芳賀言太郎のエッセイ  
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第11回

第11話 ワインの泉 ~イラーチェ~


10/4(Thu) Estella ~ Los Arcos (20.6km)

 今回のエッセイを書いていたら、ナバーラのワインが飲みたくなった。スペインワインがブームといっても、ナバーラのものまで扱っているワインショップはなかなかないのでネットで検索する。値段は現地価格の約2~3倍であり、送料と手数料まで考えるとさすがに馬鹿馬鹿しいので残念ながら断念する。もっともそれは日本酒が海外ではそれぐらいの値段がするのと同じことだから文句を言うわけにはいかない。ただ、ワインを筆頭に酒は何を飲むかはもちろんだが、誰とどこで飲むかが重要である。美味しければ記憶に残るというものでもない。巡礼路で飲んだスペインワインはどれも安くて渋いワインがほとんどであったが、これまで飲んだどんなワインよりも記憶に残っている。

 エステーリャの町を出発すると、ぶどう畑が広がっている。スペインのワインと言えばリオハが有名だが、ここナバーラもそのリオハの東隣であり、素晴らしいワインの生産地である。
  Irache(イラーチェ)は修道院によって栄えた村である。イラーチェ修道院はナバーラ地方で最も古い宗教施設の一つであり、8世紀に建てられた聖堂の跡にベネディクト派の修道士によって11世紀に建てられた。11世紀の末にはナバーラ王ガルシア三世の寄進によって救護院が設置され、その後長く巡礼者への救護活動を行ってきた。現在修道士はおらず、修道院としては機能してはいない。そしてこの修道院のワイナリーが現在の「イラーチェ醸造所」となっている。
 修道院とワインとは関係が深い。キリストが「最後の晩餐」で、「これがわたしのからだである。これがわたしの血である」と、パンとワインとを弟子たちに分け与えて以来、教会はパンとワインを分かち合うミサ(プロテスタントでは聖餐)を行ってきた。
 町にある教会ならワイン商から買うことができるが、人里離れた修道院ではそうはいかない。修道士たちは荒れ地を開墾してぶどう畑を作り、醸造所をつくって自分たちでワインを調達したのである。
 ところがワインというものは、肥沃な土地で沢山実ったぶどうからよりも、痩せた土地で懸命に実をならせたぶどうからの方が質のよいものができる。そのため、修道院が開いたぶどう畑でつくられたワインは自然と良質のものが生まれた。ロマネ・コンティを筆頭とするフランス・ブルゴーニュ地方のコート・ドールはクリューニー派修道院とそこから分かれたシトー派修道院が開いた所であり、シャンパンの代名詞のような「ドン・ペリニヨン」はワインの醸造を務めとしていたベネディクト会修道士の名前である。
 イラーチェ修道院のワイナリーを引き継いだ形で1891年に創立されたのが「ボデガス・イラーチェ」である。このイラーチェ社が巡礼者のために提供している無料のワイン提供所、通称「ワインの泉」は巡礼者のあいだでは知られた名所である。私も巡礼路に面している「ワインの泉」に足を運んだ。看板には

「1000年以上に及びイラーチェ修道院を通る巡礼者たちは温かいもてなしを受けてきた。それを受け、ボデガス・イラーチェ社も巡礼者たちが無事サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着できることを願い、一杯のワインを振舞うものである」

と書かれている。
 かつてイラーチェ修道院では巡礼者に対してパンやワイン、さらには医療や宿泊を提供していた。その修道院のワイナリーを受け継ぐこの醸造所も、この伝統を守って巡礼者に無料でワインを提供しているのである。
 そのワインの泉からスノーピークのチタンマグ(「コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~第6回」に登場)にワインを注ぐ。時計は朝の8時半、まだ数キロしか歩いていないのにワインとはなんとも不思議な感覚である。巡礼において最も印象深いワインの一つである。

