モンドリアンの存在感
ミシェル・スーフォール
新造形主義はこれまでアーティストを魅了してきた、そして今もなお今世紀の多くのアーティストを強く魅了しており、時には対立する者の興味をも強く引きつける。ある者には導き手となり、またある者には虚仮威しとなる。アメリカでの新表現主義の急激な展開は、モンドリアンの死後アメリカで彼の芸術と思考が大きな位置を占めたことに起因するということは疑う余地のないことだ。モンドリアンを賞賛しすぎるものは容易に、個性の探求より反抗精神を強調するものの単なる引き立て役となる。
しかしながら、新造形主義に関して言うならば、西洋の至るところで見られた新抽象表現主義や具象表現主義の現在の特性のように、大きな流行を見せたわけでもなく、粗末な模倣精神として知られたわけでもない。非常に注意深いモンドリアンの信奉者は純粋造形の最も基本的な法則に拘ることは殆どなく、より順応性のある法則がいいと思うと、様々な色彩やトーンを作品に導入したり、斜線を用いたり、また、空間という抑えがたい魅力に引き込まれ新しい幾何学的形式を追求したりした。
今日普遍的なこの空間の屈性にモンドリアンはまったく影響されることはなかった。彼の最初の著書の中の図像プログラムには空間という構想はなかった。不在または排除されていた。「3次元空間というのは多かれ少なかれ常に具象的表現に関係づけられる。」と、『デ・ステイル』の一部分で語っている。晩年になって、ニューヨークで空間表現についてよく耳にしては、その考えを完全に否定していた。平面の力は空間の決定(=定着)に限定されると言いながら。そして、繰り返し、真の造形は、すべての試みを除き、平面を正確に取り入れる2次元空間の描写を必要とすると言い続けた。そのため最初の理論的論文の中で彫刻を警戒していたことは言うまでもない。彼は、純粋抽象が最もよく表現できるのは絵画であると考えていた。なぜなら、絵画でこそ画面と統合することによってすべてのまやかし(観点、トロンプ・ルイユ)を排除でき、そうすることによって「図面の中で平面」であることができる。また、絵画でこそ、空間特有の偶然性から遠ざかることができ、主観から開放された美術がより独立した一生を生きることができる。ひとたびこの原則が通ると、新造形の手法にしたがって「平面を分割(vlakverdeling)」するのみとなる。つまり不均衡にも、完全な不動を維持することによって抽象絵画を力動的なものにするのである。それによって、平面は自らのために、また自らある種の自律的な神秘主義の中で命を吹き込むのである。平面は自らを知り、また自らを平面として見詰める。似せるものは似せられるものと互いに見詰め合う。そこにはもう矛盾はない――動くものは不動のものと類似する。詳細と全体、特殊と普遍、短命と永遠は一体でありまた同一のものである。
新造形の法則――三原色を伴うまたは伴わない垂直水平のみの直角――はいまもなお議論を引き起こすであろう。その法則に鈍感なものたちは誹謗する言葉(実験室、殺菌剤)を使って新造形について説明しようとし、またその知識(新造形)を習得したものたちは、すべての生きものが先天的にそうであるように、自らをより優れていると思う。そう思うことによって、彼らにはモンドリアンの作品が幼稚に見え、彼の作品を軽んじずにはいられないのである。
しかしまた他のものたちは、作品から最適の距離を保つとそのような粗末な観点には至らないと言う。なぜなら、彼らは、モンドリアンの美術の幼稚さが次第に克服されたこと、そしてその克服こそがまさにモンドリアン作品の強さの秘訣であることを忘れてはいないからである。そのものたちに続いて、他のものも泉のように止めどなくその力に押し寄せてくる。なぜなら、作品がそこに存在するからであり、またいつまでもそこに存在し続けるからである。つい先頃まで懐疑的だった多くのものたちも、モンドリアンの教訓の蓄積が、今世紀がもたらしたもの全てを駆使していることや、その「強力な支持体」が私たちの生きている混乱また精神と行為の巨大な無秩序の中で恩恵となることを理解し始める。
