◆久保貞次郎のエッセイ~駒井哲郎(1960年執筆)
「駒井哲郎展によせて」
久保貞次郎
夢と現実、駒井哲郎の芸術はこの夢と現実のあいだを時計の振り子のように振幅する。かれの夢は、あるときには、時間の迷路であったり、また別のときには、夜の森であったりする。現実は小さな魚や、樹や、パリの屋根である。かれの研ぎすまされた神経は拡大鏡を使っても見えないほどの細かさで、あの小さい画面にゆきわたっている。どの銅版にもこの画家の人生への懐疑と憂うつと詩が織りこまれているではないか。かれの世界はわたくしたちの心の郷愁である。
駒井哲郎はおおげさな身振りを避け、みじろぎもせず心のなかを凝視している作家だ。かれのエッチングのどれをとっても、通俗との袂別が宣言され、ただ独り道を進んでいる。この画家の姿がわたくしたちの網膜に残るばかりである。かれの孤高な精神は、わたくしたちの胸をたゆみなく純化する。
かれのここ十年間の仕事は、かれの夢を深め、観察を鋭くしつづけてきた。こんどの新しい制作が、どのようにかれの夢と現実を発展させているであろうか。わたくしはおさえがたい感情をこめて、かれの近作に期待する。
(くぼ さだじろう)
(一九六〇年 駒井哲郎展図録 日本橋白木屋画廊)
『久保貞次郎 美術の世界5 日本の版画作家たち』(「久保貞次郎・美術の世界」刊行会、1987年)
------------------
●第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」出品作品を順次ご紹介します。
出品No.40)
駒井哲郎
「花」
1965年
銅版(アクアチント)+手彩色
12.5x9.3cm
Ed.100
Signed
出品No.41)
駒井哲郎
「賀状」
1959年
エッチング
10.1x12.2cm
Signed
※レゾネNo.351(美術出版社)
出品No.42)
駒井哲郎
「藝大カレンダーより」
1974年
エッチング
8.8x8.2cm
Ed.180 Signed
出品No.43)
駒井哲郎
「芽生え」
1955年
アクアチント、エングレーヴィング
15.5x28.0cm
Signed
出品No.44)
駒井哲郎
「恩地孝四郎頌」
1974年
アクアチント(亜鉛版)
20.7x10.0cm
Signed
※レゾネNo.309(美術出版社)
出品No.45)
駒井哲郎
「Nature Morte(静物)」
1975年
アクアチント、ソフトグランドエッチング
18.3x15.0cm
Ed.75 Signed
※レゾネNo.318(美術出版社)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
*画廊亭主敬白
今回は<瑛九と時代を共にし、久保貞次郎が支持した作家たち>の中から11作家の作品を展示しています(瑛九を含め12作家)。
しからば<瑛九と時代を共にし、久保貞次郎が支持しなかった作家たち>は誰か。
その筆頭が恩地孝四郎でした。
久保先生が後年(つまり亭主に昔語りをしてくれたとき)最も悔いていたのが自らの大コレクションに松本竣介と恩地孝四郎がないことでした。
亭主が久保先生に初めてお目にかかったのは1973年の秋、久保先生が64歳、亭主28歳、以来足しげく市谷のお宅に伺いましたが、活字に残されていない貴重なお話をいくつも聞くことができました。
「若い頃、ボクは西洋かぶれでしたから、日本の土俗的なもの、木版や民芸など大嫌いでした。」
具体的な例を挙げれば久保先生は上掲の駒井哲郎をのぞき、「日本版画協会」系の作家には見向きもしませんでした。駒井先生だけは例外で、その才能を高く評価し、自ら主催した頒布会のために駒井先生に水彩画の制作を依頼したりしています。
後述するように、上掲の「恩地孝四郎頌」も久保先生の助力で生まれた作品です。
若年の頃「大嫌い」だったものに後年目を向けていくのですが、昔の過ちや誤解を悔いて正すことに躊躇しない「陽性」で潔い人でした。
「戦後すぐの頃、ある人が大八車に竣介を山と積んで売りにきました。ボクは現金で買おうと思えばそっくり買えたのに一点も買いませんでした。」
「恩地先生とは幾度も会合でご一緒し、エディションのチャンスもあったのに古臭い木版画という先入観でその価値を認めることができず、一枚も買いませんでした。」
少年の頃から恩地ファンであった亭主の密かな誇りは、この話を聞いて直ちに恩地三保子さんの北軽井沢の別荘に久保先生をお連れし、三保子さんに紹介したことです。
三保子さんは生涯の夢だった父・孝四郎の作品集刊行に全力を挙げて取り組んでおられました。
版元の形象社は弱小の出版社で四苦八苦していましたが(後に久保先生の著作集の版元ともなるのだが途中で倒産してしまい、久保先生はその後自ら刊行会をつくり、自分の著作集全12巻を完結させた)、三保子さんを知った久保先生は若年の頃の後悔を取り戻すかのように『恩地孝四郎版画集』 (1975年 形象社刊) に多大な資金的バックアップを行ないました。上掲の駒井哲郎「恩地孝四郎頌」はその特装版のために制作された作品です。
三保子さんは深く感謝し、そのお礼にと恩地孝四郎の「藤懸静也像」を久保先生に贈られました。その仲立ちも亭主がお手伝いさせていただきました。
久保先生の支援なくしては恩地のレゾネは実現しませんでしたし、駒井哲郎の『恩地孝四郎頌』も生まれなかったでしょう。
久保先生と駒井先生、お二人とも亭主の恩人ですが、亭主が倒産後の再起のきっかけは資生堂ギャラリーでの駒井哲郎回顧展でした。そのことは駒井先生の珍しい木版画発掘に関連して書いたことがありますので、お読みください。
話は急に変わりますが、明日花巻に行きます。宮沢賢治イーハトーブ館で友人の石田俊子さんたちがピアノコンサートを開くので久しぶりに温泉の会もかねての小旅行です。もちろん夜は盛岡・直利庵で大宴会の予定であります。

