森本悟郎のエッセイ その後・第2回
木村恒久⑵ 矛盾の人
木村さんはグラフィックデザイナーだったが、他方で評論家や学者が舌を巻くほどの論客でもあった。大阪でデザイナーとして出発した頃から批評活動を始めていたという。ぼくが美術雑誌などで木村恒久という名を目にしたのは、学生だった60年代から70年代初めにかけてで、「理屈っぽいデザイナー」というのが当時の印象だった。圧巻は1981年の『ボードリヤール・フォーラム'81』(池袋西武百貨店スタジオ200)におけるフランスの思想家ジャン・ボードリヤールとの討論で、「論客木村恒久」は伝説となった。
ところがそれほどの知性を有し、写真や映像の知識も豊富なはずの木村さんは、同時に1ミリずつサイズを変えたプリントを作ってくれ、などと平気で言う人でもあった。デジタルではない、ネガフィルムから印画紙へのプリントである。暗室作業経験者なら、これがいかに無茶な要求かわかるはずだ。
また「木村恒久の助手は全員病気になった」と、日本デザインセンターで木村さんの同僚だった写真家から聞いたことがある。ぼくが企画した展覧会でも、展覧会ポスター制作に際して、頻々とかかってくる電話とその煩瑣な指示と怒声のため、印刷会社担当者が神経症になりかけた。ぼくも展覧会準備中に、何度電話越しに木村さんとやり合ったか知れない。傍で聞いていたら喧嘩していると思われただろう。ところが展覧会初日、木村さんはぼくたち二人に深々と頭を下げ、丁重に礼を述べた。ぼくたちはほっとするとともに、いったいあれは何だったのかと気抜けしたものだ。
人は程度の差こそあれ矛盾を抱えているものなのだが、木村さんはすぐれてアンビバレントな存在だったといえる。商業主義でない商業美術家(グラフィックデザイナー)なんて、矛盾以外の何ものでもないだろう。
思えば、無関係な複数の写真からイメージを抽出し、再構成するというフォト・モンタージュという方法自体が矛盾を引き受ける表現ではないか。それを積極的に使い始めたのはドイツ・ダダの作家たち(木村さんがリスペクトしていたジョン・ハートフィールドもそのひとり)だが、これはのちにシュルレアリストによってデペイズマン (depaysement) と名づけられた美的概念、つまり意外な組み合わせによって見るものに違和を生じさせる美学の先蹤をなす。木村さんはアンビバレントな人となりによって、まずは人に違和を感じさせたかもしれない。しかし、真に美しい矛盾をはらんだ存在だったとぼくは断言したい。
(もりもとごろう)

ジョン・ハートフィールド(John Heartfield)「Adolph The Superman」1932

ジョン・ハートフィールド(John Heartfield)「And yet it moves」1943

木村恒久「オマージュ "ジョン・ハートフィールド"」1980
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
◆ときの忘れものは2014年5月14日[水]―5月31日[土]「葉栗剛展」を開催しています(*会期中無休)。
名古屋で活動をしている木彫作家・葉栗剛による彫刻展を開催します。本展では、2体の大作〈男気〉シリーズを中心に、9点の木彫作品をご覧いただきます。
その作品世界については森本悟郎さんのエッセイ「葉栗剛の流儀」をお読みください。
5月29日(木)、30日(金)、31日(土)は葉栗さんが在廊しておりますので、是非お出かけ下さい。
●カタログのご案内
『葉栗剛展』カタログ
ときの忘れもの 発行
2014年
25.7x18.3cm 16P
執筆:森本悟郎
本体価格864円(税込) 送料別途250円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
木村恒久⑵ 矛盾の人
木村さんはグラフィックデザイナーだったが、他方で評論家や学者が舌を巻くほどの論客でもあった。大阪でデザイナーとして出発した頃から批評活動を始めていたという。ぼくが美術雑誌などで木村恒久という名を目にしたのは、学生だった60年代から70年代初めにかけてで、「理屈っぽいデザイナー」というのが当時の印象だった。圧巻は1981年の『ボードリヤール・フォーラム'81』(池袋西武百貨店スタジオ200)におけるフランスの思想家ジャン・ボードリヤールとの討論で、「論客木村恒久」は伝説となった。
ところがそれほどの知性を有し、写真や映像の知識も豊富なはずの木村さんは、同時に1ミリずつサイズを変えたプリントを作ってくれ、などと平気で言う人でもあった。デジタルではない、ネガフィルムから印画紙へのプリントである。暗室作業経験者なら、これがいかに無茶な要求かわかるはずだ。
また「木村恒久の助手は全員病気になった」と、日本デザインセンターで木村さんの同僚だった写真家から聞いたことがある。ぼくが企画した展覧会でも、展覧会ポスター制作に際して、頻々とかかってくる電話とその煩瑣な指示と怒声のため、印刷会社担当者が神経症になりかけた。ぼくも展覧会準備中に、何度電話越しに木村さんとやり合ったか知れない。傍で聞いていたら喧嘩していると思われただろう。ところが展覧会初日、木村さんはぼくたち二人に深々と頭を下げ、丁重に礼を述べた。ぼくたちはほっとするとともに、いったいあれは何だったのかと気抜けしたものだ。
人は程度の差こそあれ矛盾を抱えているものなのだが、木村さんはすぐれてアンビバレントな存在だったといえる。商業主義でない商業美術家(グラフィックデザイナー)なんて、矛盾以外の何ものでもないだろう。
思えば、無関係な複数の写真からイメージを抽出し、再構成するというフォト・モンタージュという方法自体が矛盾を引き受ける表現ではないか。それを積極的に使い始めたのはドイツ・ダダの作家たち(木村さんがリスペクトしていたジョン・ハートフィールドもそのひとり)だが、これはのちにシュルレアリストによってデペイズマン (depaysement) と名づけられた美的概念、つまり意外な組み合わせによって見るものに違和を生じさせる美学の先蹤をなす。木村さんはアンビバレントな人となりによって、まずは人に違和を感じさせたかもしれない。しかし、真に美しい矛盾をはらんだ存在だったとぼくは断言したい。
(もりもとごろう)

ジョン・ハートフィールド(John Heartfield)「Adolph The Superman」1932

ジョン・ハートフィールド(John Heartfield)「And yet it moves」1943

木村恒久「オマージュ "ジョン・ハートフィールド"」1980
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
◆ときの忘れものは2014年5月14日[水]―5月31日[土]「葉栗剛展」を開催しています(*会期中無休)。

その作品世界については森本悟郎さんのエッセイ「葉栗剛の流儀」をお読みください。
5月29日(木)、30日(金)、31日(土)は葉栗さんが在廊しておりますので、是非お出かけ下さい。
●カタログのご案内

ときの忘れもの 発行
2014年
25.7x18.3cm 16P
執筆:森本悟郎
本体価格864円(税込) 送料別途250円
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