記憶力がいいのだけが取り柄でした(過去形です、情けない)。
近頃は耳も遠くなり、そばに誰かスタッフがいてくれないと初めての方との会話はほとんど成り立たない。
お客様の名前はもちろん、いつ何をお買いになったかを覚えているのは、画商の最低限の常識(義務)と思っていたのですが・・・・・
先日も書いたとおり、宮城県美術館に行って、自分が納めた瑛九作品のことをすっかり忘れていたことにショックを受けました。
画廊にいらっしゃったお客さまのお顔は覚えがあるのだけれど、どうしてもお名前が浮かばない、でもあの作品を買ってくださった方だよなあ。慌てて二階にかけあがりパソコンに記憶の断片の単語を打ち込む。検索で見つかればいいのですが・・・
「あの方、誰だっけ」と社長に尋ねる、そういう日々が増えてきたこのごろであります。
失礼をしてしまったお客様には、心よりお詫び申し上げます。
「具体の作家たち」展は昨日、終了しました。
来場者の数はそう多くはなかったのですが、おかげさまで作品はほとんどが売約となり、いまさらながら世界での「具体」の人気に驚いています。
亭主が美術業界に入ったのは1974年ですから、具体解散後僅か数年の頃でした。
当時、「具体」のことはほとんど話題になった記憶がありません。それほど関東では知られていませんでした。
あれから40年、いまや「具体」はメジャーな存在となりました。
時代に先駆けた作家の作品は発表当初は無視されたり、売れないという試練を受ける。
具体もそうでしたし、いまや無敵の草間彌生先生もそうでした。
縁あって二点の版画が30年ぶりに戻ってきました。

草間彌生 Yayoi KUSAMA
「Infinity Nets 1958(無限の網)」
1982年
シルクスクリーン
27.0×31.5cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション
※レゾネNo.14(阿部出版)

草間彌生 Yayoi KUSAMA
「Hat-S(帽子-S)」
1982年
シルクスクリーン
27.0×32.2cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション
※レゾネNo.19(阿部出版)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
現代版画センター時代に亭主がエディションした作品です。
草間彌生先生の版画を初めてエディションしたのは1982年で、上記2点のほかにレゾネNo.15「Infinity Nets 1963」、同No.16「南瓜」、同No.17「ぶどう」、同No.18「蝶」、同No.20「帽子」の合計7点、限定部数はいずれも50部。
亭主が主宰した現代版画センターは1974年から1985年にいたる足掛け12年のあいだに、約70作家、700点ほどの版画をエディションしました、総数にして15万枚(!)。
今思うと空恐ろしい数字です。
多かったのは菅井汲、元永定正、関根伸夫、靉嘔、磯崎新、難波田龍起、大沢昌助などでしたが、飛ぶように売れたもの(数点あります)、そこそこ売れたもの(三分の一くらい)、そしてまったく売れなかったもの、といろいろありました。
草間先生の7点は泣きたいほど売れなかった。
レゾネNo.16「南瓜」などは初期を飾る代表作で、今ならあっという間に売れてしまうでしょうが、
誰も買ってくださらなかった。
ある人から「ジンマシンが出る」と言われ、しょげたものです。
そのくらい拒絶感が激しかった。
当時のパトロンだった秋田のFさんだけが「ボクは買います」と言ってくださったときは地獄に仏の心境でした。
久しぶりに自分が生んだ(が育てられなかった)わが子2点を手にして、孤島で生死を潜り抜けた戦友に会った気分であります。
近頃は耳も遠くなり、そばに誰かスタッフがいてくれないと初めての方との会話はほとんど成り立たない。
お客様の名前はもちろん、いつ何をお買いになったかを覚えているのは、画商の最低限の常識(義務)と思っていたのですが・・・・・
先日も書いたとおり、宮城県美術館に行って、自分が納めた瑛九作品のことをすっかり忘れていたことにショックを受けました。
画廊にいらっしゃったお客さまのお顔は覚えがあるのだけれど、どうしてもお名前が浮かばない、でもあの作品を買ってくださった方だよなあ。慌てて二階にかけあがりパソコンに記憶の断片の単語を打ち込む。検索で見つかればいいのですが・・・
「あの方、誰だっけ」と社長に尋ねる、そういう日々が増えてきたこのごろであります。
失礼をしてしまったお客様には、心よりお詫び申し上げます。
「具体の作家たち」展は昨日、終了しました。
来場者の数はそう多くはなかったのですが、おかげさまで作品はほとんどが売約となり、いまさらながら世界での「具体」の人気に驚いています。
亭主が美術業界に入ったのは1974年ですから、具体解散後僅か数年の頃でした。
当時、「具体」のことはほとんど話題になった記憶がありません。それほど関東では知られていませんでした。
あれから40年、いまや「具体」はメジャーな存在となりました。
時代に先駆けた作家の作品は発表当初は無視されたり、売れないという試練を受ける。
具体もそうでしたし、いまや無敵の草間彌生先生もそうでした。
縁あって二点の版画が30年ぶりに戻ってきました。

草間彌生 Yayoi KUSAMA
「Infinity Nets 1958(無限の網)」
1982年
シルクスクリーン
27.0×31.5cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション
※レゾネNo.14(阿部出版)

草間彌生 Yayoi KUSAMA
「Hat-S(帽子-S)」
1982年
シルクスクリーン
27.0×32.2cm
Ed.50 サインあり
*現代版画センターエディション
※レゾネNo.19(阿部出版)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
現代版画センター時代に亭主がエディションした作品です。
草間彌生先生の版画を初めてエディションしたのは1982年で、上記2点のほかにレゾネNo.15「Infinity Nets 1963」、同No.16「南瓜」、同No.17「ぶどう」、同No.18「蝶」、同No.20「帽子」の合計7点、限定部数はいずれも50部。
亭主が主宰した現代版画センターは1974年から1985年にいたる足掛け12年のあいだに、約70作家、700点ほどの版画をエディションしました、総数にして15万枚(!)。
今思うと空恐ろしい数字です。
多かったのは菅井汲、元永定正、関根伸夫、靉嘔、磯崎新、難波田龍起、大沢昌助などでしたが、飛ぶように売れたもの(数点あります)、そこそこ売れたもの(三分の一くらい)、そしてまったく売れなかったもの、といろいろありました。
草間先生の7点は泣きたいほど売れなかった。
レゾネNo.16「南瓜」などは初期を飾る代表作で、今ならあっという間に売れてしまうでしょうが、
誰も買ってくださらなかった。
ある人から「ジンマシンが出る」と言われ、しょげたものです。
そのくらい拒絶感が激しかった。
当時のパトロンだった秋田のFさんだけが「ボクは買います」と言ってくださったときは地獄に仏の心境でした。
久しぶりに自分が生んだ(が育てられなかった)わが子2点を手にして、孤島で生死を潜り抜けた戦友に会った気分であります。
コメント