石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」第17回

我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋

17-1 はじめに

サラリーマン・コレクターの人生を双六遊びに例えるとしたら(不謹慎ですが)、その「上がり」は、公立美術館でのコレクション展開催だと言っても良いかと思う。収集を始めて21年(1996年時点)の筆者が、この幸運を引き当てたのは、偶然に恵まれた結果であるけれど、シュルレアリスム的に解釈すると、そこには「内的必然」がある訳なので、今回は、このあたりを報告したい。


17-2 名古屋市美術館

マン・レイ作品を初めて購入した1975年頃には、街の画廊を回って同時代の美術動向をとらえ、美術館活動でも紹介・収集していこうとする学芸員の姿を多く見かけた。お互いの顔を覚えるうちに自然と会話が始まり、お酒を呑んだり美術館におじゃまするような関係が生まれた。振り返れば「もの派」世代の作家が活躍していて、認識の問題が重要なテーマである時代だった。続く80年代の美術状況、表現の諸相については専門家にまかせるとして、経済成長を背景に新しい美術館が次々と生まれ、若い研究者や学芸員の方々も生き生きとしておられた。

manray17-1山脇一夫氏


 同郷の故と思うが、懇意にして下さった兵庫県立近代美術館の学芸員・山脇一夫さんから、「20年ぶりの名古屋です。遊びに来てください。」と葉書をもらったのは1987年で、白川公園に黒川紀章設計による名古屋市美術館が翌年4月に開館するのにともない「首席学芸員として勤務」されると云う。山脇さんは開館の新聞告知にジョナサン・ポロフスキーの言葉から「芸術は精神のために」を取りだして使われ、同館の学芸課長を2001年まで努められた。

 筆者は名古屋生まれの、名古屋育ち。高校生の時に中部学生写真連盟の活動に参加して、自己表現の世界に目覚めてしまった事は、この連載でもすでに書いた。連盟顧問の山本悍右先生を含む5作家を紹介した『名古屋のフォト・アバンギャルド』展が地階の常設展示室3で開かれたのは1989年1月で、講演会に参加して写真担当学芸員の竹葉丈氏と親しくなった。

manray17-2竹葉丈氏


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 何度かおじゃまするうちに『日本のシュールレアリスム』展を準備されていた山田諭氏と呑む機会が増え、事前調査の様子などを聞く事にもなった。氏の徹底した調査(気の遠くなるような)に基づく運動の文献紹介、展示構成へのアプローチは、瀧口修造の詩から「純粋な脳髄よ。鰐を通せ!」を導く事にもつながり、チラシに現れた。このフレーズを山脇さんも気に入っておられたようだった。展覧会は文献・資料78、絵画151、写真59の規模で催され、それまで、シュルレアリスムの思潮に関心を持つものの現物を見ていなかった者には、貴重な体験となった。筆者は吉原治良や北脇昇の油彩、安井仲治や山本悍右の写真を特に注目したが、マン・レイの写真も含まれる展覧会カタログの迫力には、情熱と云うか執念というか、プロの仕事のすごみがただよって、「山田諭」の名前を、その後に続く研究者や学芸員の目標にする結果になったと思う。

 筆者は観客なので美術館のバックヤードに求められる機能については知らないが、同館には大規模な企画展示室の他に、常設展示室が幾つかあって、特に第3室は手頃な広さと独立性から、学芸員の研究成果を発表するのに最適な空間と感じられた。竹葉氏や山田氏も前述の展覧会などでこの展示室を使っておられるが、1993年12月からの『山本容子 クリスマスの贈り物』『田中孝の聖夜』『夜の天使 浅井慎平』といった展覧会でも使われた。前二者は筆者もコレクションをしている京都の版画家なので、美術館を近しいものに感じたのは、普通の感情。ここで、筆者のコレクション展を開いてみたいと考えるようになったのも、普通の感情だと書いておきたい。


17-3 お願いがあるのですが

お酒の出る席だったと記憶するが、山脇一夫さんに、恐る恐る打診し、企画書を提出するチャンスをいただいた。── 企画会議の結果を尋ねて良いものかどうか、ずいぶんと悩み良報を待った。1996年に入ってから、同年12月に第3室を使うクリスマスショーで、コレクションの展示をしていただける事が決まり、狂喜したのを覚えている。同館に巡回した『マン・レイ』展(1991年)で、講演をしたのも評価ポイントに加算されたのだろうか(笑)


