木村利三郎■ニューヨーク便り4(1979年)

イースト・ハンプトンにて


 今日はモントークまで行ってラブスターと魚を買って帰って来た。生きたままのラブスターの瓜をテープでむすびそのまま火の上で焼くのはあまり気分のよいものではない。でも林の中でバーベキューは、ニューヨークでの臭さを洗ってくれるように気持のよいものだ。
 ぼくは毎週末イーストハンプトンの友人の別荘に遊びに来る。ニューヨークから車で約二時間半、海に近い林の中の別荘群。五百坪から二千坪の林間に一軒づつ建っている。一九三〇年代サルバドール・ダリがその土地を愛し、フランス料理人をつれて住んだのがはじまりで多くの芸術家が住んでいる。ジャクソン・ポロック未亡人、デクーニングや日本で有名な池田満寿夫も家を持っている。常住の人は約三千人ぐらいだが夏の季節には十五万人ぐらいにふえるという。今年の七月頃は石油不足でガソリンを買うのに二時間も三時間も列んで待ったが、来てみるとあくまで青い海と木樹の空気と静けさはニューヨーク人の健康の良薬だ。友人は精神科医だがあまり話し合うこともなく、朝からワインをのんで林と空をみつめている。夜、ベランダにのこした残り物をいつも二匹のタヌキがたべに来る。窓ごしに見ていて顔があっても逃げもしない。今夜は寒そうだからファイヤープレスの薪を用意しなければいけない。
 石油の値上がりで勿論暖房用の油も3/4増ぐらい上った。ニューヨークに広いロフトを持っている芸術家達は今年の冬の油代にいまから弱りきっている。大きな仕事場をあたためるのにはまるでお札を焼いているように金がかかる。いままでもロフトの維持費の1/3は油代だったのにこれ以上の出費はまごまごすると、ロフトを売り払わねばならないことになる。
 グリニッチビレヂからソーホーへと移り住んだ芸術家たちは今度はどこへ移り住むことになるのか、ぼくはフト考えてみた。近い将来ニューヨークの芸術家は郊外へ移住するのではないかと。東京やパリやニューヨークといった大都市に芸術家は集まっているがそれは資本主義体制の保護のもとに作家活動を行うためのものと、強い刺激を必要として大都市に集中するのであって、もし芸術家自身の哲学が確立していたらもっと自由な空間に自分を置いてもよいのではないか。文化とは巨大なロープのようなものでそれぞれの体系がからみあって一本のロープになる。同一条件のもとに各々の芸術をつくってゆくとそのロープそのものは同一に近いものになる。モロいところが同じ位置にあるとそのロープはその部分からたやすく切れてしまう。文化形態を分散した方がおもしろ味のあるものになるのではないか。
 いままでニューヨークの芸術家で名をなした人たちはあらそってイーストハンプトンに移り住んだ。無名の画家達はマンハッタンをはなれ住むと画廊もコレクターも見に来てくれないと思った。いつも受け身の姿勢でいなければならなかった。自分から能動的に発言することに弱かったのだ。オランダや中国のように国家が芸術家を保護するのがよいか悪いか知らない。イスラエルのような芸術家の自治によるキブツというのもある。ソ連のような芸術家の公務員化もある。
 そのように総体的に芸術家の位置を決めるのではなく、都市に住む芸術家と田園に住む芸術家がいて、それが共通の発表の場で太いロープに組みこんでゆくのがよい。いままではともすると地方作家という意味はよい作家ではないということだった。だがいまやカリフォルニヤアートというのがあってニューヨークに直接進入しつつある。いまにシカゴやペンシルバニヤからも同じような力が湧いてくるかも知れない。ユーゴスラビアはニューヨークに文化センターと画廊を開き、フィリピンは五番街に大きな窓口を開設した。ジャパンハウスはロックフェラーの力によって常設の画廊を持っている。世界の文化の交流のこんなに激しい時代は過去になかったことだろう。
 今夜は池田のワイフのリランと一緒に友人のパーティに行く、燈火一つみえない林の道の中を走る。突然目の前が開け人々の声と明るいざわめきが自分をつつむ。帰途友人と車で海を走る。風だけが通過する。
 ぼくは毎週末二日間だけしかここにいないが、リランはニューヨークに住んでいたときより絵の色があかるく輝くようになったといっていた。
 明日又ニューヨークのぼくが帰るところは政府の保護による芸術家だけのための巨大な建物の一部屋だ。“自由は林間にあり”と云った人がいたが、そんなことをとりとめもなく考えることができるのはここだからできるのか。それとも、完全に自由になりきっていないぼくが一人っきりで林の中におかれたので不安になり、自分の存在を意味づけるために、無理して考えたことなのか。
(きむら りさぶろう)

『版画センターニュース No.52』所収
1979年11月1日 現代版画センター発行

kimura09
木村利三郎"City 311"
1975年
シルクスクリーン
65.5×51.0cm  Ed.50
Signed

kimura10
木村利三郎"City 340"
1976年
シルクスクリーン
62.0×50.0cm  Ed.50

kimura11
木村利三郎"City 338"
1977年
シルクスクリーン
63.5×50.0cm Ed.50
Signed

◆去る5月17日死去した木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り(再録)」は毎月17日の更新です。