<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第23回

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この写真を見たときに、最初に目に入るのは遠くの島だろう。いや、島ではなく、半島かもしれない。そのうしろに陸地が見えるから。どちらであるにせよ、海面に突起する遠くのものへと視線が伸びていく。撮影者の立っている場所は高く、木々の生い茂る山道を歩いていたら、突然、視界が開けて海が見えた、というような印象だ。
それだけならば、のどかな気持ちに浸って終わりなのだが、よく見ると、その道の下方に人がいる。女性がふたり、顔をこちらにむけて立っている。周囲を草木で囲まれ、自然にすっぽりと抱かれるような様子で撮影者のほうを見上げているのだ。ここで思わず、わっ、と声を上げてしまう。そんなところに人がいるとは思わなかった。何度見てもこの驚きはおなじで、視線が遠くに伸び、手前にもどってきて、ふたりの人影を認め、ぎょっとする、というのを繰り返す。
時間は昼間で、木立を見れば光も射しているようなよい天気なのに、ここに漂う気配はただごとではない。いきなり妖怪が現れたような鬼気迫るものがある。ふたりの足が枝に隠れて写っていないからだろうか。顔がよく似ていることも関係しているのだろうか。
もし画面全体が森で、木々の上にただ空が見えているだけならば、ふたりがいたとしても、さほど異様ではないだろう。上の部分を隠してみると、それがわかる。草木の繁茂する山道に人がいる、というシンプルな構図で、驚くものはなにもない。ということは、茂みのむこうに荒磯が見え、そこに巨大な岩が転がっていて、浜には白波が立っていることがいけないのだ。それが異界を連想させてしまうのである。
縦長の画面のなかに、距離感の異なるものが配されているのは、掛け軸などによく見られる構図である。いちばん手前が撮影者のいる場所で、つぎがふたりの女性が立っている階段で、そのあと磯、海原、遠くの島へとつづく。近くから遠くへと視線をひっぱる導線が敷かれ、はるか彼方に伸びていこうとする心の動きを誘発する。見る側の気持ちがそれに乗って移動しようとしたとき、下から見上げるふたりの視線にばさっと断ち切られるのだ。まさしく薮から棒な視線。
つまりこの写真には、スチルのなかに動画のような視点の動きが幾重にも埋め込まれている。それは距離の差と高低差の掛け合わせからくるものであり、目が移るたびに異なる感情と体感が刺激される。この感じ、なにかに似ているなと思ったら、北斎だ。彼の浮世絵を見ているときにわき起こる感覚には、これに近い揺さぶりがあるような気がする。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
百々俊二
〈日本海〉より
「青海島」
2011年撮影(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:55.0x44.0cm
シートサイズ:60.9x50.8cm
サインあり
■百々俊二 Shunji DODO(1947-)
1947 大阪府生まれ
1996『楽土紀伊半島』で日本写真協会年度賞
1999 『千年楽土』で第24回伊奈信男賞
2007 日本写真芸術学会 芸術賞
2011『大阪』で第23回写真の会賞、第27回東川賞受賞
~~~~
●写真集のご案内
今夏、赤々舎から百々俊二さんの写真集『日本海 / Japan Sea』が刊行されました。上掲の作品も収録されています。
百々俊二写真集『日本海 / Japan Sea』
2014年
赤々舎 発行
324ページ
26.0x26.0cm
上製本
アートディレクション:鈴木一誌
遠近法に抗う本能的なまなざし。
百々俊二、日本海から日本を見る。
「日本地図をひっくり返して大陸側から見ると、日本海は大きな湖のようだ。」
「日本海沿岸はかつて大陸からの文化が入ってくる表玄関だった。」
1947年生まれの百々俊二が好奇心の塊となり、8x10の大型カメラをかついで、生命の気の向くままに、人間と一体関係にある「風土」を旅をした。
三脚を据えて、カメラを真ん中に被写体と相対する。
萩市のしだれ桜の下、佐渡の海が見える棚田、吹雪の利尻島。それぞれの土地で根を張り悠々閑々と生きているひとがいる。いつの時代もそうであるように、そこにいる、と感じられる少年少女、子供たちとの嬉しい出会いもそこに加わった。そうして日本海沿岸を撮られた写真は、その土地を故郷とする人々の堂々とした姿、風土の記憶をモノクロームにうつした、日本文化の源の記録の一冊である。
「この映像作家の眼には、あの西欧ルネッサンスの画家たちが発見した遠近法に抗う本能的なまなざしが宿っているのではないか、とさえ思う。かつて、その同じ遠近法に反逆したのが北斎だった。(中略)カメラは水平に向けられていても、そこに写しとられる光景はいつのまにか垂直軸に沿った俯瞰構成にすり変っている。百々俊二さんは、北斎と蕪村を両睨みにして立つ、現代では珍しくなった写真家であるといっていいであろう。」――本書寄稿 山折哲雄< 両睨みの眼>より
(赤々舎HPより転載)
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

