芳賀言太郎のエッセイ
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第18回
Japanese on 1600km pilgrimage to Santiago Vol.18
第18話 メセタの大地とロマネスクの至宝 ~ブルゴスからフロミスタ~
10/15(Mon) Burgos - Hontanas (29.7km)
10/16(Tue) Hontanas – Fromista (35.7km)
朝、トレッキングパンツの入ったスタッフバックが無いことに気付く。慌てて探すが見つからない。どこで落としたのだろう。結局見つからず諦めて先に進むことにする。でも、心はなくした長ズボンのことばかり考えてしまい落ち着かない。朝からテンションは下がり、気分は最悪である。そうはいっても歩くしか無い。行きたくないけど出社する社会人の気持ちもこのようなものなのだろうか。
ブルゴスの郊外を抜けるとだだ広い荒野が広がっている。ここから次の大都市であるレオンまでは、メセタと呼ばれる高原の台地を歩く事になる。本来は麦畑なのであるが、刈り取られたあとでは土しか残っていない。一本の巡礼路が赤茶けた大地の中を延々と続いていく。
道1
道2
道3
いつもより長めの約30kmを歩き、へとへとになる。歩いていると突然、目の前に窪地が現れた。茶色の屋根が見え、町があることがわかる。ひたすら何もない大地を歩いていたために人が住んでいる気配を感じてホッとした。
ここHontanas(オンタナス)は無原罪の聖母受胎(Inmaculade)教会を中心とした住民がたった60人の小さな集落である。町のHontanaという名前は泉fuentesに由来している。巡礼者のための水飲み場があり、アルベルゲは昔の救護施設を利用している。
オンタナス 教会
アルベルゲ リビング
ベッドルーム
夕焼け
朝は真っ暗である。ヘッドランプをつけて闇の中を歩く。雨が降り出し、とても寒い。途中で廃墟を見つける。カスティージャ王アルフォンソ7世の命によって1146年に建てられた修道院の跡である。救護院として巡礼者を受け入れてきたものの、18世紀に解散し廃墟となったらしい。現存する建物は14世紀のものである。廃墟となったフライング・バッドレス(飛び梁)がアーチとなって巡礼路の上に架かっている。それをくぐり歩みを進める。現在はその一部がアルベルゲになっており、宿泊も可能である。
雨に打たれて、体が冷え切っていた私は10時に着いたCastroherosの町に泊まろうかと本気で考える。今日の目的地(Fromista)の町まで30km以上もの道を歩くのは体力的にもそして精神的にもきつく、心が折れそうである。しかも、体を温めようとしてたまたま入ったバルが日本の古民家のような雰囲気で居心地が良い。今日はずっとここにいたいと思う。でも、ここで歩くのを止めるのはなんだか自分に負けるような気がする。たとえここで宿をとっても、気分良く過ごせないだろう。そんなことを考えて、先に進むことにする。もし、いつかまた、この巡礼路を歩くことになったら、ここに泊まろうと思う。
朝の道
かつての救護院
カストロヘリスの手前にある教会堂
カストロヘリス カフェ
目の前の丘を越え、広大な大地(メセタ)を歩いていく。
丘の手前
丘を登る
丘の上から
道4
道が途中から運河沿いになる。カスティージャ運河である。この運河は、カスティージャ地方と北の港町であるサンタンデールを結ぶために、18世紀半ばから19世紀にかけてつくられた。運ぶはずだった羊毛の価格の下落や、1860年に鉄道が敷かれたことで工事は中止となり、残り90キロを残して運河は未完成に終わった。しかし、その水は灌漑用水や製粉の動力源などとして利用されてきた。
運河沿いの道
水門
Fromista(フロミスタ)のSan Martin教会はスペインのロマネスクを代表する教会である。1066年にナバーラ王妃の命によって建設が始められ、1100年頃に完成した。美しいプロポーションが見事である。
決して大きな教会ではない。三廊式の身廊と、身廊と同じ幅の翼廊、それに半円形の大小3つの後陣をもつ、極めてコンパクトな平面プランの教会である。交差部には八角形の塔、正面の左右に円筒形の塔が建つが、それとてもどこまでも高く天上に昇ろうとするようなゴシックの尖塔ではなく、ずんぐりとしたフォルムと深めの軒を持つ、むしろ居城や宮殿を思わせるたたずまいがある。きらびやかな装飾はないが、柱頭や300を数える持ち送りの浮き彫りがどれもユニークで見飽きない。窓も端正に整えられ、いつそこから人が顔を出してもおかしくないような生活感を感じる。
内部の空間も素晴らしい。三廊式の身廊には低めのボールト天井。右左のアーケードから伸びる半円柱がアーチを支えている。側廊の窓から差し込む外光と、交差部の塔の採光窓からの光が美しい。大小3つの後陣は優美な曲線で仕上げられ、シンプルでありながら暖かで落ち着いた空間が現出している。
