私の人形制作第64回 井桁裕子
森田かずよさんとの出会い―その4・大阪へ
20日の掲載のはずが、本日になってしまいました。
19日には綿貫さんに私の言い訳を代弁していただきましたが、実は週末は大阪に行き、森田かずよさんのお宅で滞在制作をしていたのです。
10/17(金)からは先月書いた金満里さんの主宰する「劇団態変」の公演があり、それも狙っての日程でした。
森田さんのご実家は鶴橋にあり、ダンススタジオを経営されています。
鶴橋には大阪駅から環状線に乗って行きます。
高架上を走る電車の窓から町並みを見下ろしていると、なにやら「アートリサイクルセンター」と日よけのひさしに書かれた店が見えます。
これが私は気になったわけですが、普通の家電などを扱うリサイクルショップのようでした。
アートという言葉にこちらが過剰反応しただけですが、なんとなく横浜トリエンナーレの「アート・ビン」を連想させられました。
それはご存知「美術の為のゴミ箱」、申し込みの注意事項に「中に入れられた芸術作品をすべて廃棄処分することを保障」とあり、本当にゴミ箱なのです。
そこで集まった「失敗作」の数々を密かに大阪に運んで、この「アートリサイクルセンター」で何か正体不明なものにリサイクルしてしまうという可能性はなかろうかとくだらないことを思ったのでしたが….。
7月に始まった横浜トリエンナーレはもう会期も終盤です。
その連携プログラムとして開催中の「横浜パラトリエンナーレ」のほうでは、森田さんの出演企画が何回かありました。
私はそのイベントの日に出かけ、9月末にはトリエンナーレの方も観て来ました。
「象の鼻テラス」では森田さんと2回も会い、横浜美術館では「釜ヶ崎芸術大学」の展示もありで、大阪と横浜の混じり具合がなかなか不思議な感じでした。
話が脱線するのですが、横浜トリエンナーレは「忘却」ということがテーマでした。
そもそも無知な私には、知らない作家・作品がほとんどだったので、当然のごとく音声ガイドを聞きながらの鑑賞でした。
しかしそうでなくてもあの音声ガイドは楽しく、展示の意図がよく伝わるものでした。むしろ「ガイド」はもれなく貸し出すようにして、特にいらない人だけが申し出るようにしたらいいと思ったほどです。
いろいろと印象深い作品を観ましたが、一日では全部は見切れず、惜しい事をしました。
新港ピア会場に「世界の中心には忘却の海がある」という言葉に似合う海の作品がありました。
それはディン・キュー・レ Dinh Q LE(1968年~ベトナム・ハーティエン出身)による「南シナ海ピシュクン」というCGで作られた映像作品です。
きれいに澄んだ空疎な空と平坦な海面に、いろんな形の米軍の軍用ヘリコプターが飛んで来て、次々とひたすら海に堕ち続ける不気味な映像でした。
プロペラの轟音と墜落の水しぶきが繰り返されるわけですが、それが奇妙に落ち着いて小気味よく墜ちるのです。
なぜか魅入られたように見続けて心に焼き付いてしまうのでした。
中年の男女がそれを観て「CGのレベル低いよねー。波のしぶきとか不自然だもん。」と言いながら去っていきました。
CG技術は過不足ない魅力的な完成度だと私は思ったのですが、男女が読まずに去った壁の解説パネルには、これはサイゴン陥落をテーマにした映像で、南ベトナムを脱出しようとする米軍が南シナ海に次々とヘリを捨てた、という史実を作家が空想で映像化したもの...といった文章がありました。
私はこれは「大規模展示ではお客さんはあまり解説を読まない」ということを示す状況なのか、逆に「展示の解説は大事だから読もう」という教訓なのか、いっそのこと「作品は伝わらないものだ」と思うべきか、いろいろと考えました。
帰ってから、「サイゴン撤退」と検索してみました。
ウィキペディアによると、撤退作戦中に海中投棄された軍のヘリコプターは45機にも達したとのことでした。
昨年、私の馴染み深い井の頭公園の池が清掃のため30年ぶりに水抜きされ、水没していた自転車やら携帯電話がその干潟にどっさり出現して市民を驚かせたのですが、南シナ海の底には軍用ヘリが積み重なっているのです。
ベトナム戦争終結からは40年近く経ちます。
私とほぼ同世代のベトナムの作家の、事実を記録するのとは違う、独特の距離感を持った映像表現に共感しました。
画像:Wikipediaサイゴン撤退作戦より
*
先月はそんな横浜で森田さんと会ったのでしたが、やはり作業をするにはこちらから出向かなくてはなりません。
思い起こせば鶴橋に森田さんを訪ねた一番最初は2013年の1月でした。
まだ会うのは2回目なのに、いきなりヌードモデルになってもらうというのは、なかなか急な展開でした。
