シンガポールから凱旋したスタッフたちが出勤し、久しぶりに全員が揃い、にぎやかになりました。
アートフェアの顛末については新澤が7日のブログで報告することになっていますが、もとはと言えばアートステージというメジャーなアートフェアに応募したつもりが間違って今年スタートしたばかりのフェアに申し込むという「勘違い」からスタートした出展でした。社長も亭主もまったくタッチせず、大番頭尾立率いる若いスタッフたちが、瓢箪から駒で望外の成果を獲得したことは大きな自信になったことでしょう。
現地まで同行してくれた葉栗剛さん、長崎美希さん、野口琢郎さん、そしてスタッフでもある秋葉の出展作家4人の皆さんには本当にお疲れさまでした。
いろいろアドバイスして下った先輩ギャラリーの皆さんにも厚く御礼を申し上げます。
画廊では入札による「戦後の前衛美術’50~’70 S氏コレクションより」を開催していますが、本日は亭主の専門でもある版画作品をご紹介します。

出品番号1
赤瀬川原平
「ねじ式」
1969年 シルクスクリーン
51.7×75.5cm
Ed.100
Signed
■赤瀬川原平 Genpei AKASEGAWA(1937-2014)
横浜生まれ。本名、 赤瀬川克彦。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。純文学作家としては「尾辻克彦」と名乗る。直木賞作家の赤瀬川隼は実兄。1958年読売アンデパンダン展に出品、以後1964年の終了時まで出品する。1960年篠原有司男、吉村益信、荒川修作らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加。1963年には中西夏之、高松次郎と「ハイレッド・センター」の活動を開始し、「反芸術」を代表する作家となる。そのころ制作した一連の《模型千円札》が「通貨及証券模造取締法」違反で起訴された。この「千円札裁判」では瀧口修造らが特別弁護人として参加、芸術とは何かが法廷で争われた。前衛美術家、漫画家・イラストレーター、小説家・エッセイスト、写真家など多彩な顔をもち、1981年には芥川賞を受賞。「超芸術トマソン」「路上観察学会」「ライカ同盟」などの活動で、街中で発見した奇妙な物件を写真に記録・発表した。
千葉市美術館で「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」が開催されている。
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出品番号2
秋山静
「BLUE HORIZON」
1976年 木版
22.7×30.0cm
Ed.30
Signed
■秋山静 Shizuka AKIYAMA(1932-1997)
茨城県生まれ。青一色のグラデーションで構成された神秘的な木版画で 国際的な評価を得る。1977年第8回版画グランプリ受賞。1979年日本現代版画 展(ボストン)、1983年現代日本版画ポーランド巡回展。1987年新構造社展文 部大臣賞受賞。1995年日韓現代美術展(ソウル)に出品。
女性をモチーフに清潔なエロスを表現した独特の表現が高く評価された。
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出品番号3
荒木哲夫
「悪の華」
1978年 銅版
29.3×29.6cm
Ed.20
Signed
■荒木哲夫 Tetsuo ARAKI(1937-1984)
東京生まれ。10歳の時、肋膜からカリエスという宿痾に襲われる。1962年武蔵野美術大学卒業。パリのフリードランデル工房で銅版画を学ぶ。1968年、1970年クラコウ国際版画ビエンナーレ・クラコ ウ国立美術館賞。帰国後は東京芸術大学で駒井哲郎に師事、銅版画を中心に多様な技法を駆使して独特の心象風景を描いた。46歳の若さで逝き、その才能が惜しまれた。
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出品番号4
磯辺行久
「室内」
1956年 リトグラフ
41.5×57.2cm
Signed
■磯辺行久 Yukihisa ISOBE(1936-)
東京生まれ。高校時代に、瑛九らのデモクラート美術家協会に入会、リ トグラフの制作を始める。62年読売アンデパンダン展にワッペンを連ねたレリ ーフ作品を出品し注目を集める。瑛九のもとに集まった若い才能の中で池田満寿夫、靉嘔と三羽烏といわれ、63年には日本国際美術展で優秀賞を受賞。66年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニ ングを手掛ける。91年目黒区美術館で個展開催。再び美術家として制作活動を再開した。
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出品番号9
内間安瑆
「蜃気楼」
1959年 木版
28.8×46.0cm
Ed.10
Signed
■内間安瑆 Ansei UCHIMA(1921-2000)
