小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第22回
Photographs now and then
写真を巡る旅
連休中に京都の実家に帰省していた折に、一人で広島を訪れてみることにしました。広島は私が1歳から高校を卒業するまで、子ども時代の大半を過ごした場所です。高校卒業後実家ごと京都に移ったために、友人の結婚式のために何度か訪れたものの、十数年以上は訪れる機会もないままでした。最近、何度か夢の中で幼い頃の家の周辺の光景が現れたり、前回ドールハウスについて書いたように、娘を通して自分の幼い頃のことを思い出したりするようになって、自分が子どもの頃に住んでいた家や幼稚園、学校、街の情景を見ておきたいという気持ちがありました。また、出産して以降子連れで長距離の移動をすることはあっても、一人で遠出をする機会がなくなっていたこともあり、一人で小さな旅をしてみたいという気持ちが沸々と湧いてきたということもあります。
(図1)
1977年4月 広島
幼稚園入園時の記念写真
右端が筆者
広島に行くにあたって実家のアルバムに収められていた写真を一枚持っていくことにしました(図1)。この写真は、私が4歳の時に幼稚園に入園する際に、当時住んでいたマンションの外で撮影されたものです。右端のピンクのワンピースを着た子どもが私で、同じマンションに住み、同じ幼稚園に入園した子どもたちと一緒に写っています。写真に窓とベランダが写っているのが当時家族で住んでいた部屋でした。この写真を選んだ理由は、撮影場所、つまり小さな花壇とベランダの外壁に挿まれた窪みのような場所が気に入っていたからです。花壇にオシロイバナや朝顔が咲いていたことや、お祭りの時になると窓の庇に紙垂が飾られていたことを思い出したり、別の機会に花壇の脇で撮ってもらった写真を見たりするうちに、この場所が私にとって「子ども時代を過ごした場所」の一つとして記憶に刻み込まれるようになりました。
広島駅の近くでレンタサイクルを借り、かつて住んでいたマンションに30数年ぶり向かう道程で目にした光景は、既知と未知が入り混じった時空のようでした。長く住んでいただけに、場所の感覚が体に馴染んでいて、街の構造や大凡の位置関係は覚えているものの、大規模な区画整理が行われて様変わりした地域や、見たこともない建物を目の当たりにすると、隔たっていた時間がじわじわと体に滲み込む思いがしました。
(図2)
筆者が1歳から9歳まで住んでいたマンション
(図3)
写真を撮った場所と写真
かつて住んでいたマンション(図2)は年月を経て古びながらも今もなお残っていました。マンションの入口に嵌め込まれた定礎のパネルによれば、マンションは私が生まれた同じ年の1973年に建てられたものです。このマンションは自分と同い年なのか、と自分の写った写真(図1)を手に、その撮影場所をしみじみと眺め(図3)、マンションの入口の道向かいの家に目を向けると、住人らしきご婦人がガレージの方に出て来られました。子どもの頃に見たのと変わらないその門構えだったことから、おそらく当時からずっとその家に住んでいた人ではないかと思い、そのご婦人に声をかけました。
(図4)
マンションの道向いの家にお住まいのご夫妻
(図5)
持参した写真を手に同じ場所で写真に撮ってもらった私
見知らぬ私にいきなり声をかけられたご婦人は驚いておられましたが、持参した写真を見せて私がかつてこのマンションに住んでいて、久しぶりに訪ねた経緯をお話しすると、当時近所の病院に務めていた私の父のことを思い出し、ご主人も呼んでこられて、当時の周辺の状況の様子や、お互いの家族のことを30分以上立ち話しました。その間、道を通りがかった近所の人に、ご主人が私の持ってきた写真を指して、「この人、こどもの頃ここに住んどったんじゃって!」と見せ、子どもだった私が30数年を経て大人になって再び訪ねてくれたことを、喜んでくれました。別れ際に、再会の記念として(図1)を撮ったのと同じ場所で、ご夫妻の写真(図4)を撮り、私は持参した写真を手に写真(図5) を撮ってもらいました。にこやかな笑顔で写真に写るご夫妻と、ご夫妻と話しながら子どものような顔で笑っている私自身を見ると、写真を通して過ぎた時間を懐かしんだだけではなく、近所の住人として同じ時空を共有して暮らしていた関係性が写真を見ることや撮ることによって、束の間に蘇ってきたようでもありました。
その後自転車で市内の思い出の地を巡った後に、広島からの帰途、新幹線の車中であらためて(図1)の写真を眺めながら、写真が撮られた38年前と現在の間を往還した時間旅行の一日を振り返りました。時間と人をつなぎ、記憶の「縁(よすが)」になる写真のあり方や、写真を見たりささやかな文章を書いたりすることでさまざまな糧を得てきた自分自身の辿ってきた道程、写真に写っている自分と同じ年齢になった娘までもが、写真の中に重なって見えてくるようにも感じられました。写真は見る人の来し方と行く末を収める時間の器のようなものかもしれません。
(こばやしみか)
●今日のお勧め作品は、ピーター・ビアードです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第22回をご覧ください。
ピーター・ビアード
「San Quentin Summer 1971
(T.C.& Bobby Beausoleil)」
1971年撮影(1982年プリント)
ゼラチンシルバープリント
22.5x33.5cm
Ed.75
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・新連載「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1981年3月1日<ギャラリー方寸開廊記念「瑛九 その夢の方へ」オープニング>を掲載しました。
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Photographs now and then
写真を巡る旅
連休中に京都の実家に帰省していた折に、一人で広島を訪れてみることにしました。広島は私が1歳から高校を卒業するまで、子ども時代の大半を過ごした場所です。高校卒業後実家ごと京都に移ったために、友人の結婚式のために何度か訪れたものの、十数年以上は訪れる機会もないままでした。最近、何度か夢の中で幼い頃の家の周辺の光景が現れたり、前回ドールハウスについて書いたように、娘を通して自分の幼い頃のことを思い出したりするようになって、自分が子どもの頃に住んでいた家や幼稚園、学校、街の情景を見ておきたいという気持ちがありました。また、出産して以降子連れで長距離の移動をすることはあっても、一人で遠出をする機会がなくなっていたこともあり、一人で小さな旅をしてみたいという気持ちが沸々と湧いてきたということもあります。

