私の人形制作第65回 井桁裕子
秋も深まり、年末の予定の話が出る時期になりました。
春にはまだ花瓶に入っていた菊が、花壇に根付いて大きく伸び、たくさん花が咲きました。
季節が変わってもこの連載は話がなかなか先に進みません。今回も寄り道です。
*
森田かずよさんとの出会い―その5・大阪へ
森田さんの身体を見てまず「痛くないのか」と心配になった私ですが、正しく人に思いやりができるようになるのは難しい事です。
では、人はともかく、自分の感覚ならば常に把握できているかといえば、これもそれほど確実なものではないと思います。
ある種の心の状況においては感じる事が抑圧され、自分で自分を壊し、苦しみに他者を巻き込んで行くことも起こります。
以前「自分がどう見えるか」を客観視したい願望からセルフポートレートの人形を作ったという、20代の終わりの頃の話を書きました。
それは一方で、自分が無意識にひどい無理をして体を壊したりする状況から脱出して、自分の状態をちゃんと意識できるようになるための始めの一歩でした。
身体には、他者からどう見られているかという問題と、自分が何を感覚しているかという問題があると思います。
外側から見える身体の問題から始まった造形は、無茶な扱いをされて壊れた人形のような自分を、心身ともに回復する道のりへと通じていたのです。
私は作品をなるべく「人形」と言うことにしているのですが、それは、そのほうがこういった経緯を忘れずにいられると考えたからです。
現在、ときの忘れものサイトで載せて頂いている私のプロフィール写真は、横から撮影されたポートレートです。
正面からの写真と違って特徴的ななで肩の猫背がよく分かり、身体性をよく捉えていると言えるかもしれません。
私の猫背はある時期はもっとはっきりしていて、立ち上がったチンパンジーのように首が突き出していました。今はかなり治ってこの程度というわけです。
猫背に気がついたのは30代になってからです。
その頃はデザインやイラストの仕事をしていました。
下を向いて手元に顔を近づけて細かい絵を描き、0.1ミリの罫線を引き、ピンセットで小さな写植をつまんで張る、といった仕事です。
日々、重い頭をなで肩の長い首で釣り竿のように支える姿勢で一日中過ごしました。
このような仕事で何年も働き、休みといえば人形を作ったりしていてちっとも休みにならない生活の中で、背中は曲がり、頭部を支える背中側の僧帽筋が発達して肩が盛り上がり、りっぱな猫背になったのです。
働けなくなって療養していた時、筋肉が減って10キロ以上も痩せたことがありました。社会復帰できるかと恐ろしかったのですが、背中が伸びて肩の筋肉が落ちたら、埋まっていた長い首が出現して別人のように「良いスタイル」になっていました。
しかし残念ながらそのどちらの写真もありません。
とても具合が悪かった頃、藁をも掴む思いで整体や治療院に通っていました。
遠くの治療院に毎日のように通った時期もありましたが、朝から来ている人は年配の女性がほとんどでした。
施術の前に、みんな腰を回して体操したり、順番に変な形の枕を首に当てながらカーペットの床に寝たりして待つことになっていました。
見ず知らずの人と並んで床で寝ていたりするわけです。
あるとき、70代半ばくらいの痩せた小さな女性が横に寝ていて、私は突然奇妙な感覚に捕われました。
横に居る人と自分の、お互いの意識を入れ替える事ができるような気がしたのです。
二つの身体を同時に感じながら横たわっているかのようだったのです。
その人の体は小さいので、視点も動く時の体の重さも私とは違います。
痛みがあるという訴えは同じでも、自分のように筋肉がよくついた体が感じる痛みとは違うと思いました。固い関節にしがみついている細い筋肉、それを覆う薄い脂肪と柔らかい皮膚、私と仕組みは同じでも様相の違う身体を、内側から感じられるように思ったのです。
その奇妙な感覚は薄れつつもずっと忘れられず、ちょっとした神秘体験のようなものとして記憶していました。
しかし、森田さんの身体と間近に接して、私はあの感覚はただの妄想で、人の身体を内面から知覚する事などまったく不可能なんだと思いました。妄想とはいえ、平面の地図で良く知っていた世界を地球儀の上に投影してみたような、画期的な妄想だったのでしょう。
出会ったばかりの森田さんは地図さえない見知らぬ街、そこに同じような空気と大地があることだけしか確認できていない別の惑星だったのでした。
(続く)
(いげたひろこ)
●今日のお勧め作品は、開催中の「瀧口修造展 III―瀧口修造とマルセル・デュシャン」より瀧口修造作品です。
出品番号9
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"III-43"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.5×13.6cm
シートサイズ :17.5×13.6cm
※III-44と対
出品番号10
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"III-44"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.3×13.6cm
シートサイズ :17.3×13.6cm
※III-43と対
出品番号11
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"I-22"
水彩、紙
イメージサイズ:18.1×11.4cm
シートサイズ :18.2×11.5cm
出品番号12
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"I-34"
水彩、インク、紙
