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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第3回
異分野からのヒントが発想を変える
ニューヨーク駐在期の“コレクション日記”のある日の記述に、思わぬものが沈殿していたのに気がついた。
前回のエッセーの中で、「欧米の感性が袋小路に入りだした」ことを記述した。が、「新しい発想で、自分独自の道を開拓している」作家も出始めている事を、これは暗示していた。1988年10月5日の日記である。
Oct. 5, 1988〔Terry Wintersの Studioへ〕
(ⅰ):朝10:30、ソーホー地区のWhite Street に在る Terry Winters〔1949~ 〕のStudio訪問。
Studio内は非常に良く整頓されていて、知的な雰囲気すら感じた。彼と会った第一印象は「几帳面な性格」と思った。多少内気ぎみで、おとなしい人。夫人とも会った。その分、夫人は強そう。握手をした時、握力の違いからそれを感じた。
(ⅱ):描きかけの100号ぐらいの油彩が2点ならべてあった。色彩は白、黒、グレーで構成。「完成まで、100号1点で2ヵ月ぐらいかかる」「今、油彩を入手するのに、2年程待ちの状態」とのこと。相当に時間をかけて作品を制作しているようだ。
(ⅲ):このStudioで思わぬものを見た。ぶ厚い大きなレンズ。
(ⅳ):水彩〔グラファイト〕の作品は、今、市場で全く入手不可能。それを20点も見せてくれた。その中で、一番難解で、シンプルな作品(資料1)に引きつけられた。「これ、譲っていただけないですか?」と言うと、「他の作品なら……」と、売るのをしぶった。さらに、「好みの作品なので……」とつぶやき、キッパリと拒否。それでも強くねばって、ヤッと了承をとった。
■資料1
Terry Winters
《UNTITLED》
1988
Graphite
37.9x28.0cm
著者蔵
・ほぼ中央の四辺形、畳のめのような奇妙な文様が描かれている。
植物の種子を拡大したものか?
「何なのか?」をこの時尋ねるのを忘れてしまった。残念に思っている。
・この作家は作品の自己管理も徹底していた。別れ際に「この作品は完成したばかりで、35mmのスライドにこのイメージをとってないので、後に、35mmのスライドを1枚送って下さい」と言っていた。
あの渋り方は尋常ではない。作家にとって、何か意味のある作品のように思えた。20枚の中に、これと似たイメージはなく、又、市場、そして契約画廊ソナベンドや美術館などで相当数の水彩作品を見たが、類似の作品を見たことはなかった。
価格は5千ドル〔為替レート¥134.45/$(T.T.S: 10月/5日)〕。
(ⅴ):Joel Shapiroが「親しい友人だから、会って下さい」と電話をしてくれたから、このような“強引”なことが通ったのでは……。
夕刻、ShapiroとWintersに、丁重な礼状を送った。
日記を見て注目すべき部分は(ⅲ)。テーブルの上に直径15cmぐらいの柄のついた分厚いレンズが5~6個。一体、なぜ、現代美術作家にレンズが必要なのか? 他の作家のステューディオでは全く見たこともない道具だ。しばし凝視していた時、“80年代前半のあの魅了させられた作品”(資料2)の画面に浮遊していた不思議な“物体”が、フウッと頭をよぎっていった。
■資料2
Terry Winters
《Botanical Subject 6》
1982
Oil on linen
122.0x91.4cm
・植物の実か、又は種子を拡大して描いたのか……?
作品のタイトルを見ると、〈植物学6〉。初個展時の初期の良い作品。
ロンドンの大コレクター、サーチが所有。
80年代前半は、このようなスタイルの作品が多い。
