芳賀言太郎のエッセイ
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第9回
第9話 ナバーラの大地をゆく
~牛追いの街から王妃の橋の架かる村~
10/2(Tue) Pamplona ~ Puente la Reina (24.5km)
中越地震から10年が経ったその1ヶ月後、長野県の白馬村を中心に震度6強の地震が襲った。山古志村など10年前に被災した地域が徐々に復興してきた今、また新たな被災地が生まれてしまうのは地震大国日本の宿命なのだろうか。
スペインの建築は地震に対しての構造計算をまったくしていない。私が一番驚いたのはバルセロナの高速道路の薄さである。横の応力については風の力のみの計算であるためほとんど0といってよい。日本ではこんなことはありえない。スペインの隣のポルトガルではかつてリスボンで大きな地震が起こったことがある。アストルガの大聖堂はこの地震で半壊し、修復前と後で石の色が異なり地震の爪痕を感じることができる。スペインにおいて地震が起こらないことを祈るばかりである。
7:30起床。巡礼の朝は早い。何はともあれ歩き出して、途中の町のバルが店を開けたらそこで朝食、お昼過ぎにはその日の予定の町に着いてアルベルゲのベッドを確保するのがセオリーである。すぐに歩き始めたいのであるが、ナバーラ美術館が9時にならないと開かないので、それまで宿の部屋の小さなテーブルの上で牛追い祭のポストカードを日本に向けて書く。
ナバーラ美術館はカスティーリョ広場からほど近い、旧市街にある美術館である。ゴヤの「サン・アドリアン侯爵」やローマ時代のモザイク、ナバーラ地方を中心としたさまざまな歴史的価値のある作品が収蔵されている。中でも改築前のカテドラルにあったロマネスク時代の柱頭彫刻は保存状態が良く大変見応えがある。
シウタデラ公園
パンプローナの朝日が眩しい
聖箱
繊細な細工が美しい
柱頭彫刻
キリストの磔刑
巡礼路を歩き始める。巡礼路沿いにあるナバーラ大学に立ち寄りスペインのキャンパスライフをほんのすこしだけ体感する。1952年にオプス・デイ創始者のホセマリア・エスクリバーによって法律学校として設立された。現在では一万人を超える学生を擁する総合大学でビジネススクールは世界トップクラスとして知られている。
スペインの大学事情は日本とは大きく異なる。高校の最終年度に希望大学と学部を登録し、日本のセンター試験のようなテスト(selectividad)と最終学年の成績を合わせて成績の良い順に希望のところに入るというシステムをとっている。そして大学を選ぶにあたっての最優先事項は「家から近いところ」であり、偏差値を基準とする日本とまったく異なる。例えば、ナバーラの学生であればバルセロナやマドリードの大学よりも地元のナバーラ大学に入るほうが割合としては遥かに多い。なぜなら、スペインで重要なのは「どこの大学を卒業したか」ではなくて、「大学を卒業した事」と「どの学部を終了したか(タイトルを持っているか)」の2点といえるからである。そして、もう一つの決定的な違いは大学の評価が大学単位ではなく学部単位になっていることである。日本のように東大(京大)が一番ということはない。
スペイン人は地元を愛し、昔からの友人たちとの付き合いを大切にする。ラテンの人たちのコミュニティーはとても強い。日本人サッカー選手がスペインのリーガ・エスパニョーラでなかなか活躍できないのはこうしたラテン特有のコミュニティーに馴染むのが難しいということがあるようだ。スペインで活躍するためには言語の習得がほかの欧州のリーグより重要になっているのである。
ナバーラ大学
正面エントランス
小さな教会はほとんど閉まっている。中に入って空間を体感したいが、なかなか難しい。
教会
正面ファサード
開口部
繊細な柱と薄い大理石をガラス代わりにしたスリット窓
馬による巡礼
ナバーラの大地を歩きペルドン峠の丘の上に出ると抜群の景色。スペインの壮大な大地が眼下に広がっている。鉄板を打ち抜いた巡礼者のオブジェと居並ぶ風力発電の巨大な風車との対比がなんとも面白い。スペインの風車といえば「ドン・キホーテ」を思い起こすが、2013年現在、スペインの電力供給源のトップは風力発電である。意外かも知れないが、スペインは世界有数の再生可能エネルギー発電国で風力は世界4位、太陽光は世界6位(世界1位だったこともある)で、太陽熱発電や水力発電を含めるとスペインの電力の32%が再生可能エネルギーによるものである。
巡礼路
ナバーラの大地を歩く
小休止
鉄の巡礼アート
後ろには風力発電の巨大な白い風車が見える
ナバーラの大地
美しい風景を前に筆と紙を持てば誰でも画家である。
巡礼路から少し離れEunate(エウナテ)の聖墳墓教会へ。ここは少し先で合流することになるアラゴンの道の上にあるのだが、遠回りをしてでも足を運ぶ価値のある場所である。ここは巡礼者のための教会。かつてサンティアゴを目指しながらも途中で息絶えた巡礼者を埋葬した墳墓教会である。実際に敷地内からは巡礼のシンボルであるホタテ貝を伴った人骨が発掘されている。