沖縄からの移民の子としてアメリカに生れる。40年日本に留学、早稲田大学で建築を学ぶ。戦後、創作版画の恩地孝四郎に巡り逢い抽象木版に志す。55年東京・養清堂画廊 で初個展。60年帰米、以降ニューヨーク在住。62,70年グッゲンハイム・フェ ローシップ版画部門で受賞。サラ・ローレンス大学名誉教授。浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と呼ぶ独自の技法を確立し、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた『森の屏風 Forest Byobu』連作を生み出す。鮮やかな色彩のハーモニー、微妙なぼかしが入った色面が幾重にも重なる複雑な構成、多色にもかかわらず画面全体には静かな気品が漂う作品群はアメリカで高い評価を獲得した。2014年沖縄県立美術館で回顧展が開催された。
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出品番号11
岡本太郎
「メタモルフォーズ」
1960年 リトグラフ
24.2×34.8cm
E.A.(Ed.100)
Signed
■岡本太郎 Taro OKAMOTO(1911-1996)
神奈川県生まれ。1930年から1940年までをフランスで過ごす。 1948年花田清輝らと「夜の会」を結成し前衛美術運動を始め、同年9月に「アヴァンギャルド芸術研究会」を結成。抽象美術運動やシュルレアリスム運動と 直接関わる。戦後、絵画や立体を精力的に制作するだけでなく、旺盛な執筆活動も行なった。1969年壁画《明日の神話》完成(メキシコ)。1970年万国博にて《太陽の塔》を制作する。
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出品番号12
桂川寛
「カフカ〈バケツ乗り〉より」
1951年 孔版
15.3×9.5cm
Signed
■桂川寛 Hiroshi KATSURAGAWA(1924-2011)
北海道生まれ。1948年多摩美術専門学校入学。1949年勅使河原宏、 関根弘、瀬木慎一、安部公房らが結成した「世紀の会」に参加。1950年第2回読売アンデパンダン展に「開花期」出品。1952年前衛美術会に入会、小河内ダ ム建設反対運動に加わりルポタージュ絵画を制作。1968年「反戦と開放展」、1975年「天皇・戦争・アジア展」、1987年「パレスチナ連帯展」を開 催。2004年『廃墟の前衛――回想の戦後美術』を刊行。
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出品番号15
斎藤吾朗
「絵歌仙“夏の月”の巻」
シルクスクリーン
22.0×62.5cm
E.P.
Signed
■斎藤吾朗 Goro SAITO(1947-)
愛知県生まれ。多摩美術大学油絵科卒業。1971年同大学研究科修了。1973年日本人では初のルーブル美術館でのモナ・リザの公認模写を行う。1974年「屋根の上の記念撮影」第18回シェル美術賞展で2等受賞。1975年 「屋根の上の七五三」で第43回独立展独立賞および海老原賞を受賞。1998年 「おばあさんのモナ・リザ」油絵の版画版(2003)がルーブル美術館館長の所蔵品となっている。自らが赤絵と呼ぶ鮮やかな赤色を基調とした絵で、三河の風景や身近な題材を描く。独立美術協会会員。1998年池田20世紀美術館で「斎藤吾朗の世界展」が開催された。
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出品番号16
斎藤義重
「BEAUPIN (Black)」
1972年 スペシャルプリント(合成樹脂・アルミ板)
71.5×59.2cm
Ed.50
Signed
■斎藤義重 Yoshishige SAITO(1904-2001)
東京生まれ。造形作家。大正から昭和初期、当時さかんに移入された ヨーロッパの前衛美術、とりわけダダと構成主義を手がかりに自身の表現を模 索。二科展にレリーフ状の作品を出品しようとしたところ絵画部・彫刻部とも に受け付けられなかったというように、戦前から既成のジャンル分けではとらえきれない作品によって異彩をはなつ。戦後、国内外からの評価が高まり多摩美術大学の斎藤教室からは関根伸夫はじめ1970年前後に登場する「もの派」を筆頭に、すぐれた現代作家が輩出した。1960年代前半に集中して取り組んだ電動ドリルで合板に点や線 を刻み絵具を塗りこめる作品では、板面を刻む行為と、その痕跡としての傷が 主題となっている。晩年は黒色に塗布された板を連結した「複合体」シリーズへと進展し、独自の構成主義的作品を制作した。97歳の長寿を全うしたが、生前から東京国立近代美術館はじめ主要美術館で幾度も回顧展が開催されている。
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出品番号17
篠原有司男
「Coffee Break」
1976年 シルクスクリーン