彼がつぶやいた。「そのレンズで、色々な物質の構成組織を拡大して、そのイメージを描くのです」 「生物学の組織細胞や生態学的思考に強い関心を持っているのですよ」
これらをとり入れた絵画制作の方法は新しい視角だと思った。話を聞いているうちに、「80年代前半のいくつかの作品画面に浮遊していた不思議な物体」の正体は拡大された“植物の種子”という事が分った。
他人の創出したものを小器用になぞるのではなく、自分独自の発想で自分にしか描き出せないものを制作する事が、現在程望まれている時はない。
作家の“装備”として、美術以外の異分野の修得知識も重要な戦略兵器となりつつあるように思えてならなかった。
現在、産業の多様な分野でも、単一的な専門知識のみではなかなか新しい発想や新製品の開発には至らない。「他分野の知識と自分が所有する専門分野の知識を融合」して、新しいものを創出するケースが激増していることを銘記すべきだ。
80年代に、ウインタースと類似した制作姿勢のアメリカ現代美術作家を2人見ている。どれも、好みの作家だった。
その一人は、社会心理学的な分析力と鋭い感性でもって、80年代の現代社会の一面を切りとって描きだしたエリック・フィッシェル〔1948~ 〕。
作品のテーマに対する切り口が鋭敏で、その画面のイメージの説得力がすごい。
この頃、富裕層の人々の間で顕著になった生活のシーンを、特に注視して描いているように感じた。
「小人閑居して不善をなす」ではないが、時間を持て余した人々の“スエ”たような生活のスタイル。肉体的に成長の速くなった子供の“性”への関心。アメリカのモダーンな白亜の海浜別荘の広大な芝生の庭で、“父と子が戯れるシーン”〔父子愛〕(注1)。自由奔放さをむき出しにし、自己主張を強めた女性パワーに辟易する“男性”(資料3)。典型的な現代的テーマに切り込む。
■注1
80年代前半あたりからアメリカの景気にカゲりが出始め、ビジネス・エリートは仕事により没入する流れが出ていた。
朝6時頃から夜中まで、オフィスで仕事。家庭をあまり振り返らない。当然、子供と親しく接することも少ない。妻からの離婚の申し出は増加の一途。この状況を皮肉るように、エリック・フィッシェルは夢に出てくるような理想的な“父子愛”のイメージを富裕層の代名詞のような広大な海浜別荘を舞台に描き、ビジネス・エリートに向って投げつけた。
■資料3
Eric Fischl
《BEACH》
1987
Etching
100部限定
45.7x55.9cm
版元:PARASOL PRESS, Ltd.
著者蔵
・80年代後半、ニューヨークのセントラル・パークで、ダルメシアン〔白に黒ブチが特徴の大型犬〕をつれ、スポーティな衣装を身につけて散歩している人々をよく見た。セントラル・パーク周囲の東側に住む富裕層の人達だ。
この作品も、ダルメシアンで富裕層を象徴。プライベート・ビーチを持つ広大な別荘での1シーンのようだ。ビーチで日光浴をしていたこの家の主に、これ見よがしに、体力あふれた女性が全裸を見せつける。眼をそらし辟易している男性がよく表現されている。80年代後半を象徴するような1コマ。
この時代はアメリカで、女性の強さが表面に出た時代でもあった。
画廊スズメ達がよく語っていた。「彼は相当な遊び人だと聞いているよ。作品の画面にあるようなシーンを自ら体験しているから、あれほどのものが描けるんだよ」
ソナベント画廊やメアリー・ブーン〔当時の契約画廊〕(資料4)で何回か、彼と会った。
とにかく、男性の眼から見ても、実にカッコイイ。小綺麗な高価そうなGパンをはき、薄いグレーと白のチェックの長袖のYシャツ。長髪気味のウェーブのかかった髪。顔立ちも整っている。メガネをかけているので知的にも見える。現れるとその場がパッと明るくなるような雰囲気を持っていた。スズメ達が言っていることもうなずける。
しかし、“社会心理学”を道具として、これまで見事に使いこなし、現代社会のゆがみの一面を見事に表現する能力は並みのものではない。
■資料4
JULES OLITSKI


