<Today, we have suddenly received several inquiries from across the globe on HAGURI’s works. If you could inform us where you have heard or seen his works, we will be much appriciated.>
(スタッフSから問い合わせ者への返信メールより)
昨日朝、出勤した大番頭おだちがパソコンをあけて見たものは、カナダから2件、オーストラリアから1件、フランスから1件、テキサスから1件、中国から1件合わせて6件の価格の問い合わせメールでした。
海外から一日数件の問い合わせがあるのは普通のことなので、どうということはないのですが、その内容が全て葉栗剛作品に関してなので驚いたようです。
<I am interested in the prices of the wood carvings listed above by Takeshi Haguri, and how much shipping would be to Canada.>
サンタフェ惨敗の責任を一身に負って大番頭は何も言わなかったのですが(言い訳になると思ったらしい)、実は現地での評判は掛値なく良く、マスコミの取材も多く、雑誌に掲載されたり、ラジオ出演までしたらしい。
その結果が何かのメディアに紹介されたのでしょう。
数時間のうちにあの巨大彫刻への価格問い合わせが6件も集中してあるのは尋常ではありません。冷やかしでないことは、ほぼ全員が詳しい住所まで書いていることでわかります。本気で買う気なのでしょう。
国内と違い、海外からの問い合わせでは3件に1件は成約しているので確率は高い!
落ち込んでいた大番頭の喜ぶまいことか。
こういうときの決断は亭主や社長なんかより数段早い。
ピコピコ携帯を鳴らして、代休をとっているスタッフSを叩きおこし、出勤を命じたのにはびっくりしました。亭主なんか休み中の社員に電話するなんてとてもおっかなくてできない。
眠い目をこすりながら出勤させられたスタッフSは休み返上で深夜まで海外とのやり取りに忙殺されたのでした(同情します)。
ネットサーフィンしてみると、私たちの知らないところで葉栗剛作品が掲載されていたり、驚いています。ネットの力はすごいですね。
http://beautifuldecay.com/2015/06/18/takeshi-haguri-sculpts-beautifully-detailed-tattooed-characters-traditional-japanese-art/
~~~~~~~~~~~
本日7月23日は亭主にとって忘れられない思い出の日です。
美術業界に入って約40年、大小さまざまな展覧会を企画し、さまざまな場所、会場で開催してきましたが、一番印象に残っているのが、今から32年前の1983年夏に栃木県宇都宮市大谷の屏風岩石材店(渡辺興平さん所有)の地下巨大空間で開催した「巨大地下空間とウォーホル展」です。
32年前の今日1983年7月23日がオープニングでした。
東京からも貸し切りバス数台を仕立て真夏の大谷に向かいました。
現代版画センター企画による「アンディ・ウォーホル全国展」の一環で、同年6月7日に渋谷パルコPart3で開催した全国展オープニングに続く大イベントでした。
外が36度の猛暑、会場の中は8度という「地下巨大空間」での展覧会でした。

「巨大地下空間とウォーホル展」
会期:1983年7月24日~8月20日
*オープニングは7月23日
会場:大谷町屏風岩アート・ポイント

展示は数日前からスタッフが泊り込み、会場構成を担当した関根伸夫先生に指示のもと巨大な地下空間にウォーホル作品を多数展示しました。

