んでご冥福をお祈りします。
◆ときの忘れものは2014年4月19日[土]―5月6日[火 祝日]「わが友ウォーホル~X氏コレクションより」を開催しています(*会期中無休)。

日本で初めて大規模なウォーホル展が開催されたのは1974年(東京と神戸の大丸)でした。その前年の新宿マット・グロッソでの個展を含め、ウォーホル将来に尽力された大功労者がXさんでした。
アンディ・ウォーホルはじめX氏が交友した多くの作家たち、ロバート・ラウシェンバーグ、フランク・ステラ、ジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイク、萩原朔美、荒川修作、草間彌生らのコレクションを出品します。
●本日のウォーホル語録
<たいてい人々は、地下鉄に乗るとき、とても疲れていて、歌ったり踊ったりすることなどできない状態だけれども、もし地下鉄の中で、歌ったり踊ったりできたなら、本当に楽しめるのに、と思う。夜になると出没して、あらゆるところに落書きをスプレイするガキどもは、どんなふうに街を再生させるか良く知っている。彼らは、乗客もほとんどいなくなり、車両が空っぽになる真夜中を見計らって戻ってきて、歌い踊っている。夜になれば地下鉄はあなたの城になる。全部あなたのものだ。民族ごとに固まってしまうゲットーは、アメリカには合わない。同じような人々が一緒に生活するのは、まちがっている。同じようなものを食べ、同じようなグループを形成しているべきじゃないと思う。アメリカでは何もかもごたまぜだ。もしぼくが大統領だったら、もっと人々をごちゃごちゃに混ぜるだろう。
―アンディ・ウォーホル>
4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催していますが、亭主が企画し1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介します。
亭主は森美術館の「アンディ・ウォーホル展:永遠の15分」や、ときの忘れものでの「わが友ウォーホル~X氏コレクションより」のせいで、長年封印してきた30年前の出来事を否応なく思い出す毎日です。
1983年の『アンディ・ウォーホル展 1983~1984 カタログ』の編集後記の末尾を以下の文章で締めくくっている。
<ただ一つ無念なことは、ウォーホルの先駆的理解者であり、このカタログに病躯をおして執筆して下さった寺山修司氏が、五月四日、四七歳の若さで亡くなられたことである。氏の深いご冥福をお祈りする。
一九八三年五月十日(綿貫不二夫 記)>
亭主が依頼したウォーホルについての原稿(いまも亭主の手元にある)はきれいな女文字で清書されていました。
九條今日子さんが画廊にいらしたときにもっと寺山さんのことを聞いておけばよかったと悔やまれます。
昨日画廊に出ると、寺山修司の義弟偏陸さんから九條さんの訃報のファックスが届いていましたた。
<九條今日子 事 寺山映子 儀 4月30日永眠致しました(享年78)
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます>
驚きました。
つい数日前、萩原朔美先生がいらして、「小田急線」という作品の下段に写っているのが九條さんだと教えてもらったばかりでした。

Sakumi HAGIWARA
《小田急線》
シルクスクリーン
Image size: 23.0x16.0cm
Sheet size: 49.5x32.5cm
Ed.20 サインあり
上掲作品の下段右側は萩原朔美先生、<着物を着てボクの横に立ってくれたのは九條今日子さん>。
さらに萩原先生からご恵贈いただいた著書『劇的な人生こそ真実 私が逢った昭和の異才たち』、表紙に使われた3枚の写真のうち、左上の女性が若き日の九條さんでした。

九條さんは1956年九條映子の名で松竹歌劇団(SKD)の舞台でデビュー。篠田正浩監督「乾いた湖」などの映画に出演した。結婚した寺山が主宰する演劇実験室「天井桟敷」で制作を担当。後に離婚したが、寺山作品の著作権継承者を務め、1997年に開館した青森県の三沢市寺山修司記念館の設立・運営にも協力した。著書に「回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで」など。
お通夜は今日4日午後5時から、葬儀は明日5日午前10時から東京都新宿区南元町の千日谷会堂で執り行われます。
寺山さんの命日に九條さんを送ることになるなんて・・・・・・
謹んでご冥福をお祈りします。
◆ときの忘れものは2014年4月19日[土]―5月6日[火 祝日]「わが友ウォーホル~X氏コレクションより」を開催しています(*会期中無休)。

日本で初めて大規模なウォーホル展が開催されたのは1974年(東京と神戸の大丸)でした。その前年の新宿マット・グロッソでの個展を含め、ウォーホル将来に尽力された大功労者がXさんでした。
アンディ・ウォーホルはじめX氏が交友した多くの作家たち、ロバート・ラウシェンバーグ、フランク・ステラ、ジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイク、萩原朔美、荒川修作、草間彌生らのコレクションを出品します。
●本日のウォーホル語録
<たいてい人々は、地下鉄に乗るとき、とても疲れていて、歌ったり踊ったりすることなどできない状態だけれども、もし地下鉄の中で、歌ったり踊ったりできたなら、本当に楽しめるのに、と思う。夜になると出没して、あらゆるところに落書きをスプレイするガキどもは、どんなふうに街を再生させるか良く知っている。彼らは、乗客もほとんどいなくなり、車両が空っぽになる真夜中を見計らって戻ってきて、歌い踊っている。夜になれば地下鉄はあなたの城になる。全部あなたのものだ。民族ごとに固まってしまうゲットーは、アメリカには合わない。同じような人々が一緒に生活するのは、まちがっている。同じようなものを食べ、同じようなグループを形成しているべきじゃないと思う。アメリカでは何もかもごたまぜだ。もしぼくが大統領だったら、もっと人々をごちゃごちゃに混ぜるだろう。
―アンディ・ウォーホル>
4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催していますが、亭主が企画し1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介します。
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