<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第31回>
<A stray photo studio Vol.30> text: Akiko Otake, photograph: Masahisa FUKASE

(画像をクリックすると拡大します)
はじめに中央にいる生き物に目がいった。ダルメシアン犬かと思ったが、よく見るとちがう。ホルスタインの仔牛である。四本の脚を踏ん張り、首を前につきだし、目の前のドレスの裾を引っ張っている。
半円形にちかいそのドレスを首からすっぽりかぶっているのは、若い女性だ。ショートカットの髪型、濃く太い眉、目の周囲の黒々したアイラインなどが60年代風。片足を一歩前に出してダンサーのようにポーズをとって仔牛を見下ろしているが、ちょっとビビっている様子だ。
背後には大人の牛たちがいる。立っていたり、地べたにごろんと転がっていたりするが、もしかしたら仔牛の親もこのなかにいるのかもしれない。牛の向かい側には馬が結ばれている。どういう場所なのかわからないが、馬と牛がこんなふうに同じ場にたむろしているのは、あまり見ない光景だ。ともあれ多数派は動物たちである。人間は女がたったひとりいるだけ。
彼女は自ら進んでここにやってきたわけではないだろう。もしかしたら全身に衣装を巻き付けられて、顔も覆われて、目隠し状態のまま投げ込まれたのかもしれない。服を振りほどいて立ち上がると周囲は生き物だらけ。仔牛がのっそりとやってきてドレスの裾をくわえた。力まかせに引っ張られたら布が破けそうで生け贄になった気分。
あらためて写真を引いて眺めると、ドラマと非ドラマの対照が浮き彫りになっているのに気付く。背後の牛馬たちはそこで起きていることにはまるで無関心で、淡々と日常をやりすごしている。仔牛と女だけが非日常の時空にいるのだ。もし牛馬がいなくて背後が白い壁ならば、一生三宅ふうのドレスを引き立てるファッション写真のようにも見えるだろう。
だが、そうしたジャンルの線引きができないところがこの写真の奇妙さだ。女は化粧といい、ドレスといい、佇まいといい、ずいぶんとファッショナブルな雰囲気なのだが、腰がひけている。むしろ仔牛のほうが彼女を挑発しているのだ。おまえはだれだ、と問いたげに。太陽は頭上にあり、正午の直射光がふたりの足下におもしろい影を刻んでいる。仔牛の脚は長く、腰が高く、やけにたくましく見える。
大竹昭子(おおたけあきこ)
~~~~
●紹介作品データ:
深瀬昌久
「屠」
1963年撮影(2015年プリント)
Gelatin Silver Print
27.9x35.5cm
Ed.10
サインなし(エステートプリント)
■深瀬昌久 Masahisa FUKASE(1934-2012)
1934年北海道中川郡美深町にて生まれる。1956年日本大学芸術学部写真学科卒業。日本デザインセンター、河出書房などの勤務を経て1968年フリーランスとなる。主な写真集として『遊戯』(中央公論社、1971年)、『洋子』(朝日ソノラマ、1978年)、『鴉』(蒼穹舎、1986年)など。
主なグループ展として「New Japanese Photography」展(ニューヨーク近代美術館、1974年)、「Black Sun: The Eyes of Four」展(オックスフォード近代美術館、1985年)、「By Night」展(カルティエ現代美術館、1996年)、「OUT OF JAPAN」展(ヴィクトリア&アルバート美術館、2002年)など。その他個展多数開催。主な受賞として1976年個展「烏」で第2回伊奈信男賞、1992年第8回東川賞特別賞など。2012年歿。
●展覧会のお知らせ
渋谷のDIESEL ART GALLERYで、深瀬昌久写真展「救いようのないエゴイスト」が開催されています。
会期:2015年5月29日[水]~8月14日[金]
会場:DIESEL ART GALLERY(DIESEL SHIBUYA内)
東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti B1F
※ギャラリーは店舗の奥にあります
時間:11:30~21:00
不定休
キュレーター:トモ・コスガ(深瀬昌久アーカイブス)
DIESEL ART GALLERYのWEBより転載
1974年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)において日本の写真家を世界に初めて紹介した写真展『New Japanese Photography』が開催されました。土門拳や東松照明、奈良原一高、森山大道といった近代日本写真の第一人者らが一堂に会するなか、妻・洋子の写真を展示したことで話題を呼んだのが深瀬昌久でした。
深瀬の写真とは、妻や家族、あるいはカラス、猫など、身近なモチーフにレンズを向けながらも、「自分とは何者か?」という問いを追い求めるものでした。「いつも愛する者を、写真を写すという名目で巻き添えにし、私も含めて誰も幸せにできなかった。写真を撮るのは楽しいか?」と自らの過去を振り返ると共に、「すべてをやめたいと思いつつ写真するぼくの作業は、いま生きていることへの復讐劇かもしれない」という言葉を遺している深瀬。写真の先にあるものを暴く行為がそのまま自分自身の生死に直結する――、そんな焦燥感と寂寥が彼を表現の挑戦者として奮い立たせたのかもしれません。
