横浜で3年に一度行われる現代アートの国際展の5回目となる「ヨコハマトリエンナーレ2014」が始まりました。

ヨコハマトリエンナーレ 2014
「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」
会期:2014年8月1日[金]―11月3日[月・祝]
主会場:横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)
アーティスティック・ディレクター:森村泰昌(美術家)
「忘却巡り」の旅に出る
私達はなにかたいせつな忘れものをしてはいないだろうか。気がつかないまま先に進んでしまったり、ホントは気がついているのに、知らないふりをして立ち去ったり。
そういう「忘却」の領域に敏感に反応する芸術表現がある。表現者がいる。
ヨコハマトリエンナーレ2014は、人生のうっかりした忘れもの、人類の恒常的な忘れもの、現代という時代の特殊な忘れものを思い出すための、いわば「忘却巡り」の旅である。
さまよい、とまどい、はっと感じとり、いろいろ想像し、そしてしばし立ち止まって考える。序章にはじまり、全部で11の挿話からなる、そんな心の漂流記。
いざ、「忘却の海」へ。
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「ヨコハマトリエンナーレ2014」のアーティスティック・ディレクター森村泰昌さんの短いメッセージの中に、「忘れもの」が四遍も出てくる。さらに昨年ときの忘れもので小回顧展を開いた松本竣介と殿敷侃が選ばれている。まるでわが「ときの忘れもの」のためにあるようなトリエンナーレ(笑!)
7月31日のオープニングに足を運びました。
参加作家・団体:バス・ヤン・アデル、スタンリー・ブラウン、エリック・ボードレール、カルメロ・ベルメホ、アリギエロ・ボエッティ、マルセル・ブロータース、ジョン・ケージ、ヴィヤ・セルミンス、ジョゼフ・コーネル、ヴィム・デルボア、福岡アジア美術トリエンナーレ、福岡道雄、ドラ・ガルシア、イザ・ゲンツケン、ギムホンソック、ジャック・ゴールドスタイン、フェリックス・ゴンザレス=トレス、イライアス・ハンセン、日埜直彦、釜ヶ崎芸術大学、笠原恵実子、葛西絵里香、エドワード&ナンシー・キーンホルツ、キム・ヨンイク、木村浩、マイケル・ランディ、ルネ・マグリット、カジミール・マレーヴィチ、アグネス・マーティン、松井智惠、松本竣介、松澤宥、アナ・メンディエータ、三嶋安住+三嶋りつ惠、Moe Nai Ko To Ba、毛利悠子、ピエール・モリニエ、メルヴィン・モティ、村上友晴、中平卓馬、奈良原一高、大竹伸朗、大谷芳久コレクション、ブリンキー・パレルモ、マイケル・ラコウィッツ、タリン・サイモン、坂上チユキ、グレゴール・シュナイダー、ジョシュ・スミス、サイモン・スターリング、アリーナ・シャポツニコフ、高山明、殿敷侃、トヨダヒトシ、土田ヒロミ、ヤン・ヴォー、和田昌宏、アンディ・ウォーホル、イアン・ウィルソン、やなぎみわ、吉村益信、アクラム・ザタリ、張恩利(ザン・エンリ)、他
ヴェニスビエンナーレはじめ、大規模な国際展として開かれるトリエンナーレやビエンナーレはそのときの最先端の表現を紹介するのが基本になっていますが、今回の森村さんは違った。
「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」という難しいテーマ(?)を掲げ、「今回はいわゆる旬の作家を紹介するショーケースではなく、我々が大切だと思っているテーマを反映するビビッドな作家たちを選んでいる。生と死の関係を考えることは忘却というテーマを考える上ですごく重要。若い作家も、既に亡くなった作家も、特に意識せず選んだ」というラインナップが上掲の参加作家・団体です。
~~
とりあえず、見た順に面白そうな作品(撮影許可があるもの)を掲載します。
久しぶりの横浜美術館
招待状。
ヴィム・デルボア「低床トレーラー」
内覧会受付
たくさんの方にお会いしましたが、代表して深野一朗さん


ジョン・ケージの楽譜

村上友晴
木村浩
フェリックス・ゴンザレス=トレス(1996年没)の色紙を積み上げる作品。一葉ずつ人の手に渡り共有されることで初めて成立する作品で実にわかりやすく、たくさんの人たちが手に手に抱えていました。



