先日ある美術館の学芸員の方がfacebookで他の美術館の地味な企画にエールを送ったところ、それを読んだ方が<お金をかけなくても優れた企画は出来る、学芸の真骨頂。>というコメントを書き込みました。
他意はないのでしょうが、たまたまその展覧会の内情を知っている亭主としては「ちょっと待った」と言わざるを得ない。
公立美術館の企画展は事前の準備(企画し、内容を研究する)があり、出品作品を集め、公開(展示)し、その内容を記録(出品リスト、カタログ)することで完了します。
真摯にその企画に取り組もうとすれば<お金をかけなくて>できるはずがありません。
もし<お金をかけなくても優れた企画>に見えたとしたら、それには裏があるわけで(この展覧会の場合、ある個人が数百万円を黙って負担した)、コメントされた方にはそういうことへの想像力がはたらかなかったのでしょう。
いま日本の美術館が直面している悲惨な事態(非正規雇用の反映たる契約学芸員などその典型)を無視したこのような「善意のコメント」が役人の無理解を増長させ(予算削減)、学芸員たちを疲弊させ、美術の現場を荒廃させているのではないでしょうか。
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税金を使って運営しているのではない、私たち貧乏画商は日々の資金繰りに追いまくられながら、それでも商売の初心(優れた作品を、リーズナブルな価格で顧客に売る)を忘れずに、さて今月は何を売ろうかと思案しているのであります。
先日もお伝えしたように、予定していた二つの個展が延期になってしまい、かわりに「画廊コレクション展」を開催しています。
2月前半の「如月の画廊コレクション」に続き、明日17日からは「仲春の画廊コレクション」と銘打って、1900年生まれの阿部金剛から、1970年生まれの根岸文子まで、倉庫のあちこちから引っ張り出したコレクションの数々をお目にかけます。
とはいっても、先日言い訳したとおり、画廊の現状は作業場と化しております。壁面こそ作品が整然と展示してありますが、床にはあちこちから入ってきた作品のダンボール箱が散乱し、テーブルの上にはこれも発送直前の作品があれこれ山積みされています。
こういう雑然たる雰囲気もたまにはいいようで、来る人来る人椅子に座り込んで長居され、挙句は亭主に脅されお買い上げになる、いやありがたいことです。
◆本日16日(月曜)は休廊です。
◆ときの忘れものの2月後半の展示は「仲春の画廊コレクション」です。
「仲春の画廊コレクション」
会期:2015年2月17日(火)~28日(土)
*日曜、月曜休廊
出品:オノサト・トシノブ、内間安瑆、蛯名優子、宇田義久、阿部金剛、百瀬寿、根岸文子、その他いろいろ
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO(1912~1986)
長野県生まれ。その後群馬県桐生に移り住む。本名・小野里利信。津田青楓洋画塾に学ぶ。1935年黒色洋画展を結成、38年自由美術家協会会員となる(~56年、以後無所属)。
具象から出発し、1937~40年に抽象絵画を描き、その後再び具象に戻る。1941年に一兵卒として出征、戦後のシベリア抑留を経て48年に帰国。戦後は具象から再スタートを切り、1950年代に抽象に転ずる。1964・66年にはベニス・ビエンナーレに日本代表として出品、国際的にも評価されるが、1970年代からは発表する場に恵まれず、桐生のアトリエにこもりひたすら丸(円)を描き続けた。
■内間安瑆 Ansei UCHIMA(1921~2000)
沖縄からの移民の子としてアメリカに生れる。1940年日本に留学、早稲田大学で建築を学ぶ。戦後、創作版画の恩地孝四郎に巡り逢い抽象木版を志す。1955年東京・養清堂画廊で初個展。1960年帰米、以降ニューヨーク在住。1962,70年グッゲンハイム・フェ ローシップ版画部門で受賞。サラ・ローレンス大学名誉教授。浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と呼ぶ独自の技法を確立し、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた『森の屏風 Forest Byobu』連作を生み出す。鮮やかな色彩のハーモニー、微妙なぼかしが入った色面が幾重にも重なる複雑な構成、多色にもかかわらず画面全体には静かな気品が漂う作品群はアメリカで高い評価を獲得した。2014年沖縄県立美術館で回顧展が開催された。
