<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第24回

(画像をクリックすると拡大します)
まず目に飛び込んできたのは机だった。長い。しかも、わずかに弓なりにしなっている。ふつう教室の机はまっすぐだし、これほど長くはない。ということは、階段教室の机なのではないか。教壇を中心に弧を描くように設置されたそれを床から剥ぎとり、校舎の外に運びだし、積み上げて、バリケードにしたのだ。曇り空を映して天板が白く光っている。その白さが机のカーブを強調し、スウィングしているような、音楽的なリズムを生み出している。
バリケードのむこうのデモ隊は、そのリズミカルな動きとは対照的にもの静かだ。スクラムは組んでないし、シュプレヒコールもあがってはいないようだ。コートのポケットに手をつっこんでむっつりと歩いているところが、いかにも学生ふう。背後で気になることが起きているのか、うしろを振り向いている人もいるが、ぜんたいとしてデモというより、どこかに連行されているような印象だ。ヘルメットだけを見ていると、てんとう虫の群れが進んでいるようにも見えてくる。
デモ隊から少し距離をとったところには見物人が立っている。ネクタイをしている人が目立つのは大学の職員や教官が多いからだろう。そのむこうの並木道にも人影がいるが、もっと傍観者ふうで、目前で起きていることへの関心の度合いが距離となって現れ出ているのを感じる。
ここで気を留めたいのは、撮影者はどこにいるのか、ということである。
バリケードのこちら側、つまり封鎖された学内のなかにいる。そこから外にレンズをむけてシャッターを切っているわけだが、実に平明な眼差しだ。デモ隊の背後にバリケードが写っているなら、もっと物々しい雰囲気がでただろうし、報道写真ならそう撮るにちがいない。
でもこの写真では、デモ隊のむこうにいるのは見物人である。日常と非日常の共存こそが現実だと主張しているようだし、デモしている人と傍観者が同時にとらえられているために、立場のちがいにも意識がいく。
報道カメラマンは何かが起きてはじめて現場に飛んで行く。前後の脈絡を飛ばして緊急事態そのものにレンズをむけるから、写真に写るのは非日常的な光景である。ところが、バリケードの内側にいる人にとってはそうではない。彼らは封鎖された空間のなかで寝て起きて食べる。荒れた校舎のなかでしばし生活しているのだ。この写真はそちら側から撮られたものだ。封鎖の内側から外を眺めたとき、目の前の世界はひっそりと静かな、遠く隔たったものに映ったのである。ふたつの世界を分かっているのは階段教室の机であり、積み上げられたフォルムが人間以上に強いエネルギーを放っている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
渡辺眸
「東大全共闘1968-1969」
1968年
バライタ・ヴィンテージ・プリント
イメージサイズ:18.8x24.8cm
シートサイズ:20.6x25.4cm
■渡辺眸 Hitomi WATANABE(1942-)
1942年東京都に生まれる。1968年東京綜合写真専門学校卒業。1960年代末、新宿の街と全共闘ムーブメントに出会い、東大安田講堂のバリケード内で唯一撮影を許された女性写真家として知られる。1970年代にはアジア各国を旅し、インドとネパールには“魂の原郷”を感じてしばらく暮らした。スピリチュアル・ドキュメント写真を撮り続ける第一人者。写真集に『天竺』(野草社、1983年)、『モヒタの夢の旅』(偕成社、1986年)、『猿年紀』(新潮社、1994年)、『西方神話』(中央公論新社、1997年)、『ひらいて、Lotus』(出帆新社、2001年)、『てつがくのさる』(出帆新社、2003年)、『東大全共闘 1968-1969』(新潮社、2007年)などがある。
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●展覧会のお知らせ
六本木のZEN FOTO GALLERYで渡辺眸写真展「東大1968-1969─封鎖の内側」が開催され、上掲の作品も出品されます。

会期:2015年1月9日[金]~1月31日[土]
会場:ZEN FOTO GALLERY
時間:12:00~19:00
※日・月・祝日休廊
1月16日(金)18:30~20:30までレセプションパーティーが開催されます。
ヴィンテージ・プリント約13点とモダンプリント20点が展示されます。
また、写真展図録『東大1968-1969』がZEN FOTO GALLERYより刊行されます(B5サイズ、48ページ、限定500部)。
