「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第1回
土渕信彦
今月から「瀧口修造とマルセル・デュシャン」と題し、1年程度の予定で連載する。瀧口にとってデュシャンがどのような存在だったかを、主な論考や言及を手掛かりとして、年代順にたどってみたい。お気づきの点はご教示いただければ幸いです。
連載全体を通じ、出典は原則としてみすず書房『コレクション瀧口修造』(全13巻・別巻。1991年~98年)で示し、単に『コレクション』と表記する。原文が旧字・旧仮名遣いの場合は、適宜、新字・新仮名遣いに改める。
1.「海外超現実主義作品展」
瀧口修造が早い時期にマルセル・デュシャンに言及した文献としては、眼についただけでも以下のようなものがある。執筆当時、満25~32才だったことになる。
(1)「ダダと超現実主義」(西脇順三郎『超現実主義詩論』、厚生閣書店、1929年11月。『コレクション』11巻107頁。初出時のタイトルは「ダダよりシュルレアリスムへ」)
(2)瀧口訳ブルトン『超現実主義と絵画』(厚生閣書店、30年6月)のマン・レイの項(同210頁)
(3)「マン・レイ」(「フォトタイムス」、31年8月。同233・235頁)
(4)「シュルレアリスムの動向」(厚生閣書店「文学」5号、33年3月。同326頁)
(5)「超現実造型論」(「みづゑ」、36年9月。同495頁)
これらはいずれも、ニューヨーク・ダダや展覧会出品者のひとりとして名を挙げる程度か、またはブルトンの訳であるので、これ以上は立ち入らないこととし、1937年の「海外超現実主義作品展」から見ていくことにする。
この展覧会の主催者は春鳥会、日本委員は瀧口と山中散生、海外委員はポール・エリュアール、ジョルジュ・ユニエ、ローランド・ペンローズである。同年6月~7月にかけて、写真版を中心に360点以上の作品が、東京、京都、大阪、名古屋を巡回した。8月には30点程度に規模を縮小して福井でも展示されている。
同展の目録(図1-1)によれば、デュシャンの作品(写真版)が6点出展されているが、詳細は不明で、10点の挿図にも含まれていない。ただし、瀧口執筆「超現実主義解説」の「作家の紹介」に次のような記述がある。
「なお特異なダダイストであったマルセル・デュシャン(1887-フランス)のごとく今日も超現実主義に生きた暗示を与えている例もある」(『コレクション』12巻58頁)
図1-1
「海外超現実主義作品展」目録
同展出展の主な作品を収録した「みづゑ」臨時増刊号「アルバム・シュルレアリスト」(春鳥会、37年5月。図1-2)には、デュシャンの「回転半球」および「花嫁」の2点が掲載されている(図1-3。『コレクション』12巻52頁に「回転半球」のみ再録)。
図1-2
アルバム・シュルレアリスト
図1-3
「回転半球」と「花嫁」
ここで注目されるのは「回転半球」である。図版では判りにくいが、半球体の銅製外周部前面にはデュシャンの「言葉の遊び」が彫られている。その訳が図版に付されているのである(図1-3左頁の右下部)。原文と訳を以下に引用する。
“RROSE SÉLAVY ET MOI ESQUIVONS LES ECCHYMOSES DES ESQUIMAUX AUX MOTS EXQUIS”
「ロオス・セラウイと僕は美しい言葉のあるエスキモオ人の血斑を尊重する 1925-26」(『コレクション』12巻52頁。なお、「尊重する」と訳された”esquivons”の、本来の意味は「巧みに避ける」「かわす」と思われる)
「アルバム・シュルレアリスト」は山中との共編であり、両者の分担は、瀧口が諸言執筆と収録作品の訳、山中が作家録、年表、文献の執筆とされている(山中『シュルレアリスム 資料と回想』155頁)。したがってデュシャンの出展作品6点のなかから、この「回転半球」を選んだのが瀧口とは限らないが、この時期に「言葉の遊び」を訳出し、そこにデュシャンの有名な女性変名「ローズ・セラヴィ」が含まれているのは、後年のオブジェの店「ローズ・セラヴィ」の構想や、『手作り諺』などの「言葉の遊び」への展開を考えると、特記に値するだろう。
以下、「回転半球」の名称について少し補足する。