しかし会える機会は限られているし、具体的に作業を始めてみるしかないと思いました。
私はスタイロフォームと石塑粘土、作業道具一式を持って行きました。
基本的には写真などで記録して帰ってから作業をするのですが、小さい立体を作る支度をして行ったのです。
素早くその場でスタイロフォームを削り石塑粘土を盛って造形するという目論みで、そんな大道芸みたいな早業ができるのかどうか、自分でも謎でした。
はっきりしているのは、複雑なねじれをもって存在する非対称な身体を、図面に起こして計画的に制作することの不可能さの方でした。
CADを使って3Dの設計図を作り3Dコピーで出力するといった最新電脳技術は、言うまでもなく私には無関係です。
それを思えばその場で立体を作って「立体スケッチ」をする方が断然現実的なのでした。
スタジオのロビーで待っていると、森田さんはお茶の支度を持ってエレベーターで降りて来てくれました。
私は、森田さんが普段の生活をどの程度自由にこなしているのかも知りませんでした。
片手でお茶セットを持ったままドアを開ける森田さんを見て、手伝わなくても大丈夫かと思ったりしました。
脱いでもらった森田さんの身体は、私のぼんやりした予想のようなものをはるかに越えた存在でした。
若干の気後れや迷いは、あまりに日常的な感情でしかなく、一瞬にして蒸発してしまいました。
しかし、その深く屈曲した体はやはり、痛々しく思えるものでした。
私の体を無理矢理このように曲げれば間違いなく命はありません。
今思うと変なことを言ったものだと思うのですが、私は「普段、普通にしていて体は痛くないのですか?」と尋ねました。
特に痛みは無く、いろいろな障害はあっても内臓などはとても健康とのことでした。
写真を撮らせてもらい、スケッチをしながら、私はまだ、その骨格も筋肉の流れも理解できずに呆然となっていました。
(続く)
(いげたひろこ)
◆井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
●今日のお勧め作品は前田常作です。
前田常作 Josaku MAEDA
「作品」
油彩
44.7×37.0cm(F8号)
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
森田かずよさんとの出会い―その4・大阪へ
20日の掲載のはずが、本日になってしまいました。
19日には綿貫さんに私の言い訳を代弁していただきましたが、実は週末は大阪に行き、森田かずよさんのお宅で滞在制作をしていたのです。
10/17(金)からは先月書いた金満里さんの主宰する「劇団態変」の公演があり、それも狙っての日程でした。
森田さんのご実家は鶴橋にあり、ダンススタジオを経営されています。
鶴橋には大阪駅から環状線に乗って行きます。
高架上を走る電車の窓から町並みを見下ろしていると、なにやら「アートリサイクルセンター」と日よけのひさしに書かれた店が見えます。
これが私は気になったわけですが、普通の家電などを扱うリサイクルショップのようでした。
アートという言葉にこちらが過剰反応しただけですが、なんとなく横浜トリエンナーレの「アート・ビン」を連想させられました。
それはご存知「美術の為のゴミ箱」、申し込みの注意事項に「中に入れられた芸術作品をすべて廃棄処分することを保障」とあり、本当にゴミ箱なのです。
そこで集まった「失敗作」の数々を密かに大阪に運んで、この「アートリサイクルセンター」で何か正体不明なものにリサイクルしてしまうという可能性はなかろうかとくだらないことを思ったのでしたが….。
7月に始まった横浜トリエンナーレはもう会期も終盤です。
その連携プログラムとして開催中の「横浜パラトリエンナーレ」のほうでは、森田さんの出演企画が何回かありました。
私はそのイベントの日に出かけ、9月末にはトリエンナーレの方も観て来ました。
「象の鼻テラス」では森田さんと2回も会い、横浜美術館では「釜ヶ崎芸術大学」の展示もありで、大阪と横浜の混じり具合がなかなか不思議な感じでした。
話が脱線するのですが、横浜トリエンナーレは「忘却」ということがテーマでした。
そもそも無知な私には、知らない作家・作品がほとんどだったので、当然のごとく音声ガイドを聞きながらの鑑賞でした。
しかしそうでなくてもあの音声ガイドは楽しく、展示の意図がよく伝わるものでした。むしろ「ガイド」はもれなく貸し出すようにして、特にいらない人だけが申し出るようにしたらいいと思ったほどです。
いろいろと印象深い作品を観ましたが、一日では全部は見切れず、惜しい事をしました。