もっとも、巡礼の途中で死ぬことは必ずしも巡礼の失敗ではなかった。巡礼の途中で死んだ者はそのまま天国に行けると考えられていたからである。病気や怪我、飢えや渇き、盗賊や野獣、強欲な宿屋の主人や悪辣な渡し守によって生きて故郷に帰ることのできなかった巡礼者がどれほど多くても、巡礼への熱は冷めなかった。むしろ、そうした苦難に耐えることが天国へ行くための善行を積むことと考えられた。そして、そのような巡礼者を助けることもまた善行を積むことであった。巡礼路沿いに多くの教会、修道院、宿泊所、救護所、そして墓所が建てられ、道に石畳が敷かれ川に橋が架けられたのもそのためであった。
このサンタ・マリア教会は八角形の独特の形をしたロマネスクの教会である。教会堂の平面はラテン十字が長方形のバシリカ形式がほとんどである。円形や方形は洗礼堂等の特別な用途のために建てられたもの以外にはあまり見ることができない。このナバーラ地方の巡礼路にはロンセスバージェスの聖霊礼拝堂、トーレス・デル・リオの聖墳墓教会、そしてここエウナテの聖墳墓教会と狭い地域に方形の建築が集まっていることは大変興味深い。
エウナテは教会を囲む繊細な二本の柱を持つ独立した立派な柱廊を有している。これは、巡礼者たちの埋葬地でもあったことと関係しているためだと言われている。現代のガイドブックにも「田園の中、簡素な美をもって孤高の中に立っているこの教会は私たちの霊的な源泉と、故郷へ立ち帰る私たち自身の旅路への力強い想起を呼び覚ます」と記載されるように、巡礼路の教会の中でも独特の宗教性を内包する建築である。
内部は闇。明るさはほとんどない。天井に穿たれた小さな開口からわずかな光が空間をぼうっと照らし出す。がらんどうの死者の空間。それは、イエス・キリストが復活したことによって「空虚な墓」となったエルサレムの聖墳墓をかたどることを通して、ここに埋葬された全ての巡礼者たちが甦り、この聖墳墓もまた「空虚な墓」となる復活の日を指し示しているとも言えるのではないだろうか。
エウナテの教会
八角形の墳墓教会
外部の柱廊
繊細な列柱が教会の外周を囲む
内部空間
わずかな開口から明かりを感じる
天井
独特の開口である。
巡礼のシンボル
「ここから全ての道は一つとなりサンティアゴへと向かう」と町の入り口に立つオブジェにも記されているのが、Puente la Reina(プエンタ・ラ・レイナ)の町である。そう記されるのはこれまで歩いてきたフランス人の道とアラゴンの道(フランスのToulouse(トゥールーズ)からピレネーのソンポルト峠を越える巡礼路)が合流するからである。町の中央に通るマヨール通りはメインストリートでありながら巡礼路でもある。両側には古くからの貴族の家や邸宅が立ち並び、ヨーロッパ中世の風情が感じられる。Puente la Reina(プエンタ・ラ・レイナ:Brigde of Queen=王妃の橋)とは11世紀初めにナバーラ王妃によって造られた橋のことで、町の名前はその橋に由来する。
12世紀の「サンチャゴ巡礼案内書」には、次のような叙述がある。
「こういうことが幾度もあった。渡し守が渡し賃を受け取ったあと、巡礼たちを多数乗せ過ぎ、船が転覆して巡礼たちは溺れ死んだ。そこで船頭たちは死者たちの残した荷物を取ってほくそ笑んだ……」(柳宗玄訳「サンティヤーゴ巡礼案内書」『サンティヤーゴの巡礼路』(柳宗玄著作集6)八坂書房、2005年)
当時、橋は少なく川を渡ることは非常に危険が伴った。10世紀以後とくに数を増した巡礼者のために巡礼路沿いに教会や修道院を建築してきたナバーラ王サンチョ3世の遺志を継いだ妃、ドニャ・マヨールによってこの橋は建設されることになる。巡礼者の慈悲の心と強い信仰心によってこの難工事は成し遂げられ、町も多くの巡礼者によって栄えたという。
6つのアーチを持ち、中央のアーチが頂点をなしている。アーチを支える橋脚の石組みにもアーチのある開口部が設けられ、軽やかでありながら安定感のあるプロポーションをつくり上げている。建設当時の優美な中世の雰囲気を今に色濃く残している。この美しいロマネスクの橋をどれほどの巡礼者が聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して渡ったことだろうか。そういった歴史を感じる村である。
巡礼者のモニュメント
町の入り口に置かれている
王妃の橋
6本のアーチが美しい
橋の図面
王妃の橋からの帰り道、町の中心部から離れたところにキリスト磔刑教会(Iglesia del Crucifijo)がある。内部は暗く密度のある空間で目が暗闇に慣れるまで少し時間がかかる。正面にY字の十字架にかけられたキリスト像はドイツのライン地方でつくられたと言われている。
キリスト磔刑教会 外観
キリストの磔刑
十字架をY字にすることでより苦痛が増す
サンティアゴ教会 エントランス
ロマネスクの彫刻で埋め尽くされている
サンティアゴ教会 柱頭彫刻
向かって左
サンティアゴ教会 柱頭彫刻
向かって右
サンティアゴ教会 内部
正面の主祭壇には聖ヤコブ像が祀られている
そんな1日であったが、ホテル付属の巡礼宿にしたおかげでディナーは宿泊客と同じビュッフェであった。好きな料理を好きな量だけ食べられる。清貧を重んじる巡礼者としてあるまじき行為なのかもしれないが、いただけるものはいただいていく。なんとも贅沢な巡礼者である。
ビュッフェ