38.0×50.0cm
Ed.30
Signed
■篠原有司男 Ushio SHINOHARA(1932-)
東京生まれ。本名・牛男。愛称「ギューチャン」。1952年東京芸術大学美術学部油絵科に入学、林武に師事するが中退。1960年「読売アンデパンダン展」で活躍していた吉村益信、赤瀬川原平、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・ オルガナイザーズ」を結成。その後も「イミテーション・アート」や「花魁シ リーズ」などの作品を次々と発表。「ボクシング・ペインティング」は篠原の代名詞となるが、これはマスメディア向けのパフォーマンスであり、芸術のつ もりは毛頭なかったと、のちに赤瀬川との対談で明かしている。1969年、ロ ックフェラー三世基金の奨学金を受けて渡米し、以後ニューヨークに在住。2007年第48回毎日芸術賞を受賞。2012年、ニューヨーク州立大学ニューパルス校ドースキー美術館で初の回顧展を開催。2013年篠原有司男・乃り子夫妻の日常を綴ったドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(監督:ザッカリー・ハインザーリング)が話題となった。
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出品番号18
菅木志雄
「(作品)」
1973年 和紙・シルクスクリーン
50.5×35.5cm
Ed.50
Signed
■菅木志雄 Kishio SUGA(1944-)
岩手県生まれ。多摩美術大学油画科で学ぶ。在学中に斎藤義重と高松次郎に影響を受け、「もの派」グループの中心メンバーとなる。視角を操作する絵や立体作品の制作と同時に素材を使った《積層空間(1968)》のような作品制作を始める。1967年第11回シェル美術賞展1等賞受賞。1968年椿近代画廊で初個展。1970年第5回ジャパン・アート・フェスティバル大賞を受賞。ギャラリーのみならず、東京都現代美術館など各地の美術館で個展を開催する。海外での発表(1973年パリビエンナーレ、1986年ポンピドゥー美術館、1994年グッゲ ンハイム美術館等)も多い。夫人は詩人・小説家の富岡多恵子。
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出品番号25
日和崎尊夫
「自在圏」
1978年 木口木版
18.9×12.9cm
Ed.50
Signed
■日和崎尊夫 Takao HIWASAKI(1941-1992)
高知県生まれ。日本美術家連盟の版画工房で畦地梅太郎の講習と、加藤清美の腐食銅版画の講習を受講。1964年帰郷し、廃れていた木口木版画技法を独学で身につけ、「海渕の薔薇」「KALPA」など完成度の高い作品を発 表し一躍注目を集める。1966年日本版画協会新人賞、1967年日本版画協会賞を受賞。1977年木口木 版画家の会「鑿の会」結成に参加。1991年山口源大賞を受賞。闇を刻む詩人と謳われ、[版]でしか表現できない独自の世界を築き、数々の酒にまつわる武勇伝に彩られた天才画家は50歳で逝ったが、短い生涯に500点余りの木口木版画を残した。
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出品番号28
山口健、内田豊清、坂本昌也、丸本明子、杉原清一、佐野義雄
詩と版画『錆』 8点組
1957年 木版、銅版
25.4×35.9cm
Signed
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出品番号29
吉田克朗
「Work "46"」
1975年 リトグラフ
44.8×29.3cm
Ed.100
Signed
■吉田克朗 Katsuro YOSHIDA(1943-1999)
埼玉県生まれ。多摩美術大学絵画科の斎藤義重教室で学ぶ。1968年から70年代にかけて「もの派」の中心作家として〈Cut-off〉シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。 1968年現代日本美術展、1969年「現代美術の動向」展、1971年「パリ青年ビエ ンナーレ」などに出品。1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、1970年第1回ソウル国際版画ビエンナーレで大賞を受賞。1973年文化庁海外芸術研究生としてロンドンに滞在。1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズを制作した。
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出品番号33
吉村益信
「Cut Sea A」
1970年 リトグラフ
29.7×37.9cm
Ed.50
Signed
■吉村益信 Masunobu YOSHIMURA(1932-2011)