・1987年1月10日~31日の間、メアリー・ブーンでエリック・フィッシェル展を開催。
その案内状。
もう一人はブライス・マーデン〔1938~ 〕。
70年代半ばの渾沌とした手探り期、そして形成期を経て、’88~’92年にピークを迎えた《ネット》(資料5)の作品群に、特に、引きつけられていた。80年代後半、彼の契約画廊のマシュー・マークスをよく訪問していたのは、マーデンの動向を探り、そして、出来るだけ多くの作品を見るためだった。
■資料5
Brice Marden
《The Studio》
1990
Oil on canvas
235.3x149.9cm
・“ネット”シリーズのピークを極めた時期に制作された作品。ネットの曲線が美しい。
ツイていた。出張のついでに、スイスのバーゼルに立ち寄った時、ライン川のほとりの〈Museum für Gegenwartskunst〉で、偶然にも、ブライス・マーデン展が開催されていた。
これがネットのイメージ出現迄のプロセスから、その完成期に至るまでを追ったものだった。この作家の変化の過程を知るのに、この上ないものだった。1993年6月15日のことである。
ネットへのアイディアの原点は、教会の窓に仕立てられたステンドグラスからだった。並の作家では思いもつかない事だ。色ガラスの接合部は鉛によって縁取り細工されている。色ガラスをはずし、鉛だけのスケルトンを見れば、「なるほど」と思える。
中世の“名も無い”ステンドグラス職人によって作られたものに触発されたのだ。この点から見ると、前回〔6月8日発表〕のエッセイ〔第2回〕に記述した、ペース画廊の“民芸展”の企画意図も分るような気がするのだ。
ネットの作品のフォルムを完成させるまでの過程には、非常に長い時間をかけている。
当初から10年程経って、80年代半ばに現在のネットの原型のようなものが出現。これから(資料5)のような極めて美しいネットに至るまで、マーデンは工夫を重ねた。
民族が積み上げた文化の結晶である“言語”の世界や、自然界に存在する“神の創造物”からヒントを得て、多様な事を試みた。
“中国の古代の書家によって書かれた草書体の詩”、ある時は“11世紀の西夏で作られた西夏文字の書物”(資料6)、そしてある時は、“大きな巻き貝の貝殻”(資料7)……などを、ステューディオに持ち込み、キャンバスの横に置き、それを見ながら“閃き”を惹起し、ネットのフォルムを描く。ある時は、木の枝を何本も折って来て、これらを重ね合せて、自然がつくった複雑な枝の形状からもヒントを得ていたとも聞く。
■資料6