◆瑛九関係の文献資料はコチラをご参照ください。
画廊では久保先生の著書を会期中のみの特別価格で頒布しています。
◆ときの忘れものは2014年6月11日[水]―6月28日[土]「第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」を開催しています(*会期中無休)。

大コレクター久保貞次郎は瑛九の良き理解者であり、瑛九は久保の良き助言者でした。
遺された久保コレクションを中心に、瑛九と時代を共にし、久保が支持した作家たちー北川民次、オノサト・トシノブ、桂ゆき、磯辺行久、靉嘔、瀧口修造、駒井哲郎、細江英公、泉茂、池田満寿夫らの油彩、水彩、オブジェ、写真、フォトデッサン、版画などを出品します。
また5月17日に死去した木村利三郎の作品を追悼の心をこめて特別展示します。
◆宇都宮の栃木県立美術館で、「真岡発:瑛九と前衛画家たち展―久保貞次郎と宇佐美コレクションを中心に」が6月22日[日]まで開催されています。
展示風景はユーチューブでご覧になれます。
「駒井哲郎展によせて」
久保貞次郎
夢と現実、駒井哲郎の芸術はこの夢と現実のあいだを時計の振り子のように振幅する。かれの夢は、あるときには、時間の迷路であったり、また別のときには、夜の森であったりする。現実は小さな魚や、樹や、パリの屋根である。かれの研ぎすまされた神経は拡大鏡を使っても見えないほどの細かさで、あの小さい画面にゆきわたっている。どの銅版にもこの画家の人生への懐疑と憂うつと詩が織りこまれているではないか。かれの世界はわたくしたちの心の郷愁である。
駒井哲郎はおおげさな身振りを避け、みじろぎもせず心のなかを凝視している作家だ。かれのエッチングのどれをとっても、通俗との袂別が宣言され、ただ独り道を進んでいる。この画家の姿がわたくしたちの網膜に残るばかりである。かれの孤高な精神は、わたくしたちの胸をたゆみなく純化する。
かれのここ十年間の仕事は、かれの夢を深め、観察を鋭くしつづけてきた。こんどの新しい制作が、どのようにかれの夢と現実を発展させているであろうか。わたくしはおさえがたい感情をこめて、かれの近作に期待する。
(くぼ さだじろう)
(一九六〇年 駒井哲郎展図録 日本橋白木屋画廊)
『久保貞次郎 美術の世界5 日本の版画作家たち』(「久保貞次郎・美術の世界」刊行会、1987年)
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●第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」出品作品を順次ご紹介します。

駒井哲郎
「花」
1965年
銅版(アクアチント)+手彩色
12.5x9.3cm
Ed.100
Signed

駒井哲郎
「賀状」
1959年
エッチング
10.1x12.2cm
Signed
※レゾネNo.351(美術出版社)

駒井哲郎
「藝大カレンダーより」
1974年
エッチング
8.8x8.2cm
Ed.180 Signed

駒井哲郎
「芽生え」
1955年
アクアチント、エングレーヴィング
15.5x28.0cm
Signed

駒井哲郎
「恩地孝四郎頌」
1974年
アクアチント(亜鉛版)
20.7x10.0cm
Signed
※レゾネNo.309(美術出版社)