大分県生まれ。高校時代は地元大分の美術サークル「新世紀群」で磯崎新、赤瀬川原平、風倉匠らと活動した。1951年武蔵野美術学校油絵科に入学。卒業後は読売アンデパンダン展に出品を始めた。1957年父の遺産を元に新宿区百人町に小さな土地を購入し磯崎新に設計を依頼、住居兼アトリエ「新宿ホワイトハウス」を建て後にネオ・ダダの拠点となる。1960年篠原有司男、荒川修作らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーを結成。1962年渡米。帰国後はネオン・アート、ライト・アート、発注芸術の第一人者として、テクノロジーに関心を寄せた作品が高く評価される。1970年の大阪万国博でも活躍し一躍注目され、その後エコロジーやインドへの接近など反文明的な姿勢を示したが、1970年代後半にはアーティスト・ユニオンの事務局長を務めアーティストの社会的自立に貢献した。常に人々の先頭に立ってリーダーシップを発揮し、既成の枠にとらわれない自由な活動を展開した。
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◆臨時ニュース 大阪で光嶋裕介さんの展示があります
「Winter Drawing Show -谷川夏樹・光嶋裕介・稲田早紀-」
会期:2014年12月5日(金) - 21日(日)
※クロージングパーティ 12月21日(日)
会場:Nii Fine Arts
関西方面の方、ぜひお出かけください。
◆ときの忘れものは2014年11月29日[土]―12月6日[土]「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏のコレクションより、45点を入札方式で頒布します。
出品:赤瀬川原平、秋山静、荒木哲夫、磯辺行久、入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、内田豊清、内間安瑆、漆原英子、岡本太郎、桂川寛、鴨居羊子、河原温、斎藤吾朗、斎藤義重、坂本昌也、佐野儀雄、篠原有司男、菅木志雄、菅創吉、杉原清一、高山良策、建畠覚造、田淵安一、堂本尚郎、日和崎尊夫、三井永一、杢田たけを、元永定正、山口健、吉田克朗、吉仲太造、吉村益信、脇田愛二郎、アルマン、P.アレシンスキー、P.クレー、ケーニグ、P.スーラージュ、セザール、フェイト、フォートリエ、P.モンドリアン、他
アートフェアの顛末については新澤が7日のブログで報告することになっていますが、もとはと言えばアートステージというメジャーなアートフェアに応募したつもりが間違って今年スタートしたばかりのフェアに申し込むという「勘違い」からスタートした出展でした。社長も亭主もまったくタッチせず、大番頭尾立率いる若いスタッフたちが、瓢箪から駒で望外の成果を獲得したことは大きな自信になったことでしょう。
現地まで同行してくれた葉栗剛さん、長崎美希さん、野口琢郎さん、そしてスタッフでもある秋葉の出展作家4人の皆さんには本当にお疲れさまでした。
いろいろアドバイスして下った先輩ギャラリーの皆さんにも厚く御礼を申し上げます。
画廊では入札による「戦後の前衛美術’50~’70 S氏コレクションより」を開催していますが、本日は亭主の専門でもある版画作品をご紹介します。

出品番号1
赤瀬川原平
「ねじ式」
1969年 シルクスクリーン
51.7×75.5cm
Ed.100
Signed
■赤瀬川原平 Genpei AKASEGAWA(1937-2014)
横浜生まれ。本名、 赤瀬川克彦。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。純文学作家としては「尾辻克彦」と名乗る。直木賞作家の赤瀬川隼は実兄。1958年読売アンデパンダン展に出品、以後1964年の終了時まで出品する。1960年篠原有司男、吉村益信、荒川修作らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加。1963年には中西夏之、高松次郎と「ハイレッド・センター」の活動を開始し、「反芸術」を代表する作家となる。そのころ制作した一連の《模型千円札》が「通貨及証券模造取締法」違反で起訴された。この「千円札裁判」では瀧口修造らが特別弁護人として参加、芸術とは何かが法廷で争われた。前衛美術家、漫画家・イラストレーター、小説家・エッセイスト、写真家など多彩な顔をもち、1981年には芥川賞を受賞。「超芸術トマソン」「路上観察学会」「ライカ同盟」などの活動で、街中で発見した奇妙な物件を写真に記録・発表した。
千葉市美術館で「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」が開催されている。
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出品番号2
秋山静
「BLUE HORIZON」
1976年 木版
22.7×30.0cm
Ed.30
Signed
■秋山静 Shizuka AKIYAMA(1932-1997)