上で見たとおり「アルバム・シュルレアリスト」ではこの作品名が記載されず、代わりに「言葉の遊び」が作品名の位置に配されているが、これはこの名称が当時はまだ用いられていなかったからではなかろうか。もともとこの作品は、ファッション・デザイナーで大コレクターだったジャック・ドゥーセの依頼により、1924~25年に制作されたもので(現在はニューヨーク近代美術館蔵)、デュシャン自身はこの作品を、ドゥーセ宛やその没後の所蔵者アンリ=ピエール・ロシェ宛の書簡(24~52年)のなかで、単なる「半球」「球体」「光学機械」「催眠機械」などと呼んでいるのである(『マルセル・デュシャン書簡集』、白水社、2009年)。「回転半球」は50年代以降の呼称かと思われる。
「海外超現実主義作品展」開催の翌年、38年1~2月には、パリのボーザール画廊で「シュルレアリスム国際展」が開催された。その図録として刊行されたブルトン、エリュアール共編『シュルレアリスム簡約辞典』(図1-4)にも、「回転半球」の図版が掲載されているが、「アルバム・シュルレアリスト」の形式、つまり作品名の位置に「回転半球」とは記載されず、「言葉の遊び」が置かれる形が、踏襲されている(図1-5)。(第1回終了)。
図1-4
『シュルレアリスム簡約辞典』
図1-5
同書「回転半球」
(つちぶちのぶひこ)
■土渕信彦
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
●本日のお勧め作品は瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
「出品番号 I-34」
水彩、インク、紙
イメージサイズ:34.2×23.6cm
シートサイズ :35.7×25.1cm
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●カタログのご案内
『瀧口修造展 I』図録
2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,160円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)
土渕信彦
今月から「瀧口修造とマルセル・デュシャン」と題し、1年程度の予定で連載する。瀧口にとってデュシャンがどのような存在だったかを、主な論考や言及を手掛かりとして、年代順にたどってみたい。お気づきの点はご教示いただければ幸いです。
連載全体を通じ、出典は原則としてみすず書房『コレクション瀧口修造』(全13巻・別巻。1991年~98年)で示し、単に『コレクション』と表記する。原文が旧字・旧仮名遣いの場合は、適宜、新字・新仮名遣いに改める。
1.「海外超現実主義作品展」
瀧口修造が早い時期にマルセル・デュシャンに言及した文献としては、眼についただけでも以下のようなものがある。執筆当時、満25~32才だったことになる。
(1)「ダダと超現実主義」(西脇順三郎『超現実主義詩論』、厚生閣書店、1929年11月。『コレクション』11巻107頁。初出時のタイトルは「ダダよりシュルレアリスムへ」)
(2)瀧口訳ブルトン『超現実主義と絵画』(厚生閣書店、30年6月)のマン・レイの項(同210頁)
(3)「マン・レイ」(「フォトタイムス」、31年8月。同233・235頁)
(4)「シュルレアリスムの動向」(厚生閣書店「文学」5号、33年3月。同326頁)
(5)「超現実造型論」(「みづゑ」、36年9月。同495頁)
これらはいずれも、ニューヨーク・ダダや展覧会出品者のひとりとして名を挙げる程度か、またはブルトンの訳であるので、これ以上は立ち入らないこととし、1937年の「海外超現実主義作品展」から見ていくことにする。
この展覧会の主催者は春鳥会、日本委員は瀧口と山中散生、海外委員はポール・エリュアール、ジョルジュ・ユニエ、ローランド・ペンローズである。同年6月~7月にかけて、写真版を中心に360点以上の作品が、東京、京都、大阪、名古屋を巡回した。8月には30点程度に規模を縮小して福井でも展示されている。
同展の目録(図1-1)によれば、デュシャンの作品(写真版)が6点出展されているが、詳細は不明で、10点の挿図にも含まれていない。ただし、瀧口執筆「超現実主義解説」の「作家の紹介」に次のような記述がある。
「なお特異なダダイストであったマルセル・デュシャン(1887-フランス)のごとく今日も超現実主義に生きた暗示を与えている例もある」(『コレクション』12巻58頁)

