秋葉シスイの新作~サンタフェに向けて
こんにちは。
この度アメリカで開催される「アートサンタフェ」に、ときの忘れもののブースより出品させていただきます。
今回は新作を含めた3点を出品します。
海外で作品を観てもらえる機会はなかなか得られることではないので、せっかく与えていただいた機会、色んな反応を見届けてきたいと思います。
自分は、人が居たり居なかったり、あるいは向こうの方になにか光のようなものがある風景をずっと描いています。
たとえ誰も居なかったとしても、人の気配が感じられるような風景を。
もともと、自分の絵には「世界平和」とか「戦争反対」みたいな強いメッセージはありませんでした。
海や焚き火の炎をいつまでも見ていられるように、波の音をいつまでも聞いていられるように、自分の絵もそういう存在に近づけたら、と思っていました。
自分の絵は、よく「暗い」と言われることがあります。
そう言われる理由は自分でもなんとなく分かっています。
色味もほとんどなく華やかでない、登場する人もただひとりで立って遠くを真っ直ぐ見ているだけです。
でも、明るいだけがポジティブに繋がることではないのだろう、と、暗闇でじっとしている強さもあるのだろう、と思うことがあります。
他の人の絵を観たりしていて、なぜ、自分の絵にはひとりしか登場しないのかと、人事のようですが考えていました。
絵の中にふたつ以上のものがあると、その中で関係性が生まれます。
そういう絵を描いたこともありますが、自分はそれに異和感がずっとあります。
絵の中で完結するのではなく、作品と観る人の間に何か繋がりができたなら。烏滸がましいかもしれませんが、そう思っています。
観ていて心が落ち着くと同時に、
失うとか、何もないとか、取り残される、というイメージをも肯定するような絵を、自分は描いていたいのだと思います。
その反対側を知らないから、この世界を肯定するような絵を。
そして、他の人にもそれは共感してもらえる部分なのではないかと、どこかで感じています。
というか、そうだったらいいな、と。
何を言っているのかよく分からなくなってくるので、この辺で止めておきます。
「およそ退屈な景色」
これは、大学時代の先生が作品について書いてくれた文章にあった言葉です。
その退屈な景色を、自分はこれからもしばらくは描いていくだろうと思います。
(あきば しすい)
秋葉シスイ
「次の嵐を用意している」(14)
2015年
カンバスに油彩
65.5x91.0cm(P30号)
サインあり
秋葉シスイ
「次の嵐を用意している」(8)
2014年
カンバスに油彩
97.0x145.5cm(P80号)
サインあり
秋葉シスイ
「次の嵐を用意している」(10)
2014年
カンバスに油彩
91.0x73.0cm(F30号)
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
こんにちは。
この度アメリカで開催される「アートサンタフェ」に、ときの忘れもののブースより出品させていただきます。
今回は新作を含めた3点を出品します。
海外で作品を観てもらえる機会はなかなか得られることではないので、せっかく与えていただいた機会、色んな反応を見届けてきたいと思います。
自分は、人が居たり居なかったり、あるいは向こうの方になにか光のようなものがある風景をずっと描いています。
たとえ誰も居なかったとしても、人の気配が感じられるような風景を。
もともと、自分の絵には「世界平和」とか「戦争反対」みたいな強いメッセージはありませんでした。
海や焚き火の炎をいつまでも見ていられるように、波の音をいつまでも聞いていられるように、自分の絵もそういう存在に近づけたら、と思っていました。
自分の絵は、よく「暗い」と言われることがあります。
そう言われる理由は自分でもなんとなく分かっています。
色味もほとんどなく華やかでない、登場する人もただひとりで立って遠くを真っ直ぐ見ているだけです。
でも、明るいだけがポジティブに繋がることではないのだろう、と、暗闇でじっとしている強さもあるのだろう、と思うことがあります。
他の人の絵を観たりしていて、なぜ、自分の絵にはひとりしか登場しないのかと、人事のようですが考えていました。
絵の中にふたつ以上のものがあると、その中で関係性が生まれます。
そういう絵を描いたこともありますが、自分はそれに異和感がずっとあります。
絵の中で完結するのではなく、作品と観る人の間に何か繋がりができたなら。烏滸がましいかもしれませんが、そう思っています。
観ていて心が落ち着くと同時に、
失うとか、何もないとか、取り残される、というイメージをも肯定するような絵を、自分は描いていたいのだと思います。
その反対側を知らないから、この世界を肯定するような絵を。
そして、他の人にもそれは共感してもらえる部分なのではないかと、どこかで感じています。
というか、そうだったらいいな、と。
何を言っているのかよく分からなくなってくるので、この辺で止めておきます。
「およそ退屈な景色」
これは、大学時代の先生が作品について書いてくれた文章にあった言葉です。
その退屈な景色を、自分はこれからもしばらくは描いていくだろうと思います。
(あきば しすい)

「次の嵐を用意している」(14)
2015年
カンバスに油彩
65.5x91.0cm(P30号)
サインあり

「次の嵐を用意している」(8)
2014年
カンバスに油彩
97.0x145.5cm(P80号)
サインあり

「次の嵐を用意している」(10)
2014年
カンバスに油彩
91.0x73.0cm(F30号)
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
コメント