豪勢である。
本日の夕食
エネルギーを多く消費するため、パスタやポテトを中心に炭水化物を多く摂る。
遠く聖地を見つめる
歩いた総距離834.2km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第9回 ナイフ
ヴィクトリノックス(Victorinox) トラベラーT2 BL 4,800
スイスの名門ヴィクトリノックス。スイスアーミーナイフといえば多くの人に馴染みがあると思う。軍用にも供給される同社の製品は高い品質と長い歴史を誇る。創業は1884年。ソルジャーナイフをスイス軍へ納入したのは1891年のことであり、軍への納入はそれ以来1世紀以上も続いている。
このトラベラーは名前の通り旅行者のために必要な機能が一本のナイフに備わっている。
1ラージブレード(大刃)
2スモールブレード(小刃)
3コルク抜き
4カン切り
5マイナスドライバー(小)
6リーマー(穴あけ)
7キーリング
8ピンセット(毛抜き)
9トゥースピック(爪楊枝)
10はさみ
11マルチフック
ブレードでフランスパンを切り、カン切りでツナ缶を開け、ピンセットでトゲを抜き、ハサミでほつれた糸を切るなど、多くの場面で活躍した。もちろんもっと多くの機能を持ったタイプもあるが、これ以上の機能は巡礼では必要ない。日常生活においても利用価値は高く、ちょっとした作業はもちろん、災害時のいざというときにも役に立つ現代人の必須ツールである。私も常にバックの中やポケットに忍ばせている。
ただ、ワインが好きで巡礼路のワインを満喫しようと思っている人はこれとは別にワインオープナーを持っていくことをオススメする。残念ながらこのトラベラーのコルク抜きはスクリュー部分が短く、フルボトルのコルクを開ける際には大変苦労する。途中で何本のコルクを折ってしまったことか。このことにやっと気づき、私はフランス・カオールのワインショップでワインオープナーを買ったのだ。それからはワインのコルクを開けるストレスは無くなったのは言うまでもない。もっとも、このことについてはビクトリノックス本社も気付いているらしく(当たり前だ)現在は「コルク栓抜きをプラスドライバーに変更したモデル」の「トラベラーPD」(PDはPhillips screwdriver:プラスドライバーの意)も用意されている。
12月14日までヴィクトリノックス・ジャパンでは対象店舗では「イングレービング(ハンドワークによる名入れ彫刻)・キャンペーン」をしている。2本目のヴィクトリノックスのナイフとしてノコギリ付きのキャンパーを買おうかどうか迷っている。
ヴィクトリノックス トラベラー
携帯時
■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」は毎月17日に再録掲載します。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
今までのバックナンバーはコチラをクリックしてください。
●今日のお勧め作品は村越としやです。
作品については大竹昭子のエッセイ「迷走写真館」第1回をご覧ください。
村越としや
「福島2012」
2012年撮影(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.0x56.0cm
シートサイズ:50.8x61.0cm
裏面にサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第9回
第9話 ナバーラの大地をゆく
~牛追いの街から王妃の橋の架かる村~
10/2(Tue) Pamplona ~ Puente la Reina (24.5km)
中越地震から10年が経ったその1ヶ月後、長野県の白馬村を中心に震度6強の地震が襲った。山古志村など10年前に被災した地域が徐々に復興してきた今、また新たな被災地が生まれてしまうのは地震大国日本の宿命なのだろうか。
スペインの建築は地震に対しての構造計算をまったくしていない。私が一番驚いたのはバルセロナの高速道路の薄さである。横の応力については風の力のみの計算であるためほとんど0といってよい。日本ではこんなことはありえない。スペインの隣のポルトガルではかつてリスボンで大きな地震が起こったことがある。アストルガの大聖堂はこの地震で半壊し、修復前と後で石の色が異なり地震の爪痕を感じることができる。スペインにおいて地震が起こらないことを祈るばかりである。
7:30起床。巡礼の朝は早い。何はともあれ歩き出して、途中の町のバルが店を開けたらそこで朝食、お昼過ぎにはその日の予定の町に着いてアルベルゲのベッドを確保するのがセオリーである。すぐに歩き始めたいのであるが、ナバーラ美術館が9時にならないと開かないので、それまで宿の部屋の小さなテーブルの上で牛追い祭のポストカードを日本に向けて書く。
ナバーラ美術館はカスティーリョ広場からほど近い、旧市街にある美術館である。ゴヤの「サン・アドリアン侯爵」やローマ時代のモザイク、ナバーラ地方を中心としたさまざまな歴史的価値のある作品が収蔵されている。中でも改築前のカテドラルにあったロマネスク時代の柱頭彫刻は保存状態が良く大変見応えがある。