1977年4月 広島
幼稚園入園時の記念写真
右端が筆者
広島に行くにあたって実家のアルバムに収められていた写真を一枚持っていくことにしました(図1)。この写真は、私が4歳の時に幼稚園に入園する際に、当時住んでいたマンションの外で撮影されたものです。右端のピンクのワンピースを着た子どもが私で、同じマンションに住み、同じ幼稚園に入園した子どもたちと一緒に写っています。写真に窓とベランダが写っているのが当時家族で住んでいた部屋でした。この写真を選んだ理由は、撮影場所、つまり小さな花壇とベランダの外壁に挿まれた窪みのような場所が気に入っていたからです。花壇にオシロイバナや朝顔が咲いていたことや、お祭りの時になると窓の庇に紙垂が飾られていたことを思い出したり、別の機会に花壇の脇で撮ってもらった写真を見たりするうちに、この場所が私にとって「子ども時代を過ごした場所」の一つとして記憶に刻み込まれるようになりました。
広島駅の近くでレンタサイクルを借り、かつて住んでいたマンションに30数年ぶり向かう道程で目にした光景は、既知と未知が入り混じった時空のようでした。長く住んでいただけに、場所の感覚が体に馴染んでいて、街の構造や大凡の位置関係は覚えているものの、大規模な区画整理が行われて様変わりした地域や、見たこともない建物を目の当たりにすると、隔たっていた時間がじわじわと体に滲み込む思いがしました。

筆者が1歳から9歳まで住んでいたマンション

写真を撮った場所と写真
かつて住んでいたマンション(図2)は年月を経て古びながらも今もなお残っていました。マンションの入口に嵌め込まれた定礎のパネルによれば、マンションは私が生まれた同じ年の1973年に建てられたものです。このマンションは自分と同い年なのか、と自分の写った写真(図1)を手に、その撮影場所をしみじみと眺め(図3)、マンションの入口の道向かいの家に目を向けると、住人らしきご婦人がガレージの方に出て来られました。子どもの頃に見たのと変わらないその門構えだったことから、おそらく当時からずっとその家に住んでいた人ではないかと思い、そのご婦人に声をかけました。

マンションの道向いの家にお住まいのご夫妻

持参した写真を手に同じ場所で写真に撮ってもらった私
見知らぬ私にいきなり声をかけられたご婦人は驚いておられましたが、持参した写真を見せて私がかつてこのマンションに住んでいて、久しぶりに訪ねた経緯をお話しすると、当時近所の病院に務めていた私の父のことを思い出し、ご主人も呼んでこられて、当時の周辺の状況の様子や、お互いの家族のことを30分以上立ち話しました。その間、道を通りがかった近所の人に、ご主人が私の持ってきた写真を指して、「この人、こどもの頃ここに住んどったんじゃって!」と見せ、子どもだった私が30数年を経て大人になって再び訪ねてくれたことを、喜んでくれました。別れ際に、再会の記念として(図1)を撮ったのと同じ場所で、ご夫妻の写真(図4)を撮り、私は持参した写真を手に写真(図5) を撮ってもらいました。にこやかな笑顔で写真に写るご夫妻と、ご夫妻と話しながら子どものような顔で笑っている私自身を見ると、写真を通して過ぎた時間を懐かしんだだけではなく、近所の住人として同じ時空を共有して暮らしていた関係性が写真を見ることや撮ることによって、束の間に蘇ってきたようでもありました。
その後自転車で市内の思い出の地を巡った後に、広島からの帰途、新幹線の車中であらためて(図1)の写真を眺めながら、写真が撮られた38年前と現在の間を往還した時間旅行の一日を振り返りました。時間と人をつなぎ、記憶の「縁(よすが)」になる写真のあり方や、写真を見たりささやかな文章を書いたりすることでさまざまな糧を得てきた自分自身の辿ってきた道程、写真に写っている自分と同じ年齢になった娘までもが、写真の中に重なって見えてくるようにも感じられました。写真は見る人の来し方と行く末を収める時間の器のようなものかもしれません。
(こばやしみか)
●今日のお勧め作品は、ピーター・ビアードです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第22回をご覧ください。

「San Quentin Summer 1971
(T.C.& Bobby Beausoleil)」
1971年撮影(1982年プリント)
ゼラチンシルバープリント
22.5x33.5cm
Ed.75
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・新連載「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1981年3月1日<ギャラリー方寸開廊記念「瑛九 その夢の方へ」オープニング>を掲載しました。
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