17-4 展覧会・準備

さて、担当してくれる山田諭氏と打ち合わせをすると、展示什器の他、カタログとポスターについても予算が確保されているらしく、美術印刷に定評のある京都の日本写真印刷で制作することが決まり、カラー頁一台を含むカタログの具体的な書容設計に入った。公立美術館での展覧会にもかかわらず、自分で好きなように出来るのだから、有り難い。「作品には観客が必要である。」と始め「わたしはマン・レイを愛している。」と締めくくったテキストは、図版との繋がりを考慮しつつ一気に書き上げた。9月に入って作品を送り出し、『破壊されざるオブジェ』などの写真も希望するアングルで仕上がって(写真家の福岡栄さんのお手を煩わせた)、次第に展覧会開催の実感がわいてくるのだった。

manray17-3集荷時の山田諭氏(左)と筆者


manray17-4日本写真印刷の会議室(四条中新道)から


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 筆者はマン・レイが自作のオブジェに付けた名前の一部を拝借し、コレクション展を『我が愛しのマン・レイ』と名付けた。会場構成は作者の人生に寄り添うように都市と出来事を重ね、「ニューヨーク─マルドロールの歌」「パリ・ダダ─ダダメイド」「パリ・シュルレアリスム─恋人たち」「ハリウッド─告示なしにあり続けるために」「パリ再び─透明巨人」「遺されたアトリエ─呑気にしているけれど、無関心ではいられない」と云った章立てで準備。このブログ連載ですでに報告させていただいた作品の他に、多くの版画や文献資料、加えて銀紙書房刊本など、展示品は83点。観て頂く順番もおおむねカタログのリストに従う計画とした。

manray17-5ラッピングする筆者


 そして、11月。Rギャラリーでの展示(1983年)と同じように文献資料を木製パネルにラッピングし、壁面に掛けるプランとしていたので、数回、美術館へ出掛けた。品物が傷むので本人がやらねばならないが、予想以上に時間がかかってまいった。自室で気楽に作業するのとは異なり、観客がいると、どうも、いけません(涙)。結局、飾り付けが始まっても作業を続けるありさまだった。

 会場設営については山田氏のセンスに助けられた。「展示には遊びの部分がいるんですよ」と氏が、版画『六つの仮面』の横にフランク・パールズ画廊のカタログを掛けたり、『肖像集』『自伝』(英・仏)『セルフ・ポーレイト』と、マン・レイの目線を合わせるのに接して、氏の展示技術、プロの仕事ぶりに脱帽。美術館での展示現場を体験できる貴重な機会となった。

manray17-6飾り付け


manray17-7同上


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17-5 展覧会・始まる

初日の12月1日は日曜日だったので、多くの方が駆けつけてくれた。「出来ていますよ」と渡されたカタログの最初の頁に、「マン・レイと出会い、マン・レイに憧れて、マン・レイを追い求め、マン・レイを抱いて、マン・レイに恋し、マン・レイを探し続けて、ついには『マン・レイになってしまった人』と自認する石原輝雄氏が、20年以上かけて集めたコレクションは、マン・レイへの愛に満ち溢れています。」と山田諭氏が書いてくれた。嬉しかった。
 展示の様子については、写真を観て頂きたい。どうですか? 素晴らしいでしょう! 一介のサラリーマンに、ここまで出来るとは予測できませんよね。──本人が書いちゃいけないか(笑)。

manray17-8『我が愛しのマン・レイ展』


manray17-9同上


manray17-10同上


manray17-11同上


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manray17-12銀紙書房刊本


 毎週帰省し、会場で多くの人たちにマン・レイの魅力を語り、関連企画として12月23日には「コレクターの涙」と題して講演も行った。この時、マン・レイの真似をして聴講された方々に「幸運」と題した薄水色のカード(数字を印字)をお配りし、籤引きで、ささやかなプレゼントをしたのだが、当選された方が子供の頃からお世話になっているTさん夫妻だったので驚いた。みなさん来て下さったのだ。