荘厳とか華麗という言葉よりも、落ち着きとか静けさといったことばの方がしっくりくる。突出した特別な出来事のための舞台というよりも、あたりまえの日々の中にあるけっしてあたりまえではない出来事を思い起こさせてくれる場所である。
このプロポーションの美しさは19世紀末の復元工事の賜物。当初ベネディクト派の修道院付属教会堂として建てられたたものの、1118年にクリューニー派に属することとなり、鐘楼や聖具保管室などが追加され、当初のプロポーションは失われてしまう。改修前の姿を再現した模型が教会の中に陳列されているが、それを見ると、交差部の塔の上に鐘楼が乗せられただけではなく、鐘楼に通じる屋根つきの通路が作りつけられていたり、南壁側の翼廊に白壁造りの聖具保管室が増築されたりと、ロマネスク様式とは大きく異なる姿になっていたことが分かる。その後教会としては使用されなくなったこともあって劣化が進み、屋根の一部陥没や構造壁の崩壊等、教会全体の崩壊が懸念される状態となった。そして19世紀末~20世紀初頭に行われた大々的な修復工事によって「当初」の姿が回復されることになる。
この修復工事はマドリードのスペイン銀行の建築を指揮した建築家Manuel Aníbal Álvarez:マヌエル・アニバル・アルバレス (1850-1930)の手になるもの。彼は1873年にマドリッド建築学校を卒業後イタリア、フランスで学び、母校で教鞭をとるかたわら、中世の教会の修復を手がける。しかし、当時の歴史的建造物の修復は、「あるべき姿」の回復に主眼が置かれ、サン・マルティン教会の場合も、「その本来あるべき美しい姿を再現する」との考えから、修復というよりはむしろ改修ともいえる形での修復が行われることになる。その結果、サン・マルティン教会は、典型的なロマネスク様式の姿を「取り戻す」ことになる。
問題は、今日であれば当然踏まれるであろう文化財の保護・修復の手順が踏まれなかったこと。現状がきちんと記録されず、また創建当時の状況も考古学的な手順を踏まえて想定されたとは言えないままに、Aníbal Alvarezの推定によってサン・マルティン教会の「あるべき姿」が「回復」されてしまったこと。さらに修復工事の管理が不十分だったために、改修から一世紀を経た現在、オリジナルな部分と修復部分の判別が難しくなってしまい、正確な建築の変遷を跡づけることができなくなってしまっていることである。
たとえば、改修時に再現された柱頭彫刻には Réprica(複製)を表す「R」の記号が付されているはずなのに、それのないものが混じっているとも言われ、「修復ではなく改ざん」とまで酷評されたりもしているようである。
もっとも、これは広く歴史的建造物の「修復」や「保全」に関わる問題であり、とりわけ、後の時代に大きく変容してしまうことの多いロマネスク建築を考える上では避けて通ることのできない難問である。
いずれにしても、現存のこの建物は、その一種ロマネスク建築の「原型」とでも言うべき端正で完璧なフォルムによって、多くの人々を魅了し、現代の巡礼者たちや観光客を引きつけていることは間違いない。
サン・マルティン教会
サン・マルティン教会2
正面ファサード
内部
正面祭壇
柱頭彫刻
アルベルゲのとなりのカフェが居心地がとてもいい。夕方は町を散歩し、夕食はバルで巡礼者用メニューを食べる。
フロミスタ アルベルゲ
フロミスタ カフェ
歩いた総距離1032.3km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第18回 ワイン容器
プラティパス・ワイン
このプラティパスの便利なところは水の量によって容器変形できることである。ペットボトルは確かに便利であるが、水が500ml入っていても50mlしか入っていなくても、大きさは同じである。実際、バックパックを背負って歩くとわかるのであるが、意外とペットボトルの容器はかさばるのである。
私は一人で巡礼を行なった。ワインのボトルを開けるととてもじゃないけど、一本飲み切ることは困難である。ただでさえ重いバックパックにワインの瓶を詰め込み、25km先の宿まで6時間かけて運ぶ気にはならない。それを解消したのがこのプラティパスのワインシリーズである。残ったワインをこのプラスティックのボトルに入れ、空気をできるだけ抜く。ワインは空気に触れると酸化し、味が落ちるので飲み残しのワインは瓶で運ぶよりも理にかなっている。
もちろん抜栓直後に比べれば、たしかに味は落ちる。いくら密閉されているとしても保冷もせずに丸1日30度近い外を歩くわけだから、温度は上昇しそれなりの振動もあるわけで、劣化するのは紛れもない事実である。ただ、飲み残したワインを次の日も飲めるということが重要なのである。ただのプラスティックボトルに1,000円も出せないと思うかもしれない。たしかに、ペットボトルでも事足りる。ただ、それではいかに安ワインといってもワインに失礼な気がする。そして、実際に使ってみて便利であったのは事実である。ワイン好きの巡礼者にとってはありがたいアイテムである。