外気との温度差30度、そのため上空に霧がうずまく幻想的な会場となりました。

(上掲の会場写真は村井修先生の撮影です)
日本発のウォーホルの版画作品「KIKU」「LOVE」を刷った石田了一さんがオープング当日の様子をビデオで撮影していてくれていました。
家庭用の機械ですから、今見るとピンボケではありますが、展示の様子、華やかなオープニング、船田中、大島清次、関根伸夫はじめ錚々たる人たちの挨拶。
記者発表での渡辺興平さん、亭主のスピーチも終わり頃に収録されています。
大反響を呼んだNHKニュースの映像も石田さんは収録しておいてくれたのですが、それはここでは掲載できませんが、貴重な映像です。
建築用石材としてブロックに代わられるまで、大谷石は江戸時代から職人たちの手で掘り続けられ、その採掘杭口が当時まだ百三十も残っていました。その中でも最も巨大な穴が渡辺興平さんの所有する屏風岩石材部の地下空間でした。
他の穴が縦杭しかないのに、渡辺家の所有する穴は太平洋戦争末期に軍部がこの穴の底に大本営を移す計画をたて突貫工事で斜坑を掘ってくれたおかげで地下100Mまでトラックが入れる、実に幻想的というか、古代ローマのカタコンベを連想させる地下空間でした。
渡辺家は船田家とともに作新学院をつくり、足尾鉱毒事件の田中正造をはじめ、孫文、室生犀星らを暖かく迎え入れた地元の旧家ですが、当時のご当主の渡辺興平さんと知人の紹介で知り合った亭主が、この巨大空間を何か文化的なものに使えないかと興平さんに相談されたのがそもそものきっかけでした。
このときのウォーホル展はNHKの夕方6時の全国ニュースにのり、全国から人が押し寄せ、関東バスは臨時便を出すわ、渡辺家は道路の整備はもちろん、仮設トイレの設置やら大騒ぎで、空前の大イベントとなりました。この展覧会がきっかけで、大谷石の地下が俄然注目され、映画の撮影や山海塾の公演、コンサートなどと波及していきます。
『Casa BRUTUS』2014年3月号
アンディ・ウォーホル特集
掲載された亭主の記事
(*画面を二度クリックして拡大してください)

左から社長、亭主の母、亭主。
親不孝な亭主でしたがこのときの展覧会には母も大谷まで来てくれ喜んでくれたようです。

ウォーホルのエディション「KIKU」「LOVE」連作を刷った刷り師の石田了一さんと亭主。
背後の巨大な石柱に展示されたマリリン像も石田さんが現場(大谷石の穴の中)でシルクスクリーンで刷りました。
1983年7月23日
(スタッフSから問い合わせ者への返信メールより)
昨日朝、出勤した大番頭おだちがパソコンをあけて見たものは、カナダから2件、オーストラリアから1件、フランスから1件、テキサスから1件、中国から1件合わせて6件の価格の問い合わせメールでした。
海外から一日数件の問い合わせがあるのは普通のことなので、どうということはないのですが、その内容が全て葉栗剛作品に関してなので驚いたようです。
<I am interested in the prices of the wood carvings listed above by Takeshi Haguri, and how much shipping would be to Canada.>
サンタフェ惨敗の責任を一身に負って大番頭は何も言わなかったのですが(言い訳になると思ったらしい)、実は現地での評判は掛値なく良く、マスコミの取材も多く、雑誌に掲載されたり、ラジオ出演までしたらしい。
その結果が何かのメディアに紹介されたのでしょう。
数時間のうちにあの巨大彫刻への価格問い合わせが6件も集中してあるのは尋常ではありません。冷やかしでないことは、ほぼ全員が詳しい住所まで書いていることでわかります。本気で買う気なのでしょう。
国内と違い、海外からの問い合わせでは3件に1件は成約しているので確率は高い!
