暦の上ではもう秋。
久しぶりにスタッフ全員がゆっくり夏休みをとり、いよいよ本日から秋の陣の始まりです。
光嶋裕介、細江英公、野口琢郎の個展、シリーズ企画「瀧口修造」の第3回展などを画廊で開催する一方、東京のアートブックフェアをスタートに、ソウル、シンガポールのアートフェアにも出展が決まりました。

画商としての売買ではコレクターの方からの依頼が増えており、特に写真作品の売買が活発になりました。
写真は現在、アナログからディジタルへ、細江英公先生のお言葉を借りれば、化学から物理へと移行しつつあり、いわゆる銀塩写真がクラシックになろうとしています。一方、銀塩写真の良さを見直そうという動きもあり、どちらも写真表現のひとつとして、それぞれの特徴を生かした作品が制作されればと願うばかりです。
近年、海外では写真の評価が上がり続けており、オークションでは1千万円を超える作品もそう珍しくなくなってきています。そして今、日本でも写真がアートとしてようやく認知され、注目を集め始めていますが、まだ実際にコレクションされている方はそう多くはありません。裏を返せば今なら良質の作品を収集できるチャンスと言えます。

明日から開催する「銀塩写真の魅力 V展」も世界的な名作から新進気鋭の写真家の意欲作までをそろえ、皆様のご来廊をお待ちしています。

順次出品作品をご紹介しますが、先ずはウィージーです。
weegee_05_coney-island出品No.7)
ウィージー
「コニー・アイランド,1940年7月28日午後4時」
1940(Printed later)
Gelatin Silver Print
26.9x34.0cm
Stamped on the back


1940年は記録的な猛暑が続き、ニューヨーカーはどのように乗り切ったのかを撮影するよう依頼されたことから、この写真が生まれました。
この作品は、1945年に発行した写真集『Naked City』の表紙にもなり、ジョージ・マイケルのCDジャケット(1990年)にもなっている代表的な作品のひとつです。
遥か彼方地平線までびっしりと人で埋め尽くされ、ジャンプしている人、大きく手をあげている人、担いでもらっている人など、人々の視線からは、今撮られようとしていることがわかっていることが読み取れます。

ウィージー WEEGEE(1899-1968)
1899年オーストリアのズロチエフ(現ポーランド領)生まれ。本名ウジェル・H・フェリグ (後にアーサー・フェリグ, 1899-1968)。1910年家族とともにアメリカへ移住。家計を助けるため14歳で学校をやめ、皿洗いや映画館のバイオリニスト、パスポート写真スタジオのアシスタントなどに従事した後、1924年にアクメ・ニューズピクチャーズ(現UPI通信社)の暗室技師として採用。1935年にフリーランスとなり、ニューヨーク市警マンハッタン本部を足掛りに殺人現場や交通事故、火事場の救出作業等を大型フラッシュで撮影し、数々の新聞に掲載される。警察無線を傍受し、愛車のシボレーで事故現場や殺人現場に先回りして数多くのスクープ写真で名を馳せた世界で最も名の知られたタブロイド紙写真家。警官と同時に現場に着くことがあり、警官に「占い(Ouija)板でも持っているのか?」と聞かれたことから Ouija から Weegee という異名が生まれたそうだ。1940年ニューヨークの近代美術館で展覧会を開催し、世に知られるようになり、1945年に出版した『裸の街』で時代の寵児となる。ニューヨークの暗部にシニカルな視線を注ぎ、直截的かつドラマティックな独自のスタイルを確立した。

◆ときの忘れものは「銀塩写真の魅力 V展」を開催します。
会期=2014年8月20日[水]―8月30日[土] 
12:00-19:00 ※会期中無休
DM_800銀塩写真のモノクロームプリントが持つ豊かな表現力と創造性をご覧いただくシリーズも5回目となります。本展では下記出品作家の作品25点をご覧いただきます。
出品作家:ボブ・ウィロビーロベール・ドアノーエドワード・スタイケンウィージージェリー・N・ユルズマン鬼海弘雄西村多美子小林紀晴中藤毅彦大竹昭子、楢橋朝子、植田正治細江英公五味彬、小栗昌子、百瀬恒彦