■蛯名優子 Yuko EBINA(1970~ )
岩手県生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。1991年「第27回神奈川県美術展」神奈川県立近代美術館賞を受賞。1995年ルナミ画廊で初個展。大学院卒業後の1999年に第13回ホルベイン・スカラシップを獲得。2004年から2005年まではポーラ美術振興財団在外研修員として、翌2006年から2007年にかけては文化庁芸術家在外派遣研修員としてオランダ・アムステルダムに滞在して制作。
■宇田義久 Yoshihisa UDA(1966~ )
福島県会津若松市生まれ。岩手大学特設美術科卒業。1993年ギャラリー彩園子(岩手・盛岡市)で個展。1996年岩手県芸術選奨を受賞。2003年VOCA展(東京・上野の森美術館)に出品、同年ホルベイン・スカラシップを獲得。2005年リアス・アーク美術館(宮城県・気仙沼市)で個展。2009年「福島の新世代2009」展(福島県立美術館)に出品。木綿糸による線条とアクリルによる透明感ある色彩が瑞々しい調和を見せる作品は平面とも立体ともつかない「ミクロからマクロが形成される世界の構造」が象徴的に表現されている。
■阿部金剛 Kongo ABE(1900~1968)
岩手県盛岡市生まれ。父は内務省官僚であった阿部浩東京府知事。慶應義塾大学文学部在学中から岡田三郎助に師事し、1926年慶應を中退して渡仏、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。藤田嗣治やキスリングに影響を受け、またシュルレアリスムに関心を寄せる。1927年帰国。1929年東郷青児と共に油絵展覧会を開催、同年二科会展に初入選した。東郷青児や古賀春江らとともに「新傾向」絵画の旗手として注目を集め、詩作も行ない、萩原朔太郎の「詩人の運命」の装丁も手がける。超現実主義的な作品で脚光を浴び、1960年からはアメリカ、メキシコに滞在し制作した(1967年帰国)。
■百瀬寿 Hisashi MOMOSE(1944~ )
北海道・札幌市生まれ。北海道教育大学旭川分校卒業、岩手大学専攻科修了。シルクスクリーンやネコ・プリントの技法によって、美しい色彩の版画作品を手がける。1977年サンフランシスコ近代美術館・世界版画展でエディション買上賞。1987年第7回ハラ・アニュアル(原美術館)出品。1992年横浜美術館グランドギャラリーに作品設置。1994~97年椿会展(資生堂ギャラリー)出品。1996年高知国際版画トリエンナーレ・大賞受賞。2010年岩手県立美術館で回顧展開催。80年代以降、和紙や箔などを用いた平面作品を制作、色彩のうつろう鮮やかな絵画世界を確立。オレンジからグリーンへ、イエローからピンクへなどグラデーションによる作品構成が特徴である。
■根岸文子 Fumiko NEGISHI(1970~ )
東京生まれ。女子美術大学絵画科版画コース卒業後、スペインに渡る。スペイン美術大学の版画工房で学ぶ。スペイン国内版画展で新人賞、モハカ絵画奨学コース(スペイン)等を受ける。2002年エガン画廊(マドリッド)で個展、またマドリッド国際アートフェアに同画廊より出展、GENERACION 2002,2005グループ展に参加(カッハマドリッド)。2009年「VOCA展2009」出品(上野の森美術館)。
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◆金沢21世紀美術館で3月15日まで開催されている「ジャパン・アーキテクツ1945–2010」の招待券が若干あります。ご希望の方はメールにてお申し込みください。
◆福井県立美術館で開催された『福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―』の図録はときの忘れものが編集を担当しました。
福井の同展はじめ、勝山、金沢をめぐる「現代美術と磯崎建築~北陸の冬を楽しむツアー」を1月24日~25日に開催し、各地から15名が参加されました。参加された皆さんの体験記をお読みください。
石原輝雄さんの体験記
浜田宏司さんの体験記
酒井実通男さんの体験記