タシスムの画家たち、清掃作業員たち、下水掃除夫たち、洞窟探検家たち、時の第一人者たちよ、この存在感に腹を立てるな、そして己を偽るな。なぜなら、遅かれ早かれこの威厳と光を仰ぎ見ることになる。
それはあなたたちを脅かすつもりなど全くない。
ミシェル・スーフォール(翻訳:李秀香)
*「モンドリアン版画集」所収
「モンドリアン版画集」奥付
1957年11月印刷
Vasarely展
セリグラフで12版各300部がアルケ・アトリエ(Ateliers d’Arcay)で刷られた。
フケ・エ・ボディエ(Fequet et Baudier)による植字(組み版)、印刷
限定番号43
発行:ギャラリー・ドゥニズ・ルネ(パリ)(Galerie Denise Rene)
--------------------
■ミッシェル・スーフォール Michel Seuphor(1901~1999)
本名 Ferdinand Louis Berckelaers 。
生まれ故郷のベルギーで、早くから抽象芸術を擁護する前衛雑誌『ヘット・オヴァージヒト Het Overzicht 』(1921年-1925年)を推進し、パリに移り住む(1925年)以前、ダダにわずかに接近した。
アルプ、デルメ、モンドリアンと交流し、やがて「衰えつつあるシュルレアリスムと抽象芸術のあいだの通行 un passage entre le surréalisme déclinant et l'art abstrait 」を画策する。
このため、彼は1929年にグループ「円と正方形 Cercle et carré 」を創設、この名称を冠した雑誌は1930年で全3号を数えた。
1930年、ミシェル・スーフォール とトレス・ガルシアによって組織された、「円と正方形展」には、モンドリアンはじめ、ジャン・アルプ、カンディンスキー、ファントンゲルロー、ペブスナー、ナウム・ガボ、ゾフィ・トイベル・アルプ等、多くの幾何学構成的抽象作家が参加した。その後、スフォールが体調を崩し南仏で長期の療養が必要となった。
翌1931年、「円と正方形展」を受け継いだファントンゲルロー、オーギュスト・エルバン、テオ・ファン・ドースブルフによって組織された「アブストラクション・クレアション展」は、1936年まで継続され、ヨーロッパの多くの幾何学構成絵画の作家達がパリに結集することになり、大きな流れを築くことになる。1999年パリにて没。
*画廊亭主敬白
今日の表題「モンドリアンの存在感」を見て ? と思われた方、ごめんなさい。
予定では韓国ソウルで開催されたKIAFのレポート第3回を掲載するはずでした(その1、その2)。
今年は社長と亭主はお留守番で、若いスタッフに全てをまかせたのですが、幸いにも大健闘してくれ、昨年より若干ですがいい成績を収めることができました。
しかし帰国したばかりのスタッフSからは、
「昨年は社長もワタヌキさんもいたので自分はヒマでレポートも余裕だった。ところが今年はそれどころじゃあない、伝票は切らなきゃあいけない、大番頭の尾立さんは先に帰国してしまったので今まで数えたこともない大金を受け取り、大型タクシーで100号の納品までたった二人でしたんですよ。いつ原稿なんか書けるんですか」と啖呵を切られてしまいました。
というわけで、掲載は数日後になります。
さて、1950年代から幅広い分野で刺激的な評論活動を繰り広げたS先生の旧蔵になる「モンドリアン版画集」の完全セットを入手したときは、既に半世紀以上を経たとは思えぬ完璧な保存状態に驚きました。
このシルクスクリーンによる美しい版画集が当時どれほど人々を喜ばせ、歓迎したかを今の世代に理解してもらうのは難しいかも知れません。
この版画集が発表された1957年の翌1958年に刊行された『紀伊國屋アート・ギャラリー15 モンドリアン』(フランス アザン版・日本語監修 瀧口修造)の、(当時はこれが普通だった)粗悪な印刷と今回展示の版画を比べてみれば、あるいは想像できるかも知れません。


