笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第15回

「超一流の画廊とは……」


 日本では、スイスのイメージを酪農国と思っている人が多いようだ。が、それはある一面を示すにすぎない。化学技術や精密機器の技術にも優れ、金融分野でも世界で屈指の強国だ。多様な分野でグローバルに活躍するリッチな企業が多い。特に化学品分野では優良企業が多く、医薬品メーカーで、常に世界のベスト5以内に位置し、今注目を集める抗体医薬の開発で世界のトップを走るロッシュも存在している。
 このロッシュや多種の優良企業が本社をかまえる街が、スイス第2の都市、バーゼルである。企業の本社が多い割には、東京のように息のつまるコンクリート・ジャングルの雰囲気はない。ゆったりと流れるライン川を挟んだ実に静かな、自然豊かな中世都市なのだ。その旧市街に≪バイエラー≫という画廊がある。〔Galerie Beyeler: Bäumleingasse 9, 4051 Basel, Switzerland〕

画廊外観
〔1980年代のバイエラー画廊の外観〕
自動車がとまっている建物がバイエラー画廊。入口は中央の黄色のドアーから。
1~3階が、通常の展示スペース。日本の画廊と違って、店舗風のかまえはしてない。従って、入りずらい雰囲気はある。


 今はなき画廊主、バイエラーが集めた現代美術のすばらしいコレクションをもとに、何年か前、≪美術館≫をバーゼル郊外に建てた。個人がつくった美術館とは思えない程、内容が充実していて、程度が高い。このような面を見ると、この画商の凄さは底知れない。
 画廊内で、実際に遭遇した出来事を通しても、これを感じたことがあった。
 80年代の中頃、フラリとこの画廊に立ち寄り、1階から3階までの展示室をひととおり見て、「オヤジがいれば……」と思い、オフィスを覗くと、ピカソのキュビズムのピーク時のような3号程の極上質の作品が、1点、その壁面にかけられていた。大きな作品でも、これ程の質の作品はそうざらにはない。オヤジと眼があうと、挨拶もそこそこに、思わず口をついた言葉が、「これ、いくらですか?」
 席を立ち、こちらにユックリと向って来て、「このような作品を売ってしまったら、今、もう2度と手に入りません。従って、これは売りものではありません」
 この頃、どんな超一流画廊でも、ピカソのキュビズムの時代の作品を画廊で見ることは、ほとんど不可能に近くなっていた。バイエラーの言葉を聞いていた時、ピカソの画商として名をはせた、あのダニエル=ヘンリー・カーンワイラーの言葉が頭をよぎっていった。
「私は売らなかった絵で財をなし、売った絵で生活をしてきた」
 この言葉には、多様な事を暗示する深い意味が含まれているようにも思えてならない。超一流に登りつめる画商には、ひとつの流儀があるようだ。

画廊
Galerie Bayelerの2階の展示室の一部
〔右〕:フリッツ・グラーナの作品。
〔中〕:アンリ・マティス最晩期の“切り紙”の作品。
〔左〕:壁面にかけられている白黒の作品はアルプのレリーフ。
〔左〕:手前の立体はやはりアルプ。大理石で制作されたユニーク作品。


■  ■

 今から40年以上も前のことだ。東京の日本橋、高島屋百貨店の近くにあった南画廊の志水氏から電話があった。いつもと違う弾んだ声で、「今、モジリアーニの作品が画廊に着いたんだよ。程なく美術館に収めるんだ。なかなか見られるものじゃないから、見に来なさい」胸をはった得意満面な様子が伝わってくる。
 当時、東京では「モジリアーニの作品を見る事ができる」ということは、一つの貴重な出来事だった。
 又、「キュービズムの時代に入るか、入らないか、ピカソの端境期(はざかいき)の作品が入荷した時も、同じような電話があった。しかし、この作品、今、記憶にも残ってない。
 こんな状況が、東京の画廊界での1970年代の雰囲気だった。しかも、南画廊は当時の≪日本の現代美術≫を代表する画廊だったのだ。
 この頃、バーゼルのバイエラー画廊では、どんな動きをしていたのか……。そのほんの一部の動きをここに抽出してみると…。

≪70年代に見る、バイエラーや南画廊の動き≫
表


 この表を再度、細かく読んでいただきたい。バイエラーの特質がはっきりと、あぶり出されてくる。具体的に見てみると、

〔1〕:赤字部分に注目してほしい。当時、欧米の通常の画廊では眼にできなくなったセザンヌ、ルノアール、ゴーギャン……など、クラシックな作家の作品も少数ながら展示されている。しかも、他では見られない程、作品の質は非常によい。この画廊の懐の深さを示している。

〔2〕:ピカソ、マティス、ジャコメッティ、デュビュッフェ、ロスコ、リキテンシュタイン、デ・クーニング、ミロ、ポロック……など、現在、眼のくらむ程の価格づけがされている巨匠の作品が、ここに列挙した企画展では=他のものもそうだが=、必ず毎回多数展示されている。しかも、同一作家でも、毎回異った作品が展示されていた。

〔3〕:1970年代前半には、まだ名があまり知られてない≪アグネス・マーティン≫、≪ダン・フレービン≫、≪ブライス・マーデン≫などにも眼をつけ展示している。現在、この3人の作品にも、途方もない価格づけが市場でなされている。“先見の明”があるというか……。
 展示作家を冷静に見ていると、この画廊の戦略が見えてくる。トップグループ、2番手グループ、まだ注目されてない作家を展示して“客の反応”を見るグループなど、これら3つのパーツ〔部品〕を利用して、用意周到に企画展の内容を組み立てている。企画展も計算し尽くされている。