ドラ・ガルシアの作品。
焚書をテーマにしたレイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』を鏡文字で“複製”した本がうずたかく積んでありましたが、これは持ち去り厳禁(読むのは可)。
薄暗い箱(撮影禁止)の中には松本竣介から疎開先の夫人と子息に宛てた書簡が展示してあります。恐らくほとんどの人が気づかなかったのでは・・・・・・
大谷芳久コレクション
これだけのキャプションでは内容が伝わるかしら・・・
Moe Nai Ko To Baの“世界でただ一冊の本”はずいぶんと人気でした。レイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』へのオマージュとして制作されたもの。スターリン政権下に口伝で残されたアンナ・アフマートヴァの詩など7本のテキスト、ナチスの爆撃を避けて空っぽになったエルミタージュ美術館を描いた素描、志賀理江子の写真等が収録されています。造本のファンには必見。

奈良原一高の写真作品。「王国」シリーズより、トラピスト男子修道院を写した《沈黙の園》、女子刑務所に取材した《壁の中》が展示されていました。奈良原さんの写真作品はときの忘れものでも11月に開催予定の「瀧口修造とマルセル・デュシャン展」に出品予定です。
福岡道雄の1966年の彫刻作品《飛ばねばよかった》
アリギエロ・ボエッティ(1940~1994年没)の平面作品。
1960年代にイタリアで生まれた先鋭的な美術運動「アルテ・ポーヴェラ」に参画。伝統的な美術素材を捨て、工業化社会からこぼれ落ちる廃棄物等を素材として取り上げた。



サイモン・スターリング
アイルランドの詩人W.B.イェーツが日本の能に触発されて書いた詩劇『鷹の井戸』の1916年初演当時の写真から、面や衣装を再現した作品。
荒涼たる絶海の孤島を舞台に、ケルト神話の英雄クーフリンと老人、井戸を守る鷹の精による不老不死の水をめぐる物語で、ロンドンでの初演で鷹の精を踊った伊藤道郎は一躍社交界の寵児となった。

Temporary Foundation
《法と星座・Turn Coat / Turn Court》は、林剛+中塚裕子が1983年から1985年に「京都アンデパンダン展」で発表した「Court」シリーズにおける「視ること・話すこと」の位相を変え「身体・領土・健康・安全」へと再配置する試み。

鏡に写る亭主
第六話「おそるべき子供たちの独り芝居」はジョセフ・コーネルからアンディ・ウォーホルまで7作家の作品。
懐かしきコーネルの箱。


マイケル・ランディの巨大な「アート・ビン」
300㎥の大きさに及ぶ美術のためのゴミ箱をエントランスホールに設置、作家たちが失敗作や過去の作品を持ち寄り捨てる。
ヨコトリに選ばれなかった作家たちがリベンジとして多数参加するらしい(?)。
左上から自らの作品を投げ捨てる作家。
グレゴール・シュナイダーのインスタレーション
16歳の時に地元のギャラリーで初個展を開催。同年より、壁の前に壁を建て、部屋の中に部屋を設けて自宅を改造する作品《家 u r》に着手。同作はその後現在に至るまで(そしておそらくは生涯)続けられる作家の代表作。
以上で横浜美術館は一巡して、次会場へはバスで移動。
新港ピア会場

安齊重男さん(中央)

亭主の一番のお目当てはこれ。
殿敷侃の「お好み焼き」


笠原恵実子
10年間に渡り世界各地の教会の献金箱を撮影した写真と、そのフィールドリサーチを元に自ら創り出した彫刻作品で構成されるインスタレーション「オファリング」。