Galerie Denise Reneから出された版画集のたとうには、シルクスクリーン12点とともににミッシェル・スーフォールの序文が挿入されています。
フランス語が一番得意なスタッフの李に翻訳してもらったのですが、これが難解というか、どうも普通のフランス語とはかなり違うらしい。さすがの李もご主人(フランス人)の助けをもとめ、四苦八苦したようです。
皆様のご教示をお願いいたします。
-----------------
出品番号 2
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition en bleu b"
1957
シルクスクリーン
イメージサイズ:39.2×35.0cm
シートサイズ:65.2×50.3cm
Ed.300
出品番号 3
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition no.3 avec plans en couleurs"
1957
シルクスクリーン
イメージサイズ:35.3×43.4cm
シートサイズ:50.2×65.2cm
Ed.300
出品番号 4
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition de ligne"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:34.4×35.2cm
シートサイズ:65.1×50.3cm
Ed.300
版上サインあり
出品番号 5
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition avec plans de couleurs claires et lignes grises"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:41.8×41.8cm
シートサイズ:65.1×50.3cm
Ed.300
版上サインあり
出品番号 7
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition, rouge, jaune, bleu (1927)"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:50.3×33.4cm
シートサイズ:64.3×49.5cm
Ed.300
出品番号 8
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition, rouge, jaune, bleu (1928)"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:36.1×36.0cm
シートサイズ:65.2×50.2cm
Ed.300
出品番号 9
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition, rouge, jaune, bleu (1921)"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:50.4×31.2m
シートサイズ:64.4×49.4cm
Ed.300
出品番号 10
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition, bleu, jaune"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:38.7×37.9cm
シートサイズ:64.4×49.5cm
Ed.300
出品番号 11
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:50.4×25.1cm
シートサイズ:64.4×49.6cm
Ed.300
出品番号 12
ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"broadway boogie-woogie"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:34.8×34.8cm
シートサイズ:65.3×50.4cm
Ed.300
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■ピエト・モンドリアン(1872~1944)
オランダ出身。ワシリー・カンディンスキーと並び、本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とさています。モンドリアンは、初期には風景、樹木などを描いていましたが、やがて完全な抽象へ移行するようになります。有名な「リンゴの樹」の連作を見ると、樹木の形態が単純化され、完全な抽象へと向かう過程が読み取れて面白いです。1917年には芸術雑誌『デ・ステイル』を創刊。ここで彼らの唱えた芸術理論が「新造形主義」と呼ばれるものであり、モンドリアンは「宇宙の調和を表現するためには、完全に抽象的な芸術が必要である」と主張しました。このモンドリアンの主張である水平・垂直の直線と三原色から成る絵画は、後の芸術家達にも多大な影響を与えています。
ちょうど六本木の新国立美術館では、スイスのチューリッヒ美術館のコレクション展が開催されています。垂直・水平線と三原色の色面からなるモンドリアンの代表作も出品されますので、どうぞお出かけください。
◆チューリッヒ美術館展
会期:2014年9月25日~12月15日
会場:国立新美術館


