木村利三郎■ニューヨーク便り5(1979年)

版画の値段


 今年の夏は特別日本からの客が多かった。二十二人がぼくのスタジオを訪ねて来た。友人や知人、それに一度も会ったことのない人も数多くあった。それ等の人々を接待するのに一つの型がある。まず、夕刻ソーホーを案内し、途中バーによって酒をのみ、それからチャイナタウンで食事。だから必ずソーホーの画廊は訪ねる。
 或る時、美しい姉妹がやって来た。「キムラさんの作品はここで見ることができますか」と聞かれた。契約した画廊からでている作品をおいてある店がある。いそいそと案内した。ところが、ところがである。ぼくの作品にだけ赤紙がはってある。20%オフ(二割引ですね。)隣りに並んでいるカルダーは平常のまま、ぼくのだけがなぜ赤紙がはってあるのかわからない。でも他人顔して聞いてみたら、20%引きにしてもいつもの値段なのだ。
 版画の値段は一般に平均しているが、最近はなかなか高い。あまり有名でない作家の版画は大体一〇〇$~一五〇$ぐらい。手ごろな値段である。部屋の飾りとしては十分な値段と装飾性を持っている。
 でも有名作家のものとなるとたいへん高くなる。ローゼン・クリストは五五〇$、リンドナー七〇〇$、バスキン五〇〇$、カルダー八〇〇$、ダリ五〇〇$、ミロ二五〇〇$、ピカソ三〇〇〇$となってくる。以上去年の値段だが、大体少しづつしか値上がりしていない。リンドナーは死んだ直後、値上がりしたがすぐ平常にもどった。
 日本との値のちがいは、大体日本がこちらより二倍高いという。日本の希望を聞いて、こちらで買って、直接持っていく商売もさかんであるようだ。
 さて、それでは版画家は大変強力な幸福の神のもとにいるみたいだが、実際はそのままの金額が手に入るわけではない。直接画廊と交渉すると、互いに50%づつの分け前になるが、あまりそんな例はなく、なんとなくアートディーラーが中に入り商売をする。油絵のように一点の値が高いのと異り、それに一点づつ売ってゆかなければならない場合を考えると、その労力は大変である。それで、アートディーラーによって売ってもらうか、又は、エディション全部を売ることになる。すると、売り値の1/5~1/8ぐらいが作家の手に入ることになる。ぼくも目下一九七九年度の契約の仕事をつづけているが、未だ全部が完成しないうちに来年の制作の契約をしてしまった。外国人であるぼく達には、これは大変ラッキーなことなのだ。
 日本の版画家や画商とちがうことは、いくらつくってみても、アメリカの大きさは、版画の数にあまり拘泥せず、値段も有名作家以外はあまり高くなく、流行的な要素が充分に入り、多くの人々を満足させる魅力を持つものが多い。買う人たちも、特に将来の値上がりなど考えず、好きだから買うという感じである。
 版画の芸術的地位などという、むずかしいことは別にして、この広大な市場では同一作品三〇〇枚ぐらいは、いずれともなく消えてしまうみたいだ。友人の版画家はいままでに七、〇〇〇枚つくったが、一度も自分の目で再び見ることがなかったといっていた。
 数十年たって、一人の作家の再評価がおこなわれ、浮世絵の如く再び高い価値として世にでることは、このアメリカではないみたいだ。貴重な石油をハイウェーにまきちらすみたいに、すべて消えてしまうみたいに思うとチョットかなしくなるが、アメリカンプラグマチズムというやつかもしれない。
 手元にある日本の版画家の値段表を見ると、大体一万円から五万円ぐらい、十万円を越える作家は珍しい。が、ここでは世界中の作品が集まっているので、その差がちがう。自分の作品を客観的にみるにはとてもよい。
 東京はやはり遠いところという感じがする。日本の作家や作品の定着化がおそいのは、流通化のせいであって、作品の質の問題ではない。云えることは流通の責任者である画商やディラーのせいであろう。いつも思うことだが、未だ未だ世界の文化は普遍化していないのだから、値段の面でもその質の面でも、日本の作品はもっとここにあふれてなければいけないと思う。日本製自動車といっしょにしたくないが、よいものは売れる、売れるものはよいのだ。
 芸術の日常化。すべての人々の平凡な生活の中に気楽に芸術が入ることは、どんな意味にとってもよいことであって、絶対に悪い結果にはならない。いまや未知の土地がなくなった地球では、唯一のこされた夢の世界であろう。
(きむら りさぶろう)

『版画センターニュース No.53』所収
1979年12月1日 現代版画センター発行


1989年4月3日撮影木村利三郎(左)
1989年4月9日
ニューヨークにて

01木村利三郎
「NEW YORK B」
シルクスクリーン
17.0x23.0cm
Ed.220
サインあり

02木村利三郎
「city203」
1974年
シルクスクリーン
24.0x31.0cm
Ed.40
サインあり


●木村利三郎さんの親友竹田鎭三郎先生の展覧会が東京と酒田で開催されます。
20140918竹田鎮三郎プロモアルテ表20140918竹田鎮三郎プロモアルテ裏

「竹田鎭三郎とメキシコの愛弟子たち展」
会期:2014年9月18日[木]―9月22[月]
会場:表参道プロモアルテ・ギャラリー
時間:11:00~19:00
会期中無休
オープニングレセプションは9月18日(木)18時です。
メキシコ人作家4名の訪日を記念しての展覧会です。
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20140913竹田鎮三郎展 表


20140913竹田鎮三郎展 裏


「メキシコの大地・生命(いのち)への賛歌 竹田鎭三郎展」
会期:2014年9月13日[土]―10月19日[日]
会場:酒田市立美術館
   山形県酒田市飯森山三丁目17-95 tel. 0234-31-0095
*会期中無休

偉大な芸術の国、メキシコはマヤ、アステカ文明などの古代遺跡があり、さらに20世紀に入ると、メキシコ革命のもとでディエゴ・リベラ、シケイロス、オロスコといった芸術家が中心となり、絵画芸術を民衆に開放するため、壁画運動・版画運動(メキシコ・ルネサンス)が起こりました。
竹田鎭三郎(1935年~)が、革命芸術に憧れて1963年に渡航してから半世紀が経ちました。先住民を訪ね歩き、祭りや日常生活をテーマに制作してきた氏は、1979年より先住民文化が豊かな南部オアハカに移住し、オアハカ大学の美術教師として教え子たちと共に暮らしています。
メキシコの地に暮らす人々を鮮やかな色彩とボリュームあるフォルムで生き生きと描いた氏の絵画世界は、神秘的で郷愁を誘い「自然と一体となって、神と共存する世界」を鮮やかに表現しています。本展覧会では、竹田鎭三郎の作品を中心に、メキシコ・ルネサンスや氏の教え子である現代作家たちの作品を含めて、メキシコ芸術を一堂に紹介します。(同展HPより転載)

◆去る5月17日死去した木村利三郎さんのエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り(再録)」は毎月17日の更新です。