イライアス・ハンセンのフラスコなど実験器具のような手製のガラスの器に、木や金属、ビニールなど異素材の既製品を組み合わせたオブジェ


以上、大急ぎで二会場を回ったので見落としたものも多数あります。
画像はありませんが、とても感銘を受けたのが、メルヴィン・モティ(オランダ、1977年生まれ)の映像作品《ノー・ショー No Show》でした。
歴史に埋没した物語、隠匿された事実の掘り起しを創作の基盤とし、映像をはじめ、素描、オブジェ、本等多様な形で作品化している作家ですが、第二次世界大戦中に戦火を恐れて収蔵品を館外へ避難させた空っぽのエルミタージュ美術館で、ギャラリーツアーを行い続けた、ある男性職員の話を再現したもの。柔らかな光が差し込む静謐な画面に揚々と熱心に作品解説する声が響き渡り、窓の光がだんだんと消えていく画面の美しさに映像表現の可能性を強く感じました。
作家のインタビューをぜひお読みください。
ついでに「エルミタージュの猫」というサイトものぞいてください。
このごろアマゾンばっかりでリアル書店に行かなくなってしまい、反省しきりでしたが、久しぶりに本屋でまとめ買いした中に、ひのまどか著『戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実』がありました。
第二次世界大戦の独ソ戦で悲惨を極めたのが900日におよぶレニングラード封鎖でした。100万人を超す死者、人肉まで食う飢餓の極限状況の中、レニングラードに残った音楽家たちがショスタコーヴィチ作曲の〈交響曲7番〉を初演するまでの日々を描いたノンフィクションです。
偶然とはいえ、ヨコトリでエルミタージュ美術館の映像を見、同じレニングラードのオーケストラの話を読むことになり、歴史というのは僅か70年で忘れ去られていく可能性があることに思い至り粛然としました。
また話が横道にそれてしまいました。
亭主の私見によれば、今回のヨコトリ、「美術史」がキーワード。
それにしてはキャプションが少しそっけなかった。
特に、わが松本竣介と殿敷侃の出品作品については、あれでは一般の方々はなんのことかわからなかったのではないでしょうか。
二人の出品作について少し補足します。
■松本竣介の家族あて手紙
松本竣介(ヨコハマトリエンナーレ2014の出品作家サイトより引用)
日本の近代美術を代表する画家の一人。美術協会の新設に寄与するなど、戦後の画壇を背負って立つ人物として嘱望されながらも早逝した。本展では、終戦前後、疎開した妻と息子宛に綴った書簡を通じて、芸術家がどのような姿勢で世の中を見つめ、創造に臨んできたか、時代を経ても変わることのない精神のあり様を紹介する。

マケタ、マケタ、ニホンワアメリカニマケタ。
オトコノコワ、ミナ メニナミダヲタメ、ゲンコツヲニギツテ、ザンネンダ、ザンネンダ、ト、イツテヰルヨ。
カンボーモ、ソーダロー。
オトーサマワ、カンボークライノトキカラ、グンジンニナツテ、アメリカヲマカシテヤロート、オモツテヰタケレド、グンジンニナレナカツタ。
モウニホンジンワ、グンジンニワナレナイノダヨ。
ドーシタラ、、イイダローカシラ、リツパナヒトニナルコト。
リツパニナルトワ、ドンナトコロデモ、イケナイコトヲシナイコト。
カンボー、リツパナヒトニナレ。
九月四日 オトーサマカラ
カンヘ
東京大空襲のあった1945年3月の下旬、長女・洋子の出産を控えた妻・禎子と息子の莞は、松本家の郷里である島根県松江市に疎開する。東京に残った竣介は、家族が戻ってくるまでの約1年9ヵ月の間、頻繁に家族にあてて手紙を送っている。時に絵も添えられた手紙には、戦中から戦後にかけての東京での暮らしぶりが詳細に記されていると同時に、厳しい時代に生きる画家としての心境もしたためられている。また莞にあてたカタカナ文字の文面からは、我が子の成長を遠くで見守る父の強い思いが伝わってくる。(『生誕100年 松本竣介展』図録より)
ときの忘れもの『松本竣介展』カタログ
『松本竣介展』図録
2012年12月14日 ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm(B5判)
執筆:植田実
図版:30点掲載
2012年12月~2013年1月に開催した「松本竣介展」のカタログです。
ときの忘れものでは松本竣介の希少画集、カタログも頒布しています。
ブログでは、植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」を連載しましたので、こちらもぜひお読みください。
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■殿敷侃のお好み焼とテレビ

