画家の時刻のかなた

滝口修造
(1962年執筆)

 抽象とはなにか。今日の造形芸術で、なんと抽象という言葉は使いふるされ、私たちを不感症にしてしまっていることだろう。
 事実、いくつかの抽象の原型がつくられたが、それははてしない浪費と反復を生んだ。さてモンドリアンも、いまは凝結したまま、極北のように隔たったところに住んでいる。あれほど近代生活に安易にむすびつけられようとしたモンドリアンも、美学者が「隔離」という名で洗礼した抽象の運命にみちびかれたか。もう私は抽象という言葉をめったなことでは使うまい、と覚悟する。そんなときにオノサト・トシノブの作品が私たちの前にくりひろげられたのだ。
 そこにはまず純潔な眩暈感がある。そして今しがた私のした覚悟を忘れさせる何ものかがある。たとえば、形而上的なものが、あるプロセスの奇蹟によって、もっとも肉眼的なものと焦点が合ったのだ。照準のように、とにかく何かが出会った点、それ以外に抽象という言葉を使うまいと私が思ったような点に、私は出会ったのだ、と思う。
 ここには、時間が鉱物のような結晶のなかに、閉じこめられている。鶏小屋のなかからしか報じられない時間のなかで、画家はふしぎな時を刻む。そこには、朝、ひる、夜、眠りの時もふくめて、すべてがある。けいれんする生命とともに、長いプロセスがただ一点で凝結してしまう種類のものだ。こうして何事もなかったかのように、鄙びた諧音をすらかなでている。これが生命だ、といってさしだされたものの優雅ともいえようか。
 実際は、画家はその生活のなかで、しだいに不必要な道具や材料を、あの無数の色彩をすら身辺からふり落していったのだ。もはや入要なものといえば幾本かの筆と四つの基本的な色彩だけになった。溢出する魔術は、この引き算の末に始まっている。おそらくこの画家にも、抽象形態というものがしつこくつきまとったであろう。たとえば円形や四角。あの林檎と同じようにとりつかれたプラトニックな亡霊。だが、それすらいまはない。なんとユニイクな逆説だろう。倦まず、刻明に「時」には無関心に、床といわず天井といわず抽象形態をちりばめていったアラビア人がばら色の夜明けを迎えたときのように。

(1962年3月オノサト・トシノブ個展・於南画廊・カタログより)
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*1962年南画廊で開催されたオノサト・トシノブ展のカタログに瀧口修造が執筆した「画家の時刻のかなた」をご遺族の了解を得て再録させていただきました。
テキストは『ONOSATO』(1964年 南画廊刊 テキスト:オノサト・トシノブ、久保貞次郎、瀧口修造)に収録されているものを使いました。
オノサトトシノブ1
1966年(昭和41)10月
南画廊「オノサト・トシノブ小品展」にて
左から、オノサト・トモコ、靉嘔、瀧口修造、オノサト・トシノブ、
『志水楠男と南画廊』(1985年 同刊行会)144ページより

オノサトトシノブ2
1974年(昭和49)9月6日
デンマークのルイジアナ美術館「Japan pa Louisiana」展オープニング準備中スナップ
左より、関根伸夫、志水楠男、篠田守男
壁面にはオノサト・トシノブ作品
『志水楠男と南画廊』(1985年 同刊行会)147ページより

04出品No.4)
オノサト・トシノブ
二つの丸 黒と赤
1958年
油彩、キャンバス
16.2x23.2cm
サインあり


09出品No.9)
オノサト・トシノブ
二つの丸 朱と紺
1959年
水彩
Image size: 16.7x26.0cm
サインあり


15出品No.15)
オノサト・トシノブ
64-B
1964年
リトグラフ
Image size: 17.0x25.0cm
Ed.120 サインあり


16出品No.16)
オノサト・トシノブ
Silk-2
1966年
シルクスクリーン
Image size: 32.0x40.0cm
Ed.120 サインあり
※レゾネNo.20


17出品No.17)
オノサト・トシノブ
Silk-7
1967年
シルクスクリーン
Image size: 50.5x50.2cm
Ed.150 サインあり
※レゾネNo.27

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◆ときの忘れものは2015年7月25日[土]―8月8日[土]「オノサト・トシノブ展―初期具象から晩年まで」を開催しています(*会期中無休)。
onosato_DM6001934年の長崎風景をはじめとする戦前戦後の具象作品から、1950年代のベタ丸を経て晩年までの油彩、水彩、版画をご覧いただき、オノサト・トシノブ(1912~1986)の表現の変遷をたどります。
会場が狭いので実際に展示するのは20数点ですが、作品はシートを含め92点を用意したのでお声をかけてくれればば全作品をご覧にいれます。
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●作家と作品については亭主の駄文「オノサト・トシノブの世界」をお読みください。