森本悟郎のエッセイ その後・第9回

馬場彬(1) 2人の先輩たち


「展覧会リーフレットのテキストは中原佑介に書いて貰いたい。それから作品は君が選ぶこと」、というのが馬場彬さんに初めて会い、出展を願い出たときの返答だった。個展は応諾して貰ったが、試されていること歴然である。
馬場さんは東京藝術大学を卒業した1955年の4月から、画材店経営者・佐藤友太郎さんによるサトウ画廊開廊とともにマネージメントに携わり、26年間、戦後美術の重要かつイキのいい作家たちの展覧会を手がけた。それは第1回の靉光展にはじまり、阿部展也、池田龍雄、岡本信治郎、岡本太郎、オノサト・トシノブ小山田二郎桂ゆき(ユキ子)、河原温、駒井哲郎斎藤義重、建畠覚造、鶴岡政男、勅使河原宏、利根山光人、難波田龍起、福沢一郎、藤松博、向井良吉、村上善男、八木一夫、山口薫山口勝弘山口長男、吉仲太造、吉原治良といった、そうそうたる顔ぶれによるものだった。'60年代に入ってからは、C・スクエアにもなじみ深い赤瀬川原平さんや立石紘一(大河亞)さんたちも加わる。
そんな背景をもった馬場さんのリクエストである、プレッシャーは生なかでない。作家は寝そべるようにソファに掛け、タバコを燻らせている。その眼前で、ぼくは一人作品と向き合うこととなった。まさに冷汗三斗の思いで。アトリエにある大量の作品を1点ずつ点検するのは神経のみならず、体力勝負でもあった。もとよりレトロスペクティヴな展覧会にする積もりはなかったので、'90年代以降の作品から「表現の幅」に的を絞り、「まとまり」よりも「多彩さ」を基準として油画16点、自作油彩から切り取って制作したコラージュ作品のスケッチブック3冊を選んだ。その選択が良かったのか悪かったのか、馬場さんは一切言及せず、「終わったかい。じゃ、呑みに行こう」とだけ言った。
事前に出品作品を見たい、という中原さんの求めに応じて、‘96年1月、連れ立って秋田の馬場邸に出掛けた。馬場さんはことのほかご機嫌で、中原さんが出品作品を確認すると、ただちに酒宴となった。酒が進むうち「森本君、あれはどういう基準で選んだのだ」、と突然中原さんが問い詰めだした。ぼくのセレクションは、どうも中原さんのイメージと合わなかったようなのだ。馬場さんはニヤニヤしながら模様眺めだ。しどろもどろで何とか言葉を繰り出しているうちに沙汰止みとなったが、この馬場・中原体験はぼくの大きな財産となった。今は鬼籍に入っている2人の先輩たちから、「展覧会準備は言葉の準備でもある」ということを痛切に教えられたのだ。
C・スクエアの「馬場彬展」は、サトウ画廊開廊からちょうど41年目にあたる ’96年4月1日に開幕した。この日、馬場さんを慕う秋田のファンが大挙して名古屋に訪れ、華やいだオープニングとなった。

011-031996年4月
「馬場彬展」会場風景


011-041996年4月
「馬場彬展」会場風景


011-071996年4月
「馬場彬展」会場風景


もりもと ごろう

森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。

◆新春の初企画は「植田実写真展―都市のインク 端島複合体、同潤会アパートメント」です。
会期:2015年1月9日[金]―1月23日[金](*会期中無休)。
2003年度の日本建築学会文化賞を受賞するなど、建築評論、編集者として長年活躍し続ける植田実が、長年撮りためてきた写真作品を初めて公開したのは2010年のときの忘れものでの「植田実写真展―空地の絵葉書」でした。70歳を超えての初個展でした。二度目の個展となる本展では〈端島複合体〉〈同潤会アパートメント〉の写真と、61年に8mmフィルムで撮影した《丸の内赤煉瓦街》の映像をご覧いただきます。

●イベントのご案内
1月9日(金)18時よりオープニングを開催します。

1月16日(金)19時より植田実さんと降旗千賀子さん(目黒区美術館学芸員)を迎えてギャラリートークを開催します。
※要予約/参加費1,000円
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
E-mail. info@tokinowasuremono.com