殿敷侃
山口―日本海―二位ノ浜、お好み焼[重量約2トン]
Photo by Yomiuri Shinbun

殿敷侃
BARRICADE TELEVISION ←→ YAMAGUCHI
Found Objects
60 TV sets
Gallery Nakano, Yamaguchi
Nov.20 1989
Photo by Y. Yamada
『逆流する現実 殿敷侃 REVERSING REALITY TADASHI TONOSHIKI』
原爆投下直後の広島市内で二時被爆し、ガンと闘いながらも50歳で夭逝した広島出身の美術家・殿敷侃(1942-1992)の作品集。
1987年に山口県二位ノ浜の海外に打ち寄せられたゴミを焼いて固めた作品「お好み焼き」をはじめ、80年代に行われた殿敷の前衛的なインスタレーションを豊富な写真でその軌跡を辿ろうとする内容。
ときの忘れもの『殿敷侃 遺作展』カタログ
『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
価格:800円(税別)
※送料別途250円
2013年8月に開催した「殿敷侃 遺作展」のカタログです。
広島で生まれた殿敷侃は、被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信し、1992年50歳で亡くなりました。
このブログでは「殿敷侃の遺したもの」を記録するため「久保エディション第4回~殿敷侃」はじめ、濱本聰(下関市立美術館)さん、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さんらに寄稿(再録も含む)していただきました。
殿敷侃の文献資料はコチラで紹介しています。

ヨコハマトリエンナーレ 2014
「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」
会期:2014年8月1日[金]―11月3日[月・祝]
主会場:横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)
アーティスティック・ディレクター:森村泰昌(美術家)
「忘却巡り」の旅に出る
私達はなにかたいせつな忘れものをしてはいないだろうか。気がつかないまま先に進んでしまったり、ホントは気がついているのに、知らないふりをして立ち去ったり。
そういう「忘却」の領域に敏感に反応する芸術表現がある。表現者がいる。
ヨコハマトリエンナーレ2014は、人生のうっかりした忘れもの、人類の恒常的な忘れもの、現代という時代の特殊な忘れものを思い出すための、いわば「忘却巡り」の旅である。
さまよい、とまどい、はっと感じとり、いろいろ想像し、そしてしばし立ち止まって考える。序章にはじまり、全部で11の挿話からなる、そんな心の漂流記。
いざ、「忘却の海」へ。
ヨコハマ」トリエンナーレ2014
アーティスティック・ディレクター
森村泰昌
アーティスティック・ディレクター
森村泰昌
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「ヨコハマトリエンナーレ2014」のアーティスティック・ディレクター森村泰昌さんの短いメッセージの中に、「忘れもの」が四遍も出てくる。さらに昨年ときの忘れもので小回顧展を開いた松本竣介と殿敷侃が選ばれている。まるでわが「ときの忘れもの」のためにあるようなトリエンナーレ(笑!)
7月31日のオープニングに足を運びました。
参加作家・団体:バス・ヤン・アデル、スタンリー・ブラウン、エリック・ボードレール、カルメロ・ベルメホ、アリギエロ・ボエッティ、マルセル・ブロータース、ジョン・ケージ、ヴィヤ・セルミンス、ジョゼフ・コーネル、ヴィム・デルボア、福岡アジア美術トリエンナーレ、福岡道雄、ドラ・ガルシア、イザ・ゲンツケン、ギムホンソック、ジャック・ゴールドスタイン、フェリックス・ゴンザレス=トレス、イライアス・ハンセン、日埜直彦、釜ヶ崎芸術大学、笠原恵実子、葛西絵里香、エドワード&ナンシー・キーンホルツ、キム・ヨンイク、木村浩、マイケル・ランディ、ルネ・マグリット、カジミール・マレーヴィチ、アグネス・マーティン、松井智惠、松本竣介、松澤宥、アナ・メンディエータ、三嶋安住+三嶋りつ惠、Moe Nai Ko To Ba、毛利悠子、ピエール・モリニエ、メルヴィン・モティ、村上友晴、中平卓馬、奈良原一高、大竹伸朗、大谷芳久コレクション、ブリンキー・パレルモ、マイケル・ラコウィッツ、タリン・サイモン、坂上チユキ、グレゴール・シュナイダー、ジョシュ・スミス、サイモン・スターリング、アリーナ・シャポツニコフ、高山明、殿敷侃、トヨダヒトシ、土田ヒロミ、ヤン・ヴォー、和田昌宏、アンディ・ウォーホル、イアン・ウィルソン、やなぎみわ、吉村益信、アクラム・ザタリ、張恩利(ザン・エンリ)、他
ヴェニスビエンナーレはじめ、大規模な国際展として開かれるトリエンナーレやビエンナーレはそのときの最先端の表現を紹介するのが基本になっていますが、今回の森村さんは違った。
「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」という難しいテーマ(?)を掲げ、「今回はいわゆる旬の作家を紹介するショーケースではなく、我々が大切だと思っているテーマを反映するビビッドな作家たちを選んでいる。生と死の関係を考えることは忘却というテーマを考える上ですごく重要。若い作家も、既に亡くなった作家も、特に意識せず選んだ」というラインナップが上掲の参加作家・団体です。
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とりあえず、見た順に面白そうな作品(撮影許可があるもの)を掲載します。
















