◆久保貞次郎のエッセイ~池田満寿夫(1961年執筆)

池田満寿夫の銅版画展によせて

久保貞次郎

 「描くことは再び愛することである」とヘンリー・ミラーは、かれの独創的な絵画論のなかでいった。「そして愛するとは人生を極限にまで生きることだ。だが、いったいどんな愛を、どんな人生を、いろんな小細工や、あらゆる金儲けに狂奔している人々や、最下級の慰安や、無駄なぜいたくでとりちらかされている空虚な場所で、人々は望みうるというのか。生き愛するためには、そして描くなかに表現を与えるためには、人はまた、まことの信ずる者でなければならぬ」と。
 池田満寿夫は人生を直視しようとする。すると、そこに無数の妨害物と誘惑が待ちかまえているのにである。金もうけにだけ人生をすりへらし、かつ、いまだその目的さえもじゅうぶん手にいれていない世間の多くの人にとりまかれて、かれは描くことは人生を限りなく生きることだと感ずる。かれは人生の長詩をうたうやりかたでなく、いくつものソネットをうたう。そこに若々しい黒と白があらわれ、未来の社会をのぞかせるような新鮮な赤、青、黄が配置される。銅版の上に飛び交う線は、あるときは突きさすように激しく、あるときは春の野をゆくごとくのびやかで、また顕微鏡下の水に泳ぐミジンコの体の動きのように繊細だ。
 かれの作品が、荒廃した現代社会の死の大海原に浮かぶ、小さな木片に付着したいく粒かの草の実であろうと、そこには生の何ものかがある。かれは、この広い地上にかくされた魂の宝石を発掘せんと描きつづける、今日のひとりの画家である。
くぼ さだじろう
(一九六一年 池田満寿夫銅版画展 不忍画廊)
『久保貞次郎 美術の世界2 瑛九と仲間たち』(叢文社、1985年)より転載
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第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」出品作品を順次ご紹介します。
今日の問題点
出品No.39)
作品集『今日の問題点』7点組
1969年
限定70部
21.5x21.5x21.5cm
企画・製作:海上雅臣
デザイン:福田繁雄
発行:壹番館画廊
作品:池田満寿夫横尾忠則吉原英雄永井一正野田哲也、福田繁雄、靉嘔
各作品にサインあり

今日の問題点01池田満寿夫作品集『今日の問題点』より
池田満寿夫
「この空の上」
1969年
エッチング、ルーレット
Image size:16.1x14.2cm
Sheet size:20.0x20.0cm
Ed.70
鉛筆サインあり

今日の問題点02横尾忠則作品集『今日の問題点』より
横尾忠則
「写性」
1969年
シルクスクリーン
Image size:19.0x13.6cm
Sheet size:19.8x19.8cm
Ed.70
鉛筆サインあり

今日の問題点03吉原英雄作品集『今日の問題点』より
吉原英雄
「オレンジ色のしずく」
1969年
リトグラフ
Image size:16.0x13.0cm
Sheet size:19.8x19.8cm
Ed.70
鉛筆サインあり

今日の問題点04永井一正作品集『今日の問題点』より
永井一正
「変点」
1969年
凹版、オフセット
Image size:16.4x17.3cm
Sheet size:19.8x19.8cm
Ed.70
鉛筆サインあり

今日の問題点05野田哲也作品集『今日の問題点』より
野田哲也
「日記1969年2月28日」
1969年
木版、シルクスクリーン
Image size:14.9x14.9cm
Sheet size:19.8x19.8cm
Ed.70
鉛筆サインあり

今日の問題点06福田繁雄作品集『今日の問題点』より
福田繁雄
「正3面体の展開図」
1969年
平凹版
Image size:15.0x15.0cm
Sheet size:19.8x19.8cm
Ed.70
鉛筆サインあり

今日の問題点07靉嘔作品集『今日の問題点』より
靉嘔
「レインボールームの中の一匹の虫」
1969年
オフセット、シルクスクリーン
Image size:18.0x18.0cm
Sheet size:18.0x18.0cm
Ed.70
四枚一組の作品
裏面に鉛筆サインあり

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*画廊亭主敬白
今回出品しているのは、1969年に銀座の壹番館画廊からエディションされた作品集『今日の問題点』7点組です。
企画したのは海上雅臣さん(現在はウナック東京を主宰)で、池田、横尾など選んだ7人すべてが今日でも輝きを失っていないことを考えると、半世紀前の海上さんのプロデュースぶりに感嘆します。
亭主はあるきっかけで美術界に入ったのですが、当初はほとんど何も知らず、版画家といえば棟方志功と池田満寿夫ぐらいしか思い浮かばなかった。つまりそのくらい(無知な亭主が知っているくらい)池田さんは1970年代の大スターでした。
池田さんは久保先生を知ることによっていわばチャンスをつかみ、各種国際展で受賞を重ねます。
久保先生が池田さんのパトロンだったことは周知の事実ですが、しかし良好な関係が続いたかというと、皆さんご承知の通り、池田さんはやがて久保先生に反発し、疎遠となります。
2008年11月に町田市立国際版画美術館で池田さんの小展覧会が開催されました。パトロンと画家との微妙かつ複雑な関係について亭主は「画家とパトロン~池田満寿夫・靉嘔と久保貞次郎」と題して書いたことがあります。会場で配布されていた粗末な出品目録(コピー)には、「愛憎相半ばする関係」であった池田さんと久保先生について、後の世代の学芸員がどう見たか、興味深い文章が掲載されています。全文引用させていただいているので、ぜひお読みください。

