<7/2のお誕生日おめでとうございます。
一層お若くますますお元気でいらっしゃいますように!
ブログで上げていらした昔の写真は実に興味深く、しげしげ拝見いたしました。
続きを楽しみにしております!>

(Iさんからのメール)

美術界に入って40年経ちました。
いろいろありすぎて封印してきたことも多いのですが、そろそろ寿命もつきてきたようなので、倉庫にしまいこんだままの資料やアルバムを整理し始め、先日は恥ずかしげもなくその一部を公開いたしました。
写真の選択がなかなかたいへんでした。
まず、日時の特定が難しい。
場所は記憶しているので、まあだいたい特定できるのですが、撮影月日を記入していないものも多く、ん十年前を正確に遡るのに四苦八苦しました。
亭主個人の歴史というより、井上房一郎さん、久保貞次郎先生はじめ、たくさんの方のお世話になった「現代版画センターの記録」を少しづつ保存しようと考えています。おひまな折にご笑覧ください。
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亭主の故郷、群馬の富岡製糸場が世界遺産に登録されたことに関連して、それにまつわる余話を書きましたが、先日の東京新聞にかつての所有企業・片倉工業のことが紹介されていました
20140617東京新聞 富岡東京新聞
2014年6月17日
ちょっと胸つまる記事でした。
1987年に操業が停止され、2005年に富岡市に寄贈されるまでの20年近く、同建物は片倉工業が社員を常駐させ、固定資産税、維持管理費に多大な費用をかけながら守り続けました。

1987年3月5日片倉工業富岡工場(富岡製糸場ブリュナ館)の閉所式における柳沢晴夫社長(当時)の挨拶から(抜粋)
 たとえ「力山を抜き、気は世をおおう」気概を以ってしても「時に利あらず」といういかんともいたしかたのない、時勢におけるひとつの決断をせざるを得ない事態に立ち至り、誠に残念ながら富岡工場における生糸製造休止の決断により、今、こうして皆さんに挨拶を申し上げる。
 歴史的施設を破壊するわけではない。富岡工場の将来のありようは従来の休止製糸工場とは同様ではない。
 生糸製造を休止しても、歴史的、文化的価値が高く貴重であると評価されているこの建物、諸施設、及び創業以来の当工場関係者の富国繁栄、繁殖興業に心血を注いでこられたその意気盛んな心が今後も脈々として受け継がれ、この工場が物心両面で若々しく活気をもって生き永らえていくよう今後の管理運営を図っていく考えであり、単なる遺物とか見せ物としておくつもりはない。
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1974年をピークに絹需要は減少し続け、蚕糸部門は赤字が続き遂に操業を停止します。上掲の社長の挨拶には断腸の思いがこめられています。
片倉ある限り、企業の責任において売らないし、貸さない。壊しもしません。」と断言した柳沢社長の言葉からは、企業が社会的存在であり、「利を求める」にしても、その根底には「社会への貢献」と「歴史への怖れ(敬意)」がなければならないという、経営者の志が感じられます。
こういう企業文化が受け継がれていく限り、日本の未来も捨てたもんじゃない、そう思います。

◆本日のお薦め作品は駒井哲郎
Nature_Morte_600
駒井哲郎
「Nature Morte(静物)」
1975年
アクアチント、ソフトグランドエッチング
18.3x15.0cm
Ed.75 Signed
※レゾネNo.318(美術出版社)

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