小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第25回

「ネットいじめ」撲滅ポスター 子どもに写真の「使い方」を教えること

original(図1)
「ネットいじめ」撲滅ポスター
「デブ」


original-1(図2)
「ネットいじめ」撲滅ポスター
「オタク」


original-2(図3)
「ネットいじめ」撲滅ポスター
「弱虫」


Edouard_Manet_022(図4)
エドゥアール・マネ
「皇帝マキシミリアンの処刑」(1869) 


UNICEF(ユニセフ)のチリ支部による「ネットいじめ」撲滅キャンペーンのポスターが、カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルで屋外広告部門とプレス部門で金賞を受賞し、ハフポスト日本語版でも紹介されるなど、話題になっています
(制作はチリの広告会社Prolam Y&R
このキャンペーンは、それぞれ「デブ」(図1)、「オタク」(図2)、「弱虫」(図3)と題されており、ロッカールームやカフェテリア、体育館のような学校内の空間で、中高生ぐらいの4、5人のグループが、一人の生徒に向けてスマートフォンを向けている様子が捉えられています。モノクロの画面が、いじめの陰湿さ、いじめられている生徒の心理的な苦痛を強調して表しているようです。写真に添えられているキャッチコピーは次のようなものです。

一度の撮影で充分
ネットいじめは、学校に通う子供たちのうつ病や自殺の原因の一つになっています。もしあなたがスマートフォンを持っているなら、賢明な使い方をしてください。決して誰かの自尊心を、殺さないで。

(原文:ONE SHOT IS ENOUGH “Cyberbullying represents one of the main causes of depression and suicide among kids at school. If you have a smartphone, use it wisely. Don’t kill anyocne’s self-esteem.”)

ONE SHOT IS ENOUGHという見出しと、少年、少女たちが軍団のように並び、腕を伸ばして銃を構えているかのようなポーズをしていることが示唆するように、ここでのSHOTとは、「撮影」と「発砲」という二つの意味が込められています。「発砲」という意味合いを強めて伝えるために、それぞれの画面の端の方が硝煙を暗示するように白く靄がかっています。人の弱みにつけ込んで、写真を撮影してインターネット上に晒していじめ、精神的に追いつめることは、その人に対する「射殺」、「処刑」のような行為に等しい、ということをこのキャンペーンは訴えかけています。
3つのポスターの画面は共に、いじめる側といじめられる側の両方と空間全体を描き出しており、画面全体の構図は、エドゥアール・マネが手がけた歴史画「皇帝マキシミリアンの処刑」(図4)を下敷きに考案されたのではないかと思えるほどよく似ています。「皇帝マキシミリアンの処刑」には、塀の上から処刑の様子を見物している人たちも描かれていて、この絵の鑑賞者が、見物人と同様に現場に立ち会って目撃しているような臨場感を高める要素になっています。この絵を念頭に置いてポスター(図1,2,3)を見ると、それぞれの場面が捉えられている、距離を置いて撮影の現場を見下ろすような視点が、虐めの事態を知りつつも、その行為を傍観している人の立場を反映したもののようにも見えてきます。この場合の「傍観」とは、その場所に居合わせている(事態を直接的に知っている)ということだけではなく、ネット上に公開された画像を閲覧したりする行為も含まれているのではないでしょうか。そのように捉えてみるならば、ポスターのキャッチコピー「もしあなたがスマートフォンを持っているなら、賢明な使い方をしてください。」という呼びかけには、写真を撮る側(直接的ないじめの加害者)に対して、写真を撮ってインターネット上に晒すという暴力的な行為を止めるように訴えかけているだけではなく、晒された画像を見ることがどういうことなのか自覚するように呼びかけるメッセージも含まれていると言えるでしょう。
そのように捉えてみると、「間違った使い方をするな(人を傷つけるような意図を持って写真や動画を撮影・公開するな)」という命令ではなく、「賢明な使い方をして下さい(use it wisely)」という諭すような呼びかけは、どこか漠然としているようにも響きますし、見る側に「それじゃあ、スマートフォンの賢明な使い方って、どういう使い方なのか?」と考えさせることに、このポスターの意図があるのかもしれません。
以前、この連載の第20回「子どもの撮る写真」でも書いたように、デジタル・ネイティヴの世代で、3歳を過ぎた頃からiPhoneで写真を撮るようにもなった子どもを育てている親としては、学校でのネットいじめのニュースに接することもしばしばあり、このポスターに描かれていることは近い将来に起こり得る(自分の子どもが加害者にも、被害者にもなり得る)危機として感じられます。また、親、大人として子どもに対してスマートフォンの「間違った使い方をやめなさい」、あるいは「賢明な使い方をしなさい」と言ったとしても、実際にそれがどれだけ子どもの心に響き、ネットいじめが起きない、あるいはいじめの事態を改善させることにつながるのだろうか、と懐疑的な気持ちにもなります。そもそも、どのような使い方が「賢明」なのか、あるいは「間違っている」のか、その違いが自明であるという前提に立つのではなく、写真の力とは何か、それを「使う」とはどういうことなのかといったことから学んだり、考えたりする機会を、学齢期の早い時期から積極的に作るべきではないだろうか、とも思うのです。
また、このような学びの機会を作ることは、現在育児や教育に携わる世代、すなわちインターネットやデジタルカメラが普及する以前に子ども時代を過ごした世代にとって、写真や映像というメディアがいかに変化してきたかということを振り返り、次世代の子どもたちと共に考えることにつながっていくことになるのでは、とも思います。
次回は、写真を撮ること、見ることを通して子どもたちと共に考える教育活動の実践例をご紹介します。
こばやしみか

●今日のお勧め作品は、ウィン・バロックです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第25回をご覧ください。
20150825_bullock_03_navigation-without-numbersウィン・バロック
「Navigation Without Numbers」
1957年
ゼラチンシルバープリント
17.8x23.0cm
サインあり


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◆小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。