◆ときの忘れものは2014年9月24日(水)~10月4日(土)「モンドリアン版画展」を開催しています(日・月休廊)。

モンドリアン死後の1957年、パリのギャラリー・ドゥニズ・ルネからシルクスクリーン版画集『mondrian』(限定300部)が発行されました。
本展では、幾何学抽象に移行する前の「青い木」、フォルムの生成過程そのものを抽象画のテーマに取り入れようと試みていた頃のコンポジション、モンドリアン・スタイルと称される三原色と水平・垂直によるコンポジション、そしてそれまでの基本要素である黒い線が消えた晩年の作品「ブロードウェイブギウギ」など、版画集に収められたシルクスクリーン全12点をご覧いただきます。
ミシェル・スーフォール
新造形主義はこれまでアーティストを魅了してきた、そして今もなお今世紀の多くのアーティストを強く魅了しており、時には対立する者の興味をも強く引きつける。ある者には導き手となり、またある者には虚仮威しとなる。アメリカでの新表現主義の急激な展開は、モンドリアンの死後アメリカで彼の芸術と思考が大きな位置を占めたことに起因するということは疑う余地のないことだ。モンドリアンを賞賛しすぎるものは容易に、個性の探求より反抗精神を強調するものの単なる引き立て役となる。
しかしながら、新造形主義に関して言うならば、西洋の至るところで見られた新抽象表現主義や具象表現主義の現在の特性のように、大きな流行を見せたわけでもなく、粗末な模倣精神として知られたわけでもない。非常に注意深いモンドリアンの信奉者は純粋造形の最も基本的な法則に拘ることは殆どなく、より順応性のある法則がいいと思うと、様々な色彩やトーンを作品に導入したり、斜線を用いたり、また、空間という抑えがたい魅力に引き込まれ新しい幾何学的形式を追求したりした。
今日普遍的なこの空間の屈性にモンドリアンはまったく影響されることはなかった。彼の最初の著書の中の図像プログラムには空間という構想はなかった。不在または排除されていた。「3次元空間というのは多かれ少なかれ常に具象的表現に関係づけられる。」と、『デ・ステイル』の一部分で語っている。晩年になって、ニューヨークで空間表現についてよく耳にしては、その考えを完全に否定していた。平面の力は空間の決定(=定着)に限定されると言いながら。そして、繰り返し、真の造形は、すべての試みを除き、平面を正確に取り入れる2次元空間の描写を必要とすると言い続けた。そのため最初の理論的論文の中で彫刻を警戒していたことは言うまでもない。彼は、純粋抽象が最もよく表現できるのは絵画であると考えていた。なぜなら、絵画でこそ画面と統合することによってすべてのまやかし(観点、トロンプ・ルイユ)を排除でき、そうすることによって「図面の中で平面」であることができる。また、絵画でこそ、空間特有の偶然性から遠ざかることができ、主観から開放された美術がより独立した一生を生きることができる。ひとたびこの原則が通ると、新造形の手法にしたがって「平面を分割(vlakverdeling)」するのみとなる。つまり不均衡にも、完全な不動を維持することによって抽象絵画を力動的なものにするのである。それによって、平面は自らのために、また自らある種の自律的な神秘主義の中で命を吹き込むのである。平面は自らを知り、また自らを平面として見詰める。似せるものは似せられるものと互いに見詰め合う。そこにはもう矛盾はない――動くものは不動のものと類似する。詳細と全体、特殊と普遍、短命と永遠は一体でありまた同一のものである。
新造形の法則――三原色を伴うまたは伴わない垂直水平のみの直角――はいまもなお議論を引き起こすであろう。その法則に鈍感なものたちは誹謗する言葉(実験室、殺菌剤)を使って新造形について説明しようとし、またその知識(新造形)を習得したものたちは、すべての生きものが先天的にそうであるように、自らをより優れていると思う。そう思うことによって、彼らにはモンドリアンの作品が幼稚に見え、彼の作品を軽んじずにはいられないのである。
しかしまた他のものたちは、作品から最適の距離を保つとそのような粗末な観点には至らないと言う。なぜなら、彼らは、モンドリアンの美術の幼稚さが次第に克服されたこと、そしてその克服こそがまさにモンドリアン作品の強さの秘訣であることを忘れてはいないからである。そのものたちに続いて、他のものも泉のように止めどなくその力に押し寄せてくる。なぜなら、作品がそこに存在するからであり、またいつまでもそこに存在し続けるからである。つい先頃まで懐疑的だった多くのものたちも、モンドリアンの教訓の蓄積が、今世紀がもたらしたもの全てを駆使していることや、その「強力な支持体」が私たちの生きている混乱また精神と行為の巨大な無秩序の中で恩恵となることを理解し始める。