1985年には、オックスフォード近代美術館(英)において『Black Sun: The Eyes of Four』という題名の下、東松照明、細江英公、森山大道との四人展を開催。またヴィクトリア&アルバート美術館(英)やカルティエ現代美術館(仏)といった世界の名だたる美術館での展覧会に参加するなど、名実ともに日本の写真界を牽引する写真家の一人として知られます。1974年に開設された「WORKSHOP写真学校」では、東松照明や森山大道、荒木経惟らと共に講師を務め、若手写真家の育成に力を尽くしました。
還暦を目前にした1992年6月、行きつけのバーの階段から不慮の転落、脳に重度の障害を受けます。写真との対峙に酷なほどのめり込んだ末、誰もが想像しない形で作家活動を閉ざすことになった深瀬は、ついに再起を遂げることなく2012年に他界。深瀬が遺したものは今なお謎めき、色褪せることのない魅力を放ちます。
本展タイトル『救いようのないエゴイスト』は、元妻・洋子が1973年発刊の「カメラ毎日」誌別冊に寄稿した原稿の題名。この中で「彼の写した私は、まごうことない彼自身でしかなかった」と言い表すように、いかなる事物と向き合ってもその先に自らを見つめた深瀬その人を如実に象徴しています。本展ではこの言葉を拠り所に、数十年の沈黙を続けた深瀬の貴重な未発表作品や代表作を展示します。
会期中 DIESEL ART GALLERY では、展示作品のほか関連書籍、ポストカード を販売いたします。
【キュレーター:トモ・コスガ(深瀬昌久アーカイブス)】
アートプロデューサー。写真分野を中心に、編集、執筆、展覧会/企業主催イベントのキュレーション&プロデュース、コンペティション審査員など多岐にわたって活動する。また写真家、故・深瀬昌久が遺した写真作品の普及管理活動に携わる。グローバルメディア「VICE」日本支部のクリエイティブ・ディレクターやプロデューサー、雑誌編集、コンテンツ・マネージャーを経て、2014年に独立。同年、日本最大のフォトフェア「TOKYO PHOTO 2014」企画展ディレクションやクリエイティブの祭典「TOKYO DESIGNERS WEEK 2014」における東洋インキ社の特設ブースをプロデュースした。また代官山蔦屋書店では定期的にトークイベントを務める。 (同展HPより転載)
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
<A stray photo studio Vol.30> text: Akiko Otake, photograph: Masahisa FUKASE

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はじめに中央にいる生き物に目がいった。ダルメシアン犬かと思ったが、よく見るとちがう。ホルスタインの仔牛である。四本の脚を踏ん張り、首を前につきだし、目の前のドレスの裾を引っ張っている。
半円形にちかいそのドレスを首からすっぽりかぶっているのは、若い女性だ。ショートカットの髪型、濃く太い眉、目の周囲の黒々したアイラインなどが60年代風。片足を一歩前に出してダンサーのようにポーズをとって仔牛を見下ろしているが、ちょっとビビっている様子だ。
背後には大人の牛たちがいる。立っていたり、地べたにごろんと転がっていたりするが、もしかしたら仔牛の親もこのなかにいるのかもしれない。牛の向かい側には馬が結ばれている。どういう場所なのかわからないが、馬と牛がこんなふうに同じ場にたむろしているのは、あまり見ない光景だ。ともあれ多数派は動物たちである。人間は女がたったひとりいるだけ。
彼女は自ら進んでここにやってきたわけではないだろう。もしかしたら全身に衣装を巻き付けられて、顔も覆われて、目隠し状態のまま投げ込まれたのかもしれない。服を振りほどいて立ち上がると周囲は生き物だらけ。仔牛がのっそりとやってきてドレスの裾をくわえた。力まかせに引っ張られたら布が破けそうで生け贄になった気分。
あらためて写真を引いて眺めると、ドラマと非ドラマの対照が浮き彫りになっているのに気付く。背後の牛馬たちはそこで起きていることにはまるで無関心で、淡々と日常をやりすごしている。仔牛と女だけが非日常の時空にいるのだ。もし牛馬がいなくて背後が白い壁ならば、一生三宅ふうのドレスを引き立てるファッション写真のようにも見えるだろう。
だが、そうしたジャンルの線引きができないところがこの写真の奇妙さだ。女は化粧といい、ドレスといい、佇まいといい、ずいぶんとファッショナブルな雰囲気なのだが、腰がひけている。むしろ仔牛のほうが彼女を挑発しているのだ。おまえはだれだ、と問いたげに。太陽は頭上にあり、正午の直射光がふたりの足下におもしろい影を刻んでいる。仔牛の脚は長く、腰が高く、やけにたくましく見える。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
深瀬昌久
「屠」
1963年撮影(2015年プリント)
Gelatin Silver Print
27.9x35.5cm
Ed.10
サインなし(エステートプリント)