駒井哲郎
「Nature Morte(静物)」
1975年
アクアチント、ソフトグランドエッチング
18.3x15.0cm
Ed.75 Signed
※レゾネNo.318(美術出版社)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
*画廊亭主敬白
今回は<瑛九と時代を共にし、久保貞次郎が支持した作家たち>の中から11作家の作品を展示しています(瑛九を含め12作家)。
しからば<瑛九と時代を共にし、久保貞次郎が支持しなかった作家たち>は誰か。
その筆頭が恩地孝四郎でした。
久保先生が後年(つまり亭主に昔語りをしてくれたとき)最も悔いていたのが自らの大コレクションに松本竣介と恩地孝四郎がないことでした。
亭主が久保先生に初めてお目にかかったのは1973年の秋、久保先生が64歳、亭主28歳、以来足しげく市谷のお宅に伺いましたが、活字に残されていない貴重なお話をいくつも聞くことができました。
「若い頃、ボクは西洋かぶれでしたから、日本の土俗的なもの、木版や民芸など大嫌いでした。」
具体的な例を挙げれば久保先生は上掲の駒井哲郎をのぞき、「日本版画協会」系の作家には見向きもしませんでした。駒井先生だけは例外で、その才能を高く評価し、自ら主催した頒布会のために駒井先生に水彩画の制作を依頼したりしています。
後述するように、上掲の「恩地孝四郎頌」も久保先生の助力で生まれた作品です。
若年の頃「大嫌い」だったものに後年目を向けていくのですが、昔の過ちや誤解を悔いて正すことに躊躇しない「陽性」で潔い人でした。
「戦後すぐの頃、ある人が大八車に竣介を山と積んで売りにきました。ボクは現金で買おうと思えばそっくり買えたのに一点も買いませんでした。」
「恩地先生とは幾度も会合でご一緒し、エディションのチャンスもあったのに古臭い木版画という先入観でその価値を認めることができず、一枚も買いませんでした。」
少年の頃から恩地ファンであった亭主の密かな誇りは、この話を聞いて直ちに恩地三保子さんの北軽井沢の別荘に久保先生をお連れし、三保子さんに紹介したことです。
三保子さんは生涯の夢だった父・孝四郎の作品集刊行に全力を挙げて取り組んでおられました。
版元の形象社は弱小の出版社で四苦八苦していましたが(後に久保先生の著作集の版元ともなるのだが途中で倒産してしまい、久保先生はその後自ら刊行会をつくり、自分の著作集全12巻を完結させた)、三保子さんを知った久保先生は若年の頃の後悔を取り戻すかのように『恩地孝四郎版画集』 (1975年 形象社刊) に多大な資金的バックアップを行ないました。上掲の駒井哲郎「恩地孝四郎頌」はその特装版のために制作された作品です。
三保子さんは深く感謝し、そのお礼にと恩地孝四郎の「藤懸静也像」を久保先生に贈られました。その仲立ちも亭主がお手伝いさせていただきました。
久保先生の支援なくしては恩地のレゾネは実現しませんでしたし、駒井哲郎の『恩地孝四郎頌』も生まれなかったでしょう。
久保先生と駒井先生、お二人とも亭主の恩人ですが、亭主が倒産後の再起のきっかけは資生堂ギャラリーでの駒井哲郎回顧展でした。そのことは駒井先生の珍しい木版画発掘に関連して書いたことがありますので、お読みください。
話は急に変わりますが、明日花巻に行きます。宮沢賢治イーハトーブ館で友人の石田俊子さんたちがピアノコンサートを開くので久しぶりに温泉の会もかねての小旅行です。もちろん夜は盛岡・直利庵で大宴会の予定であります。

◆瑛九関係の文献資料はコチラをご参照ください。
画廊では久保先生の著書を会期中のみの特別価格で頒布しています。
◆ときの忘れものは2014年6月11日[水]―6月28日[土]「第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」を開催しています(*会期中無休)。

大コレクター久保貞次郎は瑛九の良き理解者であり、瑛九は久保の良き助言者でした。
遺された久保コレクションを中心に、瑛九と時代を共にし、久保が支持した作家たちー北川民次、オノサト・トシノブ、桂ゆき、磯辺行久、靉嘔、瀧口修造、駒井哲郎、細江英公、泉茂、池田満寿夫らの油彩、水彩、オブジェ、写真、フォトデッサン、版画などを出品します。
また5月17日に死去した木村利三郎の作品を追悼の心をこめて特別展示します。
◆宇都宮の栃木県立美術館で、「真岡発:瑛九と前衛画家たち展―久保貞次郎と宇佐美コレクションを中心に」が6月22日[日]まで開催されています。
展示風景はユーチューブでご覧になれます。
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