新港ピア会場に「世界の中心には忘却の海がある」という言葉に似合う海の作品がありました。
それはディン・キュー・レ Dinh Q LE(1968年~ベトナム・ハーティエン出身)による「南シナ海ピシュクン」というCGで作られた映像作品です。
きれいに澄んだ空疎な空と平坦な海面に、いろんな形の米軍の軍用ヘリコプターが飛んで来て、次々とひたすら海に堕ち続ける不気味な映像でした。
プロペラの轟音と墜落の水しぶきが繰り返されるわけですが、それが奇妙に落ち着いて小気味よく墜ちるのです。
なぜか魅入られたように見続けて心に焼き付いてしまうのでした。
中年の男女がそれを観て「CGのレベル低いよねー。波のしぶきとか不自然だもん。」と言いながら去っていきました。
CG技術は過不足ない魅力的な完成度だと私は思ったのですが、男女が読まずに去った壁の解説パネルには、これはサイゴン陥落をテーマにした映像で、南ベトナムを脱出しようとする米軍が南シナ海に次々とヘリを捨てた、という史実を作家が空想で映像化したもの...といった文章がありました。
私はこれは「大規模展示ではお客さんはあまり解説を読まない」ということを示す状況なのか、逆に「展示の解説は大事だから読もう」という教訓なのか、いっそのこと「作品は伝わらないものだ」と思うべきか、いろいろと考えました。
帰ってから、「サイゴン撤退」と検索してみました。
ウィキペディアによると、撤退作戦中に海中投棄された軍のヘリコプターは45機にも達したとのことでした。
昨年、私の馴染み深い井の頭公園の池が清掃のため30年ぶりに水抜きされ、水没していた自転車やら携帯電話がその干潟にどっさり出現して市民を驚かせたのですが、南シナ海の底には軍用ヘリが積み重なっているのです。
ベトナム戦争終結からは40年近く経ちます。
私とほぼ同世代のベトナムの作家の、事実を記録するのとは違う、独特の距離感を持った映像表現に共感しました。

*
先月はそんな横浜で森田さんと会ったのでしたが、やはり作業をするにはこちらから出向かなくてはなりません。
思い起こせば鶴橋に森田さんを訪ねた一番最初は2013年の1月でした。
まだ会うのは2回目なのに、いきなりヌードモデルになってもらうというのは、なかなか急な展開でした。
しかし会える機会は限られているし、具体的に作業を始めてみるしかないと思いました。
私はスタイロフォームと石塑粘土、作業道具一式を持って行きました。
基本的には写真などで記録して帰ってから作業をするのですが、小さい立体を作る支度をして行ったのです。
素早くその場でスタイロフォームを削り石塑粘土を盛って造形するという目論みで、そんな大道芸みたいな早業ができるのかどうか、自分でも謎でした。
はっきりしているのは、複雑なねじれをもって存在する非対称な身体を、図面に起こして計画的に制作することの不可能さの方でした。
CADを使って3Dの設計図を作り3Dコピーで出力するといった最新電脳技術は、言うまでもなく私には無関係です。
それを思えばその場で立体を作って「立体スケッチ」をする方が断然現実的なのでした。
スタジオのロビーで待っていると、森田さんはお茶の支度を持ってエレベーターで降りて来てくれました。
私は、森田さんが普段の生活をどの程度自由にこなしているのかも知りませんでした。
片手でお茶セットを持ったままドアを開ける森田さんを見て、手伝わなくても大丈夫かと思ったりしました。
脱いでもらった森田さんの身体は、私のぼんやりした予想のようなものをはるかに越えた存在でした。
若干の気後れや迷いは、あまりに日常的な感情でしかなく、一瞬にして蒸発してしまいました。
しかし、その深く屈曲した体はやはり、痛々しく思えるものでした。
私の体を無理矢理このように曲げれば間違いなく命はありません。
今思うと変なことを言ったものだと思うのですが、私は「普段、普通にしていて体は痛くないのですか?」と尋ねました。
特に痛みは無く、いろいろな障害はあっても内臓などはとても健康とのことでした。
写真を撮らせてもらい、スケッチをしながら、私はまだ、その骨格も筋肉の流れも理解できずに呆然となっていました。
(続く)
(いげたひろこ)
◆井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
●今日のお勧め作品は前田常作です。

「作品」
油彩
44.7×37.0cm(F8号)
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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