タシスムの画家たち、清掃作業員たち、下水掃除夫たち、洞窟探検家たち、時の第一人者たちよ、この存在感に腹を立てるな、そして己を偽るな。なぜなら、遅かれ早かれこの威厳と光を仰ぎ見ることになる。
それはあなたたちを脅かすつもりなど全くない。
ミシェル・スーフォール(翻訳:李秀香)
*「モンドリアン版画集」所収
「モンドリアン版画集」奥付
1957年11月印刷
Vasarely展
セリグラフで12版各300部がアルケ・アトリエ(Ateliers d’Arcay)で刷られた。
フケ・エ・ボディエ(Fequet et Baudier)による植字(組み版)、印刷
限定番号43
発行:ギャラリー・ドゥニズ・ルネ(パリ)(Galerie Denise Rene)
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■ミッシェル・スーフォール Michel Seuphor(1901~1999)
本名 Ferdinand Louis Berckelaers 。
生まれ故郷のベルギーで、早くから抽象芸術を擁護する前衛雑誌『ヘット・オヴァージヒト Het Overzicht 』(1921年-1925年)を推進し、パリに移り住む(1925年)以前、ダダにわずかに接近した。
アルプ、デルメ、モンドリアンと交流し、やがて「衰えつつあるシュルレアリスムと抽象芸術のあいだの通行 un passage entre le surréalisme déclinant et l'art abstrait 」を画策する。
このため、彼は1929年にグループ「円と正方形 Cercle et carré 」を創設、この名称を冠した雑誌は1930年で全3号を数えた。
1930年、ミシェル・スーフォール とトレス・ガルシアによって組織された、「円と正方形展」には、モンドリアンはじめ、ジャン・アルプ、カンディンスキー、ファントンゲルロー、ペブスナー、ナウム・ガボ、ゾフィ・トイベル・アルプ等、多くの幾何学構成的抽象作家が参加した。その後、スフォールが体調を崩し南仏で長期の療養が必要となった。
翌1931年、「円と正方形展」を受け継いだファントンゲルロー、オーギュスト・エルバン、テオ・ファン・ドースブルフによって組織された「アブストラクション・クレアション展」は、1936年まで継続され、ヨーロッパの多くの幾何学構成絵画の作家達がパリに結集することになり、大きな流れを築くことになる。1999年パリにて没。
*画廊亭主敬白
今日の表題「モンドリアンの存在感」を見て ? と思われた方、ごめんなさい。
予定では韓国ソウルで開催されたKIAFのレポート第3回を掲載するはずでした(その1、その2)。
今年は社長と亭主はお留守番で、若いスタッフに全てをまかせたのですが、幸いにも大健闘してくれ、昨年より若干ですがいい成績を収めることができました。
しかし帰国したばかりのスタッフSからは、
「昨年は社長もワタヌキさんもいたので自分はヒマでレポートも余裕だった。ところが今年はそれどころじゃあない、伝票は切らなきゃあいけない、大番頭の尾立さんは先に帰国してしまったので今まで数えたこともない大金を受け取り、大型タクシーで100号の納品までたった二人でしたんですよ。いつ原稿なんか書けるんですか」と啖呵を切られてしまいました。
というわけで、掲載は数日後になります。
さて、1950年代から幅広い分野で刺激的な評論活動を繰り広げたS先生の旧蔵になる「モンドリアン版画集」の完全セットを入手したときは、既に半世紀以上を経たとは思えぬ完璧な保存状態に驚きました。
このシルクスクリーンによる美しい版画集が当時どれほど人々を喜ばせ、歓迎したかを今の世代に理解してもらうのは難しいかも知れません。
この版画集が発表された1957年の翌1958年に刊行された『紀伊國屋アート・ギャラリー15 モンドリアン』(フランス アザン版・日本語監修 瀧口修造)の、(当時はこれが普通だった)粗悪な印刷と今回展示の版画を比べてみれば、あるいは想像できるかも知れません。