落ち込んでいた大番頭の喜ぶまいことか。
こういうときの決断は亭主や社長なんかより数段早い。
ピコピコ携帯を鳴らして、代休をとっているスタッフSを叩きおこし、出勤を命じたのにはびっくりしました。亭主なんか休み中の社員に電話するなんてとてもおっかなくてできない。
眠い目をこすりながら出勤させられたスタッフSは休み返上で深夜まで海外とのやり取りに忙殺されたのでした(同情します)。
ネットサーフィンしてみると、私たちの知らないところで葉栗剛作品が掲載されていたり、驚いています。ネットの力はすごいですね。
http://beautifuldecay.com/2015/06/18/takeshi-haguri-sculpts-beautifully-detailed-tattooed-characters-traditional-japanese-art/
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本日7月23日は亭主にとって忘れられない思い出の日です。
美術業界に入って約40年、大小さまざまな展覧会を企画し、さまざまな場所、会場で開催してきましたが、一番印象に残っているのが、今から32年前の1983年夏に栃木県宇都宮市大谷の屏風岩石材店(渡辺興平さん所有)の地下巨大空間で開催した「巨大地下空間とウォーホル展」です。
32年前の今日1983年7月23日がオープニングでした。
東京からも貸し切りバス数台を仕立て真夏の大谷に向かいました。
現代版画センター企画による「アンディ・ウォーホル全国展」の一環で、同年6月7日に渋谷パルコPart3で開催した全国展オープニングに続く大イベントでした。
外が36度の猛暑、会場の中は8度という「地下巨大空間」での展覧会でした。

「巨大地下空間とウォーホル展」
会期:1983年7月24日~8月20日
*オープニングは7月23日
会場:大谷町屏風岩アート・ポイント

展示は数日前からスタッフが泊り込み、会場構成を担当した関根伸夫先生に指示のもと巨大な地下空間にウォーホル作品を多数展示しました。

外気との温度差30度、そのため上空に霧がうずまく幻想的な会場となりました。

(上掲の会場写真は村井修先生の撮影です)
日本発のウォーホルの版画作品「KIKU」「LOVE」を刷った石田了一さんがオープング当日の様子をビデオで撮影していてくれていました。
家庭用の機械ですから、今見るとピンボケではありますが、展示の様子、華やかなオープニング、船田中、大島清次、関根伸夫はじめ錚々たる人たちの挨拶。
記者発表での渡辺興平さん、亭主のスピーチも終わり頃に収録されています。
大反響を呼んだNHKニュースの映像も石田さんは収録しておいてくれたのですが、それはここでは掲載できませんが、貴重な映像です。
建築用石材としてブロックに代わられるまで、大谷石は江戸時代から職人たちの手で掘り続けられ、その採掘杭口が当時まだ百三十も残っていました。その中でも最も巨大な穴が渡辺興平さんの所有する屏風岩石材部の地下空間でした。
他の穴が縦杭しかないのに、渡辺家の所有する穴は太平洋戦争末期に軍部がこの穴の底に大本営を移す計画をたて突貫工事で斜坑を掘ってくれたおかげで地下100Mまでトラックが入れる、実に幻想的というか、古代ローマのカタコンベを連想させる地下空間でした。
渡辺家は船田家とともに作新学院をつくり、足尾鉱毒事件の田中正造をはじめ、孫文、室生犀星らを暖かく迎え入れた地元の旧家ですが、当時のご当主の渡辺興平さんと知人の紹介で知り合った亭主が、この巨大空間を何か文化的なものに使えないかと興平さんに相談されたのがそもそものきっかけでした。
このときのウォーホル展はNHKの夕方6時の全国ニュースにのり、全国から人が押し寄せ、関東バスは臨時便を出すわ、渡辺家は道路の整備はもちろん、仮設トイレの設置やら大騒ぎで、空前の大イベントとなりました。この展覧会がきっかけで、大谷石の地下が俄然注目され、映画の撮影や山海塾の公演、コンサートなどと波及していきます。

アンディ・ウォーホル特集
掲載された亭主の記事
(*画面を二度クリックして拡大してください)

左から社長、亭主の母、亭主。
親不孝な亭主でしたがこのときの展覧会には母も大谷まで来てくれ喜んでくれたようです。

ウォーホルのエディション「KIKU」「LOVE」連作を刷った刷り師の石田了一さんと亭主。
背後の巨大な石柱に展示されたマリリン像も石田さんが現場(大谷石の穴の中)でシルクスクリーンで刷りました。
1983年7月23日
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