01ボデガス・イラーチェ
ワイナリーの側にはワイン畑が広がっている


02ワインの泉
左の蛇口からは赤ワイン、右の蛇口からは水が出る


03巡礼者へのメッセージ
「巡礼者たちよ
サンティアゴに無事に到着することを願うなら、
この偉大なるワインを一口飲み、幸福に乾杯せよ」


 ワインを飲み終わったものの、さあ出発と言うわけにはいかない。ワイナリーの本体であった修道院は、現在ではミュージアムになっており開館時間の10時までは入ることができない。そばに置かれているベンチで待っていると、偶然Paulと再会する。私が修道院のことを説明するとポーも一緒に見ていくという。ここ数日のお互いのことを話しながら時間まで待つ。
 修道院は分厚い壁で覆われている。修道院は本質的に外に開かれた建物ではない。修道院という共同体はそれ自体で完結することを目指している。それを内包する建築それ自体が一つの世界であり、宇宙なのである。
 このイラーチェ修道院は長年の増改築によって各様式が混在している。付属礼拝堂は後陣がロマネスク様式、身廊はゴシックというハイブリッド。回廊はゴシック様式であるが、入り口の上部にはスペインの初期ルネサンス様式であるプラテレスコの装飾で覆われている。入り口の塔はスペインの後期ルネサンス様式となっている。
 運搬手段が荷車しかない時代、石の値段よりも運送費が高くなるような状況では、基本的には教会の建設には地元の石をつかう。ここイラーチェでは白い石灰岩が取れたのだろう。礼拝堂の平面プランはコンクのサント・フォア修道院の礼拝堂とよく似ている。
 イラーチェ修道院は現在、パラドール(スペインの国営の高級ホテル)に改装する計画が進んでいるようである。スペインのことなのでいつになるかわからないが、あと20年ぐらいしてお金の余裕ができたら、少し贅沢な巡礼旅をしてみたいものである。

04イラーチェ修道院 外観
要塞のようである


05イラーチェ修道院 礼拝堂
白の静寂な空間


06礼拝堂 入り口天井
構造としてのリブが装飾を兼ね備えている


07イラーチェ修道院 回廊
ゴシックの天井リブによって高さを確保している


08イラーチェ修道院 回廊入り口上部
プラテレスコ(銀細工師)様式の繊細な彫刻装飾


09イラーチェ修道院 正面祭壇上部
アーチの上に穿たれた正円の窓が印象的である


 ビジャ・マヨール・デ・モンハルディンの三角山を横目に巡礼路は続く。この山頂にはローマ時代にさかのぼるサン・エステバンの古城がある。レコンキスタの時代アラブ軍と戦ったサンチョ・ガルセス一世はここにあったロマネスク教会に埋葬された。ここに伝わった美しい十字架は現在、パンプローナの司教区美術館に展示されている。
 山麓の巡礼路沿いに「ムーア人の泉」と呼ばれる特徴的な建物がある。中には階段があり、その底に水が溜まっていた。ちょっとした階段井戸のようだ。この泉は1200年頃につくられたものだという。さすがに現代の巡礼者でここの水を飲もうという人はいないだろうが、休憩スポットとしてはまだまだ現役である。

10荒野を歩く


11モンハルディンの山
三角山の頂上に城跡が残る


12ムーア人の泉
切り妻屋根と2つのアーチの入り口が印象的である


 ビジャ・マヨール・デ・モンハルディンの村の教会は後期ロマネスク様式で12世紀に建てられた。ロマネスク様式の教会は窓が小さく薄暗いのが特徴ではあるが、この教会は特に暗く、入り口の扉を閉めると内部はほぼ真っ暗である。こうなると、「壁で躯体を支えるため大きな開口部を取ることができなかった」というよりは、むしろ、積極的に暗闇を求めたのではないかと思えてくる。昼でありながら闇に閉ざされた空間で、人は光を外にではなく、内に求めたように思う。

13礼拝堂


 村を出て、ぶどう畑が広がる坂道を下る。ポプラ並木の平らな道がどこまでも続いていた。
 そこから先は木陰も無い広大な大地をひたすら歩く。一筋の巡礼路が通っている風景はなんとも言えぬ美しさであるが、巡礼者にとってはつらいものである。途中に村はなく、水場もなく、休憩できる場所もない。そして、照りつける太陽は容赦ない。Los Arcosまでのラスト12km、なかなか大変である。何もない広大な大地。ギラつく太陽。スペインを歩いていることを実感する。

14ポプラ並木
木の影が巡礼路にコントラストを生む


15荒野を歩く2
厳しい日差しが照りつける


16スペインの大地
一面に広がる青空と黄色い大地


 Los Arcos(ロス・アルコス)は、麦畑の平野にある孤島のような町である。町の入り口に休憩所があった。そしてなんと運良く自動販売機を発見する。自販機にかじりつくようにしてお金を入れ、ボタンを押した。出てきたコーラで乾いた喉を潤した。
 この町は12世紀に建てられた聖マリア教会を中心に発展したというだけあって、教会の塔がまるで灯台のように高くそびえている。この教会は18世紀まで改修が繰り返され、ロマネスク、ゴシック、プラテレスコ、バロックと各様式が混在している。

