「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第3回

土渕信彦


3.「マルセル・デュシャン」(1938年10月)
 『近代藝術』が刊行された1938年頃から、瀧口は個別作家を対象とする紹介記事や評論を続々と発表している。ミロに関する世界初のモノグラフィ『ミロ』(アトリヱ社、1940年)や、日本の前衛絵画に大きな影響を与えたダリ論などは、つとに有名だが、国民精神総動員体制のもとで「ゲルニカ」を紹介した、「ピカソの壁画」もたいへん意義深いと思う(「みづゑ」37年11月号の「海外前衛美術消息」と、「阿々土」38年1月号の「ピカソの火」をまとめ、『近代藝術』に再録。)。

 これらに勝るとも劣らず重要と思われるのが、1938年10月に「みづゑ」(図3-1)に発表された「マルセル・デュシャン」である。おそらくは日本に初めてデュシャンとその代表作の「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(通称「大ガラス」)を紹介した評論だろう。

図3-1 「みづゑ」1938年10月号図3-1
「みづゑ」1938年10月号


 この論考は、雑誌「ミノトール」6号(1934年12月。図3-2)に発表されたアンドレ・ブルトンのデュシャン論「〈花嫁〉の灯台」を下敷きにしている。内容の中心をなしているのは、「大ガラス」に関するブルトンの解釈(「エロティックな註釈」)、およびブルトンが引用したデュシャン自身の構想(後出「グリーン・ボックス」所収のテクスト)を抄訳して紹介した部分と思われる。ブルトンの「〈花嫁〉の灯台」が、この年に発表されたデュシャンの「グリーン・ボックス」(図3-3)のメモを読み込んで書かれ、その後の「大ガラス」解釈の嚆矢ともなった画期的な論考であったのだから、これは当然といえば当然だろう。なお、「グリーン・ボックス」(1934年、パリ、ローズ・セラヴィ)は、「大ガラス」の制作過程で書き溜めたメモ類の複製を緑色の箱に収めたもの。正式の名称は「大ガラスと同じ「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」である。

図3-2 「ミノトール」誌6号図3-2
「ミノトール」6号、1934年12月


図3-3 デュシャン「グリーン・ボックス」図3-3
デュシャン「グリーン・ボックス」


 しかしながら、この評論にはもちろん瀧口自らの見解や記述も盛り込まれていることは、見落としてはならないだろう。かなり長い導入部では、近代芸術の流れから見たデュシャンの独自の位置付けが論じられており、また全体を受けた結論に当たる部分では、「大ガラス」の素材や制作のプロセスなどが解説され、所有者の変遷や展示歴、さらにはガラスにひび割れが生じた経緯などにも、触れられている。これらの個所はブルトンの論考に直接に基づいたものではないので、この「マルセル・デュシャン」は、ブルトンの論考の単なる抄訳ないし抜粋というよりは、やはり瀧口によるデュシャン論と見なすのが適当だろう。

 念のため、導入部のさわりを以下に引用する。なお、この「マルセル・デュシャン」は、後年、加筆修正された上で、『シュルレアリスムのために』(せりか書房、1968年)に再録された際に、「調革の論理―マルセル・デュシャン」と改題されており、「調革の論理」は、以下の一節から採られたもの。

 「彼にとっては、多少とも論理的な仕方で、客観的な諸形態を分解したり(立体派)、主題の再現的な、またダイナミックな要素を混入したり(後期立体派ないし未来派)することなどは問題でなく、まったく別個な再現的価値の法則、形態の新しい意義を創造することが問題であった。このガラス絵は、その題が示すように機械の新しいオルガニズム、調革の論理のごときものによって、かえって人間的な冒険を生きようとするところの全く新しい可視世界を再創造しようとするものであった」

 図版の取扱い方にも、この論考の独自の意義が認められるように思う。すなわち、掲載されている7点の図版のうち、デュシャンの肖像写真1点、全体図1点、部分図4点の、合計6点(図3-4~9)は、ブルトンの「〈花嫁〉の灯台」には掲載されていない。ブルトンの論考からの転載は「大ガラス」の構成図(図3-10)の1点だけである。

図3-4 瀧口「マルセル・デュシャン」の冒頭部図3-4
瀧口「マルセル・デュシャン」の冒頭部


図3-5 同「大ガラス」全体図図3-5
同「大ガラス」全体図


図3-6 同「占星術者の証拠物」図3-6
同「占星術者の証拠物」


図3-7 同「花嫁」及び「銀河のごときものに囲まれた3箇の空気弁」図3-7
同「花嫁」及び「銀河のごときものに囲まれた3箇の空気弁a a' a''からなる掲示」


図3-8  同「9個の鋳型」部分図3-8
同「9個の鋳型」部分


図3-9 同「9個の鋳型」図3-9
同「9個の鋳型」


図3-10 「大ガラス」構成図図3-10
同「大ガラス」構成図


 1930年代といえば、デュシャンは今日ほど大きな存在ではなく、「大ガラス」もまだ代表作と見なされていなかった頃である。しかも日本では「グリーン・ボックス」を参照するどころか、参考文献の入手も難しかったはずなのに、こうした論考が発表されたのは、やはり驚くべき事柄と思われる。デュシャンに対する瀧口の並々ならぬ関心ないし熱意が窺えるだろう。

