木下哲夫さんが新たに翻訳した『祝宴の時代 ベル・エポックと「アヴァンギャルド」の誕生』が届きました。
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祝宴の時代 ベル・エポックと「アヴァンギャルド」の誕生
ロジャー・シャタック著
木下哲夫 訳
2015年 白水社
4,400円+税
*ときの忘れもので扱っています。
木下さん手作りの「プレゼント」付です。画廊においてありますので、どうぞご購入ください。

ルソー、サティ、ジャリ、アポリネール。
時代を画した四人の芸術家が体現する「前衛」の精神と驚くべき共時性。刊行から半世紀余りを経て今なお示唆に富む名著、待望の邦訳!



木下さんは次々と大著を翻訳していますが、例によってこれも分厚い。
本文だけで498ページ、巻末の索引と参考文献だけでも30ページもある。
しかしまあ、これだけの本をよくだすよなあ、どこだいそんな奇特な出版社はと見たら、白水社さんでした。
亭主はウン十年前の青春時代を思い出しました。
その昔、白水社の奥付の発行人と亭主が学んだ教師の名が同じなので、「同姓同名なのかしら」と疑問に思ったままずっとそのままにしていました。
担当された白水社の若くて美しい(と想像する)Kさんにメールで質問したところ、早速に返事がきました(嬉しい!)。
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ときの忘れもの
綿貫不二夫さま

梅雨明け後、蒸し暑い日が続きますが、お元気でお過ごしでしょうか。このたびはご丁寧な連絡をいただき、恐縮しております。

今年の初め、『ピカソ』の評伝第一巻を弊社より刊行させていただき、今回の『祝宴の時代』でも木下哲夫さんには大変お世話になっております。
大部の本ではありますが、著者のユーモア溢れる文章と木下さんの軽妙洒脱な訳文のおかげで、
長さを忘れて読みふけってしまう一冊です。お楽しみいただければ幸いに存じます。

草野貞之氏は、綿貫さんのおっしゃるとおり、小社の元社長です。
何代目かは失念してしまいましたが、中央大学の先生を続けながら入社され、そのまま取締役を経て社長になられたと聞いております。
今年、おかげさまで、小社は創立100周年を迎えることができましたが、そうした先代のおかげで今もなんとかやっていけるのだと日々感じております。
(以下略)
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そうか、やっぱりあの草野先生は白水社の社長さんだったんだ。
でも社長というような柄じゃあなかった。いかにも実直な学者然と(亭主たち若い学生には)見えました。

亭主は1964年4月群馬県から上京し、中央大学法学部法律学科に入学しました。
亭主のクラス(法律学科18組)の第二外国語はフランス語でした(自分で選んだはずなのになぜフランス語だったのか思い出せない)。
受験では早稲田の文学部に合格していたのですが、「文学なんかツブシがきかない」の母親の一言で滑り止めに受けた中央大学に泣く泣く入る羽目に陥り、それをうらんだ亭主は以後4年間、母親と絶交し、仕送りを拒否。消火器工場の守衛、家庭教師、カレー工場などなどアルバイトに明け暮れました。
だからほとんど授業は出ていない。
それでも幾人か印象に残る先生方がいました。
法社会学の渡辺洋三先生(東大だが中央でも少し教えていらした)。
社会学の樺俊雄先生(60年安保の樺美智子さんの父君)。

語学は今にいたるもまったく駄目なのに、なぜかフランス語の3人の先生方が特に印象深い。法律の先生の名などほとんど覚えていないのに、室井庸一、草野貞之、田辺貞之助の三人のお名前はその風貌とともに記憶に鮮やかです。

田辺貞之助先生は講壇に立つなり「某週刊誌で人気の艶笑小噺の作者は私でして」と告白(?)、「朝日ジャーナル」しか認めず、週刊新潮なんて汚らわしい(笑)と信じていたウブで純情な18歳には艶笑小噺というのがまずわからない。
次の授業では東大の仏文教室の先輩内藤濯先生に上品な言葉遣いで「田辺さん、仏文では食べられませんから(仏文を専攻するなんて)おやめなさい」と言われたという思い出話に。内藤濯といえばあの「星の王子さま」の訳者ではないか、お調子者の亭主は手をあげ「田辺先生、この教科書はつまらないので(読めもしないくせに)サン=テグジュペリの作品を教材にしてください」などと無謀にも提案したのでした。内心困った坊主どもだと思ったでしょうが、かくしてわが亭主のクラスは『Terre des Hommes(人間の土地)』を原文で読むことになったのでした。

室井庸一先生は当時40歳になるかならないかの少壮学者でスタンダールの専門家だけあって、授業は「フランスの女性が若いときはいかに美しく、老いては無残にもビヤダルになってしまう」という話に始まり、日本の女性の弱点は「あごが未発達」であると強調されるのでした。フランス女はあごが鋭角的なのに、日本ではどんな美しい女性も「あごがない!(首にそのままつながっている)」。クラスには二人の女学生もいたのに、室井先生辛辣でした。
『愛に生きたフランス女流作家たち』(三省堂選書 辻昶・室井庸一編)では恋に生き戦い続け最後は国葬でもって送られたガブリエル=シドニー・コレットの生涯をえがいています。

こんな話を書いているといつになっても先に進めない。
『祝宴の時代 ベル・エポックと「アヴァンギャルド」の誕生』の刊行と同時に、渋谷のBunkamuraでは「エリック・サティとその時代展」が開催されています。
ちょっと地味な展覧会ですが、ベルエポックの混沌としたエネルギーを4人を通して描いた本書をよみながら鑑賞するのもいいですね。
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エリック・サティとその時代展
会期:2015年7月8日(水)~8月30日(日)
*開催期間中 無休
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
エリック・サティ(1866-1925)は、20 世紀への転換期に活躍したフランスの作曲家です。
サティは芸術家たちが集い自由な雰囲気をたたえるモンマルトルで作曲家としての活動を開始し、その後生涯を通じて芸術家との交流を続けました。
第一次大戦中より大規模な舞台作品にも関与し、パブロ・ピカソとはバレエ・リュスの公演《パラード》を、フランシス・ピカビアとはスウェーデン・バレエ団の《本日休演》を成功させます。また一方でアンドレ・ドラン、ジョルジュ・ブラック、コンスタンティン・ブランクーシ、マン・レイ、そして数々のダダイストたちがサティとの交流から作品を生み出していきました。
本展ではマン・レイによって「眼を持った唯一の音楽家」と評されたサティの活動を芸術家との交流のなかで捉え、刺激を与え合った芸術家たちの作品を通して、作曲家サティの新たな側面を浮かび上がらせます。(展覧会HPより転載)

●今日のお勧めは浜口陽三です。
cherry_600浜口陽三 Yozo HAMAGUCHI
"Green Cherry"

カラーメゾチント
7.8×5.9cm
Ed.145 Signed

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