パンプローナの朝日が眩しい

繊細な細工が美しい

キリストの磔刑
巡礼路を歩き始める。巡礼路沿いにあるナバーラ大学に立ち寄りスペインのキャンパスライフをほんのすこしだけ体感する。1952年にオプス・デイ創始者のホセマリア・エスクリバーによって法律学校として設立された。現在では一万人を超える学生を擁する総合大学でビジネススクールは世界トップクラスとして知られている。
スペインの大学事情は日本とは大きく異なる。高校の最終年度に希望大学と学部を登録し、日本のセンター試験のようなテスト(selectividad)と最終学年の成績を合わせて成績の良い順に希望のところに入るというシステムをとっている。そして大学を選ぶにあたっての最優先事項は「家から近いところ」であり、偏差値を基準とする日本とまったく異なる。例えば、ナバーラの学生であればバルセロナやマドリードの大学よりも地元のナバーラ大学に入るほうが割合としては遥かに多い。なぜなら、スペインで重要なのは「どこの大学を卒業したか」ではなくて、「大学を卒業した事」と「どの学部を終了したか(タイトルを持っているか)」の2点といえるからである。そして、もう一つの決定的な違いは大学の評価が大学単位ではなく学部単位になっていることである。日本のように東大(京大)が一番ということはない。
スペイン人は地元を愛し、昔からの友人たちとの付き合いを大切にする。ラテンの人たちのコミュニティーはとても強い。日本人サッカー選手がスペインのリーガ・エスパニョーラでなかなか活躍できないのはこうしたラテン特有のコミュニティーに馴染むのが難しいということがあるようだ。スペインで活躍するためには言語の習得がほかの欧州のリーグより重要になっているのである。

正面エントランス
小さな教会はほとんど閉まっている。中に入って空間を体感したいが、なかなか難しい。

正面ファサード

繊細な柱と薄い大理石をガラス代わりにしたスリット窓

ナバーラの大地を歩きペルドン峠の丘の上に出ると抜群の景色。スペインの壮大な大地が眼下に広がっている。鉄板を打ち抜いた巡礼者のオブジェと居並ぶ風力発電の巨大な風車との対比がなんとも面白い。スペインの風車といえば「ドン・キホーテ」を思い起こすが、2013年現在、スペインの電力供給源のトップは風力発電である。意外かも知れないが、スペインは世界有数の再生可能エネルギー発電国で風力は世界4位、太陽光は世界6位(世界1位だったこともある)で、太陽熱発電や水力発電を含めるとスペインの電力の32%が再生可能エネルギーによるものである。