 この論考では、「大ガラス」の各部の名称は以下のように訳されている(番号・符号は図3-10に示されたとおり)。参考までに、下段には1968年の『シュルレアリスムのために』に再録された際の、修正後の訳を掲げた。

1.花嫁(或いは女縊死人)、これは1912年の「花嫁」の骨格をなすもの。
1.花嫁(あるいは女縊死人)、これは1912年のタブロー「花嫁」の骨格をなすもの。
2.銀河のごときものに囲まれた3箇の空気弁a a’ a’’からなる掲示。
2.銀河のごときものに囲まれた3箇の換気弁a a’ a’’からなる高所の掲示。
3.9個の鋳型(或いはエロスの機械、独身者の機械、制服の墓地《即ち憲兵、胸甲騎兵、警官、僧侶、メッセンジャ・ボオイ、従僕、葬儀人夫、駅長》)。
3.9個の雄の鋳型(あるいはエロスの機械、独身者の機械、制服とお仕着せの墓地《憲兵、胸甲騎兵、警官、僧侶、カフェのボーイ、デパートのメッセンジャー・ボーイ、従僕、葬儀人足、駅長》)。
4.滑溝(或いは4輪車、或いは橇)。
4.滑溝(あるいは4輪車、あるいは橇)。溝をすべる滑り金PとP’によって支えられている。
5.水車。
5.水車。
6.鋏。
6.鋏。
7.濾過器。
7.濾過器。または篩。
8.チョコレエト粉砕機(b―銃剣、c―襟飾、r―ロオラア、l―ルイ15世式飾縁)。
8.チョコレート粉砕機(b―銃剣、c―ネクタイ、r―ローラー、l―ルイ15世式飾り)。
9.とばしり(無形の部分)。
9.飛沫(描かれなかった部分)。
10.占星術者の証拠物。
10.眼科医の証拠物(検眼表)。
11.重力の管理人(或いは重力の世話人)。
11.重力の管理人(あるいは重力の世話人、描かれなかった部分)。
12.打撃(無形の部分)。
12.射撃
13.花嫁の衣裳。
13.花嫁の衣裳。

 両訳には30年の隔たりがあるのだから、初出には表記などにやや時代が感じられるのは、やむを得ないだろう。特に注目されるのは、「10」の「占星術者の証拠物」の訳である。この訳はその後、最晩年まで瀧口が「大ガラス」との関わりを続ける間に、幾度か変化していく。年代順にたどると、次のようになる。

 占星術者の証拠物…「マルセル・デュシャン」、「みづゑ」、1938年10月
 占星術のめじるし…異色作家列伝12「デュシャン」、「芸術新潮」、1955年12月
 占星術のしるし…『幻想画家論』、1959年1月
 眼科医の証拠物(検眼表)…『シュルレアリスムのために』、1968年4月
 検眼図…『マルセル・デュシャン語録』、1968年7月
 検眼図…『檢眼圖』、1977年

 こうした訳語の変遷は、1938年の「マルセル・デュシャン」から、岡崎和郎との共作のマルチプル「檢眼圖」(1977年)に至るまで、約40年間の瀧口の考証の蓄積ないし深化を物語るものだろう。最晩年に至ってもなお考証が進行中であった様子は、手作り本『檢眼圖傍白』(1977年)で確認されるが、ここでは立ち入らない。そうした考証の深化を視野に入れたうえで、改めて本稿が対象とする「マルセル・デュシャン」を読み返すと、この論考が単に日本初のデュシャン論であるだけではなく、瀧口自身にとっても、その後40年以上に亘って文字通りのライフワークとして継続された、デュシャン研究・考証の契機となった記念すべき評論であることがわかるだろう。(続く)
つちぶちのぶひこ

●今日のお勧め作品はマルセル・デュシャンの銅版画です。
デュシャン「WITH MISSING ELEMENTS ADDED」
マルセル・デュシャン
完成された大ガラス
エッチング
イメージサイズ:34.9×23.3cm
紙サイズ:41.9×50.2cm
版上サインあり

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◆ときの忘れものは2014年11月5日[水]―11月22日[土]「瀧口修造展 III 瀧口修造とマルセル・デュシャン」を開催しています(*会期中無休)。
DM_m
1月3月に続く3回展です。
瀧口修造のデカルコマニー、ドローイング、《シガー・ボックス》、《シガー・ボックス TEN-TEN》、《扉に鳥影》、マルセル・デュシャンの《グリーン・ボックス》、オリジナル銅版画『大ガラス』、奈良原一高の写真《デュシャン 大ガラス》連作、瀧口修造・岡崎和郎《檢眼圖》をご覧いただき、瀧口とデュシャンとの交流の実相と精神的な絆の一端を明らかにします。

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64ページ 21.5x15.2cm
執筆:大谷省吾「瀧口修造のデカルコマニーをめぐって」
再録:瀧口修造「百の眼の物語」(『美術手帖』216号、1963年2月、美術出版社)
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