焚書をテーマにしたレイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』を鏡文字で“複製”した本がうずたかく積んでありましたが、これは持ち去り厳禁(読むのは可)。








1960年代にイタリアで生まれた先鋭的な美術運動「アルテ・ポーヴェラ」に参画。伝統的な美術素材を捨て、工業化社会からこぼれ落ちる廃棄物等を素材として取り上げた。




アイルランドの詩人W.B.イェーツが日本の能に触発されて書いた詩劇『鷹の井戸』の1916年初演当時の写真から、面や衣装を再現した作品。
荒涼たる絶海の孤島を舞台に、ケルト神話の英雄クーフリンと老人、井戸を守る鷹の精による不老不死の水をめぐる物語で、ロンドンでの初演で鷹の精を踊った伊藤道郎は一躍社交界の寵児となった。


《法と星座・Turn Coat / Turn Court》は、林剛+中塚裕子が1983年から1985年に「京都アンデパンダン展」で発表した「Court」シリーズにおける「視ること・話すこと」の位相を変え「身体・領土・健康・安全」へと再配置する試み。







300㎥の大きさに及ぶ美術のためのゴミ箱をエントランスホールに設置、作家たちが失敗作や過去の作品を持ち寄り捨てる。
ヨコトリに選ばれなかった作家たちがリベンジとして多数参加するらしい(?)。




以上で横浜美術館は一巡して、次会場へはバスで移動。




亭主の一番のお目当てはこれ。
殿敷侃の「お好み焼き」



10年間に渡り世界各地の教会の献金箱を撮影した写真と、そのフィールドリサーチを元に自ら創り出した彫刻作品で構成されるインスタレーション「オファリング」。




以上、大急ぎで二会場を回ったので見落としたものも多数あります。
画像はありませんが、とても感銘を受けたのが、メルヴィン・モティ(オランダ、1977年生まれ)の映像作品《ノー・ショー No Show》でした。
歴史に埋没した物語、隠匿された事実の掘り起しを創作の基盤とし、映像をはじめ、素描、オブジェ、本等多様な形で作品化している作家ですが、第二次世界大戦中に戦火を恐れて収蔵品を館外へ避難させた空っぽのエルミタージュ美術館で、ギャラリーツアーを行い続けた、ある男性職員の話を再現したもの。柔らかな光が差し込む静謐な画面に揚々と熱心に作品解説する声が響き渡り、窓の光がだんだんと消えていく画面の美しさに映像表現の可能性を強く感じました。
作家のインタビューをぜひお読みください。
ついでに「エルミタージュの猫」というサイトものぞいてください。
このごろアマゾンばっかりでリアル書店に行かなくなってしまい、反省しきりでしたが、久しぶりに本屋でまとめ買いした中に、ひのまどか著『戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実』がありました。
第二次世界大戦の独ソ戦で悲惨を極めたのが900日におよぶレニングラード封鎖でした。100万人を超す死者、人肉まで食う飢餓の極限状況の中、レニングラードに残った音楽家たちがショスタコーヴィチ作曲の〈交響曲7番〉を初演するまでの日々を描いたノンフィクションです。
偶然とはいえ、ヨコトリでエルミタージュ美術館の映像を見、同じレニングラードのオーケストラの話を読むことになり、歴史というのは僅か70年で忘れ去られていく可能性があることに思い至り粛然としました。
また話が横道にそれてしまいました。
亭主の私見によれば、今回のヨコトリ、「美術史」がキーワード。
それにしてはキャプションが少しそっけなかった。
特に、わが松本竣介と殿敷侃の出品作品については、あれでは一般の方々はなんのことかわからなかったのではないでしょうか。
二人の出品作について少し補足します。
■松本竣介の家族あて手紙
松本竣介(ヨコハマトリエンナーレ2014の出品作家サイトより引用)
日本の近代美術を代表する画家の一人。美術協会の新設に寄与するなど、戦後の画壇を背負って立つ人物として嘱望されながらも早逝した。本展では、終戦前後、疎開した妻と息子宛に綴った書簡を通じて、芸術家がどのような姿勢で世の中を見つめ、創造に臨んできたか、時代を経ても変わることのない精神のあり様を紹介する。