・《西夏》は1036年に建国、1227年に滅亡するまで、約190年間、中国を支配。11世紀には、西夏文字をつくり、羅針盤や火薬、印刷なども発明。文化水準が高かった。
〔資料〕は西夏時代の中頃〔12c前半〕に民間工房でつくられた木刻版本。文字が非常に美しい。
このようなものに眼をつけたブライス・マーデンの教養の高さもうかがえる。
■資料7

・ブライス・マーデンのステューディオの一部。右上には描きかけのネットの作品。左下に、大きな巻き貝の貝殻。
この貝殻の文様や貝殻の型を作品を制作している時に見て、閃〔ヒラメ〕いたものを、ネットで表現してゆく。
・西夏文字の書物も、このようにキャンバスの周辺に置き、時々これを見て、何か閃いたものをネットに描く。
・これは、マシュー・マークスの案内状。
ネットの細線がある時は角ばり(資料8)、ある時はなめらかな曲線を描く(資料5)。身近に置いた“物”から得た閃きの違いによって、出現したもののように思えてならない。
苦しみながらも、このような独自の工夫でスタイルを築いた才能ある作家には、一時的な人気ではなく、いつも市場は注目して、強い支持が発生している。
■資料8

・’88年から’89年にかけて描いた小さな作品。ピークの時期の作品のひとつ。
(ささぬまとしき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、『現代美術コレクションの楽しみ:商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』(三元社、2013年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)、他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・去る5月17日死去した木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り(再録)」は毎月17日の更新です。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日に更新します。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」は終了しました。
・鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第3回
異分野からのヒントが発想を変える
ニューヨーク駐在期の“コレクション日記”のある日の記述に、思わぬものが沈殿していたのに気がついた。
前回のエッセーの中で、「欧米の感性が袋小路に入りだした」ことを記述した。が、「新しい発想で、自分独自の道を開拓している」作家も出始めている事を、これは暗示していた。1988年10月5日の日記である。
Oct. 5, 1988〔Terry Wintersの Studioへ〕
(ⅰ):朝10:30、ソーホー地区のWhite Street に在る Terry Winters〔1949~ 〕のStudio訪問。
Studio内は非常に良く整頓されていて、知的な雰囲気すら感じた。彼と会った第一印象は「几帳面な性格」と思った。多少内気ぎみで、おとなしい人。夫人とも会った。その分、夫人は強そう。握手をした時、握力の違いからそれを感じた。
(ⅱ):描きかけの100号ぐらいの油彩が2点ならべてあった。色彩は白、黒、グレーで構成。「完成まで、100号1点で2ヵ月ぐらいかかる」「今、油彩を入手するのに、2年程待ちの状態」とのこと。相当に時間をかけて作品を制作しているようだ。
(ⅲ):このStudioで思わぬものを見た。ぶ厚い大きなレンズ。
(ⅳ):水彩〔グラファイト〕の作品は、今、市場で全く入手不可能。それを20点も見せてくれた。その中で、一番難解で、シンプルな作品(資料1)に引きつけられた。「これ、譲っていただけないですか?」と言うと、「他の作品なら……」と、売るのをしぶった。さらに、「好みの作品なので……」とつぶやき、キッパリと拒否。それでも強くねばって、ヤッと了承をとった。
■資料1

《UNTITLED》
1988
Graphite
37.9x28.0cm
著者蔵
・ほぼ中央の四辺形、畳のめのような奇妙な文様が描かれている。
植物の種子を拡大したものか?
「何なのか?」をこの時尋ねるのを忘れてしまった。残念に思っている。
・この作家は作品の自己管理も徹底していた。別れ際に「この作品は完成したばかりで、35mmのスライドにこのイメージをとってないので、後に、35mmのスライドを1枚送って下さい」と言っていた。
あの渋り方は尋常ではない。作家にとって、何か意味のある作品のように思えた。20枚の中に、これと似たイメージはなく、又、市場、そして契約画廊ソナベンドや美術館などで相当数の水彩作品を見たが、類似の作品を見たことはなかった。
価格は5千ドル〔為替レート¥134.45/$(T.T.S: 10月/5日)〕。
(ⅴ):Joel Shapiroが「親しい友人だから、会って下さい」と電話をしてくれたから、このような“強引”なことが通ったのでは……。
夕刻、ShapiroとWintersに、丁重な礼状を送った。
■ ■
日記を見て注目すべき部分は(ⅲ)。テーブルの上に直径15cmぐらいの柄のついた分厚いレンズが5~6個。一体、なぜ、現代美術作家にレンズが必要なのか? 他の作家のステューディオでは全く見たこともない道具だ。しばし凝視していた時、“80年代前半のあの魅了させられた作品”(資料2)の画面に浮遊していた不思議な“物体”が、フウッと頭をよぎっていった。
■資料2