ナバーラの大地を歩く


後ろには風力発電の巨大な白い風車が見える

美しい風景を前に筆と紙を持てば誰でも画家である。
巡礼路から少し離れEunate(エウナテ)の聖墳墓教会へ。ここは少し先で合流することになるアラゴンの道の上にあるのだが、遠回りをしてでも足を運ぶ価値のある場所である。ここは巡礼者のための教会。かつてサンティアゴを目指しながらも途中で息絶えた巡礼者を埋葬した墳墓教会である。実際に敷地内からは巡礼のシンボルであるホタテ貝を伴った人骨が発掘されている。
もっとも、巡礼の途中で死ぬことは必ずしも巡礼の失敗ではなかった。巡礼の途中で死んだ者はそのまま天国に行けると考えられていたからである。病気や怪我、飢えや渇き、盗賊や野獣、強欲な宿屋の主人や悪辣な渡し守によって生きて故郷に帰ることのできなかった巡礼者がどれほど多くても、巡礼への熱は冷めなかった。むしろ、そうした苦難に耐えることが天国へ行くための善行を積むことと考えられた。そして、そのような巡礼者を助けることもまた善行を積むことであった。巡礼路沿いに多くの教会、修道院、宿泊所、救護所、そして墓所が建てられ、道に石畳が敷かれ川に橋が架けられたのもそのためであった。
このサンタ・マリア教会は八角形の独特の形をしたロマネスクの教会である。教会堂の平面はラテン十字が長方形のバシリカ形式がほとんどである。円形や方形は洗礼堂等の特別な用途のために建てられたもの以外にはあまり見ることができない。このナバーラ地方の巡礼路にはロンセスバージェスの聖霊礼拝堂、トーレス・デル・リオの聖墳墓教会、そしてここエウナテの聖墳墓教会と狭い地域に方形の建築が集まっていることは大変興味深い。
エウナテは教会を囲む繊細な二本の柱を持つ独立した立派な柱廊を有している。これは、巡礼者たちの埋葬地でもあったことと関係しているためだと言われている。現代のガイドブックにも「田園の中、簡素な美をもって孤高の中に立っているこの教会は私たちの霊的な源泉と、故郷へ立ち帰る私たち自身の旅路への力強い想起を呼び覚ます」と記載されるように、巡礼路の教会の中でも独特の宗教性を内包する建築である。
内部は闇。明るさはほとんどない。天井に穿たれた小さな開口からわずかな光が空間をぼうっと照らし出す。がらんどうの死者の空間。それは、イエス・キリストが復活したことによって「空虚な墓」となったエルサレムの聖墳墓をかたどることを通して、ここに埋葬された全ての巡礼者たちが甦り、この聖墳墓もまた「空虚な墓」となる復活の日を指し示しているとも言えるのではないだろうか。

八角形の墳墓教会

繊細な列柱が教会の外周を囲む

わずかな開口から明かりを感じる

独特の開口である。

「ここから全ての道は一つとなりサンティアゴへと向かう」と町の入り口に立つオブジェにも記されているのが、Puente la Reina(プエンタ・ラ・レイナ)の町である。そう記されるのはこれまで歩いてきたフランス人の道とアラゴンの道(フランスのToulouse(トゥールーズ)からピレネーのソンポルト峠を越える巡礼路)が合流するからである。町の中央に通るマヨール通りはメインストリートでありながら巡礼路でもある。両側には古くからの貴族の家や邸宅が立ち並び、ヨーロッパ中世の風情が感じられる。Puente la Reina(プエンタ・ラ・レイナ:Brigde of Queen=王妃の橋)とは11世紀初めにナバーラ王妃によって造られた橋のことで、町の名前はその橋に由来する。
12世紀の「サンチャゴ巡礼案内書」には、次のような叙述がある。
「こういうことが幾度もあった。渡し守が渡し賃を受け取ったあと、巡礼たちを多数乗せ過ぎ、船が転覆して巡礼たちは溺れ死んだ。そこで船頭たちは死者たちの残した荷物を取ってほくそ笑んだ……」(柳宗玄訳「サンティヤーゴ巡礼案内書」『サンティヤーゴの巡礼路』(柳宗玄著作集6)八坂書房、2005年)
当時、橋は少なく川を渡ることは非常に危険が伴った。10世紀以後とくに数を増した巡礼者のために巡礼路沿いに教会や修道院を建築してきたナバーラ王サンチョ3世の遺志を継いだ妃、ドニャ・マヨールによってこの橋は建設されることになる。巡礼者の慈悲の心と強い信仰心によってこの難工事は成し遂げられ、町も多くの巡礼者によって栄えたという。
6つのアーチを持ち、中央のアーチが頂点をなしている。アーチを支える橋脚の石組みにもアーチのある開口部が設けられ、軽やかでありながら安定感のあるプロポーションをつくり上げている。建設当時の優美な中世の雰囲気を今に色濃く残している。この美しいロマネスクの橋をどれほどの巡礼者が聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して渡ったことだろうか。そういった歴史を感じる村である。