17聖マリア教会 塔
16世紀に建てられたものである


18聖マリア教会 入り口


19聖マリア教会 正面祭壇
バロック様式のきらびやかな祭壇である


20聖マリア教会 天井
バロック装飾が天井を埋め尽くす


21聖マリア教会 天井ドーム
過度な装飾も徹底すると宇宙のように感じられる


22聖マリア教会 回廊
高い天井と開口部の装飾が特徴である


23聖マリア教会 回廊2


 ロス・アルコスのアルベルゲで日本人と出会う。彼女は数年前に、このアルベルゲでお手伝いをしていたという。その後スペイン人と結婚し、今は近くのレストランで働きながら暮らしているとのことである。そのため、今でも仕事終わりにここに寄り、巡礼者と話をするのが楽しみだという。久しぶりに故郷の日本を感じ、世界のさまざまな場所に日本人がいることに改めて気づいた。

24アルベルゲ 入り口


25アルベルゲ エントランス
日本語の文字が印象的である


歩いた総距離877.7km

(はがげんたろう)


コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第11回 万年筆
LAMYラミー アルスター 1,890円


 万年筆は大人の嗜み、限られた人しか使えないといったイメージがあるように思う。そして万年筆を使うことにある種の抵抗があり、身構えてしまう人もいるのではないだろうか。
 アルスターは、1980年に誕生して以来、世界中で愛されてきた名品Safari(サファリ)の素材をプラスチックからアルミに変更したモデルである。万年筆の堅苦しさはなく、書き味もいい。丈夫で軽いアルミのボディと大きなクリップのついた勘合式のキャップによってコートやジャケット、ジーンズのポケットに挟んでおき、思いついたアイディアをすぐに書くことができる。カジュアルでアーティスティックに使うことができるのも気に入っている理由である。万年筆を使いたいけれど高い万年筆を最初に買うのは不安だという人に、最初の一本としてオススメである。
 ラミーは現在でこそドイツを代表する筆記用具ブランドだが、1930年の創立は家族経営の小さな会社でしかなかった。そこで、二代目のドクター・マンフレッド・ラミーは他社の製品との差別化を図るために「デザイン」を取り入れようとバウハウスに注目する。バウハウスの思想はすぐれた手工業的デザインを安価で機能的に生産し、多くの人に供給するというものであった。芸術家と職人を結びつけたのもバウハウスである。それがラミー2000(1966年)という画期的な万年筆を誕生させた。アルスターもそのバウハウスデザインの系譜を受け継いでいる。
 最近は値段が安く、ボールペン代わりに手軽に使える万年筆も増えてはいるが、ボールペン代わりの万年筆はやはりボールペンの延長に過ぎないような気がする。ラミーのアルスターも一般的に万年筆と呼ばれるものからみれば邪道なのかもしれないが、オリジナリティのあるデザイン、ターゲットに合わせた仕様、一つの製品として完成されているのである。アルスターからはプロダクトの美しさを感じると共に、モノとはこのようにつくるのだというデザイナーの思想が伝わってくる。
 ドクター・マンフレッド・ラミーは
「デザインは、外観を単に飾るものではない。様式を表す言語だ」
と語っている。
 私は巡礼中、日本へのはがきはこのアルスターを使って書いた。メールで済ますこともできるが、やはり手書きで書いた文字には心がこもるように思う。
 私にとってアルスターは高級万年筆の代わりではない。アルスターでなければ書けない場所がありアルスターでなければ書けない文章がある。アルスターで文字を書くという行為から何かが生まれると私は思っている。

26ラミー アルスター


27ラミー アルスター2


芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。

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●今日のお勧め作品は鬼海弘雄です。
作家と作品については、大竹昭子のエッセイ「迷走写真館」第4回をご覧ください。
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鬼海弘雄
〈アナトリア〉シリーズ
「22羽のアヒルと冬の気球(トルコ)」

2009年撮影(2010年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 29.1x43.6cm
Sheet size: 40.5x50.5cm
Ed.20
裏面にサインあり

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