■深瀬昌久 Masahisa FUKASE(1934-2012)
1934年北海道中川郡美深町にて生まれる。1956年日本大学芸術学部写真学科卒業。日本デザインセンター、河出書房などの勤務を経て1968年フリーランスとなる。主な写真集として『遊戯』(中央公論社、1971年)、『洋子』(朝日ソノラマ、1978年)、『鴉』(蒼穹舎、1986年)など。
主なグループ展として「New Japanese Photography」展(ニューヨーク近代美術館、1974年)、「Black Sun: The Eyes of Four」展(オックスフォード近代美術館、1985年)、「By Night」展(カルティエ現代美術館、1996年)、「OUT OF JAPAN」展(ヴィクトリア&アルバート美術館、2002年)など。その他個展多数開催。主な受賞として1976年個展「烏」で第2回伊奈信男賞、1992年第8回東川賞特別賞など。2012年歿。
●展覧会のお知らせ
渋谷のDIESEL ART GALLERYで、深瀬昌久写真展「救いようのないエゴイスト」が開催されています。
会期:2015年5月29日[水]~8月14日[金]
会場:DIESEL ART GALLERY(DIESEL SHIBUYA内)
東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti B1F
※ギャラリーは店舗の奥にあります
時間:11:30~21:00
不定休
キュレーター:トモ・コスガ(深瀬昌久アーカイブス)
DIESEL ART GALLERYのWEBより転載
1974年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)において日本の写真家を世界に初めて紹介した写真展『New Japanese Photography』が開催されました。土門拳や東松照明、奈良原一高、森山大道といった近代日本写真の第一人者らが一堂に会するなか、妻・洋子の写真を展示したことで話題を呼んだのが深瀬昌久でした。
深瀬の写真とは、妻や家族、あるいはカラス、猫など、身近なモチーフにレンズを向けながらも、「自分とは何者か?」という問いを追い求めるものでした。「いつも愛する者を、写真を写すという名目で巻き添えにし、私も含めて誰も幸せにできなかった。写真を撮るのは楽しいか?」と自らの過去を振り返ると共に、「すべてをやめたいと思いつつ写真するぼくの作業は、いま生きていることへの復讐劇かもしれない」という言葉を遺している深瀬。写真の先にあるものを暴く行為がそのまま自分自身の生死に直結する――、そんな焦燥感と寂寥が彼を表現の挑戦者として奮い立たせたのかもしれません。
1985年には、オックスフォード近代美術館(英)において『Black Sun: The Eyes of Four』という題名の下、東松照明、細江英公、森山大道との四人展を開催。またヴィクトリア&アルバート美術館(英)やカルティエ現代美術館(仏)といった世界の名だたる美術館での展覧会に参加するなど、名実ともに日本の写真界を牽引する写真家の一人として知られます。1974年に開設された「WORKSHOP写真学校」では、東松照明や森山大道、荒木経惟らと共に講師を務め、若手写真家の育成に力を尽くしました。
還暦を目前にした1992年6月、行きつけのバーの階段から不慮の転落、脳に重度の障害を受けます。写真との対峙に酷なほどのめり込んだ末、誰もが想像しない形で作家活動を閉ざすことになった深瀬は、ついに再起を遂げることなく2012年に他界。深瀬が遺したものは今なお謎めき、色褪せることのない魅力を放ちます。
本展タイトル『救いようのないエゴイスト』は、元妻・洋子が1973年発刊の「カメラ毎日」誌別冊に寄稿した原稿の題名。この中で「彼の写した私は、まごうことない彼自身でしかなかった」と言い表すように、いかなる事物と向き合ってもその先に自らを見つめた深瀬その人を如実に象徴しています。本展ではこの言葉を拠り所に、数十年の沈黙を続けた深瀬の貴重な未発表作品や代表作を展示します。
会期中 DIESEL ART GALLERY では、展示作品のほか関連書籍、ポストカード を販売いたします。
【キュレーター:トモ・コスガ(深瀬昌久アーカイブス)】
アートプロデューサー。写真分野を中心に、編集、執筆、展覧会/企業主催イベントのキュレーション&プロデュース、コンペティション審査員など多岐にわたって活動する。また写真家、故・深瀬昌久が遺した写真作品の普及管理活動に携わる。グローバルメディア「VICE」日本支部のクリエイティブ・ディレクターやプロデューサー、雑誌編集、コンテンツ・マネージャーを経て、2014年に独立。同年、日本最大のフォトフェア「TOKYO PHOTO 2014」企画展ディレクションやクリエイティブの祭典「TOKYO DESIGNERS WEEK 2014」における東洋インキ社の特設ブースをプロデュースした。また代官山蔦屋書店では定期的にトークイベントを務める。 (同展HPより転載)
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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