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この写真を見たときに、最初に目に入るのは遠くの島だろう。いや、島ではなく、半島かもしれない。そのうしろに陸地が見えるから。どちらであるにせよ、海面に突起する遠くのものへと視線が伸びていく。撮影者の立っている場所は高く、木々の生い茂る山道を歩いていたら、突然、視界が開けて海が見えた、というような印象だ。
それだけならば、のどかな気持ちに浸って終わりなのだが、よく見ると、その道の下方に人がいる。女性がふたり、顔をこちらにむけて立っている。周囲を草木で囲まれ、自然にすっぽりと抱かれるような様子で撮影者のほうを見上げているのだ。ここで思わず、わっ、と声を上げてしまう。そんなところに人がいるとは思わなかった。何度見てもこの驚きはおなじで、視線が遠くに伸び、手前にもどってきて、ふたりの人影を認め、ぎょっとする、というのを繰り返す。
時間は昼間で、木立を見れば光も射しているようなよい天気なのに、ここに漂う気配はただごとではない。いきなり妖怪が現れたような鬼気迫るものがある。ふたりの足が枝に隠れて写っていないからだろうか。顔がよく似ていることも関係しているのだろうか。
もし画面全体が森で、木々の上にただ空が見えているだけならば、ふたりがいたとしても、さほど異様ではないだろう。上の部分を隠してみると、それがわかる。草木の繁茂する山道に人がいる、というシンプルな構図で、驚くものはなにもない。ということは、茂みのむこうに荒磯が見え、そこに巨大な岩が転がっていて、浜には白波が立っていることがいけないのだ。それが異界を連想させてしまうのである。
縦長の画面のなかに、距離感の異なるものが配されているのは、掛け軸などによく見られる構図である。いちばん手前が撮影者のいる場所で、つぎがふたりの女性が立っている階段で、そのあと磯、海原、遠くの島へとつづく。近くから遠くへと視線をひっぱる導線が敷かれ、はるか彼方に伸びていこうとする心の動きを誘発する。見る側の気持ちがそれに乗って移動しようとしたとき、下から見上げるふたりの視線にばさっと断ち切られるのだ。まさしく薮から棒な視線。
つまりこの写真には、スチルのなかに動画のような視点の動きが幾重にも埋め込まれている。それは距離の差と高低差の掛け合わせからくるものであり、目が移るたびに異なる感情と体感が刺激される。この感じ、なにかに似ているなと思ったら、北斎だ。彼の浮世絵を見ているときにわき起こる感覚には、これに近い揺さぶりがあるような気がする。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
百々俊二
〈日本海〉より
「青海島」
2011年撮影(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:55.0x44.0cm
シートサイズ:60.9x50.8cm
サインあり
■百々俊二 Shunji DODO(1947-)
1947 大阪府生まれ
1996『楽土紀伊半島』で日本写真協会年度賞
1999 『千年楽土』で第24回伊奈信男賞
2007 日本写真芸術学会 芸術賞
2011『大阪』で第23回写真の会賞、第27回東川賞受賞
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●写真集のご案内
今夏、赤々舎から百々俊二さんの写真集『日本海 / Japan Sea』が刊行されました。上掲の作品も収録されています。
百々俊二写真集『日本海 / Japan Sea』
2014年
赤々舎 発行
324ページ
26.0x26.0cm
上製本
アートディレクション:鈴木一誌
遠近法に抗う本能的なまなざし。
百々俊二、日本海から日本を見る。
「日本地図をひっくり返して大陸側から見ると、日本海は大きな湖のようだ。」
「日本海沿岸はかつて大陸からの文化が入ってくる表玄関だった。」
1947年生まれの百々俊二が好奇心の塊となり、8x10の大型カメラをかついで、生命の気の向くままに、人間と一体関係にある「風土」を旅をした。
三脚を据えて、カメラを真ん中に被写体と相対する。
萩市のしだれ桜の下、佐渡の海が見える棚田、吹雪の利尻島。それぞれの土地で根を張り悠々閑々と生きているひとがいる。いつの時代もそうであるように、そこにいる、と感じられる少年少女、子供たちとの嬉しい出会いもそこに加わった。そうして日本海沿岸を撮られた写真は、その土地を故郷とする人々の堂々とした姿、風土の記憶をモノクロームにうつした、日本文化の源の記録の一冊である。
「この映像作家の眼には、あの西欧ルネッサンスの画家たちが発見した遠近法に抗う本能的なまなざしが宿っているのではないか、とさえ思う。かつて、その同じ遠近法に反逆したのが北斎だった。(中略)カメラは水平に向けられていても、そこに写しとられる光景はいつのまにか垂直軸に沿った俯瞰構成にすり変っている。百々俊二さんは、北斎と蕪村を両睨みにして立つ、現代では珍しくなった写真家であるといっていいであろう。」――本書寄稿 山折哲雄< 両睨みの眼>より
(赤々舎HPより転載)
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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