◆福井県勝山の磯崎新設計「中上邸イソザキホール」については亭主の回想「台所なんか要りませんから」をお読みください。
他意はないのでしょうが、たまたまその展覧会の内情を知っている亭主としては「ちょっと待った」と言わざるを得ない。
公立美術館の企画展は事前の準備(企画し、内容を研究する)があり、出品作品を集め、公開(展示)し、その内容を記録(出品リスト、カタログ)することで完了します。
真摯にその企画に取り組もうとすれば<お金をかけなくて>できるはずがありません。
もし<お金をかけなくても優れた企画>に見えたとしたら、それには裏があるわけで(この展覧会の場合、ある個人が数百万円を黙って負担した)、コメントされた方にはそういうことへの想像力がはたらかなかったのでしょう。
いま日本の美術館が直面している悲惨な事態(非正規雇用の反映たる契約学芸員などその典型)を無視したこのような「善意のコメント」が役人の無理解を増長させ(予算削減)、学芸員たちを疲弊させ、美術の現場を荒廃させているのではないでしょうか。
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税金を使って運営しているのではない、私たち貧乏画商は日々の資金繰りに追いまくられながら、それでも商売の初心(優れた作品を、リーズナブルな価格で顧客に売る)を忘れずに、さて今月は何を売ろうかと思案しているのであります。
先日もお伝えしたように、予定していた二つの個展が延期になってしまい、かわりに「画廊コレクション展」を開催しています。
2月前半の「如月の画廊コレクション」に続き、明日17日からは「仲春の画廊コレクション」と銘打って、1900年生まれの阿部金剛から、1970年生まれの根岸文子まで、倉庫のあちこちから引っ張り出したコレクションの数々をお目にかけます。
とはいっても、先日言い訳したとおり、画廊の現状は作業場と化しております。壁面こそ作品が整然と展示してありますが、床にはあちこちから入ってきた作品のダンボール箱が散乱し、テーブルの上にはこれも発送直前の作品があれこれ山積みされています。
こういう雑然たる雰囲気もたまにはいいようで、来る人来る人椅子に座り込んで長居され、挙句は亭主に脅されお買い上げになる、いやありがたいことです。
◆本日16日(月曜)は休廊です。
◆ときの忘れものの2月後半の展示は「仲春の画廊コレクション」です。

会期:2015年2月17日(火)~28日(土)
*日曜、月曜休廊
出品:オノサト・トシノブ、内間安瑆、蛯名優子、宇田義久、阿部金剛、百瀬寿、根岸文子、その他いろいろ
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO(1912~1986)
長野県生まれ。その後群馬県桐生に移り住む。本名・小野里利信。津田青楓洋画塾に学ぶ。1935年黒色洋画展を結成、38年自由美術家協会会員となる(~56年、以後無所属)。
具象から出発し、1937~40年に抽象絵画を描き、その後再び具象に戻る。1941年に一兵卒として出征、戦後のシベリア抑留を経て48年に帰国。戦後は具象から再スタートを切り、1950年代に抽象に転ずる。1964・66年にはベニス・ビエンナーレに日本代表として出品、国際的にも評価されるが、1970年代からは発表する場に恵まれず、桐生のアトリエにこもりひたすら丸(円)を描き続けた。
■内間安瑆 Ansei UCHIMA(1921~2000)
沖縄からの移民の子としてアメリカに生れる。1940年日本に留学、早稲田大学で建築を学ぶ。戦後、創作版画の恩地孝四郎に巡り逢い抽象木版を志す。1955年東京・養清堂画廊で初個展。1960年帰米、以降ニューヨーク在住。1962,70年グッゲンハイム・フェ ローシップ版画部門で受賞。サラ・ローレンス大学名誉教授。浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と呼ぶ独自の技法を確立し、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた『森の屏風 Forest Byobu』連作を生み出す。鮮やかな色彩のハーモニー、微妙なぼかしが入った色面が幾重にも重なる複雑な構成、多色にもかかわらず画面全体には静かな気品が漂う作品群はアメリカで高い評価を獲得した。2014年沖縄県立美術館で回顧展が開催された。
■蛯名優子 Yuko EBINA(1970~ )