Galerie Denise Reneから出された版画集のたとうには、シルクスクリーン12点とともににミッシェル・スーフォールの序文が挿入されています。
フランス語が一番得意なスタッフの李に翻訳してもらったのですが、これが難解というか、どうも普通のフランス語とはかなり違うらしい。さすがの李もご主人(フランス人)の助けをもとめ、四苦八苦したようです。
皆様のご教示をお願いいたします。
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出品番号 2

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition en bleu b"
1957
シルクスクリーン
イメージサイズ:39.2×35.0cm
シートサイズ:65.2×50.3cm
Ed.300
出品番号 3

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition no.3 avec plans en couleurs"
1957
シルクスクリーン
イメージサイズ:35.3×43.4cm
シートサイズ:50.2×65.2cm
Ed.300
出品番号 4

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition de ligne"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:34.4×35.2cm
シートサイズ:65.1×50.3cm
Ed.300
版上サインあり
出品番号 5

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition avec plans de couleurs claires et lignes grises"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:41.8×41.8cm
シートサイズ:65.1×50.3cm
Ed.300
版上サインあり
出品番号 7

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition, rouge, jaune, bleu (1927)"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:50.3×33.4cm
シートサイズ:64.3×49.5cm
Ed.300
出品番号 8

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition, rouge, jaune, bleu (1928)"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:36.1×36.0cm
シートサイズ:65.2×50.2cm
Ed.300
出品番号 9

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition, rouge, jaune, bleu (1921)"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:50.4×31.2m
シートサイズ:64.4×49.4cm
Ed.300
出品番号 10

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition, bleu, jaune"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:38.7×37.9cm
シートサイズ:64.4×49.5cm
Ed.300
出品番号 11

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"composition"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:50.4×25.1cm
シートサイズ:64.4×49.6cm
Ed.300
出品番号 12

ピエト・モンドリアン Piet MONDRIAN
"broadway boogie-woogie"
1957年
シルクスクリーン
イメージサイズ:34.8×34.8cm
シートサイズ:65.3×50.4cm
Ed.300
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■ピエト・モンドリアン(1872~1944)
オランダ出身。ワシリー・カンディンスキーと並び、本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とさています。モンドリアンは、初期には風景、樹木などを描いていましたが、やがて完全な抽象へ移行するようになります。有名な「リンゴの樹」の連作を見ると、樹木の形態が単純化され、完全な抽象へと向かう過程が読み取れて面白いです。1917年には芸術雑誌『デ・ステイル』を創刊。ここで彼らの唱えた芸術理論が「新造形主義」と呼ばれるものであり、モンドリアンは「宇宙の調和を表現するためには、完全に抽象的な芸術が必要である」と主張しました。このモンドリアンの主張である水平・垂直の直線と三原色から成る絵画は、後の芸術家達にも多大な影響を与えています。
ちょうど六本木の新国立美術館では、スイスのチューリッヒ美術館のコレクション展が開催されています。垂直・水平線と三原色の色面からなるモンドリアンの代表作も出品されますので、どうぞお出かけください。
◆チューリッヒ美術館展
会期:2014年9月25日~12月15日
会場:国立新美術館


◆ときの忘れものは2014年9月24日(水)~10月4日(土)「モンドリアン版画展」を開催しています(日・月休廊)。

モンドリアン死後の1957年、パリのギャラリー・ドゥニズ・ルネからシルクスクリーン版画集『mondrian』(限定300部)が発行されました。
本展では、幾何学抽象に移行する前の「青い木」、フォルムの生成過程そのものを抽象画のテーマに取り入れようと試みていた頃のコンポジション、モンドリアン・スタイルと称される三原色と水平・垂直によるコンポジション、そしてそれまでの基本要素である黒い線が消えた晩年の作品「ブロードウェイブギウギ」など、版画集に収められたシルクスクリーン全12点をご覧いただきます。
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