■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
●今日のお勧め作品は、ニキ・ド・サンファルです。
ニキ・ド・サンファル
「Nana Power 52
You Made Me Discover」
1970年
スクリーンプリント
イメージサイズ:67.7x48.6cm
シートサイズ:75.8x56.0cm
Ed.115
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・新連載・森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」は毎月18日の更新です。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・新連載・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」はしばらく休載します。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1974年10月7日の「現代版画センターのエディション発表記念展」オープニングの様子を掲載しました。
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「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第18回
Japanese on 1600km pilgrimage to Santiago Vol.18
第18話 メセタの大地とロマネスクの至宝 ~ブルゴスからフロミスタ~
10/15(Mon) Burgos - Hontanas (29.7km)
10/16(Tue) Hontanas – Fromista (35.7km)
朝、トレッキングパンツの入ったスタッフバックが無いことに気付く。慌てて探すが見つからない。どこで落としたのだろう。結局見つからず諦めて先に進むことにする。でも、心はなくした長ズボンのことばかり考えてしまい落ち着かない。朝からテンションは下がり、気分は最悪である。そうはいっても歩くしか無い。行きたくないけど出社する社会人の気持ちもこのようなものなのだろうか。
ブルゴスの郊外を抜けるとだだ広い荒野が広がっている。ここから次の大都市であるレオンまでは、メセタと呼ばれる高原の台地を歩く事になる。本来は麦畑なのであるが、刈り取られたあとでは土しか残っていない。一本の巡礼路が赤茶けた大地の中を延々と続いていく。