《Botanical Subject 6》
1982
Oil on linen
122.0x91.4cm
・植物の実か、又は種子を拡大して描いたのか……?
作品のタイトルを見ると、〈植物学6〉。初個展時の初期の良い作品。
ロンドンの大コレクター、サーチが所有。
80年代前半は、このようなスタイルの作品が多い。
彼がつぶやいた。「そのレンズで、色々な物質の構成組織を拡大して、そのイメージを描くのです」 「生物学の組織細胞や生態学的思考に強い関心を持っているのですよ」
これらをとり入れた絵画制作の方法は新しい視角だと思った。話を聞いているうちに、「80年代前半のいくつかの作品画面に浮遊していた不思議な物体」の正体は拡大された“植物の種子”という事が分った。
他人の創出したものを小器用になぞるのではなく、自分独自の発想で自分にしか描き出せないものを制作する事が、現在程望まれている時はない。
作家の“装備”として、美術以外の異分野の修得知識も重要な戦略兵器となりつつあるように思えてならなかった。
現在、産業の多様な分野でも、単一的な専門知識のみではなかなか新しい発想や新製品の開発には至らない。「他分野の知識と自分が所有する専門分野の知識を融合」して、新しいものを創出するケースが激増していることを銘記すべきだ。
■ ■
80年代に、ウインタースと類似した制作姿勢のアメリカ現代美術作家を2人見ている。どれも、好みの作家だった。
その一人は、社会心理学的な分析力と鋭い感性でもって、80年代の現代社会の一面を切りとって描きだしたエリック・フィッシェル〔1948~ 〕。
作品のテーマに対する切り口が鋭敏で、その画面のイメージの説得力がすごい。
この頃、富裕層の人々の間で顕著になった生活のシーンを、特に注視して描いているように感じた。
「小人閑居して不善をなす」ではないが、時間を持て余した人々の“スエ”たような生活のスタイル。肉体的に成長の速くなった子供の“性”への関心。アメリカのモダーンな白亜の海浜別荘の広大な芝生の庭で、“父と子が戯れるシーン”〔父子愛〕(注1)。自由奔放さをむき出しにし、自己主張を強めた女性パワーに辟易する“男性”(資料3)。典型的な現代的テーマに切り込む。
■注1
80年代前半あたりからアメリカの景気にカゲりが出始め、ビジネス・エリートは仕事により没入する流れが出ていた。
朝6時頃から夜中まで、オフィスで仕事。家庭をあまり振り返らない。当然、子供と親しく接することも少ない。妻からの離婚の申し出は増加の一途。この状況を皮肉るように、エリック・フィッシェルは夢に出てくるような理想的な“父子愛”のイメージを富裕層の代名詞のような広大な海浜別荘を舞台に描き、ビジネス・エリートに向って投げつけた。
■資料3

《BEACH》
1987
Etching
100部限定
45.7x55.9cm
版元:PARASOL PRESS, Ltd.
著者蔵
・80年代後半、ニューヨークのセントラル・パークで、ダルメシアン〔白に黒ブチが特徴の大型犬〕をつれ、スポーティな衣装を身につけて散歩している人々をよく見た。セントラル・パーク周囲の東側に住む富裕層の人達だ。
この作品も、ダルメシアンで富裕層を象徴。プライベート・ビーチを持つ広大な別荘での1シーンのようだ。ビーチで日光浴をしていたこの家の主に、これ見よがしに、体力あふれた女性が全裸を見せつける。眼をそらし辟易している男性がよく表現されている。80年代後半を象徴するような1コマ。
この時代はアメリカで、女性の強さが表面に出た時代でもあった。
画廊スズメ達がよく語っていた。「彼は相当な遊び人だと聞いているよ。作品の画面にあるようなシーンを自ら体験しているから、あれほどのものが描けるんだよ」
ソナベント画廊やメアリー・ブーン〔当時の契約画廊〕(資料4)で何回か、彼と会った。
とにかく、男性の眼から見ても、実にカッコイイ。小綺麗な高価そうなGパンをはき、薄いグレーと白のチェックの長袖のYシャツ。長髪気味のウェーブのかかった髪。顔立ちも整っている。メガネをかけているので知的にも見える。現れるとその場がパッと明るくなるような雰囲気を持っていた。スズメ達が言っていることもうなずける。
しかし、“社会心理学”を道具として、これまで見事に使いこなし、現代社会のゆがみの一面を見事に表現する能力は並みのものではない。
■資料4
JULES OLITSKI