イメージサイズ:34.2×23.6cm
シートサイズ :35.7×25.1cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
秋も深まり、年末の予定の話が出る時期になりました。
春にはまだ花瓶に入っていた菊が、花壇に根付いて大きく伸び、たくさん花が咲きました。
季節が変わってもこの連載は話がなかなか先に進みません。今回も寄り道です。
*
森田かずよさんとの出会い―その5・大阪へ
森田さんの身体を見てまず「痛くないのか」と心配になった私ですが、正しく人に思いやりができるようになるのは難しい事です。
では、人はともかく、自分の感覚ならば常に把握できているかといえば、これもそれほど確実なものではないと思います。
ある種の心の状況においては感じる事が抑圧され、自分で自分を壊し、苦しみに他者を巻き込んで行くことも起こります。
以前「自分がどう見えるか」を客観視したい願望からセルフポートレートの人形を作ったという、20代の終わりの頃の話を書きました。
それは一方で、自分が無意識にひどい無理をして体を壊したりする状況から脱出して、自分の状態をちゃんと意識できるようになるための始めの一歩でした。
身体には、他者からどう見られているかという問題と、自分が何を感覚しているかという問題があると思います。
外側から見える身体の問題から始まった造形は、無茶な扱いをされて壊れた人形のような自分を、心身ともに回復する道のりへと通じていたのです。
私は作品をなるべく「人形」と言うことにしているのですが、それは、そのほうがこういった経緯を忘れずにいられると考えたからです。
現在、ときの忘れものサイトで載せて頂いている私のプロフィール写真は、横から撮影されたポートレートです。
正面からの写真と違って特徴的ななで肩の猫背がよく分かり、身体性をよく捉えていると言えるかもしれません。
私の猫背はある時期はもっとはっきりしていて、立ち上がったチンパンジーのように首が突き出していました。今はかなり治ってこの程度というわけです。
猫背に気がついたのは30代になってからです。
その頃はデザインやイラストの仕事をしていました。
下を向いて手元に顔を近づけて細かい絵を描き、0.1ミリの罫線を引き、ピンセットで小さな写植をつまんで張る、といった仕事です。
日々、重い頭をなで肩の長い首で釣り竿のように支える姿勢で一日中過ごしました。
このような仕事で何年も働き、休みといえば人形を作ったりしていてちっとも休みにならない生活の中で、背中は曲がり、頭部を支える背中側の僧帽筋が発達して肩が盛り上がり、りっぱな猫背になったのです。
働けなくなって療養していた時、筋肉が減って10キロ以上も痩せたことがありました。社会復帰できるかと恐ろしかったのですが、背中が伸びて肩の筋肉が落ちたら、埋まっていた長い首が出現して別人のように「良いスタイル」になっていました。
しかし残念ながらそのどちらの写真もありません。
とても具合が悪かった頃、藁をも掴む思いで整体や治療院に通っていました。
遠くの治療院に毎日のように通った時期もありましたが、朝から来ている人は年配の女性がほとんどでした。
施術の前に、みんな腰を回して体操したり、順番に変な形の枕を首に当てながらカーペットの床に寝たりして待つことになっていました。
見ず知らずの人と並んで床で寝ていたりするわけです。
あるとき、70代半ばくらいの痩せた小さな女性が横に寝ていて、私は突然奇妙な感覚に捕われました。
横に居る人と自分の、お互いの意識を入れ替える事ができるような気がしたのです。
二つの身体を同時に感じながら横たわっているかのようだったのです。
その人の体は小さいので、視点も動く時の体の重さも私とは違います。
痛みがあるという訴えは同じでも、自分のように筋肉がよくついた体が感じる痛みとは違うと思いました。固い関節にしがみついている細い筋肉、それを覆う薄い脂肪と柔らかい皮膚、私と仕組みは同じでも様相の違う身体を、内側から感じられるように思ったのです。
その奇妙な感覚は薄れつつもずっと忘れられず、ちょっとした神秘体験のようなものとして記憶していました。
しかし、森田さんの身体と間近に接して、私はあの感覚はただの妄想で、人の身体を内面から知覚する事などまったく不可能なんだと思いました。妄想とはいえ、平面の地図で良く知っていた世界を地球儀の上に投影してみたような、画期的な妄想だったのでしょう。
出会ったばかりの森田さんは地図さえない見知らぬ街、そこに同じような空気と大地があることだけしか確認できていない別の惑星だったのでした。
(続く)
(いげたひろこ)
●今日のお勧め作品は、開催中の「瀧口修造展 III―瀧口修造とマルセル・デュシャン」より瀧口修造作品です。
出品番号9

"III-43"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.5×13.6cm
シートサイズ :17.5×13.6cm
※III-44と対
出品番号10

"III-44"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:17.3×13.6cm
シートサイズ :17.3×13.6cm
※III-43と対
出品番号11

"I-22"
水彩、紙
イメージサイズ:18.1×11.4cm
シートサイズ :18.2×11.5cm
出品番号12

"I-34"
水彩、インク、紙
イメージサイズ:34.2×23.6cm
シートサイズ :35.7×25.1cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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