いつもより長めの約30kmを歩き、へとへとになる。歩いていると突然、目の前に窪地が現れた。茶色の屋根が見え、町があることがわかる。ひたすら何もない大地を歩いていたために人が住んでいる気配を感じてホッとした。
ここHontanas(オンタナス)は無原罪の聖母受胎(Inmaculade)教会を中心とした住民がたった60人の小さな集落である。町のHontanaという名前は泉fuentesに由来している。巡礼者のための水飲み場があり、アルベルゲは昔の救護施設を利用している。




朝は真っ暗である。ヘッドランプをつけて闇の中を歩く。雨が降り出し、とても寒い。途中で廃墟を見つける。カスティージャ王アルフォンソ7世の命によって1146年に建てられた修道院の跡である。救護院として巡礼者を受け入れてきたものの、18世紀に解散し廃墟となったらしい。現存する建物は14世紀のものである。廃墟となったフライング・バッドレス(飛び梁)がアーチとなって巡礼路の上に架かっている。それをくぐり歩みを進める。現在はその一部がアルベルゲになっており、宿泊も可能である。
雨に打たれて、体が冷え切っていた私は10時に着いたCastroherosの町に泊まろうかと本気で考える。今日の目的地(Fromista)の町まで30km以上もの道を歩くのは体力的にもそして精神的にもきつく、心が折れそうである。しかも、体を温めようとしてたまたま入ったバルが日本の古民家のような雰囲気で居心地が良い。今日はずっとここにいたいと思う。でも、ここで歩くのを止めるのはなんだか自分に負けるような気がする。たとえここで宿をとっても、気分良く過ごせないだろう。そんなことを考えて、先に進むことにする。もし、いつかまた、この巡礼路を歩くことになったら、ここに泊まろうと思う。




目の前の丘を越え、広大な大地(メセタ)を歩いていく。




道が途中から運河沿いになる。カスティージャ運河である。この運河は、カスティージャ地方と北の港町であるサンタンデールを結ぶために、18世紀半ばから19世紀にかけてつくられた。運ぶはずだった羊毛の価格の下落や、1860年に鉄道が敷かれたことで工事は中止となり、残り90キロを残して運河は未完成に終わった。しかし、その水は灌漑用水や製粉の動力源などとして利用されてきた。


Fromista(フロミスタ)のSan Martin教会はスペインのロマネスクを代表する教会である。1066年にナバーラ王妃の命によって建設が始められ、1100年頃に完成した。美しいプロポーションが見事である。
決して大きな教会ではない。三廊式の身廊と、身廊と同じ幅の翼廊、それに半円形の大小3つの後陣をもつ、極めてコンパクトな平面プランの教会である。交差部には八角形の塔、正面の左右に円筒形の塔が建つが、それとてもどこまでも高く天上に昇ろうとするようなゴシックの尖塔ではなく、ずんぐりとしたフォルムと深めの軒を持つ、むしろ居城や宮殿を思わせるたたずまいがある。きらびやかな装飾はないが、柱頭や300を数える持ち送りの浮き彫りがどれもユニークで見飽きない。窓も端正に整えられ、いつそこから人が顔を出してもおかしくないような生活感を感じる。
内部の空間も素晴らしい。三廊式の身廊には低めのボールト天井。右左のアーケードから伸びる半円柱がアーチを支えている。側廊の窓から差し込む外光と、交差部の塔の採光窓からの光が美しい。大小3つの後陣は優美な曲線で仕上げられ、シンプルでありながら暖かで落ち着いた空間が現出している。
荘厳とか華麗という言葉よりも、落ち着きとか静けさといったことばの方がしっくりくる。突出した特別な出来事のための舞台というよりも、あたりまえの日々の中にあるけっしてあたりまえではない出来事を思い起こさせてくれる場所である。
このプロポーションの美しさは19世紀末の復元工事の賜物。当初ベネディクト派の修道院付属教会堂として建てられたたものの、1118年にクリューニー派に属することとなり、鐘楼や聖具保管室などが追加され、当初のプロポーションは失われてしまう。改修前の姿を再現した模型が教会の中に陳列されているが、それを見ると、交差部の塔の上に鐘楼が乗せられただけではなく、鐘楼に通じる屋根つきの通路が作りつけられていたり、南壁側の翼廊に白壁造りの聖具保管室が増築されたりと、ロマネスク様式とは大きく異なる姿になっていたことが分かる。その後教会としては使用されなくなったこともあって劣化が進み、屋根の一部陥没や構造壁の崩壊等、教会全体の崩壊が懸念される状態となった。そして19世紀末~20世紀初頭に行われた大々的な修復工事によって「当初」の姿が回復されることになる。
この修復工事はマドリードのスペイン銀行の建築を指揮した建築家Manuel Aníbal Álvarez:マヌエル・アニバル・アルバレス (1850-1930)の手になるもの。彼は1873年にマドリッド建築学校を卒業後イタリア、フランスで学び、母校で教鞭をとるかたわら、中世の教会の修復を手がける。しかし、当時の歴史的建造物の修復は、「あるべき姿」の回復に主眼が置かれ、サン・マルティン教会の場合も、「その本来あるべき美しい姿を再現する」との考えから、修復というよりはむしろ改修ともいえる形での修復が行われることになる。その結果、サン・マルティン教会は、典型的なロマネスク様式の姿を「取り戻す」ことになる。
問題は、今日であれば当然踏まれるであろう文化財の保護・修復の手順が踏まれなかったこと。現状がきちんと記録されず、また創建当時の状況も考古学的な手順を踏まえて想定されたとは言えないままに、Aníbal Alvarezの推定によってサン・マルティン教会の「あるべき姿」が「回復」されてしまったこと。さらに修復工事の管理が不十分だったために、改修から一世紀を経た現在、オリジナルな部分と修復部分の判別が難しくなってしまい、正確な建築の変遷を跡づけることができなくなってしまっていることである。
たとえば、改修時に再現された柱頭彫刻には Réprica(複製)を表す「R」の記号が付されているはずなのに、それのないものが混じっているとも言われ、「修復ではなく改ざん」とまで酷評されたりもしているようである。
もっとも、これは広く歴史的建造物の「修復」や「保全」に関わる問題であり、とりわけ、後の時代に大きく変容してしまうことの多いロマネスク建築を考える上では避けて通ることのできない難問である。
いずれにしても、現存のこの建物は、その一種ロマネスク建築の「原型」とでも言うべき端正で完璧なフォルムによって、多くの人々を魅了し、現代の巡礼者たちや観光客を引きつけていることは間違いない。