「海外超現実主義作品展」目録
同展出展の主な作品を収録した「みづゑ」臨時増刊号「アルバム・シュルレアリスト」(春鳥会、37年5月。図1-2)には、デュシャンの「回転半球」および「花嫁」の2点が掲載されている(図1-3。『コレクション』12巻52頁に「回転半球」のみ再録)。

アルバム・シュルレアリスト

「回転半球」と「花嫁」
ここで注目されるのは「回転半球」である。図版では判りにくいが、半球体の銅製外周部前面にはデュシャンの「言葉の遊び」が彫られている。その訳が図版に付されているのである(図1-3左頁の右下部)。原文と訳を以下に引用する。
“RROSE SÉLAVY ET MOI ESQUIVONS LES ECCHYMOSES DES ESQUIMAUX AUX MOTS EXQUIS”
「ロオス・セラウイと僕は美しい言葉のあるエスキモオ人の血斑を尊重する 1925-26」(『コレクション』12巻52頁。なお、「尊重する」と訳された”esquivons”の、本来の意味は「巧みに避ける」「かわす」と思われる)
「アルバム・シュルレアリスト」は山中との共編であり、両者の分担は、瀧口が諸言執筆と収録作品の訳、山中が作家録、年表、文献の執筆とされている(山中『シュルレアリスム 資料と回想』155頁)。したがってデュシャンの出展作品6点のなかから、この「回転半球」を選んだのが瀧口とは限らないが、この時期に「言葉の遊び」を訳出し、そこにデュシャンの有名な女性変名「ローズ・セラヴィ」が含まれているのは、後年のオブジェの店「ローズ・セラヴィ」の構想や、『手作り諺』などの「言葉の遊び」への展開を考えると、特記に値するだろう。
以下、「回転半球」の名称について少し補足する。
上で見たとおり「アルバム・シュルレアリスト」ではこの作品名が記載されず、代わりに「言葉の遊び」が作品名の位置に配されているが、これはこの名称が当時はまだ用いられていなかったからではなかろうか。もともとこの作品は、ファッション・デザイナーで大コレクターだったジャック・ドゥーセの依頼により、1924~25年に制作されたもので(現在はニューヨーク近代美術館蔵)、デュシャン自身はこの作品を、ドゥーセ宛やその没後の所蔵者アンリ=ピエール・ロシェ宛の書簡(24~52年)のなかで、単なる「半球」「球体」「光学機械」「催眠機械」などと呼んでいるのである(『マルセル・デュシャン書簡集』、白水社、2009年)。「回転半球」は50年代以降の呼称かと思われる。
「海外超現実主義作品展」開催の翌年、38年1~2月には、パリのボーザール画廊で「シュルレアリスム国際展」が開催された。その図録として刊行されたブルトン、エリュアール共編『シュルレアリスム簡約辞典』(図1-4)にも、「回転半球」の図版が掲載されているが、「アルバム・シュルレアリスト」の形式、つまり作品名の位置に「回転半球」とは記載されず、「言葉の遊び」が置かれる形が、踏襲されている(図1-5)。(第1回終了)。

『シュルレアリスム簡約辞典』

同書「回転半球」
(つちぶちのぶひこ)
■土渕信彦
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―人と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
●本日のお勧め作品は瀧口修造です。

「出品番号 I-34」
水彩、インク、紙
イメージサイズ:34.2×23.6cm
シートサイズ :35.7×25.1cm
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●カタログのご案内

2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,160円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)
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