茨城県生まれ。青一色のグラデーションで構成された神秘的な木版画で 国際的な評価を得る。1977年第8回版画グランプリ受賞。1979年日本現代版画 展(ボストン)、1983年現代日本版画ポーランド巡回展。1987年新構造社展文 部大臣賞受賞。1995年日韓現代美術展(ソウル)に出品。
女性をモチーフに清潔なエロスを表現した独特の表現が高く評価された。
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出品番号3
荒木哲夫
「悪の華」
1978年 銅版
29.3×29.6cm
Ed.20
Signed
■荒木哲夫 Tetsuo ARAKI(1937-1984)
東京生まれ。10歳の時、肋膜からカリエスという宿痾に襲われる。1962年武蔵野美術大学卒業。パリのフリードランデル工房で銅版画を学ぶ。1968年、1970年クラコウ国際版画ビエンナーレ・クラコ ウ国立美術館賞。帰国後は東京芸術大学で駒井哲郎に師事、銅版画を中心に多様な技法を駆使して独特の心象風景を描いた。46歳の若さで逝き、その才能が惜しまれた。
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出品番号4
磯辺行久
「室内」
1956年 リトグラフ
41.5×57.2cm
Signed
■磯辺行久 Yukihisa ISOBE(1936-)
東京生まれ。高校時代に、瑛九らのデモクラート美術家協会に入会、リ トグラフの制作を始める。62年読売アンデパンダン展にワッペンを連ねたレリ ーフ作品を出品し注目を集める。瑛九のもとに集まった若い才能の中で池田満寿夫、靉嘔と三羽烏といわれ、63年には日本国際美術展で優秀賞を受賞。66年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニ ングを手掛ける。91年目黒区美術館で個展開催。再び美術家として制作活動を再開した。
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出品番号9
内間安瑆
「蜃気楼」
1959年 木版
28.8×46.0cm
Ed.10
Signed
■内間安瑆 Ansei UCHIMA(1921-2000)
沖縄からの移民の子としてアメリカに生れる。40年日本に留学、早稲田大学で建築を学ぶ。戦後、創作版画の恩地孝四郎に巡り逢い抽象木版に志す。55年東京・養清堂画廊 で初個展。60年帰米、以降ニューヨーク在住。62,70年グッゲンハイム・フェ ローシップ版画部門で受賞。サラ・ローレンス大学名誉教授。浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と呼ぶ独自の技法を確立し、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた『森の屏風 Forest Byobu』連作を生み出す。鮮やかな色彩のハーモニー、微妙なぼかしが入った色面が幾重にも重なる複雑な構成、多色にもかかわらず画面全体には静かな気品が漂う作品群はアメリカで高い評価を獲得した。2014年沖縄県立美術館で回顧展が開催された。
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出品番号11
岡本太郎
「メタモルフォーズ」
1960年 リトグラフ
24.2×34.8cm
E.A.(Ed.100)
Signed
■岡本太郎 Taro OKAMOTO(1911-1996)
神奈川県生まれ。1930年から1940年までをフランスで過ごす。 1948年花田清輝らと「夜の会」を結成し前衛美術運動を始め、同年9月に「アヴァンギャルド芸術研究会」を結成。抽象美術運動やシュルレアリスム運動と 直接関わる。戦後、絵画や立体を精力的に制作するだけでなく、旺盛な執筆活動も行なった。1969年壁画《明日の神話》完成(メキシコ)。1970年万国博にて《太陽の塔》を制作する。
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出品番号12
桂川寛
「カフカ〈バケツ乗り〉より」
1951年 孔版
15.3×9.5cm
Signed
■桂川寛 Hiroshi KATSURAGAWA(1924-2011)
北海道生まれ。1948年多摩美術専門学校入学。1949年勅使河原宏、 関根弘、瀬木慎一、安部公房らが結成した「世紀の会」に参加。1950年第2回読売アンデパンダン展に「開花期」出品。1952年前衛美術会に入会、小河内ダ ム建設反対運動に加わりルポタージュ絵画を制作。1968年「反戦と開放展」、1975年「天皇・戦争・アジア展」、1987年「パレスチナ連帯展」を開 催。2004年『廃墟の前衛――回想の戦後美術』を刊行。
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出品番号15
斎藤吾朗
「絵歌仙“夏の月”の巻」
シルクスクリーン
22.0×62.5cm
E.P.
