石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」 第10回

エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ

10-1 京都国立近代美術館

manray10-1筆者1988年版年賀状


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年末に自作の古い年賀状を見直した。最近は止めてしまったが、限定番号とサインを入れてオリジナル作品(版画のような)と意識し、年一回の発表という気持ちで作ってきた。新しい年への抱負と云うより、過ぎた年を振り返って成果を報告する意味合いが強い。その中の1988年版(限定数10)では、京都国立近代美術館3階の常設展示室7に掛けられたわたしの『エレクトリシテ』を捕らえた写真を使っている。同館が政府の為替政策に連動して購入したデュシャンのマルチプル作品(シュワルツ版最後のコンプリートセットと聞いた)のお披露目に際し、壁面を飾る作品が欲しいと旧知の学芸員であるKさんに依頼されての出品だった。年賀状を見るとデュシャンの『帽子掛け』の横に『エレクトリシテ』からの5点が確認出来る。既にこの連載で紹介した『プリアポスの文鎮』『青い裸体』『ダダメイド』などを含む15点を12月から翌年の3月までお貸しした。展示が始まって直ぐに年賀状用に撮影したと記憶する。

manray10-2京都国立近代美術館


 美術館の広報紙『視る』259号で展示の経緯をKさんは「今回は個人収蔵家の協力を仰ぎ会場に作品を拝借した。これは作品寄託ではなく展示期間だけの作品の借り受けであり、美術館の常設展示を充実させ、同時に個人収蔵家の作品の公開の機会を増やす試みとして、今後も積極的に進めていきたい。」と書いておられ、特に注目すべき作品として国内で2点しか確認されていない『エレクトリシテ』を詳しく紹介して下さった。作品の魅力と背景について、わたしも直ぐに言及したいが「マン・レイの写真は、それが光の”痕跡”という意味で彼のオブジェ作品とも共通すると言えるだろう。人々は写真の忠実な再現力を信じ、対象(オリジナル)と印画(記号)との忠実な対応関係を仮定するが、写すオリジナルの存在しないレイヨグラフは、この仮定を曖昧にしようとするマン・レイの巧みな戦略と言えるだろう。」としたKさんのテキストは的確だし、「この作品は美術史家の間では、広告あるいは商業的な制作物と見なされ、展覧会カタログや作品集には僅かな言及しかない。しかし収集家の間では早くからその内容が注目され、マン・レイのレイヨグラフの代表例の一つとして競って収集された作品である。」と明かすマーケット情報も貴重と思うので転記しておきたい(感謝)。

 この時点で知られていた他の1点は、神宮前のギャラリーワタリが1979年11月に開催した『マン・レイ展 レイヨグラム・10』に登場した物で、変形角地に建つ蔦に覆われた平屋建ての光が溢れる空間に展示され、夜には『ひとで』などのマン・レイ映画も上映されたと云う。『カメラ毎日』1979年12月号に田中雅夫の解説とピエール・ボストの序文「電気よ、私はおまえに敬礼する」を付して紹介されたので、画廊に手紙を書いた訳だが、画廊を訪ねたのは翌春、キラー通りを探しながら階段を昇って入った。

manray10-3ギャラリーワタリ 案内状 


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10-2 戦前の紹介記事

Kさんが書いているように、『エレクトリシテ』は美術史の文脈から外れて位置づけられてきた。マン・レイの作品全てがそうだったとも言える。わたしの場合も他のコレクター同様、リー・ミラーの美しさに惹かれて注目した。図版が幾つか紹介されていたと思うが、はっきりしない。そもそも、10枚セットのフォリオだとは知らなかったし刊行の背景についても無知であった。それが、日本での受容史を研究していく過程で、戦前の写真雑誌『フォトタイムス』(1932年5月号)に紹介されているのを知って驚いた。編集主幹の木村専一が1931-32年にかけて洋行した折、巴里でマン・レイを訪ね(カンパーニュ・プルミエール街のアトリエ)、いろいろな質問をして著名な写真家の本質を捉え「マン・レイは、彼の思想や表現を現す触介物として、印画紙やフィルム等の感光物質を選んだのに過ぎないのである。」とし、会話の感想を入れて「マン・レイは彼自身が新しい写真術の一派の創設者であるとは云い張らないのである。世界の写真家が彼を新興写真家の一人として眺めても彼は表現の一つの触介物として写真を利用している画家に過ぎないのである。」と念を押す。木村は『エレクトリシテ』を持ち帰り、同誌の連載「モダン・フォト・セクション」で図版6点と共に紹介している。印刷が綺麗で、電球や扇風機やアイロンやトースターと云ったモダンな電化製品に昭和初年の日本人は憧れたと思う。刊行の経緯に触れてはいるものの、エロテックな図像については黙秘した、木村だけの楽しみにしたかったのかしら (笑)。