池田さんは後に芥川賞をとるほどの文章家でした。
靉嘔、瑛九、そして久保先生との出会いについても、実に見事な文章を残しています。
名著『私の調書・私の技法』(美術出版社 1976 年 美術選書)から少し引用しましょう。
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 瑛九にはじめて会ったのは、たぶんそれは冬だったと思うが、蕨の友人のところへアイ・オーたちと行った時、浦和に瑛九が住んでいるから、これから尋ねてみようとさそわれたからだった。それまでアイ・オーの口からしばしば瑛九の伝説について聞かされていたのだが、特に心をうばわれるほどの関心を持ったわけでもなかった。その夜の最初の訪問も、ただがやがやと喋っただけで、格別の印象を受けなかった。
 しかしこの不意の青年たちの訪問に対して瑛九の応対ぶりが非常に丁寧で、しかもくったくがなく、対等に応じてくれたのが心に残った。結局、私は瑛九の作品をそのときまだ認めることができなかったので、傲慢さを隠そうともしなかったのである。認めることのできない作家に対して、それが非常に重要な芸術家であっても、私は決して自分の方から腰をひくくしようとは思わなかった。瑛九と深いつながりができた頃でも私は傲慢さを保ち続け、尊敬のため自分が全体的に瑛九に傾斜していく恐ろしい力に抗い続けていた。瑛九の方でも私が彼の作品をなかなか認めたがらないのを知っていて、それを面白がっていた。
 五六年の夏頃、久保貞次郎の主催した「絵を安く売る展覧会」にアイ・オーが私を推薦し、その最初の参加者による公開審査会ではじめて久保氏に私は紹介された。瑛九も来ていたが瑛九に会ったのはその時で二度目だった。十数人の作家が選ばれそれらの出品された全作品を出品者全員で討論し採決して、それらの作品を久保氏が号五百円で買上げ、それを一般公開してコレクターに売ろうというのがその展覧会の主旨だった。展覧会で売れようが売れまいが久保氏が先に作品を買取ってくれるというのだから、とうてい売れることなど考えてもみなかった画家たちにとってこの着想は斬新で期待に満ちたものだった。
 久保貞次郎の場合も私の方で彼に対する既成の知識をなにも持ち合せていなくて、彼が美術評論家であり、児童美術教育の改革者であり、日本でも有数の版画コレクターであることすら知らなかった。この無知が私を素直な青年に仕立てあげたようである。久保氏が私の作品に特別の注意をその時はらったかどうかはわからない。攻撃的だがあけっぴろげな私の性格に関心を持ったことは事実である。しかしなによりも久保氏に対する私の驚きの方が大きかった。彼はその卓越したユーモア、明快そのものの行動性、絶対に相手を退屈させない話術、予想もできない着想力等で、あっという間に私の心をつかんでしまったのである。
 この会を機会にして久保氏と瑛九とへ急激に私は接近していった。そしてその夏、山田温泉で開催された創造美育の全国ゼミナールへ久保氏の提案でアルバイトとしてやとわれ、はじめて創美なるものを知り、その運動と内容の実体を知るに至った。その経験はまったく私にとってとてつもない出来事だったといえる。そのゼミには瑛九をはじめアイ・オー、泉茂、加藤正、磯辺行久吉原英雄などのデモクラート美術協会のメンバーが参加し、私はその機会に瑛九に説得されてデモクラートのメンバーに正式に加盟させられ、さっそくデモクラート主催の銅版画講習会に助手としてかり出されたのであった。私自身小型プレス機を持っていたにはいたが、それはあっけない挫折の、いまいましい古道具品としてしか意味を持たないものだった。正統なやり方で銅版を刷るのを見たのはその講習会がはじめてだった。恐ろしくややこしく思われていた銅版の手続きが瑛九の指導によると信じられないくらい簡単に処理されて行った。自信を得たわけではないが最初の手掛りをつかむことはできた。色彩銅版画集を出したのはそれから四ヵ月たってからである。
(55~56ページ)
(中略)

 アイ・オーと私の配布会が終ったのを契機に久保貞次郎の発案で創美のメンバーの中で小コレクターの会が発足していた。瑛九やアイ・オー、泉茂、オノサト・トシノブ、それに北川民次を含む久保氏の支持する作家たちがその運動に加わっていた。ひんぱんに福井、名古屋、東京などでこの会独特のオークションが開催されはじめた。そのオークションが私にとって唯一の作品を売る機関で、私は水彩や銅版の新作、旧作をたずさえて参加したものだった。私の目の前で私の作品に値がつけられていくのは正直いってあまりいい気持のものではなかった。私の水彩は最低百円から最高四百円、銅版はせいぜい百五十円前後、とびきりよくて二百円がオークションでの相場だった。ひどい時には小さな銅版画が三十五円で落札されたりした。さすがにこの時だけは顔面が蒼白になっていくのを感じたものだ。
(66ページ)

池田満寿夫『私の調書・私の技法』より
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久保先生も池田さんも亡くなり、果たしてお二人の評価(一方はコレクター、評論家として、他方画家として)は今後どうなるのでしょうか。

瑛九関係の文献資料コチラをご参照ください。
画廊では久保先生の著書を会期中のみの特別価格で頒布しています。

◆ときの忘れものは2014年6月11日[水]―6月28日[土]「第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」を開催しています(*会期中無休)。
DM
大コレクター久保貞次郎は瑛九の良き理解者であり、瑛九は久保の良き助言者でした。
遺された久保コレクションを中心に、瑛九と時代を共にし、久保が支持した作家たちー北川民次、オノサト・トシノブ、桂ゆき、磯辺行久、靉嘔、瀧口修造、駒井哲郎、細江英公、泉茂、池田満寿夫らの油彩、水彩、オブジェ、写真、フォトデッサン、版画などを出品します。
また5月17日に死去した木村利三郎の作品を追悼の心をこめて特別展示します。