・1987年1月10日~31日の間、メアリー・ブーンでエリック・フィッシェル展を開催。
その案内状。
■ ■
もう一人はブライス・マーデン〔1938~ 〕。
70年代半ばの渾沌とした手探り期、そして形成期を経て、’88~’92年にピークを迎えた《ネット》(資料5)の作品群に、特に、引きつけられていた。80年代後半、彼の契約画廊のマシュー・マークスをよく訪問していたのは、マーデンの動向を探り、そして、出来るだけ多くの作品を見るためだった。
■資料5

《The Studio》
1990
Oil on canvas
235.3x149.9cm
・“ネット”シリーズのピークを極めた時期に制作された作品。ネットの曲線が美しい。
ツイていた。出張のついでに、スイスのバーゼルに立ち寄った時、ライン川のほとりの〈Museum für Gegenwartskunst〉で、偶然にも、ブライス・マーデン展が開催されていた。
これがネットのイメージ出現迄のプロセスから、その完成期に至るまでを追ったものだった。この作家の変化の過程を知るのに、この上ないものだった。1993年6月15日のことである。
ネットへのアイディアの原点は、教会の窓に仕立てられたステンドグラスからだった。並の作家では思いもつかない事だ。色ガラスの接合部は鉛によって縁取り細工されている。色ガラスをはずし、鉛だけのスケルトンを見れば、「なるほど」と思える。
中世の“名も無い”ステンドグラス職人によって作られたものに触発されたのだ。この点から見ると、前回〔6月8日発表〕のエッセイ〔第2回〕に記述した、ペース画廊の“民芸展”の企画意図も分るような気がするのだ。
ネットの作品のフォルムを完成させるまでの過程には、非常に長い時間をかけている。
当初から10年程経って、80年代半ばに現在のネットの原型のようなものが出現。これから(資料5)のような極めて美しいネットに至るまで、マーデンは工夫を重ねた。
民族が積み上げた文化の結晶である“言語”の世界や、自然界に存在する“神の創造物”からヒントを得て、多様な事を試みた。
“中国の古代の書家によって書かれた草書体の詩”、ある時は“11世紀の西夏で作られた西夏文字の書物”(資料6)、そしてある時は、“大きな巻き貝の貝殻”(資料7)……などを、ステューディオに持ち込み、キャンバスの横に置き、それを見ながら“閃き”を惹起し、ネットのフォルムを描く。ある時は、木の枝を何本も折って来て、これらを重ね合せて、自然がつくった複雑な枝の形状からもヒントを得ていたとも聞く。
■資料6

・《西夏》は1036年に建国、1227年に滅亡するまで、約190年間、中国を支配。11世紀には、西夏文字をつくり、羅針盤や火薬、印刷なども発明。文化水準が高かった。
〔資料〕は西夏時代の中頃〔12c前半〕に民間工房でつくられた木刻版本。文字が非常に美しい。
このようなものに眼をつけたブライス・マーデンの教養の高さもうかがえる。
■資料7

・ブライス・マーデンのステューディオの一部。右上には描きかけのネットの作品。左下に、大きな巻き貝の貝殻。
この貝殻の文様や貝殻の型を作品を制作している時に見て、閃〔ヒラメ〕いたものを、ネットで表現してゆく。
・西夏文字の書物も、このようにキャンバスの周辺に置き、時々これを見て、何か閃いたものをネットに描く。
・これは、マシュー・マークスの案内状。
ネットの細線がある時は角ばり(資料8)、ある時はなめらかな曲線を描く(資料5)。身近に置いた“物”から得た閃きの違いによって、出現したもののように思えてならない。
苦しみながらも、このような独自の工夫でスタイルを築いた才能ある作家には、一時的な人気ではなく、いつも市場は注目して、強い支持が発生している。
■資料8

・’88年から’89年にかけて描いた小さな作品。ピークの時期の作品のひとつ。
■ ■
(ささぬまとしき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、『現代美術コレクションの楽しみ:商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』(三元社、2013年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)、他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
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・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日に更新します。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
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・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」は終了しました。
・鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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