〔4〕:とにかく、ここに列挙した企画展だけ見ても、展示作家の陣容は並みの美術館では到底かなわない。しかも、展示作品の質は高い。要するに、『作家の名前で作品を売る』ような次元を遙かに超越したところに、この画廊の視点が置かれている。
 又、ここに挙げた企画展には“版画”の類は全く展示されていない。

DM
☆〔May~Jul. 1979〕に開かれた“Jean Arp・Joan Miro”展の案内状。
・左の作品は極めて上質のアルプの木のレリーフ。こんなにも美しい色彩のレリーフは、この時見たのが初めて。制作年は1917年。
・右の作品も極めて上質のミロのOil-painting。代表作だった星座のシリーズの面影が残った作品。制作年は1947年。


■  ■

 ≪情報≫というものは、『その事態』に対して異った3点からつかむと、その本質を見通すのに、正確度を増す。ただ、重要なのはこの3点をシッカリと定めることだ。商社で身につけた情報の処理加工の一方法である。
 この手法を一部使って、直接的、間接的にバイエラーの体質を探ってみたことがある。
〔情報1〕:Dec. 13, 1986〔ニューヨーク:ジェフリー・ホーフェルド画廊で〕
非常によくデュビュッフェのマーケット情報を熟知し、眼力も鋭敏なシャーロット・メイズが言っていた。「今、デュビュッフェのペインティングやドローイングが30%程上昇。これは2年前から始まった。初めてのことです」

〔情報2〕:Jan. 19, 1987〔ニューヨーク:超一流画廊のアクアヴェラ〕
前述のように、この画廊は、自分がデュビュッフェを購入する時の選定画廊にしたところ。番頭から、「デュビュッフェは5年前から扱い始めた」と聞く。

〔情報3〕:Apr. 25, 1987〔ニューヨーク:ドニーズ:ケード画廊〕
ヨーロッパ地域のデュビュッフェの代理店〔リプリゼンタティブ〕であるパリの超一流画廊、ジャン・ブッシェのディレクターをしていた人で、デュビュッフェに関しては生き字引。
4年前、デュビュッフェは持て余す程沢山、作品が市場にあったのに……、今は作品が消えてしまった」
「今、コレクターから作品を引き出そうとすると、デュビュッフェに関してはとてつもない高値での引き取りを要求される」

 <値上り開始>が1984年。これが加速度をくわえてゆく。'87年前半の状況はケードの情報から、美術市場で本格上昇を見る条件が整った事判明。
 “機を見て敏”のギリシャ系アメリカ人、あのアクアヴェラがデュビュッフェで動きだしたのが1982年。さすがにタイミングの取り方絶妙。多方向にアンテナをたて、眼力と共に、情報処理能力のすごさを感じる。そしてなにより注目したのは、『先を見通す』総合力だ。
 一方、アクアヴェラに劣らず、さらにバイエラーも並のシタタカさではない。デュビュッフェの初めての企画展を1965年2月に開いている。この頃、余程のもの好き以外には、作品を買わなかった。しかし、独得の嗅覚で、狙いをつけ、上昇に入った'84年から数え、約19年も前から仕込みに入ったのだ。そして、今思えば、只同然の価格で仕込み、倉で寝かせて、価格の上昇を待つ。
 ウィスキーの醸造業と似ている。「安いアルコールを買い、樽に入れ倉庫で、15年、20年と寝かせ、コハク色の上等なウィスキーになった時、目いっぱいの価格をつけ売るのだ」
 ヨーロッパやアメリカで、一流の画商やすぐれたコレクターから度々耳にした言葉がある。『作品は少なくとも、20年ぐらいは持たないと……』 積み重ねた経験則から出た言葉なのかも……。

■  ■

 80年代の後半だったと思う。バイエラー画廊のオフィスで、デュビュッフェについて多様な話を、デュタンとしていると、突然、「倉庫を見ませんか?」
 徒歩で画廊から3分ぐらいのところにある大きな一軒家に連れてゆかれた。部屋の数がものすごく多い。1つの部屋に1作家。巨匠には大きな部屋が与えられていた。
 デュビュッフェの倉庫となっている部屋には、約40点程の大小の作品があった。どれも質が良く、良きシリーズの代表作が沢山あった。
 ミロの部屋では、あの「星座シリーズ」のグワッシュがあった。当時でも幻の作品で、世界の画廊でこれを見ることのできるところは、ほとんどないと言っても過言ではない。あるとすれば、ピエール・マティスぐらいだろう。
 この家〔倉庫〕で、長い年月、作品を寝かせ、やがてその価格が何十倍、何百倍にもなったところで、少しずつさらに時間をかけ市場に出してゆく。おそらく、これぞ超一流に駆け上り、又、その地位を長く保つ流儀なのだろう。“超一流”という名称がつくには、それなりの戦略と努力が必要のようだ。
(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う

●今日のお勧め作品は、渡辺貴子です。
20150708_watanabe_22_untitled_2003渡辺貴子
「untitled」(35)
2003年
ひもづくり
H5.5xW14.5xD13.5cm


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  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
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 ・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
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