アルベルゲのとなりのカフェが居心地がとてもいい。夕方は町を散歩し、夕食はバルで巡礼者用メニューを食べる。


歩いた総距離1032.3km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第18回 ワイン容器
プラティパス・ワイン
このプラティパスの便利なところは水の量によって容器変形できることである。ペットボトルは確かに便利であるが、水が500ml入っていても50mlしか入っていなくても、大きさは同じである。実際、バックパックを背負って歩くとわかるのであるが、意外とペットボトルの容器はかさばるのである。
私は一人で巡礼を行なった。ワインのボトルを開けるととてもじゃないけど、一本飲み切ることは困難である。ただでさえ重いバックパックにワインの瓶を詰め込み、25km先の宿まで6時間かけて運ぶ気にはならない。それを解消したのがこのプラティパスのワインシリーズである。残ったワインをこのプラスティックのボトルに入れ、空気をできるだけ抜く。ワインは空気に触れると酸化し、味が落ちるので飲み残しのワインは瓶で運ぶよりも理にかなっている。
もちろん抜栓直後に比べれば、たしかに味は落ちる。いくら密閉されているとしても保冷もせずに丸1日30度近い外を歩くわけだから、温度は上昇しそれなりの振動もあるわけで、劣化するのは紛れもない事実である。ただ、飲み残したワインを次の日も飲めるということが重要なのである。ただのプラスティックボトルに1,000円も出せないと思うかもしれない。たしかに、ペットボトルでも事足りる。ただ、それではいかに安ワインといってもワインに失礼な気がする。そして、実際に使ってみて便利であったのは事実である。ワイン好きの巡礼者にとってはありがたいアイテムである。

■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
●今日のお勧め作品は、ニキ・ド・サンファルです。

「Nana Power 52
You Made Me Discover」
1970年
スクリーンプリント
イメージサイズ:67.7x48.6cm
シートサイズ:75.8x56.0cm
Ed.115
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・新連載・森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」は毎月18日の更新です。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・新連載・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」はしばらく休載します。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1974年10月7日の「現代版画センターのエディション発表記念展」オープニングの様子を掲載しました。
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