manray17-13猪山雄司氏


manray17-14(故)佐谷和彦氏(左)と馬場駿吉氏


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manray17-15筆者


 展覧会の取材を幾つか受けたが、どの記者もマン・レイ芸術への言及よりも、わたしの「狂い」ぶり、「集め」ぶりに関心をお持ちのようだった。例えば中日新聞は「聞けば、同氏は、収集に贅沢な資金をつぎ込める資産家ではなく、ごく普通の会社員だという。つまり、これらは高騰した美術品を資産目的で買いあさったものではなく、早い時期からただ一人の作家にしぼって収集し続けた愛情の雫が集まった泉のごとき宝物なのである。」「美術品は高額で、それゆえに価値があるのだという思い込みから解放され、自分の眼で選び、楽しむことからスタートした収集─展示は、作品自身が放つ輝きとともに、美術というものへのかかわり方に一つの示唆を与えている。」(12月16日夕刊)と好意的に紹介して下さった。最近では公立美術館で個人コレクションの展示が行われるのも一般的になったが、当時は全国的にも珍しく(経済人などの富豪は別です)、この点でも、美術館関係者の英断に感謝している。


17-6 展覧会・終了

年が明け、マン・レイに捧げた常設展示室3の空間も元に戻され、祭の終わった寂しさを感じた。来場頂いた方々に礼状を書きながら、翌年には会場の展示状況を撮った生写真(8枚)やセルフポートレイトを貼り付けた限定版カタログ、15部を制作。これは、日本写真印刷にお願いして、折丁前の印刷済用紙を取り除けていたのである。

manray17-16カタログ 普及版と限定版(右)


manray17-17同上 限定版



17-7 楽しみは常設展示

美術館の役割には、展示・公開、教育・普及、収集・保存、調査・研究の四つがあると言われているが、日本経済の減速、デフレ進行に伴う失われた20年の入口あたりから活動も停滞、疲弊していった。名古屋市美術館も例外なく影響を受けたようだが、山田諭氏は、先に言及した『日本のシュールレアリスム』(1990年)の他に、『赤瀬川原平の冒険』(1994年)、『戦後日本のリアリズム1945-1960』(1998年)、『ハイレッドセンター』(2013年)などの重要な展覧会を企画され、さらに、先月の18日からは『画家たちと戦争: 展』で戦前から戦後を跨いだ画家たちの視点から「戦争を生き抜く」意味を問うている。丁度、本稿掲載のタイミングで同展が催されるのも、氏と通底する呼びかけ故だと思う。尚、展示は9月23日迄で、他館への巡回は予定されていないと聞く。

 氏は「行政が経費を削減するとき、最初に収集のための予算を削減する。」と指摘されておられるが、名古屋市美術館には、下郷羊雄や山本悍右を始め地元出身の美術家である荒川修作赤瀬川原平、河原温の優品が収蔵されており、様々な機会に拝見するのを楽しみにしている。──としても、作家研究や紹介に必要とされる作品は多い訳で、継続した予算執行を伴わないと収集は難しいと、個人コレクターの身ながら助言したい。

manray17-18名古屋市美術館


 美術館の同じ壁面に何時も掛かっている作品。白川公園の緑に囲まれた美術館を訪れる度に地階の常設展示室1でフリーダ・カーロの油彩『死の仮面を被った子ども』(1938年)と対面すると、家に帰ったような印象を持つ。美術品は観る時々の体調や感情の変化、社会情勢によって印象の変わるものでありながら、フリーダの生涯を偲びつつ、懐かしく、いつも元気付けられる事に感謝している。このブリキに描いた小品が、コレクション展をさせていただいた1996年度の収集品であるのも、何かの縁といえるだろう。巡回展などではなくて、常設が観たいから美術館を訪れる。これこそが美術の楽しみである。

続く

(いしはらてるお)

■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。

石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
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●今日のお勧め作品は、秋山祐徳太子です。
20150805_aikyama_05_sankaku秋山祐徳太子
「三角男」
1989年
ブリキ彫刻
H27x11.5x11.5cm
台座の裏にサインと年記あり

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