森本悟郎のエッセイ その後・第4回
木村恒久⑷ イマジナティブ・パワー
原風景は戦時中の、空襲による大阪の焼け跡であると木村さんはたびたび語っている。そしてフォト・モンタージュには破壊や廃墟や危機的場面が頻出する。ではそれは郷愁的センチメントがもたらすものかといえば、断じて否である。そもそも「映画からシリアスで警世的な人生訓や、なんらかのイデオロギーをくみとり、これに随喜の涙をたれ流すヤツは、頭の弱い人だ」(「特撮の華麗なる冒険」、『グラフィケーション』1970年5月)と言い放つ人が感傷にもたれかかることなど考えられようか。
ご当人によれば、それは西欧的終末観とも異なった、わが国に連綿と続く「庶民に根強い地獄信仰の地獄絵を写真で、フォト・モンタージュによって再現しようというのが、一連のカタストロフィの作品」であり、「ビジュアル・エンターテインメント」(「ポスト・モダンの地獄絵」『ユリイカ』1985年5月)なのだという。愉しませたいのだ、作品を通じて。以前、「ハリウッドB級映画のワン・シーン」との言に、ぼくは「いや、木村さんの作品は高級(恒久)でしょう?」と混ぜ返したことがあったが、そのエンターテインメント性はさておき、メッセージの重層性はB級映画を凌駕するものだ。
近代グラフィック・デザインは1920年代の前衛美術運動、とくにキュビズムとダダイズムに大きな影響を受けた、と木村さんは繰り返し述べていたが、わけても木村さんはダダに強い親近性をもっていた。たとえば、「ダダのナンセンスな世界の制作方法は、規範に従属する言語の知の装置の意味や表層を攪拌し、言語から体温を奪う」(「キッチュの尾てい骨 ビジュアル・スキャンダリストの視線」『思想の科学』1990年10月)という評言はそのまま当人の作品にも当てはまるだろう。それは「表現行為は、ある意味ではイメージの破壊作業で(中略)表現することによって次々とイメージを変形してゆく運動のリズムをもっている」(「ポスト・モダンの地獄絵」)という創造のダイナミズムによって支えられているのである。
そんな木村さんが「本来はポスターのようになんらかのメッセージをドキュメンタリー・タッチで伝達するコミュニケーションの実用的な手段」(同上)であるグラフィック・デザインよりも、多様な解釈を許容するフォト・モンタージュに傾倒していったのはまことに自然な成り行きだった。70年以降、ポスター制作が減り、雑誌などへの露出度が高くなる。
「いかなる方法であれモンタージュの原則はイマジナティブ・パワー(像を想う力)にある」(「フォト・モンタージュ」『デザインの事典』1988年、朝倉書店)とは木村さんの言だが、「モンタージュ」を「視覚表現」と置き換えてみてはいかがだろう。
(もりもとごろう)

「コマーシャリズム」1970

「パニック」1979

レコードジャケット「レッド・セイルズ・イン・ザ・サンセット」1982
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
木村恒久⑷ イマジナティブ・パワー
原風景は戦時中の、空襲による大阪の焼け跡であると木村さんはたびたび語っている。そしてフォト・モンタージュには破壊や廃墟や危機的場面が頻出する。ではそれは郷愁的センチメントがもたらすものかといえば、断じて否である。そもそも「映画からシリアスで警世的な人生訓や、なんらかのイデオロギーをくみとり、これに随喜の涙をたれ流すヤツは、頭の弱い人だ」(「特撮の華麗なる冒険」、『グラフィケーション』1970年5月)と言い放つ人が感傷にもたれかかることなど考えられようか。
ご当人によれば、それは西欧的終末観とも異なった、わが国に連綿と続く「庶民に根強い地獄信仰の地獄絵を写真で、フォト・モンタージュによって再現しようというのが、一連のカタストロフィの作品」であり、「ビジュアル・エンターテインメント」(「ポスト・モダンの地獄絵」『ユリイカ』1985年5月)なのだという。愉しませたいのだ、作品を通じて。以前、「ハリウッドB級映画のワン・シーン」との言に、ぼくは「いや、木村さんの作品は高級(恒久)でしょう?」と混ぜ返したことがあったが、そのエンターテインメント性はさておき、メッセージの重層性はB級映画を凌駕するものだ。
近代グラフィック・デザインは1920年代の前衛美術運動、とくにキュビズムとダダイズムに大きな影響を受けた、と木村さんは繰り返し述べていたが、わけても木村さんはダダに強い親近性をもっていた。たとえば、「ダダのナンセンスな世界の制作方法は、規範に従属する言語の知の装置の意味や表層を攪拌し、言語から体温を奪う」(「キッチュの尾てい骨 ビジュアル・スキャンダリストの視線」『思想の科学』1990年10月)という評言はそのまま当人の作品にも当てはまるだろう。それは「表現行為は、ある意味ではイメージの破壊作業で(中略)表現することによって次々とイメージを変形してゆく運動のリズムをもっている」(「ポスト・モダンの地獄絵」)という創造のダイナミズムによって支えられているのである。
そんな木村さんが「本来はポスターのようになんらかのメッセージをドキュメンタリー・タッチで伝達するコミュニケーションの実用的な手段」(同上)であるグラフィック・デザインよりも、多様な解釈を許容するフォト・モンタージュに傾倒していったのはまことに自然な成り行きだった。70年以降、ポスター制作が減り、雑誌などへの露出度が高くなる。
「いかなる方法であれモンタージュの原則はイマジナティブ・パワー(像を想う力)にある」(「フォト・モンタージュ」『デザインの事典』1988年、朝倉書店)とは木村さんの言だが、「モンタージュ」を「視覚表現」と置き換えてみてはいかがだろう。
(もりもとごろう)

「コマーシャリズム」1970

「パニック」1979

レコードジャケット「レッド・セイルズ・イン・ザ・サンセット」1982
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
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