manray10-4『フォトタイムス』


manray10-5同上、別刷口絵写真版


manray10-6同上、60頁


 写真家でもあった木村は、パリの街を撮影し、同号に「パリ雑記(1)」を載せる。冬の静かな石畳に郷愁を誘うソフトフォーカスの写真5点、木村はカフェが気に入ったようで「日本のカフェーとは全く別のものだ、女給のエロ・サーヴィスとか、何とか云うものなんか、ありゃしない。」と書く(毎日、ロトンドに通ったと)。この記事の最後にマン・レイのアトリエで、リー・ミラーを挟んでの記念写真が紹介されている。肩幅の広いリーの手にタバコが認められ、三人それぞれの表情がとても良いのに唸る。『エレクトリシテ』に裸体を提供したリー、彼女のアイデアで作られたと木村も知っていただろうから、表情が緩いよね。その木村は「巴里の街灯は今も尚依然として瓦斯燈だ、21世紀の電気の時代に、時代遅れの感が、しないでもないが、巴里ッ子の言い分では、電気の光は黄色くて野暮だ、瓦斯の光の青白い魅力に及ぶべくもないからだ」と書いている。


10-3 『エレクトリシテ』

ウィキなどによると、第一次世界大戦中の軍需と戦後復興期での需要に則して1920年代仏蘭西の電力業は発展したが、私企業間の競争による過剰生産と景気の減速によって、20年代後半になると企業での電力消費の冷え込みが顕著になり、新たな需要先として一般家庭の開拓が求められ、巴里電力供給会社は需要喚起を促す為、1931年にポートフォリオ『エレクトリシテ』を制作した。もちろん、最新の家電製品を使っていたのは富裕層の人達であり、エレガントでありつつ目に見えない電気のエネルギーを視覚化する力量が必要とされた結果、マン・レイとリー・ミラーに白羽の矢が当たったと思われる。紙ケースにシート状の印刷物を複数枚入れ、気に入ったモノを額装して飾れるようにした形式は、当時、一般的に流布しており、本作も同様に制作されている。シートは10枚で収録は順不同、発行数は500部で、内50部が広報用にとられている。

manray10-7巴里電力供給会社、レモン・ロスラン通り(ウィキメディア、2008年より引用)


 二人が選んだ家電製品は、レイヨグラフの手法を使う事によって器具の日常性を消され、布製コードの中に流れる電気や、ニクロム線が放つ熱と光を捉える事に成功している。宇宙船を思わせるスイッチなんて機智に溢れ、楽しくてしょうがない。本作は印画紙の上に物体を置き、光を当てて影の部分を白く残すレイヨグラフの作例として取りあげられるが、二重焼き付けによるイメージ融合の部分も多いとわたしには思える。裸体を使ったのは会社のお偉方に刺激的だったとリー・ミラーは回想しているが、写真家となった彼女はマン・レイの競争相手であり、かってはモデルで助手で愛人でもあった。最後の役割にはマン・レイ芸術の謎を解く鍵があるように思う。リーの魅力と才能については、改めて書くつもりだが、良い作品が手に入るかしら。とりあえずは彼女の美しいトルソーを横切る光の波動やバスタブを連想させる図形などの、刺激的と云うより穏やかでモダンなエロティスムに見入っていたい(上流階級のご婦人方を困らせてはいないと思うけど)。


10-4 ジャン=クロード・ヴラン

わたしがコレクションしている『エレクトリシテ』は、広報用の限定番号465番で、リブレリ・アルカードの山内十三男さんが見付けてくれた。この時も確認の国際電話を頂いたと記憶する。出所は巴里6区、サン=シュルピース通り12番地に店をかまえるジャン=クロード・ヴラン、山内さんが懇意にしている店とお聞きした。後年、訪ねるとマン・レイのアトリエがあったフェルー通りから5分、写真集の品揃えに定評があるシャンブルクレールの東隣り、ヴランは親切な対応で貴重なマン・レイ本を何冊か見せてくれたが、いずれも架蔵していたので助かった(冷汗)。

manray10-8ジャン=クロード・ヴラン


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 それはさておき、30年前に戻ると、マルセル・マルソー・シンドロームのH嬢が帰国の折に手持ちで関西空港から入れてくれた。到着するまでの一ヶ月が長かったのは言うまでもないが、想像していた以上に『エレクトリシテ』は魅力的だった。アルカードで手にすると「C.P.D.E」の四文字が大きく配されたカバーの意匠はモダンな装いで、序文に続いて収められたグラシン紙の束を取りだし、そっと捲ってやると挟まれた台紙にイメージが貼り付けられている。