マケタ、マケタ、ニホンワアメリカニマケタ。
オトコノコワ、ミナ メニナミダヲタメ、ゲンコツヲニギツテ、ザンネンダ、ザンネンダ、ト、イツテヰルヨ。
カンボーモ、ソーダロー。
オトーサマワ、カンボークライノトキカラ、グンジンニナツテ、アメリカヲマカシテヤロート、オモツテヰタケレド、グンジンニナレナカツタ。
モウニホンジンワ、グンジンニワナレナイノダヨ。
ドーシタラ、、イイダローカシラ、リツパナヒトニナルコト。
リツパニナルトワ、ドンナトコロデモ、イケナイコトヲシナイコト。
カンボー、リツパナヒトニナレ。
九月四日 オトーサマカラ
カンヘ
NHKプラネット東北・NHKプロモーション 発行
『生誕100年 松本竣介展』図録(2012年)より転載
『生誕100年 松本竣介展』図録(2012年)より転載
東京大空襲のあった1945年3月の下旬、長女・洋子の出産を控えた妻・禎子と息子の莞は、松本家の郷里である島根県松江市に疎開する。東京に残った竣介は、家族が戻ってくるまでの約1年9ヵ月の間、頻繁に家族にあてて手紙を送っている。時に絵も添えられた手紙には、戦中から戦後にかけての東京での暮らしぶりが詳細に記されていると同時に、厳しい時代に生きる画家としての心境もしたためられている。また莞にあてたカタカナ文字の文面からは、我が子の成長を遠くで見守る父の強い思いが伝わってくる。(『生誕100年 松本竣介展』図録より)
ときの忘れもの『松本竣介展』カタログ

2012年12月14日 ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm(B5判)
執筆:植田実
図版:30点掲載
2012年12月~2013年1月に開催した「松本竣介展」のカタログです。
ときの忘れものでは松本竣介の希少画集、カタログも頒布しています。
ブログでは、植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」を連載しましたので、こちらもぜひお読みください。
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■殿敷侃のお好み焼とテレビ

殿敷侃
山口―日本海―二位ノ浜、お好み焼[重量約2トン]
Photo by Yomiuri Shinbun

殿敷侃
BARRICADE TELEVISION ←→ YAMAGUCHI
Found Objects
60 TV sets
Gallery Nakano, Yamaguchi
Nov.20 1989
Photo by Y. Yamada
SOS PLAN 発行『殿敷侃 逆流する現実』(1990年)より転載
『逆流する現実 殿敷侃 REVERSING REALITY TADASHI TONOSHIKI』
原爆投下直後の広島市内で二時被爆し、ガンと闘いながらも50歳で夭逝した広島出身の美術家・殿敷侃(1942-1992)の作品集。
1987年に山口県二位ノ浜の海外に打ち寄せられたゴミを焼いて固めた作品「お好み焼き」をはじめ、80年代に行われた殿敷の前衛的なインスタレーションを豊富な写真でその軌跡を辿ろうとする内容。
ときの忘れもの『殿敷侃 遺作展』カタログ

2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
価格:800円(税別)
※送料別途250円
2013年8月に開催した「殿敷侃 遺作展」のカタログです。
広島で生まれた殿敷侃は、被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信し、1992年50歳で亡くなりました。
このブログでは「殿敷侃の遺したもの」を記録するため「久保エディション第4回~殿敷侃」はじめ、濱本聰(下関市立美術館)さん、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さんらに寄稿(再録も含む)していただきました。
殿敷侃の文献資料はコチラで紹介しています。
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