町の入り口に置かれている

6本のアーチが美しい

王妃の橋からの帰り道、町の中心部から離れたところにキリスト磔刑教会(Iglesia del Crucifijo)がある。内部は暗く密度のある空間で目が暗闇に慣れるまで少し時間がかかる。正面にY字の十字架にかけられたキリスト像はドイツのライン地方でつくられたと言われている。


十字架をY字にすることでより苦痛が増す

ロマネスクの彫刻で埋め尽くされている

向かって左

向かって右

正面の主祭壇には聖ヤコブ像が祀られている
そんな1日であったが、ホテル付属の巡礼宿にしたおかげでディナーは宿泊客と同じビュッフェであった。好きな料理を好きな量だけ食べられる。清貧を重んじる巡礼者としてあるまじき行為なのかもしれないが、いただけるものはいただいていく。なんとも贅沢な巡礼者である。

豪勢である。

エネルギーを多く消費するため、パスタやポテトを中心に炭水化物を多く摂る。

歩いた総距離834.2km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第9回 ナイフ
ヴィクトリノックス(Victorinox) トラベラーT2 BL 4,800
スイスの名門ヴィクトリノックス。スイスアーミーナイフといえば多くの人に馴染みがあると思う。軍用にも供給される同社の製品は高い品質と長い歴史を誇る。創業は1884年。ソルジャーナイフをスイス軍へ納入したのは1891年のことであり、軍への納入はそれ以来1世紀以上も続いている。
このトラベラーは名前の通り旅行者のために必要な機能が一本のナイフに備わっている。
1ラージブレード(大刃)
2スモールブレード(小刃)
3コルク抜き
4カン切り
5マイナスドライバー(小)
6リーマー(穴あけ)
7キーリング
8ピンセット(毛抜き)
9トゥースピック(爪楊枝)
10はさみ
11マルチフック
ブレードでフランスパンを切り、カン切りでツナ缶を開け、ピンセットでトゲを抜き、ハサミでほつれた糸を切るなど、多くの場面で活躍した。もちろんもっと多くの機能を持ったタイプもあるが、これ以上の機能は巡礼では必要ない。日常生活においても利用価値は高く、ちょっとした作業はもちろん、災害時のいざというときにも役に立つ現代人の必須ツールである。私も常にバックの中やポケットに忍ばせている。
ただ、ワインが好きで巡礼路のワインを満喫しようと思っている人はこれとは別にワインオープナーを持っていくことをオススメする。残念ながらこのトラベラーのコルク抜きはスクリュー部分が短く、フルボトルのコルクを開ける際には大変苦労する。途中で何本のコルクを折ってしまったことか。このことにやっと気づき、私はフランス・カオールのワインショップでワインオープナーを買ったのだ。それからはワインのコルクを開けるストレスは無くなったのは言うまでもない。もっとも、このことについてはビクトリノックス本社も気付いているらしく(当たり前だ)現在は「コルク栓抜きをプラスドライバーに変更したモデル」の「トラベラーPD」(PDはPhillips screwdriver:プラスドライバーの意)も用意されている。
12月14日までヴィクトリノックス・ジャパンでは対象店舗では「イングレービング(ハンドワークによる名入れ彫刻)・キャンペーン」をしている。2本目のヴィクトリノックスのナイフとしてノコギリ付きのキャンパーを買おうかどうか迷っている。


■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」は毎月17日に再録掲載します。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
今までのバックナンバーはコチラをクリックしてください。
●今日のお勧め作品は村越としやです。
作品については大竹昭子のエッセイ「迷走写真館」第1回をご覧ください。

「福島2012」
2012年撮影(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.0x56.0cm
シートサイズ:50.8x61.0cm
裏面にサインあり
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