manray10-9『エレクトリシテ』カバー


 黒から白に至る階調の美しさといったらありません。改めて10枚のタイトルと使われたイメージを記すと「電気: 夜空と電球」「微風: 扇風機」「無題: 裸体、彫像、コード」「世界: 月、コンセント」「食堂: トースター」「都会: ネオンサイン、エッフェル塔」「ランジェリー: アイロン」「料理: チキン、ニクロム線」「館: 電球、電気傘」「浴室: 裸体」となり、青いグラシン紙の下段に白い文字で示されている。もっとも、これでは判らないと云うか、現物をお見せしないとダメですね。わたしの465番本は、前述の京都国立近代美術館(1988-89)、名古屋市美術館(1996)、ギャラリー16(2014)と三回展示させていただいたが、みなさん観て頂きましたか? 国内で2点しか確認されていないとKさんが書いてから30年以上が経過した現在、ワタリウム美術館、東京都写真美術館、富士ゼロックスアートスペースの3館が収蔵品を公開している。蛇足になるが、東京都写真美術館には2セットあって、図書室扱いの完品限定番号431番の他、前述の木村専一旧蔵品は限定番号499番、但し「食堂」と「浴室」については当初から欠品だったと学芸員に聞いた。

manray10-10名古屋市美術館


manray10-11ギャラリー16


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 海外に目を転じると、近年、マン・レイ芸術を代表する作品として注目されるようになった『エレクトリシテ』は、連作である事もあって、ウィリアムズ・カレッジ美術館(1993-1994)、イートン・ファイン・アート(2003)、ヘックシャー美術館(2006)など、同名を冠した展覧会が開かれる程の人気となっている。


10-5 フォトグラビュール

10点をゆっくり、じっくり鑑賞する機会は、わたしにとっても少ない。どうして魅了されるのだろうと、昨年、ギャラリー16で展示した時に考えた。リー・ミラーの美しい身体や「電気」のエネルギーが火花を内包する緊張感かと思ったが、フォトグラビュール印刷による圧倒的な黒色の質感、紙の白を突き抜けてしまう空白と云うか、豊富な階調表現がもたらす目の心地よさにあると結論づけたい気分になった。
 フォトグラビュールは、現在のグラビア印刷の原型かと思うが、インクを版上の凹部分に保持して転写するアクアチントによる銅版画の一種で18世紀に発明された印刷方法である。銀粒子の保存性が確定していなかった20世紀初めの写真家たちは、オリジナルの写真としてこの方法で作品(スティーグリッツの『三等船客』など)を発表した。非常に細かいアスファルト粉末を銅版上に熱で溶かして付着させ、その上に感光性をもったゼラチンの防蝕層を施し、紫外線を当てて写真原版の調子を腐蝕の度合いに従って再現、これにインクを塗布して印刷(やった事がないので説明が不安です)。防腐層の厚さ、防腐液の濃度などによって微妙な調整が可能らしく、使われる紙には「強い圧力に耐える強さと細かいニュアンスを刷り取る繊細さが求められる」と云う。いゃー、本当に素晴らしい。

 本作を見ると心躍るのは、高校生の時にフレミングの法則を教わった事によるのかもしれない。ぴんと伸ばした親指と人差指と中指を通して電流が流れ磁界と力が発生するとイメージし、体内を流す行為は、男の子に心地良い。両手を奪われ心も付いていってしまったのだろう。線を繋ぐと電球が灯る、メーターの針が大きく振れる、見えないものを見る行為は、不可思議で、夢であるように思う。


10-6 新年にあたって

manray10-12筆者2015年版年賀状


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2015年は、どんな年になるのだろう。正月休みが終わって働き始めたご同輩、あるいは、休みなど関係ないぞとアクセルをふかし続けている作家の皆さま、それぞれのペースでやりたい事をやりたい用に続けられることを祈念させていただきたい。

 ともあれ、改まった気持ちでポストから年賀状を取りだすのは、元旦最高の喜びだった。お酒を頂いた後であり、絵柄に添えられた言葉から古い友人や、新しい仲間の顔をぼんやりと浮かべ、春の兆しを思った。でも、最近は既製品やお手軽写真が増え、手作り感がなくなった。さらに、紙モノが減ってメール系が席巻するのは、コレクターとして困った現象(残りませんから)。さらに、お年玉の発表もイベント感がなくなった。「紙は食べないで」と羊を遠ざけながら、小生は相変わらずの気楽な毎日を京都で過ごしております(ちょっと書きすぎました)。

続く

(いしはらてるお)

■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。

石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
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●今日のお勧め作品は、マン・レイです。
20150105_ray_42_seifportrait1972マン・レイ
「板上の影」
1972年
ポショワール
46.0x36.0cm
Ed.140 (E.A.)
サインあり
レゾネNo.98(Studio Marconi)


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