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文/渡辺眸
1968年は世界が揺れた年であった。べトナム戦争は長期化し、パリでは学生たちによるデモ、チェコは「プラハの春」を恐れた国々に制圧された。アメリカではキング牧師やロバート・ケネディが暗殺された。その一方では翌年、アポロが月に到着した。
そして1968年は私が写真を撮り始めた時でもあった。新宿の街をカメラを持ってほっつき歩き、人々を、気づいたものを趣くままに撮っていた。そんな日々が続いたある夜中、新宿周辺が群集で大混乱になっている流れに遭遇した。「国際反戦デー」のデモであった。いままでメディアの情報として知っていたベトナム戦争、群衆のひとりとしてリアリティになった。機動隊のサーチライトが揺れる群集の中ヘルメット群を照らし、そのシルエットが激しく揺れ、うごめく。日本のステュ–デントパワーが社会と対峙し巨大なうねりとなっている。
この前後、私ははじめて東大の本郷キャンパスに入った。山本義隆(当時東大全共闘代表)に出会ったことが、インスパィアーされ、東大闘争を撮る決定的なものになったのである。バリケード内は地方からの学生、一般の人々、高校生たちの自由に出入りできる解放空間でもあった。
47年近くを経るいま記憶がだんだん遠のいていくなか、唯一残されたフィルムによって、新たな記憶。奥深くあった全共闘のスピリットが引きだれてきました。
(同展HPより転載)
~~
◆新年明けましておめでとうございます。
ときの忘れものは今年も下記の皆さんのエッセイをお届けします。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
今までのバックナンバーはコチラをクリックしてください。
●冬季休廊のお知らせ
ときの忘れものは2014年12月28日(日)~2015年1月5日(月)まで冬季休廊となります。
新年の営業は1月6日(火)からです。

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まず目に飛び込んできたのは机だった。長い。しかも、わずかに弓なりにしなっている。ふつう教室の机はまっすぐだし、これほど長くはない。ということは、階段教室の机なのではないか。教壇を中心に弧を描くように設置されたそれを床から剥ぎとり、校舎の外に運びだし、積み上げて、バリケードにしたのだ。曇り空を映して天板が白く光っている。その白さが机のカーブを強調し、スウィングしているような、音楽的なリズムを生み出している。
バリケードのむこうのデモ隊は、そのリズミカルな動きとは対照的にもの静かだ。スクラムは組んでないし、シュプレヒコールもあがってはいないようだ。コートのポケットに手をつっこんでむっつりと歩いているところが、いかにも学生ふう。背後で気になることが起きているのか、うしろを振り向いている人もいるが、ぜんたいとしてデモというより、どこかに連行されているような印象だ。ヘルメットだけを見ていると、てんとう虫の群れが進んでいるようにも見えてくる。
デモ隊から少し距離をとったところには見物人が立っている。ネクタイをしている人が目立つのは大学の職員や教官が多いからだろう。そのむこうの並木道にも人影がいるが、もっと傍観者ふうで、目前で起きていることへの関心の度合いが距離となって現れ出ているのを感じる。
ここで気を留めたいのは、撮影者はどこにいるのか、ということである。
バリケードのこちら側、つまり封鎖された学内のなかにいる。そこから外にレンズをむけてシャッターを切っているわけだが、実に平明な眼差しだ。デモ隊の背後にバリケードが写っているなら、もっと物々しい雰囲気がでただろうし、報道写真ならそう撮るにちがいない。
でもこの写真では、デモ隊のむこうにいるのは見物人である。日常と非日常の共存こそが現実だと主張しているようだし、デモしている人と傍観者が同時にとらえられているために、立場のちがいにも意識がいく。
報道カメラマンは何かが起きてはじめて現場に飛んで行く。前後の脈絡を飛ばして緊急事態そのものにレンズをむけるから、写真に写るのは非日常的な光景である。ところが、バリケードの内側にいる人にとってはそうではない。彼らは封鎖された空間のなかで寝て起きて食べる。荒れた校舎のなかでしばし生活しているのだ。この写真はそちら側から撮られたものだ。封鎖の内側から外を眺めたとき、目の前の世界はひっそりと静かな、遠く隔たったものに映ったのである。ふたつの世界を分かっているのは階段教室の机であり、積み上げられたフォルムが人間以上に強いエネルギーを放っている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
