久保貞次郎先生の紹介をきっかけに南画廊の志水楠男さんは1962年に初めてオノサト・トシノブ展を開催します。
1979年3月に急逝した志水楠男さんの七回忌を機に刊行された『志水楠男と南画廊』(1985年 同刊行会)から、南画廊でのオノサト作品の展示の軌跡をたどってみましょう。

●オノサト・トシノブ展
1962年3月12日~24日(油彩画近作20余点)

●オノサト・トシノブ展
1966年2月21日~3月2日(油彩作品16点)

●オノサト・トシノブ小品展
1966年10月24日~11月10日(小品24点)

●オノサト・トシノブ展
1969年6月16日~28日(油彩画16点、シルクスクリーン1点)

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『志水楠男と南画廊』
1985年
「志水楠男と南画廊」刊行会 発行
執筆:大岡信、志水楠男、難波田龍起、今井俊満、小野忠弘、木村賢太郎、加納光於、オノサト・トシノブ、菊畑茂久馬、宇佐美圭司、野崎一良、靉嘔、中西夏之、清水九兵衛、飯田善國、戸村浩、菅井汲、保田春彦、桑原盛行

オノサト先生の南画廊での個展は上記4回です。
油彩の制作数の激増した70年代にそれらが南画廊の壁面を飾ることはありませんでした。

オノサト先生の1970年代、80年代の生活(創作)を支えたのは尾崎正教、大野元明、高森俊、岡部徳三のいわゆる4人組による版画制作(エディション)でした。
皮肉なことですが、この時代、オノサト先生は「版画家」といって差し支えないような世間での評価でした。
膨大な数の油彩画をひとり桐生のアトリエにこもり制作し続けたオノサト先生ですが、それらを本格的に扱う画商はいませんでした。
散発的にオノサト展(油彩)が開かれることはあっても、それは長続きせず、実質的に生活を支えたのは版画でした。
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『オノサト・トシノブ 版画目録1958-1989』
1989年
アートスペース 発行
テキスト:オノサト・トシノブ

オノサト先生が亡くなられた後、ご遺族が油彩の画集ではなく、リトグラフ、シルクスクリーン、木版、タペストリー(布に捺染)の全版画220点の画像とデータを収録した版画の目録(カタログレゾネ)を刊行したことがその間の事情を反映しています。
発行元の「アートスペース」はご家族が経営していた画廊です。

亭主は現代版画センター時代に10数点の版画をエディションしました。
中でも1977年にディションしたタペストリー2点は大作でした。
13出品No.13)
オノサト・トシノブ
Tapestry A
1977年
捺染、布
119.5x80.0cm
Ed.100 Signed
*現代版画センターエディション
*レゾネNo.142

14出品No.14)
オノサト・トシノブ
Tapestry B
1977年
捺染、布
119.5x80.0cm
Ed.100 Signed
*現代版画センターエディション
*レゾネNo.143

この2点は、1977年の「現代と声」展のために制作してもらった作品です。
「現代と声」とは、現代美術の状況に対するメッセージとして、新たな共同性の構築をめざす目的をもって、現代版画センターが全国展開したイヴェント全体の呼び名で、その中心は現代日本美術の断面を示す9人の作家(靉嘔磯崎新、一原有徳、小野具定、オノサト・トシノブ、加山又造、関根伸夫野田哲也元永定正)による版画23点の制作でした。
オノサト先生以外の8人は紙による版画作品でしたが、オノサト先生だけには、私たちから布に捺染という技法での制作をお願いしました

なぜか。
上述の「四人組」の皆さんが岡部徳三さんの刷りによるシルクスクリーンをエディションし始めたのは1966年からです(「silk-1」が最初)。
そのシステムは、新作ができあがると四人組の皆さんが桐生のアトリエに呼ばれ、版画にする油彩を選び(購入)、その代金を負担します。選ばれた(購入された)油彩をもとに、刷り師の岡部さんがシルクスクリーンの版をつくり(カッティング)、自ら刷るというものでした。刷り上がった枚数をオノサト家を含め五等分して分け合い、それぞれが自分の持分を自分の販売ルートで販売するというものでした。
つまり、初期リトグラフと違い、シルクスクリーンのほとんどには原画(油彩)が存在します。
オリジナル版画の定義に従えば、これは「エスタンプ(複製版画)」です。
当初から、「オノサト版画はエスタンプではないか」という批判があったようですが、オノサト先生を支援し、版画によってオノサト芸術を普及しようとした四人組と、久保貞次郎先生をはじめとする仲間たちの善意を疑うものはなく、結局それで通ってしまいました。

さて、亭主は1977年の「現代と声」企画にあたり、磯崎新先生、小野具定先生ら今までまったく版画制作をしていない作家にも参加を求めました。それぞれに優秀な刷り師(版画工房)を用意して「オリジナル版画」の制作を依頼したのでした。
オノサト先生に「版画」を依頼すれば、従前のやり方(原画をもとにシルクスクリーンで刷る)になってしまう。それでは他の8作家の「オリジナル版画」との兼ね合いがおかしなものになってしまいます。

油彩を原画とする版画ではなく、純粋に版画のための「原稿」をつくってもらい、オリジナルな版画作品を制作する。そのために考え出したのが、布に捺染技法でつくるタペストリーでした。
これなら、四人組の皆さんの功績を損なうことなく、オリジナル版画を発表できます。ただし制作費用はめちゃくちゃかかりました。
従って上掲の「Tapestry A」「Tapestry B」には原画はありません
オノサト先生の手書き(鉛筆)による実物大の「原稿」があるだけです。

1977年10月21日_現代と声_ヤマハエピキュラス_1 のコピー

現代と声」全国展は1977年10月21日の渋谷ヤマハエピキュラスにおけ る「一日だけの展覧会」を皮切りに1978年2月まで全国を縦断して行われました。それらの会場では作家や評論家たちを招き、パネルディスカッションをはじめとする様々なイヴェントを開催しました。
ブログ7月24日_8_600
1977年10月21日
於:ヤマハエピキュラス
左から、針生一郎、北川フラム(「現代と声」実行委員長)、一原有徳、元永定正、オノサト・トシノブ、野田哲也、飯田善國、関根伸夫、尾崎正教(現代版画センター事務局長)

ブログ7月24日_4_6001977年11月3日
於:群馬県桐生市シマ画廊
「現代と声 '77」桐生展パネル・ディスカッション
右から、
オノサト・トシノブ
岡部徳三(プリンター、岡部版画工房を主宰)
尾崎正教(現代版画センター事務局長)
奈良彰一(桐生支部)

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◆ときの忘れものは2015年7月25日[土]―8月8日[土]「オノサト・トシノブ展―初期具象から晩年まで」を開催しています(*会期中無休)。
onosato_DM6001934年の長崎風景をはじめとする戦前戦後の具象作品から、1950年代のベタ丸を経て晩年までの油彩、水彩、版画をご覧いただき、オノサト・トシノブ(1912~1986)の表現の変遷をたどります。
会場が狭いので実際に展示するのは20数点ですが、作品はシートを含め92点を用意したのでお声をかけてくれればば全作品をご覧にいれます。
全92点のリストはホームページに掲載しました。
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●作家と作品については亭主の駄文「オノサト・トシノブの世界」をお読みください。