Signed
■斎藤吾朗 Goro SAITO(1947-)
愛知県生まれ。多摩美術大学油絵科卒業。1971年同大学研究科修了。1973年日本人では初のルーブル美術館でのモナ・リザの公認模写を行う。1974年「屋根の上の記念撮影」第18回シェル美術賞展で2等受賞。1975年 「屋根の上の七五三」で第43回独立展独立賞および海老原賞を受賞。1998年 「おばあさんのモナ・リザ」油絵の版画版(2003)がルーブル美術館館長の所蔵品となっている。自らが赤絵と呼ぶ鮮やかな赤色を基調とした絵で、三河の風景や身近な題材を描く。独立美術協会会員。1998年池田20世紀美術館で「斎藤吾朗の世界展」が開催された。
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出品番号16
斎藤義重
「BEAUPIN (Black)」
1972年 スペシャルプリント(合成樹脂・アルミ板)
71.5×59.2cm
Ed.50
Signed
■斎藤義重 Yoshishige SAITO(1904-2001)
東京生まれ。造形作家。大正から昭和初期、当時さかんに移入された ヨーロッパの前衛美術、とりわけダダと構成主義を手がかりに自身の表現を模 索。二科展にレリーフ状の作品を出品しようとしたところ絵画部・彫刻部とも に受け付けられなかったというように、戦前から既成のジャンル分けではとらえきれない作品によって異彩をはなつ。戦後、国内外からの評価が高まり多摩美術大学の斎藤教室からは関根伸夫はじめ1970年前後に登場する「もの派」を筆頭に、すぐれた現代作家が輩出した。1960年代前半に集中して取り組んだ電動ドリルで合板に点や線 を刻み絵具を塗りこめる作品では、板面を刻む行為と、その痕跡としての傷が 主題となっている。晩年は黒色に塗布された板を連結した「複合体」シリーズへと進展し、独自の構成主義的作品を制作した。97歳の長寿を全うしたが、生前から東京国立近代美術館はじめ主要美術館で幾度も回顧展が開催されている。
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出品番号17
篠原有司男
「Coffee Break」
1976年 シルクスクリーン
38.0×50.0cm
Ed.30
Signed
■篠原有司男 Ushio SHINOHARA(1932-)
東京生まれ。本名・牛男。愛称「ギューチャン」。1952年東京芸術大学美術学部油絵科に入学、林武に師事するが中退。1960年「読売アンデパンダン展」で活躍していた吉村益信、赤瀬川原平、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・ オルガナイザーズ」を結成。その後も「イミテーション・アート」や「花魁シ リーズ」などの作品を次々と発表。「ボクシング・ペインティング」は篠原の代名詞となるが、これはマスメディア向けのパフォーマンスであり、芸術のつ もりは毛頭なかったと、のちに赤瀬川との対談で明かしている。1969年、ロ ックフェラー三世基金の奨学金を受けて渡米し、以後ニューヨークに在住。2007年第48回毎日芸術賞を受賞。2012年、ニューヨーク州立大学ニューパルス校ドースキー美術館で初の回顧展を開催。2013年篠原有司男・乃り子夫妻の日常を綴ったドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(監督:ザッカリー・ハインザーリング)が話題となった。
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出品番号18
菅木志雄
「(作品)」
1973年 和紙・シルクスクリーン
50.5×35.5cm
Ed.50
Signed
■菅木志雄 Kishio SUGA(1944-)
岩手県生まれ。多摩美術大学油画科で学ぶ。在学中に斎藤義重と高松次郎に影響を受け、「もの派」グループの中心メンバーとなる。視角を操作する絵や立体作品の制作と同時に素材を使った《積層空間(1968)》のような作品制作を始める。1967年第11回シェル美術賞展1等賞受賞。1968年椿近代画廊で初個展。1970年第5回ジャパン・アート・フェスティバル大賞を受賞。ギャラリーのみならず、東京都現代美術館など各地の美術館で個展を開催する。海外での発表(1973年パリビエンナーレ、1986年ポンピドゥー美術館、1994年グッゲ ンハイム美術館等)も多い。夫人は詩人・小説家の富岡多恵子。
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出品番号25
日和崎尊夫
「自在圏」
1978年 木口木版
18.9×12.9cm
Ed.50
Signed
■日和崎尊夫 Takao HIWASAKI(1941-1992)
