練馬区立美術館で彫刻家・舟越保武先生の展覧会が開催されています。
オープニングには社長が出席してまいりました。
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開館30周年記念「舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに」

会期:7月12日(日曜)~9月6日(日曜)
開館時間:午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
会場:練馬区立美術館

練馬時代に制作された初期の石彫を含む彫刻作品約60点のほか、初公開を含むドローイング作品など、宗教的主題の作品で独自のスタイルを確立した舟越先生の回顧展です。
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「舟越保武-まなざしの向こうに-」
2014年10月24日発行
株式会社求龍堂

テキスト:
光を見る者-舟越保武と芸術の秘儀 若松英輔
父のことをすこし 舟越桂
永遠の時を求めて 大野正勝
舟越保武、その人 吉田尊子

構成:
第1章 彫刻への憧れ-東京美術学校受験の頃から 1933年~1943年頃まで
第2章 模索と拡充-戦後 1945年頃~1958年頃まで
第3章 《長崎26殉教者記念像》1958年~1962年まで
第4章 信仰と彫刻-《原の城》・《ダミアン神父》の頃 1962年~1975年頃まで
第5章 静謐の美-聖女たち 1975年~1986年頃まで
第6章 左手による彫刻-最後の出品作品まで 1987年~1998年まで
素描 (第1章~第6章 彫刻作品関連)
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前列は舟越家のかたがた。

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今では大彫刻家というイメージの舟越先生ですが、50歳を過ぎるまで売れない彫刻家で、家計のやりくりが大変だったことは、長女の末盛千枝子さんが雑誌『波』(新潮社)に連載している「父と母の娘」にも描かれています。
私たちが版画の制作依頼に舟越先生のお宅に伺ったのは1980年頃で、リトグラフや銅版を10点ほどエディションさせていただきました。石や金属に直接描画するのは慣れないとなかなかうまくいかないものですが、舟越先生はそもそも大理石を彫るのが本職でしたから「ボクは石や金属に描くのは苦にならない」とおっしゃって重い石版や硬い銅版に素晴らしい線描で女性像を描いてくださいました。
1987年に脳梗塞で倒れ、右半身がご不自由になったのですが、リハビリに励み左手で創作を続けられました。亡くなられたのは2002年2月5日、89歳でした。
このときの葬儀の様子はブログにも書いたことがありますが、2月5日は奇しくも長崎で26人が殉教した日でした(1597年2月5日=慶長元年12月5日)。
ご子息の桂さんが<家族はその日がどういう日なのか誰も気づかず、亡くなった後に2月5日が殉教の日だったことを知り感動するとともに粛然とした>と会葬者に語ったことを思い出します。
舟越先生を献身的に支えた道子夫人にも私たちはとてもお世話になりました。
カタログなどをつくるときに、舟越先生が必ず入れるよう指示されたのは<1941年盛岡・川徳画廊にて松本竣介と二人展開催>という項目でした。
盛岡中学で同級だった竣介とは終生の友情を結びました。今その二人の常設展示室が岩手県立美術館にあり、先日うかがったときには桂さん直木さんの二人のご子息の作品も展示されていました。

●画廊コレクションから舟越保武作品をご紹介します。
funakoshi-y_01_wakaionna-a舟越保武
「若い女 A」
1984年
リトグラフ(雁皮紙刷り)
51.0×39.0cm
Ed.170 サインあり

funakoshi-y_02_wakaionna-b舟越保武
「若い女 B」
1984年
リトグラフ(雁皮紙刷り)
48.5×37.0cm
Ed.170 サインあり

funakoshi-y_03_st-crara-1984舟越保武
「聖クララ」
1984年
リトグラフ(雁皮紙刷り)
51.0×42.0cm
Ed.170 サインあり

funakoshi-y_06_a-zyou舟越保武
「A嬢」
1982年
銅版(雁皮紙刷り)
24.0×19.4cm
Ed.100 サインあり

funakoshi-y_10_syouzyo-kao舟越保武
「少女の顔」
1979年
ブロンズレリーフ
12.0cm(径)
美術館松欅堂開館記念作品

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●夏季休廊のお知らせ
2015年8月16日(日)~8月24日(月)はギャラリーをお休みいたします。