渡辺眸
「東大全共闘1968-1969」
1968年
バライタ・ヴィンテージ・プリント
イメージサイズ:18.8x24.8cm
シートサイズ:20.6x25.4cm
■渡辺眸 Hitomi WATANABE(1942-)
1942年東京都に生まれる。1968年東京綜合写真専門学校卒業。1960年代末、新宿の街と全共闘ムーブメントに出会い、東大安田講堂のバリケード内で唯一撮影を許された女性写真家として知られる。1970年代にはアジア各国を旅し、インドとネパールには“魂の原郷”を感じてしばらく暮らした。スピリチュアル・ドキュメント写真を撮り続ける第一人者。写真集に『天竺』(野草社、1983年)、『モヒタの夢の旅』(偕成社、1986年)、『猿年紀』(新潮社、1994年)、『西方神話』(中央公論新社、1997年)、『ひらいて、Lotus』(出帆新社、2001年)、『てつがくのさる』(出帆新社、2003年)、『東大全共闘 1968-1969』(新潮社、2007年)などがある。
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●展覧会のお知らせ
六本木のZEN FOTO GALLERYで渡辺眸写真展「東大1968-1969─封鎖の内側」が開催され、上掲の作品も出品されます。

会期:2015年1月9日[金]~1月31日[土]
会場:ZEN FOTO GALLERY
時間:12:00~19:00
※日・月・祝日休廊
1月16日(金)18:30~20:30までレセプションパーティーが開催されます。
ヴィンテージ・プリント約13点とモダンプリント20点が展示されます。
また、写真展図録『東大1968-1969』がZEN FOTO GALLERYより刊行されます(B5サイズ、48ページ、限定500部)。
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文/渡辺眸
1968年は世界が揺れた年であった。べトナム戦争は長期化し、パリでは学生たちによるデモ、チェコは「プラハの春」を恐れた国々に制圧された。アメリカではキング牧師やロバート・ケネディが暗殺された。その一方では翌年、アポロが月に到着した。
そして1968年は私が写真を撮り始めた時でもあった。新宿の街をカメラを持ってほっつき歩き、人々を、気づいたものを趣くままに撮っていた。そんな日々が続いたある夜中、新宿周辺が群集で大混乱になっている流れに遭遇した。「国際反戦デー」のデモであった。いままでメディアの情報として知っていたベトナム戦争、群衆のひとりとしてリアリティになった。機動隊のサーチライトが揺れる群集の中ヘルメット群を照らし、そのシルエットが激しく揺れ、うごめく。日本のステュ–デントパワーが社会と対峙し巨大なうねりとなっている。
この前後、私ははじめて東大の本郷キャンパスに入った。山本義隆(当時東大全共闘代表)に出会ったことが、インスパィアーされ、東大闘争を撮る決定的なものになったのである。バリケード内は地方からの学生、一般の人々、高校生たちの自由に出入りできる解放空間でもあった。
47年近くを経るいま記憶がだんだん遠のいていくなか、唯一残されたフィルムによって、新たな記憶。奥深くあった全共闘のスピリットが引きだれてきました。
(同展HPより転載)
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・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
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・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
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・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
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・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
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