高知県生まれ。日本美術家連盟の版画工房で畦地梅太郎の講習と、加藤清美の腐食銅版画の講習を受講。1964年帰郷し、廃れていた木口木版画技法を独学で身につけ、「海渕の薔薇」「KALPA」など完成度の高い作品を発 表し一躍注目を集める。1966年日本版画協会新人賞、1967年日本版画協会賞を受賞。1977年木口木 版画家の会「鑿の会」結成に参加。1991年山口源大賞を受賞。闇を刻む詩人と謳われ、[版]でしか表現できない独自の世界を築き、数々の酒にまつわる武勇伝に彩られた天才画家は50歳で逝ったが、短い生涯に500点余りの木口木版画を残した。
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出品番号28
山口健、内田豊清、坂本昌也、丸本明子、杉原清一、佐野義雄
詩と版画『錆』 8点組
1957年 木版、銅版
25.4×35.9cm
Signed
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出品番号29
吉田克朗
「Work "46"」
1975年 リトグラフ
44.8×29.3cm
Ed.100
Signed
■吉田克朗 Katsuro YOSHIDA(1943-1999)
埼玉県生まれ。多摩美術大学絵画科の斎藤義重教室で学ぶ。1968年から70年代にかけて「もの派」の中心作家として〈Cut-off〉シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。 1968年現代日本美術展、1969年「現代美術の動向」展、1971年「パリ青年ビエ ンナーレ」などに出品。1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、1970年第1回ソウル国際版画ビエンナーレで大賞を受賞。1973年文化庁海外芸術研究生としてロンドンに滞在。1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズを制作した。
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出品番号33
吉村益信
「Cut Sea A」
1970年 リトグラフ
29.7×37.9cm
Ed.50
Signed
■吉村益信 Masunobu YOSHIMURA(1932-2011)
大分県生まれ。高校時代は地元大分の美術サークル「新世紀群」で磯崎新、赤瀬川原平、風倉匠らと活動した。1951年武蔵野美術学校油絵科に入学。卒業後は読売アンデパンダン展に出品を始めた。1957年父の遺産を元に新宿区百人町に小さな土地を購入し磯崎新に設計を依頼、住居兼アトリエ「新宿ホワイトハウス」を建て後にネオ・ダダの拠点となる。1960年篠原有司男、荒川修作らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーを結成。1962年渡米。帰国後はネオン・アート、ライト・アート、発注芸術の第一人者として、テクノロジーに関心を寄せた作品が高く評価される。1970年の大阪万国博でも活躍し一躍注目され、その後エコロジーやインドへの接近など反文明的な姿勢を示したが、1970年代後半にはアーティスト・ユニオンの事務局長を務めアーティストの社会的自立に貢献した。常に人々の先頭に立ってリーダーシップを発揮し、既成の枠にとらわれない自由な活動を展開した。
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◆臨時ニュース 大阪で光嶋裕介さんの展示があります
「Winter Drawing Show -谷川夏樹・光嶋裕介・稲田早紀-」
会期:2014年12月5日(金) - 21日(日)
※クロージングパーティ 12月21日(日)
会場:Nii Fine Arts
関西方面の方、ぜひお出かけください。
◆ときの忘れものは2014年11月29日[土]―12月6日[土]「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏のコレクションより、45点を入札方式で頒布します。
出品:赤瀬川原平、秋山静、荒木哲夫、磯辺行久、入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、内田豊清、内間安瑆、漆原英子、岡本太郎、桂川寛、鴨居羊子、河原温、斎藤吾朗、斎藤義重、坂本昌也、佐野儀雄、篠原有司男、菅木志雄、菅創吉、杉原清一、高山良策、建畠覚造、田淵安一、堂本尚郎、日和崎尊夫、三井永一、杢田たけを、元永定正、山口健、吉田克朗、吉仲太造、吉村益信、脇田愛二郎、アルマン、P.アレシンスキー、P.クレー、ケーニグ、P.スーラージュ、セザール、フェイト、フォートリエ、P.モンドリアン、他
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