岩手県生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。1991年「第27回神奈川県美術展」神奈川県立近代美術館賞を受賞。1995年ルナミ画廊で初個展。大学院卒業後の1999年に第13回ホルベイン・スカラシップを獲得。2004年から2005年まではポーラ美術振興財団在外研修員として、翌2006年から2007年にかけては文化庁芸術家在外派遣研修員としてオランダ・アムステルダムに滞在して制作。
■宇田義久 Yoshihisa UDA(1966~ )
福島県会津若松市生まれ。岩手大学特設美術科卒業。1993年ギャラリー彩園子(岩手・盛岡市)で個展。1996年岩手県芸術選奨を受賞。2003年VOCA展(東京・上野の森美術館)に出品、同年ホルベイン・スカラシップを獲得。2005年リアス・アーク美術館(宮城県・気仙沼市)で個展。2009年「福島の新世代2009」展(福島県立美術館)に出品。木綿糸による線条とアクリルによる透明感ある色彩が瑞々しい調和を見せる作品は平面とも立体ともつかない「ミクロからマクロが形成される世界の構造」が象徴的に表現されている。
■阿部金剛 Kongo ABE(1900~1968)
岩手県盛岡市生まれ。父は内務省官僚であった阿部浩東京府知事。慶應義塾大学文学部在学中から岡田三郎助に師事し、1926年慶應を中退して渡仏、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。藤田嗣治やキスリングに影響を受け、またシュルレアリスムに関心を寄せる。1927年帰国。1929年東郷青児と共に油絵展覧会を開催、同年二科会展に初入選した。東郷青児や古賀春江らとともに「新傾向」絵画の旗手として注目を集め、詩作も行ない、萩原朔太郎の「詩人の運命」の装丁も手がける。超現実主義的な作品で脚光を浴び、1960年からはアメリカ、メキシコに滞在し制作した(1967年帰国)。
■百瀬寿 Hisashi MOMOSE(1944~ )
北海道・札幌市生まれ。北海道教育大学旭川分校卒業、岩手大学専攻科修了。シルクスクリーンやネコ・プリントの技法によって、美しい色彩の版画作品を手がける。1977年サンフランシスコ近代美術館・世界版画展でエディション買上賞。1987年第7回ハラ・アニュアル(原美術館)出品。1992年横浜美術館グランドギャラリーに作品設置。1994~97年椿会展(資生堂ギャラリー)出品。1996年高知国際版画トリエンナーレ・大賞受賞。2010年岩手県立美術館で回顧展開催。80年代以降、和紙や箔などを用いた平面作品を制作、色彩のうつろう鮮やかな絵画世界を確立。オレンジからグリーンへ、イエローからピンクへなどグラデーションによる作品構成が特徴である。
■根岸文子 Fumiko NEGISHI(1970~ )
東京生まれ。女子美術大学絵画科版画コース卒業後、スペインに渡る。スペイン美術大学の版画工房で学ぶ。スペイン国内版画展で新人賞、モハカ絵画奨学コース(スペイン)等を受ける。2002年エガン画廊(マドリッド)で個展、またマドリッド国際アートフェアに同画廊より出展、GENERACION 2002,2005グループ展に参加(カッハマドリッド)。2009年「VOCA展2009」出品(上野の森美術館)。
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◆金沢21世紀美術館で3月15日まで開催されている「ジャパン・アーキテクツ1945–2010」の招待券が若干あります。ご希望の方はメールにてお申し込みください。
◆福井県立美術館で開催された『福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―』の図録はときの忘れものが編集を担当しました。
福井の同展はじめ、勝山、金沢をめぐる「現代美術と磯崎建築~北陸の冬を楽しむツアー」を1月24日~25日に開催し、各地から15名が参加されました。参加された皆さんの体験記をお読みください。
石原輝雄さんの体験記
浜田宏司さんの体験記
酒井実通男さんの体験記
◆福井県勝山の磯崎新設計「中上邸イソザキホール」については亭主の回想「台所なんか要りませんから」をお読みください。
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